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浅葱色の桜  作者: 初音
28/52

28.父の想い、仲間たちの想い

「よう、さくら」


 周斎は何事もなかったかのようにさくらに挨拶し、自分の前に座るよう促した。


 さくらはどんな顔をして父と対峙すればいいかわからず、周斎の顔からは目をそらした。そらした先、周斎の隣には、大小2本の刀が置いてある。さくらはその刀を見るのは初めてではなかったが、それでも目にしたのは何年かぶりだ。


 ―――まさか、これで斬られるのか?近藤家の名に泥を塗ったとかで?

 いや、そこまでのことをした覚えはない…



 さくらが刀の存在理由に思いを巡らせていると、周斎がおもむろに声をかけてきた。


「お前、お初に似てきたな」


 そんなことを言われるとは思っていなかったさくらは、驚いて周斎の目を見た。その目は娘を見ているのか、はたまた亡き前妻を見ているのか。

 写真を見返して故人を思い出すことができないこの時代に、周斎がそう発言するのには現代の数倍の重みがある。


 さくらは黙っていた。周斎の意図が読めない。


「さくら、お前、京に行ってこい」


 え?、とさくらは素っ頓狂な声を上げた。

 つい先日、「武士道」を盾に京行きを反対したばかりではないか。そんな思いがよぎった。


「どういう風の吹き回しですか」さくらは固い表情を崩さずに言った。

「うん。お前さ、侍になりてえんだろ」


 周斎はそう言うと、一呼吸置いて話を続けた。


「キチがよ、行かせてやれって」

「義母上が?」さくらは眉をひそめた。

「そりゃあそうでしょうよ。義母上は私を京に遣って厄介払いしたいのでしょう。今や別々に住んでいるというのにまだそんなことをおっしゃるのですね」

「そうじゃねえよ。あいつのお陰でな、俺は目が覚めた」

 

 そう言うと、周斎はあの日さくらが啖呵を切って飛び出した後、キチに言われたことについて話した。







「旦那様。さくらさんを、行かせてあげたらいかがですか」


 さくらや勇が、浪士組に参加するという話をしに来た時、キチは隣の部屋で”偶然”話を聞いていた。


「なんだよキチ。さてはお前、さくらを京に行かせりゃ厄介払いできるって思ってんだろ。もうあいつの母親になって十ウン年経つんだからよ、そろそろ…」

「もちろん、それもありますが」


 はっきりと言うキチに、周斎は面食らいながらも、続きを聞いた。


「勇さんや総司や源三郎さんがいなくなった試衛館に、さくらさんを1人残してどうされるのです」

「それは…」


 周斎は一瞬だけ口ごもったが、すぐに反論した。


「そりゃお前、門人が誰もいなくなるわけじゃねえだろ。勇がいなくなったら誰が試衛館を守って門人に稽古をつけるんだ。さくらは俺の1人娘だ。あいつが守らなくて誰がやる」

「ならばなぜ、4代目宗家をさくらさんにお譲りにならなかったのです」

「そりゃあ、勇の方が強かったから」

「では。なぜ、勇さんを養子に取ったのですか」


 周斎は口ごもった。それをいいことに、まくし立てるようにキチは続けた。


「私は、あなたのお子を自分で産みたかった。ですが、それは叶わなかった。ならばせめて、あなたと血の繋がりのあるさくらさんであれば、と思うようになりました。それがなんです。どこの馬の骨ともわからない勇さんを養子にして、そちらに継がせてしまうなんて」

「そんな言い方…」

「さくらさんは、あなたに4代目を譲ると言われ、行かず後家になって、女子として人並みの人生を歩まず、剣術の稽古に人生を捧げてきたんです。その先に何があるのですか?門人などほとんどいない道場を守らせるために、さくらさんを育ててきたのですか?それではさすがに可哀想ですわ」


 周斎はぐうの音も出ず、キチを見つめた。


「俺は…さくらに継がせようと思ってた。だがな。一流派を背負って立つっていうのは大変なんだよ」


 ぽつりぽつりと、周斎は本音を漏らしていく。


「俺は、娘かわいさに…籠に入れておきたかったのかもしれないな…」


 キチははあ、と息をついた。


「でしたら尚の事。私もあなたも老いていく身。親のわがままに、いつまであの子を縛りつけるおつもりですか」


 周斎は、そうだな、と答えた。

 そうして、今日さくらに会いにやってきたのだった。




「義母上が、そんなことを…」


 さくらは、目頭がじんと熱くなるのを感じた。

 今まで、そんなに折り合う相手ではなかったけれど、キチが自分を娘として扱ってくれたことで、胸の中が暖かくなるような気持ちだった。


「さくら。勇に4代目を継がせたのは、お前に重荷を負わせるのが怖くなっちまった俺の我が儘だ。それについては、この通り、謝る」


 周斎はそう言って頭を下げた。


「おやめください、父上」さくらは周斎に頭を上げるよう促した。


 ―――こんなにも、父上は歳を取っていたのか。


 子供の頃、自分に剣術を教えてくれた3代目宗家の姿は影を潜めていた。代わりに目の前にいるのは、小さく座るお爺さん。

 しかし、そのお爺さんこそが、紛れもなく自分の師であり、父親である。


 さくらはもう一度周斎に頭に上げるよう促した。そうして顔を上げた周斎は、優しい眼差しでさくらを見た。


「俺はお前に普通の女子としての人生を歩ませては来られなかった。でも、そっちの方には謝るつもりはねえ。これだけは言える。お前は、普通の女子よりも、うんと強く、自由に、生きられるんだ」


 周斎の笑顔を見て、さくらも口元を緩めた。


「ええ。父上、私は剣術を学んだことを後悔したことはありません。元はといえば、母上を守れなかった悔しさから、私が選んで始めたのです。ですから」


 さくらは一呼吸置いた。


「これからも、自分の道は自分で選びます。勇たちと、京へ行ってきます」

「ああ。それでこそ俺の娘だ」


 そう言うと、周斎は先ほどから自身の横にあった大小2本の刀を持ち、さくらの前に置いた。


「持って行け」

「え?」


 さくらは目の前の刀を見た。障子を通して入ってくる日の光を受け、鞘が黒々と光っている。


「しかし、これは父上の大事な…」

「こんな老いぼれが後生大事にしまっておいたって意味ねえだろ。勇じゃなく、お前に託すんだ」


 さくらは刀を手に取った。

 やっと、父に認めてもらえたような、そんな嬉しさがこみ上げた。


「それで思う存分、京の都で暴れてこい」

「はい!ありがとうございます!」


 さくらは子供のような笑顔を見せた。








 それからさくらは、キチにお礼を言いに、周斎と連れ立って四ッ谷の家に向かった。


「行くのは許したがな、男のナリで行くってのは別の話だ。バレて処断されるようなことがあったらどうすんだ」歩きながら、周斎は少し語気を荒げた。

「心配無用です。万に一つバレたらこう言うと、先ほど歳三と勇と話していたところなんです」


 さくらは、その内容を話した。すると、周斎はゲラゲラと笑い出した。


「全く、歳三は頭がいいな!」

「ええ。あいつの悪知恵が役に立つ時が来ましたよ」


 やがて、周斎の家に着くと、出迎えたキチは驚いたような顔でさくらを見た。そして、お茶を入れると言ってその場から姿を消してしまった。


「照れてんだよ、ああ見えて」


 周斎はクスクスと笑いながら、奥の部屋に向かっていった。さくらも後についていった。


 やがて、3人分のお茶を持ってキチが部屋に入ってきたが、誰がどう話を切り出すべきかという無言の探り合いが起こり、気まずい沈黙が流れた。


「母上」さくらが口火を切った。

「この度は、父上を説得してくださり、ありがとうございます」


 そう言って頭を下げると、キチはふんっと鼻を鳴らした。


「別に、説得したわけではありませんよ」


 キチはそれだけ言うと、お茶を啜った。

 すると、周斎が実に不自然なタイミングで厠に行くと言って席を外してしまった。


 ―――2人きりだと、さすがに気まずいな


 そんなことを考えながらも、さくらはこの沈黙を打破しようと口を開いた。


「それでも、母上が私のことを考えて父上にお話くださったこと、嬉しく思っています」 


 キチが答えないので、さくらは「本当です」と付け加えた。


「京はとても物騒だと聞いています。せいぜい死なぬよう」キチはやっとそんなことを言った。


 さくらには、それで十分だった。キチが、自分の身を案じているのだから。


「ええ。必ずや、上様警護の職務を全うし、立派な武士になって戻って参ります」


 キチの口元がわずかに緩むのを、さくらは見逃さなかった。

 さくらは、ぱっと笑顔を見せた。












 伝通院への集合期日まであと7日と迫り、さくらの「断髪式」が行われた。


 男性の髪型は大きく分けて、頭頂部を剃って髷を結う「月代」と、頭頂部はそのままに髷を結う「総髪」の2つである。もともとは、きちんと月代にするのが身だしなみとされてきたが、この頃は総髪が言わば「トレンドのヘアスタイル」という捉え方をされており、なんだかんだで試衛館の男性陣も全員総髪であった。


 さくらはひとまず、総髪にしてどの程度男に見えるかを試すこととなるのだが、現代の女性ならなんの抵抗もない「肩下くらいまで髪を切る」のがこの時代の女性には大事おおごとである。もちろん、さくらも例に漏れず、覚悟は決めたと言ったものの、いざ髪結いが家にやってくると、なんだか急に胃の調子が悪くなるのであった。


「稽古の時は髪下ろしてただろ。後ろ髪が長いってだけで、それがほんの少し短くなるだけじゃねえか」左之助は茶を啜った。

「そうは言っても女子が髪を切るというのは大変なもんなんだ」新八も湯飲みに口をつけた。

「ふっ、あんなんでも女は女だな」歳三がニヤリと笑った。

   

 さくらが、髪を切り終わるまでは絶対に中に入るな、でも切り終わったらすぐに感想が聞きたいと言うので、一番暇だった3人は別室で待っていた。

 他の者たちは、旅に必要なものを買い出しに行ったり稽古をしたりと思い思いに過ごしている。


「問題は、総髪がダメだった時だ。月代を入れるとなるとさすがのアイツもどう出るか…」歳三が言った。

「総髪でも大丈夫なんじゃねえか?さくらちゃん、もともとこう、きりっとした顔してるし」左之助は脳天気である。

 

 やがて、終わったようで歳三たちの前にさくらが現れた。


「どう…かな…」


 さくらは手で頭を隠そうとしていたが、そんなことで隠れるはずもなく、その新しい髪型を歳三たちに披露した。 


「いいんじゃねえか!?立派な侍に見えるぜ!」左之助が満足げに笑った。


 しかし、歳三と新八は黙ってさくらを見ていた。


「新八よお、これはあれか、俺たちがさくらのことを男装した女だと思って見てるからあれなのか」

「私もまさに同じことを考えていました。我々の目で、大丈夫だと言い切れるでしょうか」

「だ、駄目なのか?」さくらは不安げな表情を見せた。



 結局、客観的な目が必要だという話になった。さくらは早速町に繰り出して、「変な格好をした女」呼ばわりされないか、とか、妻に贈るかんざしを買いに来たなどと言って小間物屋に行っても怪しまれないか、とか、あらゆることを試していった。しかし、今ひとつバレているのかバレていないのか要領を得ないので、翌日から2日間、道場破りに行くことにした。



「天然理心流道場試衛館から参りました、島崎周助と申します」


 さくらは父の名を騙り、自己紹介した。しかし、


「島崎周助?何を言う。そんなナリをしているが、女子ではないか。帰った帰った」


 こんな台詞を言われたら、即刻月代を入れた方がいいと歳三たちと話していたさくらは、がっくりとうなだれた。


「一本、勝負を」


 さくらの頑とした目を見て、道場主は一瞬たじろぐような素振りを見せたが、すぐに「女子風情に負けるわけなかろう」と言いつつも勝負すること自体は受け入れた。

 そして、さくらは見事道場を破り、道場主に「本当に女子なのか…?わからぬ…」と言わしめたのであった。




 次の日、さくらはとうとう月代を入れることになった。


「勇、総司、そこにいるのだぞ!」


 さくらは、3日前に歳三たちに頼んだのと同じく、暇そうだった勇と総司を捕まえて隣の部屋で待機するように頼んだ。2人は「武運を祈る」とでも言いたげな顔で頷いた。



「本当にいいんですかい?」髪結いは剃刀を手に、心配そうな顔でさくらを見た。

「ひと思いに、お願いします!」さくらは意を決したように言った。


 頭頂部にヒリヒリとした痛みを感じながら、さくらはぎゅっと目をつぶった。

 後戻りできないことへの少しの恐怖心を覚えながらも、隣の部屋に勇と総司がいると思うと、少しだけ気持ちが楽になるのだった。


「さ、終わりましたよ」


 差し出された鏡を見て、さくらは「本当に男になってしまった」というショックにも似た気持ちと、「さすがにこれならバレないだろう」という安堵の気持ちが入り混じった、複雑な気持ちになっていた。


「勇、総司、終わったぞ。どうだろう?」



 さくらは襖をがらりと開けた。

 しかし、そこには勇も総司もいなかった。



 ―――あいつら、どこに行ったんだ?



 さくらは家の中や道場を探したが、勇や総司どころか、誰もいなかった。

 やっと台所でたまを背負ったツネを見つけ、さくらは皆がどこへ行ったのか尋ねた。


「それが、出かけてくる、としか言わないで、皆さんで出ていってしまいました」 


 さくらは、そうですか、と力なく答え、自室に戻った。


 自分の姿に見慣れようと、さくらは鏡とにらめっこしながら、いつになるかわからない勇たちの帰りを待った。

 皆が見たらなんて言うだろう、と考えれば考えるほど、胃がキリキリと痛むようで、早く皆の反応を見てしまいたいと思った。


―――山南さんは、何て言うだろう…。いや、別に、なんて言われようと関係のない話だが…。



 やがて、門の方から話し声が聞こえてきたので、さくらは素早くそちらに向かった。


「左之助さんが一番似合わないと思ってましたけど、案外様になってるじゃないですか」平助の声が聞こえる。

「やってみると意外とすっきりするもんですねぇ」総司の声だ。


 さくらは何の話だろう、と思いながら門前に出た。



「あ!姉先生、出来上がったんですね!」


 総司が声をかけたが、さくらはあんぐりと口を開けて彼らを見るばかりで、一瞬言葉を失った。


「皆、どうしたのだ…その頭…」



 朝まで総髪だった8人は、なぜか全員月代になっていた。



「皆でお揃いにした方が楽しいだろ?」左之助が笑った。

「さくらさんが、並大抵ではない覚悟で月代を入れるのだから、我々も、と近藤先生が」山南が続いた。言われた勇は、照れくさそうに微笑んだ。


「皆…」


 さくらはなんと言ったらよいやらわからず、口ごもった。代わりに、目頭がうっすら湿ってくるのがわかった。


「なんださくら、泣いてるのか」勇が優しく言った。


「ばか、私はもう男になったのだ!泣くわけがなかろう!お前ら全員、全っ然似合ってないぞ!」


 さくらはぐいっと手の甲で目を拭うと、もう1度勇たちを見た。


「…皆、ありがとう」


―――ああ、私、こいつらが大好きだ。



 口には出さず、でもはっきりとさくらは心の中でそう言った。






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