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浅葱色の桜  作者: 初音
21/52

21.試合のあと

 野試合が終わった夜、一行は日野の繁華街に移動し、料亭を貸し切っての宴席が設けられた。


 大部屋には周斎、勇、さくらをはじめ試衛館の面々と、佐藤彦五郎ら主だった日野の門人、そしてせっかくだからと呼ばれた永倉、市川の姿もあった。


「よっしゃあ!みんな、じゃんじゃん飲めよぉ!」周斎が音頭を取り、全員「乾杯」と声を上げ、自分の杯を傾けた。


 たちまち店の芸者たちが現れ順番に酌をしていった。一番売れっ子だという芸者は、上座にしつらえられたお立ち台の上でゆったりと日本舞踊を披露し始めた。


「なんだ、みんな揃って鼻の下伸ばして情けない」


 ぽん、ぽんと眠気を誘うリズムで叩かれる鼓の音を聞きながら、さくらはポツリとつぶやいた。よく考えたら、普段一緒に稽古をしている仲間達が自分やキチ、ツネ以外の、要するによその女と酒を飲んでいるのを目の当たりにするのは初めてだった。


―――所詮、皆男だものなぁ。まあ、芸者さんの踊りは見てて楽しいというのはわかるが…


 いつだか歳三が言った通り、さくらはこの歳になるまで色恋沙汰とは無縁だった。なまじ男に囲まれ、対等であらんと剣術の稽古に邁進してきたからか、男というのは越えるべきライバルであった。酒を注がれてデレデレする相手ではないし、そんな気持ちも持ち合わせていなかった。だから余計に、芸者に酌をされて嬉しそうに談笑している彼らが、なんだか遠くに行ってしまったような、いつもの仲間達とは別人のようにさえ思えた。


 こういう状況になって、さくらは久々に自分は女なのだと思い知らざるを得なかった。

 そういう思いにつられて、ケリをつけたはずの気持ち―4代目宗家になれなかった悔しさ―も首をもたげた。結局必死に目指してきた天然理心流4代目の座を得ることも叶わず、自分はこんなところで何をしてるんだろうという空虚な気持ちにさくらは包まれていった。


 ちびちびと酒を飲みながらあたりを見回していると斜向かいに座っていた山南と目があった。山南は一瞬さくらに微笑みかけたかと思うと、すぐに隣に座っていた芸者との楽しげな談笑に戻っていった。


―――山南さんですら、ああなのか。


 さくらは一段と心の中にあるもやもやしたものが重くなるような気がした。他の者達が芸者相手に鼻の下を伸ばしているのを見るのとは少しだけワケが違う気がした。


 そんな様々なネガティブな気持ちを吐き出すように、はあ、と独りため息をつくと、隣に座っていた総司がさくらの肩をぽんぽんと叩いた。


「姉先生、私は鼻の下伸ばしてないですよ」


 にっこり笑ってさくらの杯に酒を注いでくれる総司を見て、さくらは彼をぎゅうっと抱きしめた。


「総司ぃ、私の味方はお前だけだぁ」


 ぐすんぐすんと嘘泣きのような半泣きのような声で言うさくらに、総司は「どうしたんですか。私はいつだって姉先生の味方ですよぉ」と笑った。


 よしよし、と総司の頭を撫でながら上座の方に目をやると、周斎も勇も芸者と一緒に楽しそうに手拍子している姿が目に入った。


「総司、帰ったら母上とツネさんに言いつけてやろう」さくらはニヤリと笑った。

「姉先生も悪い人ですねぇ。知らぬが仏って言葉知らないんですか?」そう言いながらも、総司もニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。


「失礼します。一杯いかがですか」


 さくらと総司が見上げると、昼間の試合で形勢を動かした男、永倉が立っていた。

 永倉は2人の前にどっかりと座り、持っていた徳利でさくらと総司のお猪口に酒を注いだ。


「ありがとうございます。えーっと、永倉さん…?」さくらはぺこりと頭を下げると、永倉に注がれた酒に口をつけた。

「はい。今日は突然参加させてもらったというのに、このような宴席にまでお邪魔してしまってすみません。でも、お陰でいい1日になりました」

 永倉は一見厳しい表情の男であったが、微笑むとえくぼのできる男であった。


「驚きましたよ。あなたのような強い方が飛び入りで入ってくるなんて」さくらは笑い返した。

「武者修行の旅してるって本当ですか?」総司が質問した。

「ええ。神道無念流を修めてからというもの、より強い相手を求めてあそこの市川と旅をしていたんです」永倉は振り返り、隅の方で酒を飲む市川を指した。彼は彼で、左之助や藤堂と一緒に酒を飲み、何やら盛り上がっていた。


「でも、天然理心流とは初めて知りましたが、とても面白い。私もぜひ身につけたいと思いました」永倉の言葉は、お世辞ではなく心からそう思っているような口ぶりだった。

「私たちは江戸市ヶ谷の試衛館道場で日々稽古してます。よかったら、今度顔出してくださいよ。最近は北辰一刀流の山南さんとか、種田宝蔵院流の左之助とか、他流出身の人たちとも腕を磨いてるんです」さくらは北辰一刀流だけでなく、神道無念流の人間にも天然理心流を褒められたのが素直に嬉しくて、自分から永倉を試衛館に来るよう誘ったのだった。

「ありがとうございます。ただ、もうすぐ江戸に戻って知り合いの道場の師範代をする約束をしておりまして。なに、市ヶ谷なら近いですから、時々お邪魔させていただきたいものです」

「ええ。よろしくお願いします」

「待ってますよー!今日は私は戦えなかったから、次会ったらぜひ手合わせを」総司も歓迎の意を示した。


 酒の力か、さくらが宴会序盤で抱いていたどろどろした気持ちは徐々に消えていった。正確に言えば、消え去ったわけではなく鈍感になっていった末に何も感じなくなったという方が近いかもしれないが。

 いつの間にか芸者と一緒に踊っている総司をぼんやり眺めつつ、周囲を見回すと皆も程度の差はあれ大分できあがっているのがわさった。


―――歳三がいない。


 気づいたが、何故か、と考える前にさくらの記憶は完全に途切れた。 







 目が覚めると、さくらはきれいに整えられた布団の中にいた。


「ここは…?」


 さくらは当たりを見回した。部屋には自分しかいなかった。障子からは暖かい日光が差し込んでいた。

 誰かがさくらを着替えさせようとして挫折したらしい。外側の帯はほどけていたが、着物はそのままだった。

 その格好のまま、さくらは障子を開け、眠気でぼーっとしたまま縁側に出た。


「あら、さくらちゃん起きたの?」


 声をかけられ、さくらはハッと目が覚めた。


「お、おのぶさん…てことは、ここは彦五郎さんの家…?」


 さくらは数メートル先から歩いてきた女性・のぶを見とめた。


「そうよ。ごめんね寝間着は用意したんだけど、さくらちゃんもう動けなさそうだったから、そのまま寝かせちゃったわ」

「いえ、お気遣いありがとうございます。すみません、宴席で酒を飲んだ後の記憶がなくて…」

「勇さんと源三郎さんがここまでさくらちゃんを連れ帰ってきたのよ。2人はまたお店に戻っていったみたいだけど」

「そうだったんですか。あの、他の皆は…?」さくらはあたりを見回した。やけに静かで、ここには自分とのぶしかいないような気がした。


「皆はほら、あのあと"2軒目"に行ったみたいよ。歳三なんかいの一番に行ったって話で。全くあの子ったら」


 さくらは「はは、そうですか」と答え、のぶにも聞こえないような小さな声で「ったく」と呟いた。


―――女の私は邪魔だったというわけか。昨日の収入をふいにしたら全員ただじゃおかないからな。


 その後、簡単な昼食を馳走になり、さくらは佐藤彦五郎邸を出た。








「母上、ご無沙汰しています」


 さくらは柄杓で墓石に水をかけた。


 さくらの実の母、初の墓は、江戸ではなく多摩にあった。初も、もともとこちらの出身であったのだ。

 出稽古の時などに墓参りに来ていたが、今日はなんだか無性に初に会いたくなって、さくらは墓地を訪れていた。

 着物が汚れるのも気にせず、初の墓石の前に体育座りをする格好でさくらは母に語りかけた。


「昨日はね、勇の天然理心流4代目の襲名披露だったんですよ。ごめんなさい、私、4代目を継ぐって母上と約束したのに、守れませんでした」


 もちろん、墓石は何も言わない。だが、初が見守っているような気がして、さくらはそのまま続けた。


「でも、これからも剣術の稽古は続けていきます。今は道場もだいぶ賑やかになったんですよ。今度は北辰一刀流の藤堂さんや神道無念流の永倉さんもうちで稽古がしたいって言ってるんです」


「それとね、勇と約束したんです。武士になるって。どうしたらなれるのか、まだわからないけど、その辺の名ばかり侍よりうんと強くなって、いつか一緒に武士になるんです。こっちの約束は、ちゃんと守ります。母上、どうか見守っていてください」


 さあっと風が吹いた。秋のひんやりした風だったが、頬に当たると、さくらは暖かい手で包まれているような感覚を覚えた。


 その時、足音がし、さくらがその方向を見ると源三郎がこちらに向かっていた。


「いたいた、おのぶさんに聞いたらここだって言ってたから」

「源兄ぃ、どうしたのだこんな所に」

「私もお初さんには世話になったからな。久々に挨拶しとこうと思って」


 そうか、とさくらは微笑み、立ち上がって場所を開けた。源三郎は墓石の前に正座して合掌した。


「昨日は、彦五郎さん家に連れ帰ってくれたみたいで、ありがとうな」さくらは皮肉をこめて源三郎に言ったつもりだったが、「いいよいいよ気にすんな」と朗らかな笑顔で答えた彼に伝わったかはわからなかった。


「あの後、皆で"2軒目"に行ったんだってな」さくらは源三郎の隣にしゃがみ込み、もう1発ジャブを入れた。

「うん、まあ、ほら、私は付き合いでな」源三郎は自分は無実だと言わんばかりにさくらから目をそらした。

「聞きましたか母上。源三郎はこんなに大きくなりましたよ」さくらは墓石に話しかけた。

「お初さんが亡くなった時もう私は大人だったんだから、大きくなった、はないだろう」

「いや、だから…」さくらは突っ込もうとしたが、墓前でする話題ではないと思い、これ以上この話を続けるのはやめにした。


「私は、武士になるぞ」

「どうしたんだ急に」源三郎が目を丸くした。

「決意表明だ。母上と約束したんだ。まだまだ男どもには負けないからな」さくらはニッと笑顔を見せ、立ち上がった。


「帰ろう」

「そうだな」


 さくらと源三郎は、墓地をあとにした。

 秋風が、再びさくらの頬を撫でた。

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