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浅葱色の桜  作者: 初音
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3.剣術少女・さくら(前編)

 



 次の日、周助が迎えにやってきた。

 井上家の一室で、周助とさくらは向かいあって座っていた。しゅんと身を縮こませるさくらに、周助は一喝する。


「バカ野郎、人様に迷惑かけやがって」

「だって…さくらは女子です。試衛館にとっていらない子なんでしょ」


 周助はハア、と溜め息をついた。


「誰がそんなこと言った」

「母上が…」

「何を聞き間違えたんだ。お初がそんなこと言うわけないだろう」


 さくらは信吉との一件や、初に言われたことを周助に話した。

 周助はしばらく考え込むように黙り、やがて口を開いた。


「いいか、さくら。正直に言えば、確かに男が生まれた方がよかった」


 さくらは胃袋に鉛が落ちてきたような感覚を覚えた。そして、次の瞬間には涙をこぼしていた。


「おい、最後まで聞け。だがな、それはお前が生まれるまでの話だ。お前が生まれて、無邪気に笑ってる顔見たらな、もう男だろうが女だろうが関係ねえって思った。血の繋がった実の子に、俺の天然理心流を受け継がせたい、その気持ちは変わらないけどな。だから俺はお前に剣術を教えたいんだ。稽古を積んで、誰よりも強くなったら、お前に宗家を譲ってもいい」

「本当ですか?」

「本当だ。第一、本当にいらない子だったら、どうして今日までうちの子として育ててきたんだ。とっくに里子にでも出して縁を切ってた。違うか?」


 さくらはハッとして周助を見た。

 七歳になるまで自分を試衛館において育ててくれた、その事実が十分証明していた。

 自分は、いらない子供ではないのだと、確信することができた。


「わかったみてえだな」


 さくらが堪らず周助に近寄ると、周助は娘をぎゅっと抱きしめた。





 せっかく日野まで来たから、ということで、周助はそれから数日の出稽古を始めた。

 周助はこのあたりの佐藤彦五郎という名主の家にある道場で出稽古をしている。井上家とは少し離れていたので、周助は佐藤家で寝泊りしていた。

 一方、さくらは引き続き井上家で世話になっていた。


「源兄ぃ、竹刀貸して」


 庭で素振りをしていた源三郎は手を止め、驚いたような顔でさくらを見た。


「どうしたんだよ、急に」

「源兄ぃ言ったでしょ、自分で敵とれって。それに、さくらは父上の理心流を継ぐの。だから練習しなきゃ。でしょ?」


 さくらはにっこりと笑って手を差し出した。昨日までふさぎ込んでいたのが嘘のようなさくらの笑顔を見て、源三郎も微笑んだ。源三郎が竹刀を手渡すと、さくらは嬉しそうに握り締めた。


「どうやって構えるの?」

「そこからかよ。いいか?右手が前、左手が後ろで…」


 そんな調子で、源三郎による即席の稽古に二人は明け暮れた。







 日野での滞在も最終日を迎え、周助が井上家にさくらを迎えにやってきた。


「父上、見てください」


 さくらは源三郎の竹刀を構えると、大きく振りかぶった。空気を切るビュッという音が鳴った。その様を見て、周助は驚きと嬉しさに目を見開いた。


「へぇ、筋がいいじゃないか」

「父上、さくらに剣術を教えてください。信吉のやつを、ぎゃふんと言わせてやりたいんです!」


 その言葉を、さくらの口から聞けるなんてと、周助は感慨深さに涙しそうになったが、なんとかこらえた。さくらには申し訳ないと思いつつも、その信吉という少年に内心感謝した。だが、口では


「ちっと動機が不純だな。まあいいか。やる気になってくれたんなら、それに越したことはねえ。厳しいぞ」と言った。

「はいっ」さくらは元気よく返事をし、源三郎ににこりと笑いかけた

「よかったな」源三郎も微笑み返した。






 試衛館に帰ると、初が真っ先に駆け寄ってきた。


「さくら!」


 初はぎゅっとさくらを抱きしめると、愛おしそうに頭を撫でた。


「心配しましたよ」

「やっぱり源三郎が一枚噛んでたぞ」周助は可笑しそうな笑みを浮かべると、日野での出来事を話して聞かせた。

「さくら、明日からバシバシ稽古つけてやるからな」

「ありがとうございます!」


 急に剣術を習うと言い出した娘を見て、初は状況が掴めず周助を見た。そこには、子どものように嬉しそうに微笑む夫の姿があった。それを見て、初もつられて笑みを浮かべた。


「あなたは誰よりも強くなりますよ」初は優しくそう言った。


 


 次の日の朝、試衛館の道場に、周助とさくらは立っていた。

 周助は真剣な面持ちでさくらに竹刀を手渡すと、自分はその倍ほどの太さの木刀を手にした。


「いいか?構え方はこうだ」


 周助は自分の木刀を構えてみせた。さくらも真似した。


「違う、もっと柄を強く握るんだ。で、もっと真っ直ぐ。昨日は源三郎に習ったのか?」

「はい」

「あいつはちょっと傾くクセがあるからな…」


 周助はさくらの竹刀の剣先を持ってぐっと真っ直ぐに直した。


「父上、そっちはどうして違うんですか?」さくらは周助が手にしている木刀を指差した。

「ああ、これか?こっちが本物の天然理心流の木刀だ。実戦をにらんで、真剣みたいに重く作ってある。そんじょそこらの木刀とは違うんだ」周助は誇らしげに木刀を見つめた。

「さくらもそれがいい」

「バカ言え。今日始めたばかりの七歳のチビに持てるわけねえだろう」

「さくらはチビじゃありません!」

「じゃあ、ほれ」


 周助は木刀を手渡した。

 さくらはそれを両手で受け止めたが、周助が手を離した瞬間、あまりの重さに取り落としてしまった。閑散とした道場に、鈍い音が響きわたった。


「わかったか?それを持つのは十年早い」

「十年も!?」

「もっと鍛えてからってことだ。まずはほら、そいつでやるんだ」


 さくらは元の軽い竹刀を手に取り、スッと構えた。


「そうだ。そんで、真っ直ぐ振りかぶって…」


 稽古は小一時間ほど続いた。試衛館には、もちろん他の門人も毎日やってくるので、周助はさ

くらの稽古ばかりしているわけにもいかなかった。


「じゃ今日はここまで。今やったことをしっかり練習するんだぞ」

「はい。ありがとうございました」


 さくらはぺこりとお辞儀をすると、竹刀を持ったまま道場を出た。

 その後ろ姿を周助は目を細めて見送った。




 午前中素振りを続けたさくらは昼食の握り飯を食べると縁側で眠りこんでしまった。


「まあ、さくらったら」


 初はさくらの隣に腰を下ろすと、その髪を優しく撫でた。


「ん……母上?」さくらはぼんやりと目をあけた。

「あら、ごめんね。起こしてしまいましたね」

「いいの。まだまだ練習しなくちゃいけないんです」

「えらいわ、さくら。がんばったらすぐに強くなれますよ」

「はいっ」


 さくらは竹刀を拾い上げると、中庭に走っていった。

 

 ――がんばれば、信吉に勝てるんだ!明日はどんな稽古かな。胴打ち…ってやつとかかな。かっこよくバシッとやれる技、父上早く教えてくれないかな。




 次の日、さくらは自分の考えの甘さを思い知った。


「父上見て下さい。昨日いっぱい練習したんです」


 さくらは竹刀を手にすると、勢いよく上から振り下ろした。


「うんうん、なかなか筋がいいな」周助は満足そうにさくらを見た。

「その調子でがんばれよ」

「へ?」


 さくらが二の句をつげないまま棒立ちしていると、周助は「辰の刻(現代の午前八時)には門人が来るからそれまでは道場使っていいぞ」と言って何事もなかったかのように道場を出ていってしまった。


 三日経っても五日経っても、周助は一向にさくらに新しいことを教えなかった。

 そして七日目、さくらは周助に素振りを見せたあと、いつものようにスタスタと道場をあとにする父親の背中に向かって言った。


「父上、さくらはいつまで素振りをすればよいのですか!?」

 

 周助はさくらの方を振り向くと、驚いたような顔をした。


「いつまでって、お前、まだ七日しかやってねえじゃねえか」

「七日もやりました。早く技を習って信吉に勝ちたいんです」

「バカ野郎、まだ技がどうこう言う段階じゃねえんだよ。天然理心流四代目を継ごうってんだ、中途半端な素振りじゃ次へは進めねえぞ」


 周助はそれだけ言うとさっさと去っていった。さくらは、その後ろ姿を唖然として見つめるしかなかった。





 再び源三郎がやってきていた。大人たちの稽古の声を遠くに聞きながら、さくらは縁側に腰かけて源三郎にここまでの経緯を話した。


「ま、先生が言うことももっともだよな」

「源兄ぃまでそんなこと言うの?」

「だってお前は天然理心流四代目になるんだぜ?」


 さくらはふてくされて源三郎を見た。


「俺だって、始めて結構経つけど、素振りと基本の型教えてもらっただけで、まだ父上たちが稽古してる時は道場に入れてもらえないんだ。ま、俺もまだまだ子供なんだよな」

「源兄ぃ、大人だねー」

「お前話聞いてたか?」源三郎が呆れたように言った。

「ま、少なくともお前よりはな。五つも上なんだから」


 さくらはすっくと立ち上がった。


「源兄ぃ、さっき言ってた基本の型ってやつ教えてよ」

「え?いいけど」

「父上の後を継ぐなんて、まだまだ先だもん。今はとにかく、信吉に勝ちたいの!」


 源三郎はややため息混じりに微笑んだ。


「やっぱ、お前はまだまだガキだな」

「どーせガキですよーだ」


 源三郎は自分の竹刀を手にとり、構えた。さくらもあわてて立ち上がり、源三郎をまねた。


「いいか?こうやって、相手がこう来たら、こうよけてこっから打つんだ」

「わーっ、なんか強そう!」



 それから、二人は時間も忘れて稽古に励んだ。


「そろそろ日が暮れてきたな。父上たちの稽古が終わるぞ」

「源兄ぃ、そしたらさ、帰る前に一回勝負して!」


 これにはさすがに、源三郎も驚きの色を見せた。


「お前が俺に勝てるわけないだろ」

「やってみなくちゃわかんないじゃん。一回実戦ってものをやってみたいんだもん」


 さくらがじっと睨むように源三郎を見るので、源三郎はやれやれという風にため息をついた。


「一回だけだぞ」


 二人は竹刀を構えた。互いに真剣な目で、相手の目を見つめた。


「やあーーっ!!」

「えーいっ!!」


 互いの竹刀がガツンとぶつかり、二人は鍔迫り合いの格好となった。

 すると、源三郎はあっという間にさくらを押し返し、さくらの竹刀を払って自分の竹刀の切っ先をさくらに突き付けた。


「七日素振りやっただけのやつに負けてたまるかってんだ」源三郎は得意げにさくらを見下ろすと、すっと竹刀を引いた。

「あはは、源兄ぃは強いなあ。でも、ありがとう、これでとりあえず信吉に勝てる気がする!」

「その自信はどっから湧いて出るんだよ。でも、ホントに勝負するなら気をつけろよ」

「うん、絶対負けないよ!」


 源三郎とさくらはニッと笑うと、互いのこぶしを突き合わせた。


「ちゃんと周助先生の稽古もしろよ?ま、がんばれ」

「うん。ありがと」


 ほどなくして、源三郎を呼ぶ声がした。


「あ、そろそろ帰らなきゃ」


 試衛館を去っていく井上親子を、さくらはじっと見つめた。

 胸の中は、明日すぐにでも竹刀を持って神社に行こう、とわくわくする気持ちでいっぱいだった。



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