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浅葱色の桜  作者: 初音
23/52

23.いざ、講武所指南役試験




「それじゃあ、行ってきます」


 勇とさくらは試衛館の門前に立って、若干力んだ声で言った。


「がんばってくださいね!」総司が言った。

「近藤さんなら大丈夫ですよ!あ、もちろん2人ともって意味です」平助はさくらの顔を見てにかっと笑った。


 仲間たちに見送られ、勇とさくらは講武所へと出発した。

 今日は、いよいよ試験当日であった。





 道すがら、勇は何度も「よし、よし」と言って深呼吸していた。


「緊張してるのか?」さくらが尋ねた。

「ああ。なんたって、この考査を通れば、おれは武士になれる」勇は嬉しそうな笑顔を見せた。

「そうだな。私も緊張してきた」

「はは、さくらが緊張するなんてな。やっぱり、人生の大舞台だもんな」

「まあ、私はその前に門前払いされなければいいのだが」



 講武所は試衛館から歩いて30分ほどのところにあった。当時の感覚で言えば、ご近所と言って差し支えないであろう。しかし、勇とさくらにとっては、冒険の旅にでも出たかのような道のりに感じられた。



「ようこそ。私は山岡鉄太郎と申します。今日の考査の検分役を致します。よろしく」


 山岡と名乗ったいかめしい顔つきの男が2人を出迎えた。山岡はかなりの大男で、さくらも勇も山岡を見上げながら、そのオーラに圧倒された。


「よ、よろしくお願いします…」

「近藤イサムさんと、近藤…失礼、この字は『さくら』という読みで間違いないか?」

「はい、間違いございません」


 さくらは、普段は自分の名前は平仮名で「さくら」と書いていたが、まず書状で門前払いされないように男っぽく当て字をしたらどうかという歳三の悪知恵で、「近藤佐久良」という名前で申し込んでいたのだった。さすがに、バレた時のことを考え偽名を使う勇気はなかったのだが。服装も、今日はもちろん動きやすさ重視で袴姿であった。


「ちなみに私はイサミと読みます…」勇が一応訂正した。

「おお、これは失礼致した。お2人はご姉弟きょうだいですかな」

「はい!」2人は元気よく答えた。

「それでは、中へご案内します。こちらへ」



 山岡に連れられ、勇とさくらは長い廊下を歩いた。


「女だってことに全然触れられないが…大丈夫なのか」さくらは墓穴を掘るようなことをヒソヒソと勇に話した。

「もしかしたら、男だと思われてるのかもしれないぞ。行けるところまで行こう。あとは実力だ」勇もヒソヒソと答えた。


「さくら様は女子でいらっしゃいますでしょうが、講武所の指南役に名乗り出るということは腕に自信がおありとお見受けしました。講武所は身分の差別ない実力主義ですから、お手並みだけは拝見いたします」



 山岡が振り向いてそう言ったので、2人は内心「バレてたか」と思ったが、さくらは「はい、ありがとうございます!」とはきはきした返事をした。







 試験の内容は、1次試験として集まった腕自慢同士で戦って実力を見る試験と、「剣術師範」にふさわしく「教えるのがうまいかどうか」を見極める2次試験の2種だった。


 


 まず、試衛館の数倍はあろうかという広さの道場で、応募者同士の試合が始まった。応募者はさくら達を含めて全部で20人であった。十分な広さがあったので、5組ずつ同時に試合が行われた。


 さすがに講武所の指南役に名乗り出るだけのことはあり、勇もさくらも強敵との戦いとなったが、2人ともこの1次試験を通過したのだった。

 


 2次試験は、これまた先程の道場よりさらに広いであろう中庭で行われた。内容は、各応募者に4人の講武所門下生があてがわれ、半時(1時間)の間、自由に剣術の稽古をつけよ、というものだった。その様子を山岡と数人の試験官が見て回るというスタイルだった。

 かなりざっくりとした指示で応募者たちはどうしたものかと思案したが、各々10分もすると自分のスタイルを確立していった。ある者はとにかく2対2で試合をさせたり、またある者は素振りをさせてその形の善し悪しを評したりした。

 


 勇はまず、自分が木刀を頭上で横向きに持ち、門下生4人に次々と打たせた。


 「『い』の方、あなたは振りかぶりは大きいが、打った瞬間力が抜けてしまいますね。これでは実戦になった場合、無用な傷を負わせるだけだ」

 門下生は名前ではなく「い」「ろ」「は」「に」の腕章を着けていたから、勇のように「『い』の方」とか「そこの『ろ』さん」とか、なんとも語呂の悪い呼び方をする他なかった。


「もっと打つ瞬間に力を込めてください。では、もう1度」






 一方で、さくらは「い」の者と「ろ」の者を戦わせて「は」の者と「に」の者に見せるというやり方を取った。


「『は』の方、今のお二人の戦いぶりを見ていかがでしたか」

「いかが、とは…」「は」の腕章をつけた男は言葉を詰まらせた。

「今の戦い、『い』の方が一本取りましたが、『ろ』の方はどうすれば負けずに済んだと思いますか」

「そうですね…踏み込みがもう少し大きければよかった…ですかね」

「その通り。今『い』の方の振りに『ろ』の方は少しだけ恐怖心が出てしまい、踏み込みが半歩足りなかった。違いますか?」さくらは「ろ」の腕章をつけた男に尋ねた。

「ええ、そう言われれば、そうですね…」男は今し方の試合を思い出すように目線を空に向けて答えた。

「実戦では、その少しの遅れが命取りになりますから、お気をつけを。では、次は『は』のあなたと、『に』のあなたの番です。『い』さんと『ろ』さんは、2人の戦いを見て、負けた方がなぜ負けたのか、考えてみてください」





 そんなこんなで1時間が過ぎ、試験は終了した。2次試験に挑んだ10人は、順番に山岡に呼ばれて別室へ案内されていった。話が終わった者から帰ってしまったものだから、山岡がどんな話をしたのかわからないまま、残された者達は用意された待機用の部屋でやきもきと自分の順番を待った。


 そして、さくらと勇は最後に残ってしまった。最初は10人が余裕で入る部屋だったから、2人でいるには広すぎてなんだか落ち着かないと思っていたところだった。


「近藤さん」


 使いの者にそう呼ばれ、2人とも同時に「はい!」と返事した。それから、2人は顔を見合わせ、「あの、どちらの…?」と尋ねた。

  

「お2人とも、一緒にお越しください」




 通された部屋では、山岡が待っていた。


「いやいや、お2人とも、お見事でした」


 山岡がいかつい顔に笑みを浮かべたので、そのいかつさが幾分中和された。


「はい、ありがとうございます」勇が頭を下げた。

「私のような者まで最後まで残してくださり感謝申し上げます」さくらも頭を下げた。


「近藤勇さん、あなたは『実戦では』と言って門下生たちの士気を鼓舞していましたね。さすがは天然理心流のご宗家。まさに今求められているのは『実戦でどうするか』ということです。その点、あなたの教え方は実にその目的に沿っているとお見受けしました」

「はっ、ありがとうございます!」勇は先ほどより強い口調でお礼を言い、頭を下げた。


 ―――もしかして、いい線いってる…のか?


 さくらは淡い期待に胸を高鳴らせ、山岡の次の言葉を待った。


「そして近藤さくらさん。自分や他者の動きを客観的に見せる指導。斬新でした。それと、これを言っては失礼かもしれないが…当初、私は『女子に剣術を習うなど矜持が許さぬ』と反発を受けるかと思っていたんです。しかし、存外門下生たちの評判はよかった。むさ苦しい道場に花が咲いたようだ、とね」


 ―――そんな理由か。それはそれで、ここの門下生は大丈夫なのか?少し軟弱なのではないか。


 さくらは心の中でツッコミを入れたが、もちろん顔には出さず「はっ!ありがとうございます!」と、勇と同じく語気を強めて礼を言い、頭を下げた。


「お2人同時にお呼びしたのは他でもない。お2人共に剣術師範をお願いしたいと思っています」


 沈黙が流れた。さくらも勇も一瞬山岡の言葉の意味を理解できず、ぽかんとした顔で山岡を見つめた。


「えっと、つまりそれは…」勇が口火を切った。

「文字通り。近藤勇殿、近藤さくら殿に講武所の剣術師範をお願いしたい。ご姉弟であれば考えの相違でもめるような心配もありませんし。たびたびあるんですよ。ある師範はこう指導したのにこちらの師範は違う指導をしてくるから困る、といった話が」


 ようやく事態を理解した2人はぱっと顔を輝かせた。


「ありがとうございます!!」勇とさくらは土下座する勢いで深々と頭を下げた。


「1つだけ言っておきますが、これはあくまで仮の採用とさせていただく。本日の結果を私から上席の者に伝え、その許可をもって最終的な決定となります。まあ、今まであまり覆されたことはないので心配いらないとは思いますが」


「はい!ありがとうございます!」この短時間で何回目になるかわからない礼の言葉を述べ、さくらと勇は講武所を後にした。



 先ほどの山岡の最後の一言が、後で「活きてくる」ことになるのだが、それはまた少し先の話。




 とにもかくにも、さくらも勇も来た時とは180度違う気持ちで帰り道を歩いていた。



「信じられるか!?さくら、おれ達、ついに武士になれるんだ!」勇は興奮を隠しきれない様子で、いつもより声のトーンが上がっていた。

「信じ…られぬ…いいのか?本当に私たちでいいのか!?」さくらは、頭の片隅に「ダメ元」という言葉がよぎっていた中で試験に臨んでいたので、どうしたらいいかわからないというのが本音だった。


「とにかく、早く帰って皆に伝えよう!!」










 2人が足を速め、しばらく歩いていると、少し先に小さな人だかりができていた。


「なんだなんだ?」勇が人だかりに近づいた。


 人だかりができているのはとある道場の前だった。どうやら塀に紙が貼ってあるようだ。


「何かあったんですか?」さくらが人だかりの先頭の女に聞いた。いかにも噂話が好きそうな年配の女性だ。

「それがさぁお嬢ちゃん、ん?お兄ちゃん?」さくらの声だけ聞いた女性は振り返ってさくらの身なりを見ると首を傾げた。今日は袴姿で町を歩いていたので、そう言われるのも無理はない。

「私の格好のことは今はどうでもよいのです。それで?」

「昨日ここでね、門人の男と、旗本のなんとかっていうお侍さんが真剣で勝負をしたらしいんだよ。それで、お侍さんが負けちまったんだってさぁ」

「真剣で…」勇がつぶやくように言った。

「そ、それで…」さくらは女性の次の言葉を待った。

「負けたお侍さんは亡くなっちまったらしいよ。門人の男の方は、姿をくらましたんだと」


 女性が場所を開けてくれたので、さくらと勇はようやく張り紙を見ることができた。張り紙には若いのか年配なのかよくわからない男の似顔絵と、「山口一」という名前が書いてあった。


 現代人でも多くが指名手配犯の写真を見ても「ふーん」とか「悪そうなやつ」とかそんな感想しか持たないのと同じく、さくらも勇も張り紙を見て「こいつが真剣勝負で勝ったのかぁ」「どこに逃げたんだろうなぁ」と、一言ずつ思ったことを言うに留まった。


 刀を携帯した侍が闊歩していた江戸時代でも、一般人が仇討ちを除き人を殺すことや、侍であっても罪のない者をむやみに斬れば殺人罪となり追われる身となる。この山口一という男も例外ではない。ただし、DNAやGPSなどもちろんあるはずもなく、写真撮影すら高級で手間のかかる手段であったわけで、逃げおおせることもできなくはない。


 さくらと勇は女性にお礼を言うとその場を離れた。少し気持ちが貼り紙の内容に持っていかれた2人だったが、道中の会話はたちまち講武所の話題に戻り、これから待ち受ける武士としての生活をあーでもないこーでもないと話しながら、今日のことを報告するために周斎の家に向かった。








「受かったのか…?しかも、2人とも…?嘘だろ…」


 周斎は口をぽかんと開けてさくらと勇を見た。


「父上、まさか本当に通るなんて、って顔に書いてありますよ」さくらがたしなめた。

「まあ、まだ最終的な決定ではないんですが、ほぼ決まったようなものだと」勇は顔中をほころばせて付け加えた。

「いや、何にしてもすげえぞ2人とも。俺ぁ鼻高々だ。本当におめでとう」


 周斎は2人の顔を満足げに見た。その目は少しだけ潤んでいるようだった。


「父上?」沈黙を破り、さくらが何も言わない父に声をかけた。


「うん。すげえ。本当にすげえよ。さくらも勇も、俺の自慢の娘だ。自慢の息子だ」



 さくらは、周斎が嬉し涙をこらえているのがわかった。


 一緒に武士になろう。


 もう10年以上も前、そう話した勇との夢は、今ここに実を結びつつあったのだった。

 周斎の顔を見ているうちに、実感が湧いてくるさくらなのであった。






 それからさくらと勇はもちろん、試衛館で仲間たちにこのことを報告した。

 ツネと里江は赤飯を炊き、その夜は当然のように祝いの宴の様相となった。


「まさか本当に2人揃って通っちまうとはなあ!よし、祝いのしるしにこれ見せてやるよ!」


 佐之助はおもむろに立ち上がると、上半身の身ごろを開き、腹の傷跡を見せた。


「前にも見たぞ」さくらは言いながらも、可笑しそうにケラケラと笑っていた。佐之助の腹の傷お披露目はもはや宴会芸の一種であったが、もとはといえば国元で「切腹の作法も知らない野暮侍」などと罵られた時に「それならば」と実際に腹を切ってみせた時の傷跡である。笑いごとではないのだ。


「佐之助、祝いのしるしが切腹の傷跡なんて、縁起が悪いだろ」新八がたしなめた。

「いや、むしろ縁起がいいんじゃないですか?だって、切腹して一命を取りとめた傷跡なんだから」平助が笑いをかみ殺すようにしながら言った。


 そんな3人のやりとりを、さくらは笑顔で見つめていた。


「おめでとうございます、さくらさん」


 隣に座っていた山南に声をかけられ、さくらはどきっとして顔をそちらに向けた。


「ありがとうございます」

「お見事です。あなたの真の強さがご公儀に認められたんですね」


 山南のストレートな褒め言葉はいつもすとんと心に落ちてくるような気がして、さくらはふわふわと暖かい気持ちになるのがわかった。


「嬉しいです。これからは、ご公儀のためにがんばります」さくらはにこりと微笑んだ。



 さくらの斜向かいでは、勇、歳三、総司、源三郎が赤飯を頬張りながら今日の様子を話していた。


「近藤先生、考査の内容はどんな感じだったんですか?」


 総司が興味深々で聞いたので、勇は試験の内容を話して聞かせた。


「面白いやり方ですね。やはり、指南役を選ぶからには教え方も重要ということか」源三郎が納得とばかりに膝をうった。

「それにしても、私はもう本当に自分のことのように嬉しいです。特にさくらは、小さい頃からずっと見てきましたから」

「やだな源さん、泣いてるんですか?」総司が笑った。


「歳三兄様、どうなさったんですか、ぼうっとなさって」里江がお櫃から赤飯のお替りをよそいながら歳三に話しかけた。歳三はさっきから黙って勇たちの話を聞き、時折さくらの方を見て、赤飯を黙々と食べていた。

「別に」歳三は茶碗を受け取り、お替りの一口目を頬張った。里江は今度は総司の茶碗に大盛りの赤飯をよそいながら、「そうですか?」と訝しげな視線を投げた。


 歳三は赤飯を食べ終えると、勇の顔を真っすぐに見た。


「勝っちゃん」

「おう、なんだトシ?」

「本当におめでとう」歳三は口角を上げてそう言った。

「うん、ありがとう」勇はにぱっと満面の笑みを見せた。


「さくらも」歳三は振り返ってさくらの方に向き直った。

「おめでとう」


 さくらは驚いた表情で歳三を見た。


「なんだ、改まって。少し気持ち悪いな」

「うるせえ。二度は言わねえぞ」


 さくらはふふっと微笑んだ。


「ありがとう」




 宴会は深夜まで続いた。

 さくらも勇も、待ち受ける剣術師範としての職務に胸躍らせ、おおいに宴会を楽しんだ。







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