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浅葱色の桜  作者: 初音
32/52

32.入洛



 山道獣道を含む残りの旅程を終え、浪士組一行はついに京の都に到着した。


「江戸の賑わいとはまた雰囲気が違うなぁ」


 さくら達はそんなことを言いながら、おのぼりさんよろしく、町の景色に見とれた。

 聞こえてくる言葉も江戸とは違い、京の風情に花を添えるようである。


 しかし、いわゆる都会的な景色はすぐに過ぎ、一行は田園地帯に入っていった。


 静かな村だ。時折すれ違う住人たちは、浪士組一行を見て顔をしかめる。こんなにたくさんの男たちが徒党を組んで歩いてくることなど、初めてのことであろうから、無理もない。

 やがて大きな家が立ち並ぶ通りに入ると、相変わらず先回りしていた勇が隊列の先頭に立ち、浪士達に滞在先を案内した。


「一番隊と二番隊の皆さんはこちらの前川邸、三番隊と六番隊の皆さんはそちらの八木邸にお願いします」


 やっと源三郎や総司の義兄・林太郎らと合流できると、さくらは勇の采配に心の中で拍手を送り、芹沢らと共に八木邸に入った。




 荷ほどきしたのも束の間、浪士たちは八木邸の斜向かいにある新徳寺に呼ばれた。さくら達は源三郎や林太郎とも合流し、揃って新徳寺の広間に入った。


 全員が揃うのを待っている間、山岡がさくら達に近づいてきた。一緒にいるのは村上俊五郎という男で、旅の当初は六番組の組頭としてさくら達と行動を共にしていた人物だ。どうやら山南に用件があるようで、さくら達のことなど見えないかのように、山岡と村上はまっすぐに山南へ声をかけた。


「山南殿、先日の一件ですが、村上殿もこの通り反省しております。どうか穏便に済ませてはいただけませんか」


 何があったかというと、ちょうどさくら達が殿内と一悶着を起こした数日後に、組頭の村上が言ったことが発端となりもう一悶着あったのである。

 道中、村上は聞こえよがしにこんなことを言った。


「まったく、とんだ貧乏くじを引いたものだ。うちの隊の連中ときたら、焚き火に薪をくべるわ、挙げ句女子まで混ざっているわ…」


 その言葉に反論しようと口を開きかけたのはさくらと歳三であったが、山南が首を横に振って二人を制した。

 歳三は不満げな顔で山南を見たが、山南が小声で「少し待ってください」と言ったので様子を見守った。

 村上はそんな様子に気づいているのかいないのか、話を続けた。


「山南殿。あなたは他の連中と違い分別あるお方と見受けた。なぜあなたのような方がこんなやつらとつるんでおるのだ。特にその島崎とかいう女。こんなところまでぬけぬけと付いて来るなど不届き千万。あなたから説得してこのような者、江戸にお返しなさい」


 村上に今にもつかみかかろうとするさくらを総司、新八が、同じく歳三を左之助、平助が後ろから押さえた。


「村上殿」山南はゆっくりと村上の名を呼んだ。


 山南の背中からは怒気が溢れているのが、背後のさくら達に伝わってきた。


「分別があるからこそ、私は島崎さん達と行動をともにしている。彼女を愚弄するということは私のことも愚弄していることと同じですぞ!」

「な、なんだ、その口の利き方は…!その女など、この場で斬り捨ててもよいところを、山岡殿のご厚情で生かしてやっているに過ぎぬのだぞ!」

「ならば、斬り捨てればよいでしょう。島崎はあなたのような者にやすやすと斬られる女ではございませんが」

「何だと…!」


 村上は刀の柄に手をかけた。口ではさくらと斬ると言ってはいるが、目の前に立ちはだかるのは山南である。


「まずは私を斬り捨ててから、島崎殿を斬ればよろしい。もっとも、その後に控える沖田が、必ずや我らの仇を討ってくれるでしょう」


 さくらは総司を見た。総司も同じようにさくらを見、二人とも照れくさそうに微笑んだ。


「そこまでですよ、お二人様」


 こうしている間にも、また六番組で騒ぎが起きているようだと、鵜殿と山岡が駆けつけてきていた。


「村上殿、山南殿、もうすぐ京の都へ着きますから、着いてからまた協議をしましょう。それまでは、何卒、落ち着いて」


 そんな山岡の仲裁で一旦場は収まった。


 

 そして、今に至る。


「も、申し訳なかった…」村上はしゅんと縮こまって、ごにょごにょと謝罪した。


 山南はその言葉を聞き、眉根を寄せて2人を見た。やがて、「山岡様がそうおっしゃるのであればそういたしましょう」と、目尻を下げて微笑んだ。

 そして、何事もなかったかのように、部屋の奥まで歩いていき、どっかりと腰を下ろした。


 さくらはその後ろに座り、じっと山南の背中を見つめた。


 ―――かっっこよかったなあぁ、昨日の山南さん…


 さくらはニヤけないよう顔に力を入れた。

 組長相手に啖呵を切って応戦したこともそうだが、何より自分の腕を人前で褒めたうえ、結果としてさくらを守ってくれた。そのことが嬉しくてくすぐったくて、昨日からさくらはなんともいえない幸福感に包まれていたのだった。


 結果、村上は命拾いをしたものの、六番組の組頭を降格させられ、勇が組頭に任ぜられた。

 ちなみに、この京までの道中、下諏訪宿で篝火事件を起こした芹沢や、さくらを斬ろうと図った殿内も、江戸を出発した時にはついていた「役職」を解かれて降格させられていた。

 

 勇も遅れて新徳寺にやってくると、さくらの隣に座った。

 やがて、新徳寺の広間の中が浪士でいっぱいになると、清川八郎が現れた。


「そういえば、清川さんって、道中とんと見かけなかったが、今までどこにいたんだろうな」さくらはヒソヒソと勇に尋ねた。

「どうも、東海道から先回りしてたみたいだぞ」勇が眉をひそめた。

「なんだ、自分だけ楽な道か」さくらはふんっと鼻を鳴らし、浪士たちの前で偉そうに立っている清川を見た。


「諸君、長旅ご苦労であった。早速ではあるが、来たる将軍様ご上洛の前に、まずは朝廷への建白書を奉りたいと思う。公武が合体し、攘夷を決行するからには、我ら浪士が無事京の都に入ったこと、改めて上様警護の一隊を作ることをご報告差し上げるべきと考えるからだ」


 清川は仰々しくそう言うと、すでに用意していたであろう書状を掲げた。


「この書状に、皆に署名していただきたい」


 将軍家茂が京に入るのは約十日後の予定であったから、この清川の言い分は至極まっとうであり、二百三十余名の浪士たちは皆順番に署名した。


 全員が署名し終えると、その場は解散となった。 




 将軍が上洛するまでの間、基本的には「京の地理に慣れるため」という名目で同じ宿の者同士で観光をしたり、八木邸や前川邸からほど近い壬生寺の境内で稽古をしたりと、思い思いの時間を過ごしてよいということになっていた。


 旅の道中、ろくに稽古ができていなかったさくら達は、早速木刀を持ちより壬生寺に向かった。

まずは素振りを、と構えたところに、見知った顔が現れた。


「島崎殿」


 村上であった。彼もまた木刀を持ち、苦々しげな目でさくらを見ていた。

 山南との一件は謝罪し解決したものの、さくらのことを認めたわけではない、とその目が言っていた。


「手合わせ願いたい」


 さくらは二つ返事で同意した。

 なぜ女子などがこんなところに、と言う村上を黙らせるには実力で捻じ伏せるしかない。


 二人が木刀を構え、いざ勝負をしようとした頃には、同じく寺の境内で稽古でもしようかと集まった浪士たちによって、人だかりができていた。


「あれが例の女か」

「お手並み拝見といこうじゃないか」

「これで負けたら、即刻江戸へ帰ってもらわねばな」


 浪士たちは口々にそう言った。女子が勝てるわけない、とその場の誰もが思っていた。


 そんな観衆をよそに、さくらと村上は木刀を構え、互いの目線を読もうと見つめ合った。

 村上の視線が動いた。

 その時、先に動いたのはさくらだった。


「ハッ!」


 村上の視線の先に、すでにさくらはいなかった。彼の想定外の場所から、さくらは相手の間合いに入り、木刀で思い切り村上の手首を打った。

 お互い防具をつけていなかったので、その痛みやいかばかりか。村上は木刀を取り落とし、さくらは木刀の切っ先を村上の喉元に突きつけた。


 その場に沈黙が訪れた。


「ま、参った…」村上はタジタジになって、さくらを見上げた。そんな彼を、さくらは鋭い視線で射抜いた。


「嘘だろ…本当にあいつ女なのか?」

「つ、強ぇ…」


「他に手合わせしたい者はいるか。受けて立つぞ」


 さくらはニッと笑って見物人を見回した。 

 すぐに名乗り出る者はいなかった。が、殿内、家里を含む四人の浪士が名乗りを上げ、結果はさくらの四勝であった。


 試合をするごとに増える見物人の中に、芹沢が混じっていた。


「俺には勝てるか」


 そう言うと、芹沢は手にしていた鉄扇を隣に立っていた新見に手渡し、今し方勝負に負けて肩で息をしている家里から木刀を受け取った。


「嬉しいです、芹沢さん。まさかあなたと手合わせできる日が来るなんて」


 さくらはすっと木刀を構えた。


 村上を含めて連続五戦。さすがに息が上がり、額には汗が浮かんだが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


 芹沢の気迫は、剣を取れば数倍強くなるようであった。


 さくらは芹沢の目に視線を向けながらも、目の端で彼の持つ木刀の切っ先を捉えていた。その切っ先が、わずかに動いた瞬間、地面を強く蹴り、一足飛びに芹沢との距離を縮める。


 勝負は、一瞬でついた。さくらが振りかぶった木刀を芹沢は圧倒的な力でなぎ払うと、さくらのむき出しの頭頂部に自身の木刀でパシンと音を響かせた。


つうー」

 

 しゃがみ込んださくらは取り落とした木刀を右手で拾い、左手で頭を抑えた。

 だが、そのまま地べたに正座すると、両手をついてお辞儀した。


「さすが、お強い。参りました」


 勝負には負けたものの、満足げな表情を浮かべて芹沢を見た。


「まさか、あの時の娘がな」芹沢は僅かに口角を上げた。一滴の酒も入っていない芹沢の顔は精悍で、勇猛な武士然としていた。


 このようなことがあったから、その後「なぜ女子が混じっている」などと悪態をつく声はぱったりと聞こえなくなった。むしろ、さくらが女である、ということこそ嘘ではないのか、という声が上がったくらいだ。




 順調な滑り出しに見えた浪士組の一員としての生活であったが、早くもさくら達の行く手には暗雲が垂れ込めていた。


「山南さん、どう思います?」


 そう尋ねたのは勇だ。


 市井の様子を見に町へと繰り出したさくらたちは、休憩がてら甘味処に立ち寄り、ぜんざいを頬張っていた。


「あの清川さんの建白書」


 それがどうした、とさくらは勇を見た。

 総司や平助に至ってはぜんざいに夢中で話も聞いていないようである。


「やはり、近藤先生も思いましたか」山南が答えた。

「ええ。清川さんは、我々が無事到着したということと、改めて上様警護の隊を作る旨を報告すると言ってましたよね。それを伝えるためだけに、わざわざ建白書なんて出すでしょうか」勇が続けた。


「おいなんだよ、わかるように話してくれよ」左之助が割って入った。左之助の前にだけ、すでに空になったお椀と、二杯目のぜんざい椀が置かれている。


 山南は箸を置くと、左之助の目を見据えた。


「建白書というのは、本来何かを朝廷にお願いする時に奉るもの。帝の命のもと、成し遂げたいことがあったりする時にお伺いを立て、お許しを乞うといった性格が強い。つまり、寄せ集めの浪士集団である我々が、ただ京に到着し、帝ではなく上様のために働くと言ったところで、いちいち報告する必要もなければ、帝の知ったことでもない、というわけだ」

「えっ、それなら何故…」さくらも箸を持つ手を止めた。

「恐らく、清川さんは何か企んでいる。私たちに建白書の紙を遠目に見せただけで、詳細な内容を読ませなかったというのが、今思えば怪しい」





 さくら達は、鵜殿と山岡に話を聞きに行った。さくらの浪士組参加を許してくれたこの二人が、結局一番信用のおける男たちであり、こうした相談をするにはもってこいの人物であった。


「内密にお願いしたいのですがね」


 山岡が声を潜めた。


 彼が話した内容は、衝撃的なものであった。

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