007 質問に答えよ
「お疲れー、石上」
「ぁあ、また明日な」
外は暗くなり、次々と帰っていく同僚たち。
この日の仕事は、集中に欠けてしまい効率は最悪だった。
要領の良い同僚の帰る姿を羨望の眼差しで見送り、自分の仕事に取りかかる。
まとめるべき書類は乱雑に順番を無視し、とりあえずのつもりで鞄に手当たり次第突っ込んでしまった。
今は後悔しながら、それをデスクに広げて整理している。
部屋には自分一人。
まだそこまで遅い時間ではない。石上のように帰った者もいれば、まだ外回りをしている者もいる。
書類を日付順に並べ直し、ついでに軽く目を通して、不備がないかを確かめていく。
あまり好きではない作業だ。
そこに、近付いてくる足音。
「お疲れさまー。帰らないの? 帰れないの?」
「よぉ、須藤も帰るのか。羨ましいわ」
視線を書類に落としたまま、声だけで応える。
先の夢のおかげか、もう動揺はしないにしても、どことなく気恥ずかしさはある。
書類が目の前にあることは、ありがたかった。
須藤は隣のデスクの椅子に腰掛けた。どうやら挨拶だけをしに来たわけではないらしい。
「石上くんは?」
「帰ったよさっき。定時ぴったりのエリートサラリーマンだ」
「相馬は?」
「今日は忙しかった。日中できなかった自分のケツを拭いてる。デリート寸前サラリーマンだ」
「ふ〜ん」
笑いはない。滑った。
しかし、仕事という大義名分があるので、そんなことは無かったかのように黙々と手を動かす。
(ていうか、なんでこいつ、わざわざ営業課まで来た? 昨日はちょっと様子がおかしかったというか、冷たかったような)
「石上に何か用あったのか?」
「いや、別にそういうんじゃないよ。私も帰るところだし、ここ覗いたら相馬がいたから、ちょっと寄っただけだよ」
いまいち意図が読み取れず、一瞬だけ書類から目を離し、隣人の表情を窺う。
足を組み、デスクに肘を置いて頬杖をつき、体を相馬に向けている。
表情は明るかった。優しく見守るような目、わずかに口角が上がっているようにも見える。
(なんか機嫌良いな。夢で仲良くしたら現実でも好感度が上がるシステム? いやそんなバカな。我ながらゲーム脳が過ぎるって)
何か話題を、と夢の話でもしようかと思ったが、やめた。
他人の夢の話など、よほどのオチがない限り反応に困るうえ、夢で自分とデートまがいのことをしたという謎の告白をされたとなっては、セクハラで訴えられかねない。
黙って作業を続けていると、須藤はスマホを操作しだした。
気を使わせないように、わざとやっているのかもしれない。3年目の付き合いにして最近分かってきたが、彼女にはそういうところがある。
しかし相馬は、人を待たせておいて自分の作業に集中できるようなタイプではなかった。
ぐっと背伸びをし、背もたれに遠慮なく身を預ける。
「ふーっ、疲れた! 小休止!」
「ふっ、はやっ。集中力皆無かよー」
悪態をついてはいるが、嬉しそうだ。どうやら、これが正解だったらしい。
1年目は石上も交え毎日のようにつるんでいたが、それぞれ責任ある仕事を任せられるようになってからは交流も減ってしまった。こういう時間を大切にするのもいいかもしれない。
「なんか久々だよね、こうやって話すのもさ」
「忙しいからなぁ。しかも疲れてる。同じ部署の石上とすらしばらくメシとか行ってないなー。毎日直帰してる」
「今度、久しぶりに3人でご飯行こうよ。駅の近くに美味しいお店ができたんだってよ。お酒も色んなところの地酒を置いてて、こだわってるみたいだしさ」
「へぇー、ちょっと興味あるわ。どっかの店で飲んだ、どっかの酒が美味かったんだよなー。それがあるなら飲みたい」
「ふへっ、どっかばっかで情報無いじゃん。それで見つけられたらすごすぎるねぇ」
「北から順にローラー作戦でいくわ。潰れなければ。そういや須藤って地元どこ? 有名な酒ある?」
口にしてから夢のことが頭をよぎり「しまった」と思ったが、夢は夢だ。
純粋に興味もあったし、久々にする現実での楽しい会話を終わらせたくなかった。
しかし、その質問をした瞬間に、それまで機嫌よく話していた須藤の表情が一瞬だけ曇った。
「あー、地元はねぇ・・・」
少し言い淀んだものの、返ってきた街の名前に、やはり行った覚えはない。
(なんか微妙な顔したな今。そしてやっぱり、出身地なんて初めて聞いた気がする・・・)
「そうなんだ、行ったことないわー。何が有名?」
興味本位に探りを入れる。夢のことが半分、須藤への興味が半分といった割合。
大した質問でもないはずだが、須藤はしっかりと目を見据えて、覚悟を決めたようにゆっくりと話し出した。
目の前にいる気の置けない同僚が、急に知らない人間になったような錯覚。
「お祭りが有名だよ。お城があるの。その敷地全部を使ってやる、結構大規模なやつ」
「え、城・・・?」
夢で見た城がフラッシュバックし、思わず声が出た。
(しまった)
その瞬間、須藤の雰囲気が明らかに変わった。
視線は挙動をひとつも見逃さまいと言わんばかりに、動かない。
「そう、お城があるの。お堀もあってね、一番上まで登ると街が一望できるんだけど」
数秒前までの和やかな空気から一転して、明らかに何かを探っているかのような口調。
(それ以上、何も言わないでくれ。これも夢であってくれ)
「ごめん、須藤。この話はちょっと・・・」
ようやく言葉を捻り出すが、声が震えている。
しかも、会話を止めることにも失敗したようだ。
「うちの地元、来たことない?」
「・・・!」
「はしゃぎすぎて、砂利道で転んだりは?」
頭は真っ白で、何も言葉が出ず、指先ひとつ動かせない。
須藤は変わらず、じっと目を合わせてくる。表情は読み取れない。
目の前にいる同僚が、突然、得体の知れない存在になったかのような錯覚。
「ねぇ、お願い。答えて」




