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浅葱色の桜  作者: 初音
12/52

12. 薬売り

 1858年 秋


 さくらはちょっとした使いをするため、街に出ていた。


 江戸の町は活気にあふれている。通りのあちこちで商人たちが自分の一押し商品の名を口ぐちに宣伝し、客の気を引こうとしている。

 そんな中、10数メートル先にある商家の店先で、やはり大声を張り上げている若者と、琉菜は目があった。


「はいはい、そこのおにーちゃん、打ち身、挫きによく効く石田散薬だ。1つどうだい?」


 さくらはあたりをきょろきょろと見回した。「おにーちゃん」と呼ばれるような者は周囲にはいなかった。

 着替えるのが億劫で、稽古着に羽織をひっかけただけの状態で町に出てきていたので、さくらは遠目に見て男だと勘違いされてしまっていたようだった。


「申し訳ない。あいにく怪我も病気もしていないのです」さくらは近づいていって、会釈した。

「それに、私は女子です。こんな格好では間違われてもムリはありませんが…」


 薬売りは目を丸くした。よく見ると、さくらより明らかに年下で、まだ少年、という言葉を使ってもよさそうだった。


「へぇ。なんだってそんな格好を?」

「稽古の合間にちょっとした使いに出るだけだったので、稽古着のまま町に出てきてしまったんです」さくらはお恥ずかしい、とはにかんだ。

「稽古?」

「ええ、父がこの近くで道場をやっているのです。それで私も稽古を」

「…女なのに、剣術なんかやるのか?」


 さくらの顔が、少しだけ引きつった。

 最近こう言われることもあまりなくなっていたので忘れていたが、さくらはまだ自分が女であることに若干のコンプレックスを抱いていることに気付かないわけにはいかなかった。


「ええ。時々は門人の指導もしています」さくらは作り笑いを顔に張り付けて、さらっと言ってのけた。ある程度自分は強いのだとアピールしたかった。顔の皮膚がぴくぴくと不自然に動くのが自分でもわかるようだった。


「それでどうするんだ?」

「それでとは?」

「女がそんなに剣術の稽古してどうすんだって聞いてるんだよ」


 少年の態度や物言いに、さくらはだんだんと苛立ちを募らせていた。

 なぜ初対面の少年にそんな言い方をされなければいけないのか、と。


「弟弟子と約束したんです。一緒に武士になるって」さくらはそれでも作り笑顔を保った。


 少年はじっとさくらを見ると、ふんっと鼻で笑った。


「バカバカしい。なんで女がそんな自信満々に武士になるとかほざいてんだ」

「え?」


 女子が武士になる、と言うことは世間一般の人に受け入れられないであろうことはわかっていたつもりだったが、実際にこのような言い方をされると、さくらの苛立ちは怒りへと変わった。

 少年はさらに言葉を続けた。


「そもそもそんなナリで町歩いて、形から入ろうってのか。ますますバカだな。ほら、薬買う気がないなら帰った帰った。商売の邪魔だ」


 さすがに、この一言でさくらはカチンときてしまった。


「うるさい!薬売りのくせに!」


 売り言葉に買い言葉。

 少年が薬売りである、ということしか情報がなかったこともあり、そこを突いて言い返すしかなかった。

 それからさくらは少年には目もくれずに、その場を立ち去った。


「ふんっ、薬売りのくせに、か。大きなお世話だ。いい年して、現実見ろってんだ」足早に去っていくさくらの背中を見つめながら、少年がぽつりとつぶやいた。


 さくらは試衛館に帰りながら、先ほどの出来事を思い出し、いらだっていた。


 ―――初対面の薬売りに、何故あのようなことを言われねばならんのだ!

 まあ、二度と会うこともないだろう。不幸中の幸いとはこのことだな。


 深呼吸をして気持ちを落ち着けると、さくらは家路を急いだ。






 同年、惣次郎が元服し、総司と改名した。そして、試衛館の師範代となった。


 総司の剣術の腕は「天才」と呼ぶにふさわしいことをもはや周囲の誰もが認めていた。

 事実、勝太ならまだしも、さくらや源三郎は総司から1本取ることにすら苦労することとなり、逆に1本を取られてしまうこともたびたびあるくらいだった。


 さくらは、自分が16歳の頃は…などと考えるだけばかばかしくなってきて、大人の対応として事実を受け入れ、さらなる精進を、と思っていたところだった。


 もちろん、さくらが弱いわけでは決してなかった。

 さくらもこの頃指南免許を得ており、今までは周助の娘だからといってなんとなく門人に稽古をつけていたが、これで名実ともに門人に稽古をつけられる立場になっていた。

 門人たちも「女なんかに教わりたくない」などと言っている場合ではなくなった。実際に、さくらは彼らよりも強かったからだ。


 勝太も、さくらより一足早く指南免許を得、周助の同伴なしで日野に出稽古へ行くことを許された。

 そしてある日、師範代となった総司を引き連れて、2人で日野に向かうこととなった。


 総司は江戸に来て以来初めて日野に帰れることとなり、姉との再会を楽しみにしていた。


「それじゃ姉先生、源さん、行ってきます!」総司はうれしそうな顔を隠そうともしなかった。

「留守中、よろしくな」勝太がさくらに笑いかけた。

「言われずとも、ここは私の家だ」さくらもニッと笑い返した。


 こうして、勝太と総司は日野へと旅立った。


「とは言ったものの、なぜ私が留守番なのだ」とふてくされるさくらをよそに、「懐かしいじゃないか、私とさくらの2人きりだ」と源三郎は笑って2人を見送った。






 勝太と総司が日野の佐藤彦五郎邸に到着すると、勝太は玄関口にいた青年に声をかけた。


「トシ!帰ってきてたのか!」

「よお、勝っちゃん、久しぶりだな」歳三は勝太と目を合わせずに言った。


 勝太はそんな歳三の態度を意に介さず、総司を紹介した。


「トシ、今内弟子として一緒に住んでる沖田総司だ」

「こんにちは」総司はぺこりとお辞儀した。

「おう」歳三はぶっきらぼうに返事をした。


 歳三の態度が変わっていたことには、勝太も気付いた。


「なんか、ピリピリしてないか?」勝太が不思議そうに尋ねた。

「別に。俺はいつもこんな感じだよ。悪い勝っちゃん、俺薬の用意しないといけないから」


 そう言って、歳三はそそくさと奥の部屋に引っ込んでしまった。


「あの人が歳三さんですか?若先生が仲良くなったっていう。怖そうな感じですけど」総司は去っていく歳三を見て勝太に尋ねた。

「うーん。しばらく会ってなかったしな。何かあったのかな」


 それでも勝太は大して気にも留めずなかった。忙しくて疲れているのかもしれない、という程度に考えていた。


 歳三はそれから少し出かけるといって、佐藤邸からいなくなり、その間に勝太と総司は稽古に励んだ。

 夜は歳三の部屋に勝太、総司、歳三が川の字になって寝ることとなった。


「トシ、最近はどこで何してるんだ?」

「家伝の薬の行商だ。江戸から日野まで、方々を渡り歩いてる」

「そっか」


 奉公はクビになったと、勝太はのぶから聞いていたので、そこについては突っ込まなかった。


「そしたらさ、せめて江戸にいる間はうちに来いよ!一緒に剣術稽古もできるし、町も近いからうちを拠点にして行商にも出られるぞ!」

「無理だよ...そういうわけにはいかない」歳三は低い声でそう言った。

「なんでだよ。お前、剣術の稽古やりたいんじゃないのか?」


 歳三はその問いには答えず、勝太と総司に背を向け、さっさと寝てしまった。


 次の日、歳三が行商に出かけたあと、総司はぽつりと勝太に言った。


「若先生、あの歳三さんって、そんなにいい人なんですか?」

「何言うんだ!確かにちょっとぶっきらぼうかもしれないが、本当はとってもいいやつなんだ!」

「でも、せっかく若先生が道場に誘ってるのに、あんな言い方...」

「うーん、確かに冷たい感じはしたなあ。元気がないというか。体の調子でも悪いのかな」

「そういう問題なんですかー?」


 総司は疑問を投げ掛けたが、それ以上追求しようとは思わなかった。

 このポジティブな考え方をする師匠が大好きだったし、その勝太が言うことならとりあえず信じてみようと思ったのだ。


「若先生はすごいや」総司はくすっと笑った。


 その日、歳三は行商で遠出したために日野には戻らなかった。

 翌日の稽古の前、勝太と総司はのぶに話を聞いてみた。


「あら、すみません、そんな不躾なことしちゃって」のぶは勝太の話を聞くと、まず謝罪の言葉を発した。

「いえ。それより、歳三はどうしてしまったのかと思いまして」

「あの子、奉公先で何かあったみたいなんです。詳しくは話してくれないんですけど」


 聞けば、奉公から帰ってきて以来歳三は剣術の稽古をせずに、日本一の薬売りになってやる、といった調子で方々で家伝の薬を売り歩いているそうなのだ。


 勝太は、一緒に武士になろうと約束した時の歳三の顔を思い出してやりきれない気持ちになるのだった。


 数日後、稽古の中休みということで、勝太と総司は川原の土手をのんびりと散歩していた。


「このあたりで歳三が一人で素振りをしていてな。おれ達はそこで初めて会ったんだ」

「歳三さんは、本当にもう剣術をやらないつもりなんでしょうか」

「どうなんだろうなあ。でも、やめるとしたらこれほどもったいないことはないよ...ん?」


 勝太が川岸を見やると、歳三が素振りをしていた。

 それは、あの時の光景とまったく同じだった。


 勝太はくすっと笑い、それを見た総司が勝太の視線の先に目をやった。


「あ、歳三さんじゃないですか。なんだ、剣術の稽古やってるじゃないですか」総司は目を丸くした。

「おーい、トシーっ!!」


 声に気づいた歳三は手をとめて、勝太を見た。


「勝っちゃん…」

「よかった。剣術が嫌いになったわけじゃないんだな」勝太は顔をほころばせた。

「勝っちゃんは、武士になりたいって、まだ思ってるんだろ?」


 歳三の質問の意味がわからなかったが、勝太は「もちろんさ」と答えた。


「そっか。じゃあ、入門なら誘っても無駄だからな。オレはあの時みたいに夢見がちな子供じゃないんだ」

「若先生が夢見がちな子供だって言いたいんですか!?」総司が割って入った。

「まあ総司、落ち着け。トシ…おのぶさんに聞いたよ。奉公先で何があったんだ」


 歳三は溜息をついて、勝太を見た。


「のぶ姉のやつ、ぺらぺらと…俺は身を持って知ったんだ。百姓は所詮死ぬまで百姓。俺みたいな末っ子は奉公やら行商やらで身を立ててくしかないんだよ」

「トシ…」

「別に奉公先で何かあったわけじゃねえんだ。まあ、隠れて剣術の稽古してたら、番頭に『そんなことしたって無駄だ。どうせお前なんか侍になれるわけでもあるまいし』なんてことは言われたが。でも、問題はそこじゃねえ」


 歳三は、ふう、と息をついた。


「そんなの勝手に言わせときゃいいって思ってたが、実際に俺は自分の目で侍の現実を目のあたりにしたんだ」


 奉公先で、多くの侍がやってきたが、歳三が目にしたものは異人を恐れ、おどおどしている者だったり、逆にこのような時になって慌てて武具を揃えたり、剣術の稽古を始めたりするような、とにかく軟弱な侍ばかりだったという。

 そして、奉公から帰ったあとに、腕試しがてら道場破りに向かった時、歳三は侍に完全に幻滅したということだった。


「俺は全員に勝った。そしたらあいつら、金を出してきやがった。今日のことは他言無用で、ってな。あんなやつらでも侍で、俺はいくら剣術の稽古をしようが百姓のままだ。勝っちゃんや総司みたいに目ぇ輝かして純粋に稽古に打ち込めるようにはできてねぇんだよ。悪いな。勝っちゃんと一緒に武士になるのは無理だ」


「トシ!」


 勝太が急に大声を出したので、歳三は目を丸くした。


「おれが目指すのは、お前が見たような軟弱な武士ではない!おれが理想とする、誰よりも武士らしい武士だ。異人が日本を乗っ取ろうとしてる今こそ、真に上様を支え、日本を守れるような強い武士に、おれはなるんだ。お前は、そんな簡単にあきらめるのか?」


「勝っちゃん…」


 しばしの沈黙の後、歳三は本音を漏らした。


「あきらめたくねえよ…俺だって、武士になりてえよ。けど…」

「けど、じゃない。決まりだな」


 歳三は勝太をじっと見つめ、笑みを浮かべた。


「ははっ、やっぱり勝っちゃんには敵わねえや」


 その時の歳三の笑顔を見て、総司の彼に対する印象が少し変わった。

 それから3人で日野で過ごす中で、歳三が勝太と同じように熱い魂と志を持った男であることを、総司は認めた。


 ―――口も悪いし、素直じゃないけど。


 かくして、歳三と「次に江戸へ行った時は試衛館でともに稽古する」と約束をし、勝太と総司は日野をあとにした。

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