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浅葱色の桜  作者: 初音
29/52

29.伝通院から

 1863年 2月


 浪士組への参加希望者が、小石川の伝通院に集まった。


「おいおい、こんなにいるのかよ!?」


 皆の気持ちを代弁したのは左之助だ。


「新八っつぁん、集まるのはせいぜい50人くらいって言ってたじゃねえかよ」

「ああ。正直言って、想定外だ」


 新八は目の前の群衆を見た。

 集まった浪士は、ゆうに200人は越えていて、伝通院の広い境内をもってしても志願者を収容できそうになかった。


「やっぱり、50両が目当てなんですかねー」平助が腕を組んでは考え込むような素振りを見せた。

「大方はそうだろうな。もっとも、この人数では本当に50両がもらえるのかは怪しいが…」山南は境内の奥の方まで見ようと首を伸ばした。


「それにしても、本当にいろんな連中がいるな」


 歳三があたりを見回した。

 腰に刀を差した侍風の者もいたが、同じくらい、どこの馬の骨だと言いたくなるようなみすぼらしい者も多かった。


「月代、却って浮くだろうか…」さくらは自分の頭を撫でながら心配そうに言った。まだ頭上にすーすーと当たる風の感覚に慣れず、時折こうしてつい自分の頭を触ってしまう。

「気にすんな。誰も周りのやつのことなんか気にしてねえよ」


 歳三に言われて周囲を見てみると、確かに皆仲間内で固まって50両の使い道などについて話し込んでいるようだった。


 集まった浪士達はそれからしばらく待ったが、集合時間だと言われた時間をとうに過ぎてしまい、徐々に不安そうにざわつき始めた。


「山岡さんがどこかにいるはずだ。探して聞いてみる」勇がそう言うので、さくらも続こうとしたが歳三に止められた。


「サク、お前はここにいろ。目立った行動はするな」


 さくらはそれもそうだと頷き、結局「大将はどんと構えてろ」と、歳三、山南、新八の3人が人ごみをかき分けて行ってしまった。


 ちなみに「サク」というのは、さくらの偽名「島崎朔太郎しまざきさくたろう」の「サク」である。本当は「島崎周助」にしようとしていたが、「なんだか父上を呼び捨てにしているようで忍びない」と勇が言ったのと、誰かががうっかり「さくら」と呼んでしまってもごまかしの利く名前の方がいいだろうという歳三の提案で、こうなった。


 やがて戻ってきた歳三たちは、なぜか疲れきったような顔をしていた。


「皆考えることは同じですね。山岡さんに取り次いでもらえるまでに時間がかかってしまった」新八が言った。

「なんでも、浪士取締役の松平主税助様が、急遽取締役を辞任されたとか。それで、その後の対応に追われているようで、今日は我々に構っている余裕はなさそうです」山南が状況を説明した。


 なんだそれ、とさくら達は文句を垂れたが、程なくして役人風の男から指示があった。

 今日のところは、正確な人数把握と役割分けのために、名前だけ書いたら解散、ということになるらしかった。また、50両は払えない、おそらく1人頭10両程度になるだろうという話だった。


 大多数の者は順番に名前を書いていったが、中には50両がもらえないなら、と書かずに帰ってしまう者もいた。


 さくら達の番がやってきた。

 まずは勇が「御府内浪士 近藤勇」と記入した。歳三、総司、山南と続き、さくらも自分の名前を記入した。


「近藤勇門人 島崎朔太郎」


 受付を担当していた役人は、その名前とさくらの顔を一瞬見たが、気にも留めない風で「次の方」と呼び、新八が何事もなかったかのように「松前脱藩 永倉新八」と書いた。




 

 ひとまずは、さくらの正体はばれなかったと安堵し、一同は数日後の「再集合の日」を迎えた。


 今度は、いよいよ隊割の発表だった。


 勇は「先番宿割」という、各宿場町で浪士達の宿を抑える担当に任ぜられた。


 それ以外の試衛館出身者達は、全員平の浪士として、六番組に振り分けられた。と思っていたが、なぜか源三郎だけ三番組に振り分けられていた。


「なんでだ?」源三郎は不満そうな表情を浮かべ、さくら達を見た。

「あれじゃないですか?源さん最後に名前書いたから、境目が変わってしまったとか」総司が言った。


 源三郎は、そうか、と言うと、寂しそうに三番組の集合場所に向かっていった。勇は宿割の説明を受けに別の場所に呼ばれていき、さくら達は、六番組の集合場所に向かった。


 そこには、一様にいかつい雰囲気を醸し出す男たちがすでに集まっていた。


「市ヶ谷試衛館から参りました島崎朔太郎と申します。よろしくお願い致します」


 誰が誰やらわからないので、ひとまず先手を打って自己紹介をした。さくらに続き、山南、歳三、総司、と順々に挨拶していく。

 すると、目の前にいた隻眼せきがんの男が反応した。


「よろしくな。水戸脱藩、神道無念流、平山五郎だ」

「同じく、平間重助」

「野口健司」


 連れと思しき2人の男も挨拶した。野口が最年少のようで、平間は目尻に皺のある小柄な男だった。

 口を開けば、彼らの厳めしさも多少は和らいだ。


「芹沢さん、行かなくていいんですかい?新見さんは行っちまいましたよ」平山が近くの石段に座っていた男に声をかけた。


 男はその声に反応してこちらを見た。

 芹沢鴨。隊割表でその名前を見たさくらは「変わった名前の人がいたもんだ」と思っていたが、見た目は思いの外普通だった。


 ただ、芹沢は圧倒的な存在感と威圧感を放っていた。背が高く、がっしりとした体躯がそうさせているのか、鋭い眼光から放たれているのか。さくらたちは、その姿を見て思わずごくりと唾をのんだ。


「おう。よろしくな。芹沢鴨、神道無念流、水戸脱藩だ」


 どっしりとした低い声でそう言うと、芹沢は面倒くさそうに立ち上がった。


「よろしくお願い致します」すかさず、新八が挨拶した。

「私も神道無念流でして。失礼ながら、どちらの道場で…?」

「俺はどこの道場に属してたとか、そういうのじゃねえんだよ…おおかた、なんでこんな無名の奴がお偉いさんなんだ、とか思ってるんだろ」


 射抜くような芹沢の視線に、新八は一瞬口ごもったが、新八も新八で並の相手の眼力に負けるような男ではない。


「いえ、そのようなつもりではございません」


 毅然と、そう答えた。

 芹沢はそんな新八の受け答えにそれ以上何も言わず、最初に自己紹介したさくらを見た。


「試衛館ってのはかしらはあんたか」


 さくらは答えようとしたが、山南がそれを遮った。


「近藤勇という者でございます。先番宿割の命を仰せつかり、今は別の場所に呼ばれております」

「ああ。宿割りなんて面倒事押しつけられてお気の毒様」


 これには歳三がずいっと前に出て


「近藤はそうは捉えてはおりません。大事なお役目を仰せつかったと近藤も我々も思っております」


 と、芹沢を睨みつけた。


 芹沢は「そうかい」とだけ言うと、手にしていた鉄扇を広げたり閉じたりして弄りながら伝通院の奥の方へ消えていった。


「どこ行っちゃったんですかね?」総司が小声で言った。

「あれだよ」山南が指したのは、頭上に貼られた隊割表だった。芹沢は「道中世話役」の欄に書かれており、別の場所に集合する手筈だったようだ。

「結構偉い人だったのかな…」平助が少し心配そうに言った。

「だが、新八は知らないんだろ?」歳三は新八の方を見た。

「ええ。まあ、私も神道無念流の顔ぶれを全員知っているわけではありませんから」


 さくらは人ごみの中に消えていった芹沢の背中をただじっと見つめていた。


「あの人、どこかで会ったような…」

「水戸の奴だろ?そんな奴となんで会ったことがあるんだよ」歳三が言った。

「いや、はっきりはわからぬが…ずっと昔に…」


 さくらの脳裏にある場面がよぎった。だが、はっきりと思い出せない。


「まあ、気のせいか」


 



 しばらく待っていると、勇が戻ってきた。


「先番宿割というのは、文字通り皆より先回りして宿場町で宿を抑えるのが仕事みたいでな。どうも皆と一緒に行動できそうにはない」


 勇は少しだけ寂しそうに言ったが、その表情は「大事な役目を与えられた」と誇らしげであった。


「あれ?源さんは?」

「源兄ぃだけ三番組だ」

「そうなのか。でも、林太郎さんもいたから大丈夫だろう」

「それなら安心ですね」総司が笑顔で言った。


 林太郎というのは、総司の義兄に当たる男で、源三郎とも親戚関係であった。

 試衛館からはさくら達9人の参加であったが、普段日野で稽古をしている天然理心流の門人も何人かこの浪士組に参加していた。


「サク、トシ、山南さん。そういう訳で道中おれは別行動になるが、あとはよろしく頼みます」

「おう、任せろ」さくらは自分の胸を叩いた。


 そういえば、とさくらは勇に芹沢に会ったかどうかを尋ねた。


「芹沢さん?ああ、さっきあっちの役職付きの集合場所で会ったよ。なかなか有為の人物と見受けたが…どうかしたのか?」

「いや、前に会ったことがあるような気がして」


 しかし、試衛館で一番の古株である勇でも「さあ?」と首を傾げたので、さくらはそれ以上追及しなかった。


 それから間もなく、今回の浪士組の発起人である清川八郎が伝通院のお堂に立ち、演説を始めた。


「来たる公方様の上洛に先んじて、3日後の2月8日より諸君らには中山道を通り、京に向かってもらう」


 中山道、という言葉を聞いて、何人かは「げえっ」と声を上げた。比較的平坦で距離の短い東海道ではなく、険しい山道を越える中山道を使うというのだ。


「予想を上回る諸君が参集したこと、嬉しく思う。残念ながら1人50両を渡すことはできなくなってしまったが、此度の任は金銭の如何は関係ない。尽忠報国の志を持って公方様の警護という一大事を成し遂げようではないか!」


 清川は拳を突き上げながら、「尽忠報国」の部分を強調して演説を終えた。

 浪士たちは「おうっ!」と声を上げ、その演説に答えた。




「いよいよだな」


 さくらはひんやりとした早春の空気を吸い込んだ。


「ああ、おれたち、ついに武士になれるんだ」


 勇の笑顔は、さくらが今まで見た中で一番晴れやかで、希望に満ち溢れていた。


 一緒に、武士になろう。


 あの時の約束の種が、今ようやく芽を出し、花開こうとしている。




 1863年2月8日。総勢230余名の浪士組は京の都に向けて出発した。

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