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001 相馬翔太

金曜日の夕方。相馬翔太(そうましょうた)は会社のバンを走らせていた。

今年で10年目を迎えるこの車は、一見綺麗に見えるが、よくよく見ると白いボディの所々に茶色いサビが浮き、どうしても時間の経過を感じさせる。

社歴では相馬より7年も先輩にあたるバン。しかし、アドバイスをくれるでもなく、理不尽なクレームからも救ってはくれない鉄の塊に、尊敬も愛着もない。

後部座席を倒し、めいっぱい荷物を積むことだけに特化させた荷台は、ほとんど空っぽで、車内の広さを一層際立たせている。

しかし、新商品の提案用のパンフレットが入ったままのダンボールを持ち帰ることには、罪悪感を感じる。

荷台いっぱいに積みこんだ荷物を、先人が開拓してきたルートに届けて回るだけでも1日は終わり、仕事を達成した気分にはなれる。

だが、会社が営業職である自分に求めているのは、取引先を増やすということ。

荷物を届けるだけの社員は「穀潰し」と見下されていることを、相馬はよく理解していた。


「はぁー、眠てぇー」


応える者はいないが、あえて声に出してみる。

取引先や上司のご機嫌伺いのため、わざとらしくトーンを上げて出し続けていた声とは違う、自分本来の声。 その声には疲れが滲む。


眠ることが好きだった。

夢を見るのが得意だった。

夢といっても目標や憧れではなく、眠っている間に見るあれのことだ。

「得意」という言い方がうまくハマっているのかは、よく分からない。

しかし感覚的には「得意」という表現が1番しっくりとくる。特技と言ってもいい。

人には言えないけれども。


陽はとうに落ち、目に見える光は、街灯や周囲の建物の人工物のみだが、それでも十分に明るい。

この明かりを全て消して、全ての責任を投げ出して、全人類一斉に眠りにつくことができたらどれだけ幸せだろうと夢想する。

自分だけの世界で、自分が主人公の、好きなことだけをやっていい世界。

とは言え、まずは目先の現実と向き合わなければいけない。

会社までの最後の交差点を左に曲がり、そのまま数メートルゆっくり進み、さらに左へ。そして、駐車場のいつもの枠内に車を停める。


「ふーっ・・・」


深呼吸を兼ねたため息で、盛大に肺の中の空気を吐き出し、気を落ち着かせる。

ゆるめていたネクタイを締め直し、バックミラーで髪の乱れをチェックしてから車を降りる。

車体の後ろに周り、バックドアを開き、手を伸ばして例のダンボールを引き寄せ、持ち上げる。

片手に持ち替えてドアを閉め、空いた右手でポケットの中のキーのスイッチに触れて施錠する。

この作業も、もう何度やったか数えきれない。

5階建てのビルの裏口の前に立ち、ドアを開けようとしたが、開き戸のすりガラスの向こうに人影が見え、手を伸ばすのを止めた。


(どうせ開くドアだ、待っていた方がいい。荷物も抱えている)


心の中で言い訳しているうちに、予定通りドアは開き、目の前に現れた女性と目が合う。


「あ、おつかれー。なんか遅かったじゃん」

「あー、まじめにコツコツやってきたからな」


遅いと言われるほどの時間かと違和感はあったが、疲れて問答を繰り広げるのも面倒だった。

テンションも声も低く、目を逸らす相馬とは対照的に、女性はかすかに笑う。


「ふひっ、なんだそりゃ」


バカにしてるのか、本当にウケているのかも分からない薄笑いのまま、ドアが閉まらないよう手で押さえて、相馬が通るまで待ってくれる。


「ありがとな、須藤(すどう)

「いいえー、じゃお疲れさまね。相馬もあまり社畜しすぎないようにね」

「ああ、じゃあなー」


言いながら、目を合わせるでもなく、お互い背中合わせのままドアが閉まる。

須藤が背中を向けたまま、手を振っていたような気もするが、見たわけではないので、本当に気のせいかも知れない。


同期の1人、同い年の須藤玲奈(すどうれな)

営業である相馬とは違い、事務職の彼女だが、コミュニケーション能力は相馬より優れている。

毛先を綺麗に切り揃えられたミディアムヘアは、愛嬌のある顔によく似合っている。

そこまで目立った目鼻立ちということもない。かといって、特に文句のつけようもない顔は、様々な表情がつくことで、とたんにその魅力を発揮した。

地味に社内人気は高く、思いを寄せている者もいるだろう。

相馬は自分の好みというものに、未だにピンと来ない。

可愛い人は可愛いと思うし、美しい人は美しい。ただ、好みの系統を聞かれても困る。

須藤に対しても、


(アイドルやモデルって感じではないけど、朝ドラのヒロインって感じだよな。・・・ってことは十分可愛いってことか?)


くらいの感想である。

出会った頃の須藤は敬語を使っていたし、本人が少しコンプレックスを感じている特徴的な笑い声も隠し、猫を被っていた。

今では、結構腹を割って話せる良い同期。


自分のデスクのある部屋に入ると、上司はおろか同僚すら誰も残っておらず、手に持った段ボールについての嫌味を覚悟していたが、杞憂に終わる。


「・・・遅かったって、そういうことか」


自分が遅かったのではない。他の同僚が早かったのだ。

明日は休日だ。

飲みに出たり、明日どこかへ出かけるためだったり、それぞれ早く帰りたい理由があったのだろう。

小さな独り言を漏らし、デスクにダンボールを置いて、すぐに帰り支度を整える。


(片付けも、もういいや。腐るもんでもないし、月曜に早く出てきて片付けよう。とにかく俺も、すぐ帰りたい)


明日の予定はなかったので、とりあえず夜の食事をどうしようかだけ考えて、会社を出た。


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