対岸の日常
叔母の旦那さんが亡くなった。
バイトのシフトも終わりに近づくころに、わたしはフライドポテトを揚げている。原形と比べたら、見違えるほどスリムにカットされたじゃがいもたちは、早く揚げてくれとパチパチ騒いでいた。揚げたてのフライドポテトは皆背筋が伸びている。フライドポテトは季節限定のハンバーガーとあたたかいお茶と合流して、髪を後ろで束ねたスーツ姿の小柄な女性に差し出された。
お先に失礼しますの掛け声を発しながらシフトを終える。更衣室でバイトの制服から学校制服に着替えながら、スマホをチェックすると、
「海都さんが交通事故にあったって、美桜華バイト終わったら真っ直ぐ帰れる?」
と、お母さんからメッセージが来ていた。急いで帰り支度を済ませ、挨拶もそこそこに店の外に出てお母さんに電話した。外は暗くて寒い。雪がひらひらと舞っていた。心の奥が冷たくなった。
叔母の沙良ちゃんはお母さんの妹で、お母さんより八歳下で、わたしとは十八歳差。美人で明るくて優しい。でも、少しだけでいいから大人しくしていればいいのに、口を開けるとゲラゲラ笑い、道を歩くと何かにぶつかり、おっちょこちょいでよく失敗する、アニメとか漫画とかドラマのキャラクターみたいな人。わたしの大好きな人。
「美桜華、口が上手い男には気を付けなね。言い訳が多い男もダメ。その人たちは自分のことしか考えてないからね」
恋愛遍歴が多い沙良ちゃんは男の人の悪口をよくする。お母さんが、そんなこと言ってもダメ男ばっか引くじゃん、沙良、男を見る目無いよね。とつっこむ。わたしは、姉妹そろって男を見る目無いじゃん。とつっこむ。ふたりは、確かに、と言って口を大きく開けて笑う。
家のマンションの前に薄く雪を被ったタクシーが止まっていた。家に帰るとお母さんがリビングでうなだれていた。海都さんが亡くなった。
海都さんとは友人の紹介で知り合ったらしい。友人の旦那さんの友人らしい。男を見る目が無い沙良ちゃんにとっては、SNSや動画のおすすめよりも、ずっと信頼できるおすすめの人だった。初めて四人で食事したとき、沙良ちゃんとお母さんとわたしが喋っていると、海都さんは控えめに会話に参加した。
「沙良と一緒にいると毎日楽しいです。こんなに人を好きなったことは、今までにないです」
ずっと穏やかな表情でいて、気を使っている感じはしなかった。幼い頃に父親が亡くなって母親と暮らしてきたそう。芯が強そうで優しそうだった。経緯は違うが、片親という共通点で海都さんを近くに感じられた。
タクシーの車窓からきらびやかな街並みをぼんやりと眺める。もうすぐクリスマスだった。親子三人で仲良く並んで歩く姿があった。両親に挟まれて低学年くらいの女の子がいた。
羨ましかった。わたしの両親は、わたしが小学三年生の時に離婚した。父親とはそれ以来会っていない。ぼんやりと憶えているのは、よく笑ってよく怒る姿だった。父親は離婚した翌年に再婚した。父親は家族から離れ、ひとりで遠くに行ってしまった。新しい家族が出来て、わたしのことは忘れてしまうのだろうか。
赤信号でタクシーが止まると、雪が舞い落ちる姿が鮮明になる。交差点にあるコンビニの店内でサンタの格好をしている店員が接客をしているのが見えた。店から出て来た若いカップルは手を繋いで歩いて行った。後から出てきた、姉妹だろうか、レジ袋を持ったわたしと同い年くらいの女の子と、それを追いかける小学生くらいの女の子が、走ってカップルを追い抜いた。幼いころ、わたしも走って沙良ちゃんのことを追いかけていた。
沙良ちゃんはわたしをよく可愛がってくれた。よく晩御飯を食べに我が家に来た。休みの日に一緒に出掛けることもあった。一人暮らしの沙良ちゃんの部屋に泊まりに行ったりもした。沙良ちゃんは将来、優しい人と結婚して子供を産んで最終的には可愛いおばあちゃんになりたい。とよく言っていた。
そんな沙良ちゃんは、本当におっちょこちょいだった。一緒に街を歩いていると沙良ちゃんは何もないところでつまずいた。その拍子に持っていたスマホが飛んでいった。スマホは前を歩く人の、口の開いたカバンに吸い込まれていった。
沙良ちゃんの家の時計はどれも10分遅れている。沙良ちゃん流の時間術なのだそう。
「一度試してみて。焦るから」
ある日の朝、学校に行く前、まだ時間に余裕があるので一息ついていた。ふと気が付いた。あの時計は10分遅れている。スマホで確認すると、家を出る時間は過ぎていた。本当に焦った。
いつもなら沙良ちゃんのことを思い出すと、口角が上がって、周りから不審な目で見られるけど、今は思い出しても口角が下がってしまう。
病院の霊安室の前の待合室におじいちゃんとおばあちゃんと沙良ちゃんがいた。沙良ちゃんは俯いていて顔色が悪かった。沙良ちゃんのそんな姿は見たことがなかった。見たくなかった。わたしとお母さんはふたりで沙良ちゃんを抱きしめた。支えていないと、今にも砂になって消えてしまいそうだった。涙がこぼれた。強く抱きしめた。
「海都、すごい苦しんだはずなのに、寝てるような顔してるの」
海都さんは車を運転中に玉突き事故に巻き込まれて、腹部圧迫で亡くなった。自分の最期を悟って表情を無理やり緩めたのだろう。少しでも沙良ちゃんを悲しませないように。優しくて強い海都さんらしい。
霊安室にいる海都さんはとても穏やかな表情で、今にも目を覚ましそうだった。海都さんの最期の苦しみを想像すると、また涙が出て止まらなかった。海都さんの母親が遠方から遅れて到着した。海都さんと対面して泣き崩れた。沙良ちゃんは寄り添って肩を抱いて一緒に泣いていた。
もしもわたしが事故で死んだらと考えた。海都さんのお母さんとわたしのお母さんが重なった。泣き崩れるお母さんと寄り添う沙良ちゃんの姿が浮かんだ。手が震えた。
通夜も告別式も終わり、日常が戻ってきた。
授業中やバイト中のちょっとした時間に涙が滲んでくる。
「あなた表情が暗くて、声も聞き取りづらいから、もっと笑顔でハキハキしなさい。仕事でしょ」
アップルパイとカフェオレをトレーに乗せて渡すときに年配の女性のお客さんに、ぼそっと言われた。感情がひとつずつ剥がれて落ちていくようだった。
「わたしバイト辞めます」
「……つらい時期だと思うけど、籍は残しておくから、戻ってきたくなったら、いつでも戻ってきていいからね」
女性の店長は優しく微笑んだ。
フライドポテトを作りすぎて廃棄しなければならなくなった。フライドポテトは皆しおれていた。
元気出して。と心配してくれていた友達がわたしの家でみんなでクリスマスパーティーをしようと、提案してくれた。
「お母さんはクリスマスは仕事で遅くなるから、みんなで楽しんで」
晩御飯を食べながら、クリスマスパーティーの相談をした。お母さんの笑顔はどこか寂しそうだった。
丁度そのとき、スマホが光った。沙良ちゃんから、
「妊娠してた!」
とメッセージが来た。お母さんもそのメッセージを受け取ったらしく、ふたりで目を見合わせた。
「これっておめでとうだよね」
「そうだよ。おめでとうだよ」
「お母さん沙良ちゃんに電話して、スピーカーにして、一緒におめでとうって言いたい」
お母さんが電話をかけて一緒におめでとうと言った。
「美桜華もいる! ふたりともありがとう!」
「沙良、体を大事にしてね。無理しないでね」
「そうだよ。沙良ちゃん気を付けてよ、道で転ばないでね」
沙良ちゃんは落ち着いたら、連絡を取り合っている海都さんの母親に直接会いに行って報告するのと、もしかしたら海都さんの故郷に引っ越すかもしれないと言っていた。
「結婚式で美桜華が撮ってくれた動画もあるし、海都と私はずっと一緒にいるよ」
十八歳差のいとこが出来る。たまにしか会えないのかもしれないけれど、沙良ちゃんがわたしを可愛がってくれたように、わたしもその子を可愛がってあげよう。わたしや海都さんが沙良ちゃんのことを大好きなように、わたしも誰かにとっての沙良ちゃんのような存在になりたい。
「はいみんな並んで、写真撮るよ」
「ねえ、何でみんなはサンタの可愛いコスチュームなのに、わたしだけトナカイの着ぐるみなの?」
「美桜華、怒らない怒らない。笑って笑って」
「撮れたよ。見て見て、美桜華、良い笑顔じゃん。良かったよ元気になって」
リビングのテーブルに、フライドチキンやピザ、ケーキが並んだ。食べきれないくらい食べた。写真に納まりきれないくらい、はしゃいだ。
「沙良さんと出会えて、僕は本当に幸せです。これからずっと、一緒にいたいです」
「私も海都さんと出会えて、本当に幸せです。これから先ずっと幸せに暮らしていきます」
今ならふたりを直視できると思って結婚式の動画を開いた。涙が出た。またみんなに心配されたくないから、トナカイのフードを深く被った。
授業中や友達と喋っているときに、突然暗い感情に襲われて涙が滲むことも少なくなった。
年が明けた晴れた日、わたしはバイトに復帰した。揚げたてのフライドポテトは皆背筋が伸びている。




