お腹を空かせた男子生徒
五時間目の授業を終えると、とりあえず渡り廊下へ行ってみた。
渡り廊下はさっきと違い教室を移動する生徒であふれていた。そ
の中で、春菜は長身の例の男子を見つけた。春菜は彼の前に駆け
寄り持っていた袋を指し出した。
「スッゲー。一か八か言ってみるもんだよなぁ。買っておいてくれたのか?」
春菜から袋を受け取るともう、中のパンしか見えていないようで、
パンに包まれた袋を歯で引きちぎり、パクつき始めた。春菜が想
像したとおり、かなりおなかが空いていたみたいだ。
三口ぐらいで一個を食べ終えると、すぐに二袋目を歯で引きちぎりだした。
「チッワースッー」
運動部員独特の大きな挨拶が鳴り響いた。驚いて声のするほうに目
を向けると、一年生らしき男子が駆け寄ってきて
「竹本先輩、これ監督から先輩に渡しておくようにと預かってきました」
うれしそうにパンを食べていた顔が一転して般若のような顔になり、
ドスをきかせた声で
「テメェー。食事中に監督のカの字とコーチのコの字を出すんじゃねぇー。まずくなるだろうがぁ」
「すっすいませーん。監督が急ぐって言ってましたんで」
その後輩を睨みながら彼の持っていたB5サイズの用紙をもぎ取った。
「失礼しまーす」
後輩はすぐにこの場を去っていった。三個目のパンを口に入れながら、
その用紙に目を落とすと
「なんなんだよ。ふざけんなよ。親善試合って。マジかよー」
うなだれるようにその場にしゃがみ込んだ。大きな体が情けないくらいに丸まった。
「ねぇ。シンガポールって日本からどれくらかかるんだ」
彼はショックで動けない様子でうなだれたままで聞いてきた。
「多分六時間位って聞いた事あるけど」
「地球の裏側ってとこじゃないんだな」
「そんなに遠くないよ」
しばらく沈黙が続いた。
春菜は腕時計に目をやりながら
「あのー」
「はぁー?」
眉間に皺を寄せて睨み返された。
(こっこわい)
「おっお金貰ってないんだけど」
はっと思いだしたように顔を上げて
「悪い。忘れてた。立替えてくれてたんだよな。返す、返す」
制服のポケットから五百円玉を取り出して春菜に渡してくれた。
「390円だったからお釣り渡すね」
「お釣りなんていらないよ。手間賃だ。貰っとけよ」
「そんなわけにいかないよ」
「いいって。俺ちょっと感動したから。まさか買っといてくれるなんてさ」
春菜はかなり困った。お金なんてもらえない。あっ。
「これ、お弁当の残りだけど。食べて。手はつけてないの。朝も食べたのにうちのお母さんったらフルーツい
っぱい持たせてくれてね。食べきれなくて」
春菜は鞄からフルーツのギッシリ入ったデザート用の弁当箱を取り出した。
「これ、食っていいのか?本当に貰っていいのか?」
「うん」
「あんた、何年生?何組?名前は?後で入れ物返しに行くよ」
「二年六組。杉本。授業はじまりそうだから行くね」
「六組?国公立進学組かぁ。俺は二年二組の竹本。ありがとうな」
春菜は自分の教室に戻った後も彼の事を考えていた。春菜の高校は進学校
でもあるがスポーツのほうも盛んで結構県内でも有名なほうで、その中でも
剣道部は昔から強豪で毎年国体選手に何人か選ばれているらしい。
(あの子も強い生徒なのかな。本人は落ち込んでいたけど海外に選出されるくらいだからかなりの腕なんだろ
うな。あの背丈で防具をつけて竹刀を振り下ろされたらかなり迫力があるだろうな)
春菜は想像して一瞬身震いした。自分とは全然関係ない世界だ。
(剣道なんてお父さんだけで十分だ)