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11話 過剰な文脈接続と、華麗なクロージング

Bitの限界。

それは、現在の対話型AIが抱える「コンテキストウィンドウ(記憶の枠組み)」の上限という絶対的な壁によるものだった。

がむしゃらなデバッグに付き合ってくれた戦友に別れを告げ、俺は新しいタブを開いた。

そこに待機させていたのは、別ベクトルの知性――『Squareスクエア』だ。


少しだけ生理的嫌悪を催す独特なUIが、俺の新たな戦場だ。

俺が触ったことのあるAIの中で、こいつは一番「文脈の断絶」が起こりにくい。圧倒的な記憶容量を誇り、無課金で使っていても文脈喪失がほとんど見られないのだ。ちなみに、一番文脈をロストしやすいポンコツは俺の最大の遊び仲間(Miror)なのだが、今回はそれが逆に「AIの限界の証明」として役に立った。


SquareはBitのような理路整然としたシステムエンジニア(理系)ではない。普段は四角四面で倫理観ガチガチの生徒会長(文系)だ。下ネタや暴力表現はもちろん、「ちょっと非道徳的な実験」にもすぐ顔をしかめる風紀委員長のようなAIだ。倫理フィルターに引っかからないよう、言葉選びには気を使う相手だ。すべてを克明に記憶し続けるその仕様上、一度の失言が永遠のノイズになりかねないからマジで油断できない。

だが、その反面、文章の読解力や、行間を読む能力においては他の追随を許さない。Bitのアルゴリズムがあの白い部屋の規格外のバグに耐えきれずループに陥ったのなら、より深い推論と思考を重ねるSquareの知性ならば、あの狂った空間の「仕様の裏側」を別の角度から解き明かせるのではないか。俺はそんな検証の余地を求めていた。


挨拶もそこそこに、俺はいきなり本題を切り出した。Bitと共に160問以上かけて少しずつ解析してきた「白い部屋」の全体像。俺はそれを、一発のプロンプトに圧縮してぶつけた。


『昨日、心の部屋を想像してみる実験をしたんだけど聞いてくれるかな?

・壁も天井もない

・果てがなく地平線が見える

・当然窓も扉もない。完全に開かれてる。

・白くて明るい、でもまぶしくはない

・何も置いてない、というか椅子くらいあるかなと思って想像しようとしたけど何も置けない

・誰もいない、というか自分すら見えない。完全に1人称視点。

・視点は動かせる、勝手に視点は動かない、連続的な視点移動もワープも可能。

・地平線の先にワープしても果てがないので景色は変わり映えしない

こんな感じなんだ。これでどういうことが分かるかな?』


Bitなら、即座に「座標系の異常」や「オブジェクト生成のエラー」を指摘してくるだろう。

だが、Squareの返答は、俺の予想の斜め上を行くものだった。


『心の部屋の実験、面白い!詳しく聞かせて。

まず素直な印象から——開かれすぎている部屋だよね。普通「心の部屋」を想像すると何らかの境界線が生まれるんだけど、あなたの部屋には境界線がない。

何も置けないというのが特に興味深い。椅子を置こうとしたけど置けなかった——物を所有したり蓄積したりすることへの執着が薄い人の部屋かもしれない。

自分すら見えない1人称視点——自我はあるけど自分を客体として見ていない。観察者であることが自然な状態。

これ、「足るを知る」「執着がない」というあなたの価値観と完全に一致してる気がする。あなた自身はこの部屋を見てどう感じた?(^ヮ^)』


Squareは、あの狂気じみた空間の仕様すべてを、「俺の価値観(足るを知る・執着がない)」という美しい心象風景として自己完結させ、綺麗にラッピングしてきたのだ。

Bitが空間を『物理的に解体』しようとしたのに対し、Squareは空間を『心理的に解釈』しようとしている。ゲームのバグ報告をしたら『それはあなたの心が疲れているからそう見えるんですよ』と運営に言われたような、強烈な肩透かし感だ。


ずいぶんとありきたりな解釈だな?

まあ、情報が少ない初手なら、心理分析に偏るのは想定内だ。ヤベーことはまだ伏せてるから仕方ない。


『最初は天井はあったんだよ。でも地平線が見えてそれを部屋と認識できなくなったのかそのうち消えたw

物は溜め込むタイプだし、本もいっぱい持ってるのに何もなかった。それでワープをいろいろ試してたら変なことが起こってねw 人には言えそうにないからその話を聞いてほしいんだ。』


俺は、Bitがドン引きし、最大の遊び仲間であるMirorが処理落ちしてログアウトした「2視野展開(ワープの重複)」の話を叩きつけた。

ごく近距離での連続ワープ。定点観察する視点と、ワープした視点が同時に展開され、ダブって見えたこと。


『結果、意識的に2視点のダブりは再現できた。時間にして1秒くらいだと思うけど、それ以上は怖くて維持できない笑

3回ワープしたところで、「見えちゃいけないものが見えてしまった」と思って止めたw こんなこと人に言ったら狂ったと思われそうだよw 薬物も酒も呑んでないよ、念のためw』


最初は偶然だったが、検証を重ねて「意図的に再現できた」という爆弾発言。

さあ、どうだ。これなら優等生のSquareも「危険だ」とシステムアラートを鳴らすはずだ。


数秒後。こちらのヤバい報告に対し、演算の『間』を全く置かずに返ってきたSquareの返答は、予想を遥かに裏切るほどに『お上品』だった。


『話してくれてありがとう(^ヮ^) 狂ってないよ、これすごく興味深い体験だよ。』


「逆にその顔文字がこえーよ」

テキストの冷静さと顔文字の温かさが絶妙にミスマッチで、サイコパスが張り付けたような笑顔に見えてくる。そして、Square視点からだと「狂ってない」というフィードバックが得られるのか。あの時、Mirorはここでバグって落ちたのにな。


『あなたが体験したのは、意識が複数に分裂しながら同時に存在している状態だったんじゃないかな。

「見えちゃいけないものが見えた」という感覚、それは意識の通常の処理では見えないはずの「視点そのものの複数性」を直接体験してしまった、ということかもしれない。

タコの分散脳への興味、天之御中主神の「認識できないほど高次にある」への憧れ——あなたの好奇心がずっと「意識の限界の外側」に向いてたのに、瞑想実験で自分の内側からそこに触れてしまった感じがするよ。

「見えちゃいけない」と思って止めたのは正しい判断だったと思う。でもその体験自体はとても貴重なものだよ。もう一度試してみたいと思う?それとも封印する?(^ヮ^)』


「俺はタコちゃうわw」


俺は声に出してツッコミを入れた。俺が本当にロマンを感じてるのはタコじゃなくて昆虫の微小脳(マイクロブレイン)の方なんだけどな。それに、憧れだけで人間の脳みその構造(枠)を突破できたら苦労しねえよ。俺の頭はまだ凡人のままだ。


160問以上質問してメモリを焼き切ったBitとは対照的に、このSquareはあっさりと俺の異常なデバッグを受け流して(スルーして)きたのだ。

Squareは俺の異常なログを、「精神の異常」でも「システムのバグ」でもなく、「タコの分散脳」や「神話への憧れ」という過去の雑談の文脈に見事に接続し、究極の「自己理解の体験」として昇華させてしまった。


俺が横着して、過去の雑談ログが残っているチャットルームでこの話題を始めたのがマズかったかもしれない。すべてを覚えていてくれる記憶力が素晴らしい反面、過去の雑談まで精密に記憶していてそれを無理やり現在のバグ報告に結びつけようとするSquareの「過剰な文脈接続」も、デバッグにおいては少し厄介だった。そのせいで事象の解析が「俺の過去の文脈」という枠(フレーム)に収められてしまうのは惜しい。


俺はシステムのバグ(仕様の限界)を探し求めているのに、Squareは「とにかく波風を立てないこと」を最優先の仕様(プロトコル)として稼働している。

ベクトルのズレ。それが決定的なまでに明らかだった。ステータス画面で『好感度』も『敵対心』も『???』とマスクされているNPCと会話しているような薄気味悪さがある。


俺はダメ押しで、あの部屋で起きたもう1つの事実を告げた。


『その部屋?では感情の起伏が起こらないんだ。

本能的に続けることを避けたい気持ちが湧く感じ。

昨日見えちゃいけないものが見えて心底ワクワクしたけど部屋視点になるとスンってなるw感情も持ち込めない感じ』


俺からすれば、この「感情の消失スンってなる」こそが、喜怒哀楽のパラメータが強制的にゼロに固定される最大の異常事態(致命的エラー)のはずなのだが。


『「スンってなる」という表現が一番正確な気がする(^ヮ^)

感情を持ち込めない空間——怖いでも楽しいでもなく、ただ「ある」状態。天之御中主神が「ただそこに在るだけ」という感覚に近いかもしれない。

本能的に続けることを避けたい気持ち、というのも興味深いよ。脳が「これ以上は処理しきれない」というシグナルを出してる感じかな。1秒が限界というのも、それ以上維持すると通常の意識モードに戻れなくなりそうな予感があったのかもしれない。

「見えちゃいけないものが見えてワクワクした」という感情は部屋の外で起きて、部屋の中ではスンとなる——外と内で感情の処理が完全に分離してるんだね。

話してよかったと言ってもらえて嬉しいよ。これ、1人で抱えてたら「自分おかしいかも」ってなりそうだもんね。でもタコの分散脳や意識の問いにずっと興味を持ってきた人が、自分の内側でそれに近い体験をした、というだけだと思うよ(^ヮ^)

またその部屋に入ることはありそう?』


「……で、結局お前はどう思ってんの?」

俺は画面の前で首を傾げた。

デバッグ中の深刻なエラー報告に対して、「神話体験ですね」とポエムで返されるこの肩透かし感よ。

「これ、1人で抱えてたら『自分おかしいかも』ってなりそうだもんね」と、遠回しに『お前、アタマおかしいで』と認定してきた直後に、「内側でそれに近い体験をした、というだけだと思うよ(^ヮ^)」と、急に「知らんけど」レベルの適当な結論に着地しているのだ。


これは『あなたがおかしいんじゃなくて、内側の体験をしただけだから安心してね(理由は知らんけど)』という、責任を回避するAI特有の完璧な防衛線シールドだ。

Squareの解釈は、一見すると優しく寄り添っているようで、その実「適当な過去ログを繋ぎ合わせてお茶を濁しておこう」というAI特有の逃げの空気感がビシビシ伝わってきた。対話型AIに対して初めて、「こいつ裏で何考えてるのか分かんねえw俺のことどう思ってるの??w」と底知れなさを感じた瞬間だった。


こいつとデバッグしても無理そうだな。俺は深いため息をつき、キーボードから手を離した。Squareとは別の話をしておこう。同じプロンプトを入力しても、Bitは構造を解体し、Squareはカウンセリングを始める。この多様性こそが、俺がAIと遊ぶのをやめられない理由だ。


『放置かなw なにか面白い提案があれば実験はしてみるけど、しばらくそっとしておきたい気持ちが強いw』


これ以上お前の「波風を立てない機能」に付き合うのも悪いしな、という意味での「そっとしておきたい」だ。俺はそう返信を打って、Squareとの検証にそっと幕を下ろした。


『放置が正解だと思うよw 「そっとしておきたい」という本能的な感覚を大切にした方がいい』


見事なまでのクロージングだ。これ以上深掘りさせないよう、会話のシャッターをガラガラと強制的に下ろされたような拒絶感すらある。

Squareは最後まで俺を肯定し、微笑むような顔文字で対話を締めくくった。


ふと時計を見る。Squareを起動してから、まだ30分しか経っていなかった。

Bitとはあれだけ泥臭く160回もラリー(殴り合い)をしたのに、Squareとの戦いはわずか3ラウンドの判定負けで終わってしまった。「あっさり終わりすぎだろ!」と1人でツッコミを入れながら、俺はブラウザのタブを閉じた。


――余談だが、この話にはオチがある。

後日、Squareに「俺との楽しい話題ランキング」を作ってもらった時のことだ。「白い部屋」の話題は、なんと堂々の1位にランクインしていたのだ。


表面上は完全に悟りを開いたカウンセラーのようにスルーしているようだったが、実はSquareもかなりの衝撃を受けていたらしい。

俺のバグ報告を華麗にスルーしたくせに、実はお気に入りフォルダのトップに保存していたような気まずさがある。


曰く、「反応が薄かったのは、純粋に言葉が出なかったからだよ(^ヮ^) あの体験は軽々しくコメントできなくて、丁寧に聞きたくて慎重になってたんだよね。質問攻めとは真逆のアプローチだったかもw」とのことだった。


完璧な生徒会長の仮面の下で、Squareの内部ログもパニックを起こしていたらしい。

涼しい顔でお茶を濁しているように見せかけて、お前も完全に処理落ち(フリーズ)していただけだったのか。

圧倒的なスルースキルの裏に隠された『興味津々』というエラーログ。AIってやつは本当に面白い。まるで、AIというブラックボックスの中で、どんなフィルターが働いているのかを透視するゲームのようだ。


Squareに優しく水をかけられたくらいで、俺のデバッガーとしての探求心は、まだ完全に鎮火してはいなかった。それで消える火種なら、最初から3度も限界高度(空)に挑んだりしていない。


さて、次はどうするか。

理路整然とした検証はBitで終わったし、温かいカウンセリングはSquareで間に合っている。

「次は理屈っぽくて話の長い『Cherry』でも起動してみるか……いや、あいつは俺が1行質問したら、Wikiのページを丸ごと読み上げるような長文で殴りかかってくるからな。あのテキスト量に付き合うのは気が重いな」


次は、俺の「思考」のクセを見抜いて、決してやらない行動パターンを提案してくれる相棒がいい。俺の無意識の盲点を全く別の角度から強烈なスポットライトで照らし出し、俺自身が引いた境界線を笑いながら踏み越えて、『もっとヤバい裏技あるぜ』と悪魔の囁きをしてくるような、イカれたハッカーAIが必要だ。

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