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浅葱色の桜  作者: 初音
15/52

15.決戦

 




 歳三が入門したこの頃、世間では「安政の大獄」と呼ばれる井伊直弼による攘夷派の弾圧が行われていた。


 異国の勢力を打ち払わんとする者たちはこの弾圧でことごとく失脚し、鳴りを潜めていた。

 もっとも、後にこの「攘夷派」は再び表だって勢力を強めるのだが、それは少し先の話である。

 また、将軍継嗣問題も複雑化しており、幕府の内部は今や混沌としている状況であった。



 そんな政治情勢を、庶民は瓦版や噂話で断片的に知るのみで、本質的に理解している者は少ない。


 江戸試衛館で稽古に励む面々も、御多分に漏れず今日も剣術の稽古に励み、いつも通りの日常を送っていた。





「父上、具合はいかがですか」


 さくらは周助の部屋の障子をがらりと開けた。

 布団に入っていた周助はさくらに気づくと体を起こした。


「ああ、さくらか。キチはどこ行った」

「滋養にいいものを、と母上自ら買い物に出られてます」

「そうかそうか。お前にも迷惑かけるな」


 ゴホッゴホッと咳をする周助を、さくらは心配そうに見つめた。

 持ってきた水桶で手ぬぐいを湿らせるとよく絞った。


「父上、そんなことは気にせず寝ていてください」

「こんな風邪、すぐ治るさ…」


 周助はそう言って再び横になった。さくらは手ぬぐいを周助の額に乗せた。


「ええ。治してもらわないと困りますよ」


 さくらはやれやれと息をつき、父親が眠りにつくのを確認して部屋を出た。




 ―――父上は単なる風邪だというが…このところ体調を崩しがちだ。

 還暦を過ぎているのだからあちこち悪くなるのも無理はないか…

 だが、父上にはまだまだ長生きしてもらわないと困る。






 数日後、周助の体調が回復すると、さくらと勝太は周助の部屋に呼ばれた。


「お前ら、励んでるか」


 周助はにっと笑ってそんなことを言った。


「はあ。毎日稽古しておりますが」さくらはなぜそんな当たり前のことを聞くのだろうと思いながら答えた。

「父上、改まってどうしたんですか」勝太が聞いた。


 周助はこほん、と咳払いをすると、少し言いにくそうに口を開いた。


「そろそろな、どっちかに天然理心流を正式に継ごうと思ってる」


 沈黙が流れた。


 さくらはこの言葉を聞く日がいつか来るとはわかっていた。

 しかしいざ言われると、胃袋がきりきりと痛むような気がした。


 勝太もただ黙って周助を見つめていた。


「俺もほら、最近もう長くないのかとか思うわけだよ。こういうことは元気なうちに決めねえとな」

「ち、父上はまだまだ長生きされます。そう簡単に死ぬようなお人ではないでしょう」


 さくらは焦ったように言った。


「まあそうかもしれんが。どっちしても、もう決めたことだ。来月のついたち、さくらと勝太で手合わせをしろ。それで決める」


「わかりました」最初に勝太が返事した。

「わかりました」さくらも続いた。


「さくら、手加減はしないからな。今のおれ達の全力で戦おう」

「ああ。望むところだ」




 そうは言ったものの、この10年程で勝太とさくらの間には簡単には埋められない差が開いていた。

 決戦の日まで20日足らず。


 さくらは稽古に集中するために日野への出稽古の役を買って出た。

 総司を供に選び、勝太のいないところで最後の追い込みをかけるつもりでいた。


「勝っちゃんに負けるのが怖くて総司連れて特訓かよ。付け焼刃もいいとこだな」


 歳三にそんな嫌味を言われたが、その通りで言い返すこともできず、「付け焼刃で結構。なりふり構っている場合ではないのだ」と言い捨ててさくらと総司は日野に向かった。





「嬉しいです。姉先生が最後の特訓相手に私を選んでくれたなんて」


 道中、総司はにこにことさくらを見てそんなことを言った。


「すまないな。お前まで巻き込んでしまって」さくらは素直にそう言った。

「全然気にしてないですよ!嬉しいって言ってるじゃないですか」


 総司は軽やかな足取りで先に進んでいった。


 ―――あの泣き虫だった総司が、今では私の大一番の練習相手なんてな


 さくらは総司の成長ぶりに感心し、ふっとほほ笑んだ。


「そんなに急ぐな、総司!」


 さくらは小走りで総司を追いかけた。






 出稽古という名目で日野に来たからには、日野の佐藤彦五郎道場にやってくる門人たちの相手をするのがさくらと総司の仕事だった。


 自分の練習はなかなかできなかったが、人の振り見て我が振り直せとはよく言ったもので、門人に稽古をつけることで得るものも大きかった。


 そして、稽古が終わると、さくらと総司は夜更けまで自分たちの稽古をした。


「姉先生、そんなんじゃ若先生に負けちゃいますよ」総司ははあはあ、と息を切らせながらも、真剣な眼差しをさくらに向けた。

「ふん、達者な口を利くようになったな。もう一本頼む」さくらは木刀を構えた。

「はい!望むところです」総司も木刀をぎゅ、と握りなおした。








 その頃、試衛館では勝太と歳三が同じように特訓をしていた。


「ヤ―!!」

「エーイ!!」


 気迫の声が道場内にこだました。


 ガン、ガン、と木刀がぶつかる音がし、歳三の木刀が手を離れ弧を描いて床に落ちた。


「トシ、腕を上げたなあ」勝太は汗を拭いながら感心したように言った。

「勝っちゃん、こんな稽古しなくたって、さくらには余裕で勝てるだろ」

「何を言ってるんだ。おれは全力でさくらと勝負するって決めたんだ。あいつが総司まで連れて日野に言ってるんだから、おれだってぼさっとしてるわけにはいかないよ。それに、さくらが強いのはトシだって知ってるだろう?」

「まあな…」歳三は観念したように言った。勝太はにこりとほほ笑んだ。いがみ合いの多い2人ではあるが、さくらと歳三には仲良くなってほしい、と勝太は願っていた。

「わかったら、もう1本やるぞ!」

「おう!」







 かくして、決戦の日がやってきた。


 審判は総司が務めることになった。


 周助、歳三、源三郎も見守る中、さくらと勝太は防具をつけ、道場の中央に座った。


「日野ではさぞたくさん稽古したんだろうな」勝太はまっすぐさくらの目を見た。

「ああ。勝太の方こそ、かなり鍛えたと見える」さくらも返した。



 ―――泣いても笑っても、この一戦で決まってしまう。

 私の14年間の稽古のすべてをここにぶつける…!!



 ―――さくらと約束した通り、全力で4代目の座を争う。おれが、勝つ。



 互いの気迫で、道場の温度が上昇するようだった。



「始め!」


 総司の一声が道場の中に響き渡った。



 2人とも正眼に構え、相手の出方を伺った。


 さくらが先に動いた。


「ヤッ!」


 振り下ろした木刀を勝太は後ろに飛びのくことで交わした。

 その時できた一瞬の隙をついてさくらは切っ先を勝太ののど元に突きつけた。



「さくらが押してますね」源三郎が小声で言った。

「そうだな。だが、勝太だってそうやすやすとやられないだろう」周助が答えた。



 その通り、勝太の反撃が始まっていた。

 さくらの突きを避けた勝太は最初の立ち位置から90度移動し、体制を立て直すと、上段から振りかぶった。


 さくらも後ろに飛び退いてその攻撃を避けると、まっすぐに勝太に向かった。


 ガンッと木刀がぶつかり合う鈍い音がし、2人は木刀同士を交互に打ち合い、一進一退の攻防を繰り広げた。


 一瞬のような、永遠のような。

 この試合がずっと続けばいい―――


 面の奥にわずかに見える勝太の真剣な眼差しを見て、さくらはそんなことを思った。

 この時、何か憑き物が落ちたようにさくらは体が軽くなるような感覚を覚えた。


 やがて2人はまた間合いを取った。


 ―――この攻撃に、すべてを込める!!


 2人は同時に切りかかった。


 パーンと防具を叩く音がし、勝太はさくらの面を打ち、さくらは勝太ののど元に突きを入れた。


 だが、さくらの木刀の切っ先は勝太の喉までは届いていなかった。



「一本!」



 総司の声が響いた。



「ありがとうございました」


 2人はお辞儀をすると、面を外した。


 勝太の顔をさくらはまじまじと見た。


 様々な感情がさくらの中に渦巻いた。


 悔しさ、悲しさ、この14年間でどうすればよかったのかという後悔

 だがその中には少しだけ、重圧から解放されたようなほっとしたような気持もあった。

 そして、素晴らしい実力を持った弟と最高の試合ができた、という嬉しさもあった。





「うん。2人ともよかった」周助が言った。


「天然理心流の4代目、試衛館道場の主を、勝太に受け継ぐ」


「ありがとうございます。謹んで、お受けいたします」


 勝太は深々とお辞儀をした。




「おめでとう、勝太」さくらが言った。

「さくら…」

「この道場と、天然理心流はお前に任せた。もちろん私も、引き続き鍛錬する」


 勝太はさくらにも深々とお辞儀をした。


「さくら、もう1つの夢は一緒に叶えような」







 さくらはその夜1人になると、零れる涙を止めることができなかった。

 皆の前では強がって抑え込んでいたぐちゃぐちゃとしたいろいろな感情が、堰を切ったようにあふれ出た。


 それでもさくらは遠い昔勝太に言われた言葉を思い出した。


 一緒に武士になろう。


 かつて2人で誓ったもう1つの約束。


 勝太というのは、器の大きい男なのだ。どこまでも前向きな男なのだ。


 そんな勝太に、自分はどこまでもついて行こうと、さくらは思った。





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