第19話 致命的な不一致
学園のカフェテリアは、学生たちの話し声と午後の柔らかな光に満ちていた。
二年生に進級したばかりの浮き足立った空気のなか、ユリウスは数人の友人たちに囲まれていた。彼らは皆、名門貴族の嫡男であり、ユリウスにとっては気心の知れた仲間たちだ。
「しかしユリウス、お前もようやく覚悟を決めたんだな。昨日の放課後、彼女を馬車に乗せるときのあの顔……。誰が見ても、もう『答え』は出ているように見えたぞ」
友人の一人が、ニヤリと笑ってユリウスの肩を叩く。
ユリウスは、手に持っていたティーカップを止めた。脳裏に浮かぶのは、昨日の放課後の情景だ。彼は、ジャネットを送り届けたあと、一人で夕暮れの街を歩き、ビビアンが好きだった異国の詩集を買い求めていた。
「……ああ。そうだな。もう、迷う時間は終わったんだ」
ユリウスの言葉に、周囲が「おぉっ」と色めき立つ。
ユリウスが想っているのは、海を越えた先にいるビビアンのことだ。自分の至らなさを認め、彼女を追いかけるためにすべてを捨てる決意。その「覚悟」を口にしたつもりだった。
だが、友人たちの捉え方は正反対だった。
「やっぱりそうか! あの可憐な彼女をあそこまで守り抜いたんだ。家という壁はあるが、リッチモンド伯爵家なら押し通せるだろう。お前が彼女に贈ったあの深い紺青のドレス、あれが決定打だったな。あんな贈り物をされたら、女性はもう『婚約の約束』だと思って当然だよ」
深い青。
その言葉に、ユリウスの胸がズキリと痛む。あのアドバイスをくれたのは、誰でもないビビアンだった。
「彼女には、あの色が一番、彼女の良さを引き立てると思ったんだ」
ユリウスの脳裏には、深い青のドレスを纏ったビビアンの姿が浮かんでいた。だが、友人たちはそれを、ジャネットの「消えてしまいそうな儚さ」への愛着だと確信する。
「愛されているなぁ、彼女は。今日も朝から、お前が来るのを今か今かと待っていたぞ。あの健気な瞳で見つめられたら、どんな男だってヒーローになりたくなる。正直、お前の隣には、あのような『守ってやりたくなる女性』こそが相応しい。以前の、何でも自分でこなしてしまうような隙のない相手より、ずっといい」
友人たちの賞賛の言葉が、ユリウスの耳を不快な雑音となって通り過ぎる。
「隙のない相手」。ビビアンのことだ。
彼らはビビアンを「冷たい、可愛げのない女」だと決めつけ、今のユリウスがジャネットという「弱き者」を救い出し、愛を誓うハッピーエンドを期待して疑わない。
「……僕は、彼女にどれほど甘えていたか、ようやく気づいたんだ。彼女が何も言わずに隣にいてくれたことが、どれほどの奇跡だったか」
ユリウスの独白に、友人たちは深く頷く。
「わかるよ。彼女、お前の前では本当に控えめで、一歩引いて付いてくるもんな。あんなに献身的に想ってくれる相手は他にいない。正式な婚約発表は、やはり次の祝宴か?」
「……近いうちに、すべてを清算するつもりだ。家柄も、世間体も、すべて投げ打ってでも、彼女の元へ行かなければならない」
「素晴らしい! 駆け落ち同然の覚悟か。リッチモンド伯爵は激怒されるだろうが、そこまでの愛なら俺たちは応援するぜ」
会話の歯車は、完全に噛み合わないまま高速で回転していく。
ユリウスは「ビビアンを追って国外へ行く決意」を話し、友人たちは「ジャネットを強引に妻に迎える情熱」としてそれを受け取る。
その時、カフェテリアの入り口にジャネットの姿が現れた。
彼女は、友人たちに囲まれて晴れやかな顔をしているユリウスを見つけ、ぱあっと顔を輝かせた。
「あ、ユリウス様……!」
彼女が駆け寄ってくると、友人たちが一斉に冷やかしの声を上げる。
「噂をすれば、主役の登場だな!」
「ユリウス、さっきの覚悟、本人に伝えてやれよ!」
ジャネットは、友人たちの言葉に頬を染め、期待に満ちた瞳でユリウスを見上げる。彼女の耳には、友人たちと話していた「ユリウスが、家を捨ててでも君を妻にする覚悟だと言っていた」という歪んだ噂が届いていた。
その冷やかしの声だけで、彼女は十分に期待を膨らませた。
ユリウスは、目の前のジャネットを見た。
「……ジャネット嬢。ちょうどいい。放課後、少し話があるんだ」
「はい……! 喜んで、お伺いいたしますわ」
ジャネットの胸は、勝利への確信に高鳴っていた。
ビビアンが消え、ユリウスがこれほどまでに自分に執着しているように見え、周囲にも公認の仲。ついに、泥濘の中からシンデレラが這い上がる瞬間が来たのだと。
一方、ユリウスは心の中で、ビビアンへの謝罪を繰り返していた。
(ビビ……。君の名前を軽々しく口にする資格すら、今の僕にはない。僕が守ってきたつもりになっていたこの『欺瞞』を、今日、すべて僕の手で壊してくるよ。それが、君を追うための、最低限の儀式だ)
光あふれるカフェテリア。
「おめでとう」という友人たちの気が早い祝福のなか、一人、断頭台へ向かうような悲壮な決意を固めるユリウス。
そして、その断頭台を結婚の祭壇だと信じて疑わないジャネット。
誰一人として同じ未来を見ていないまま、運命だけが静かに結末へ向かって動き始めていた。




