017 信用しようよ
予期せぬ石上の妹を名乗る人物の出現に、驚いた。
開いた口が塞がらない。
「虫入るよ」
隣からの鋭いツッコミに我に返り、口を閉じる。
(これが妹? 妹ってもっとこう、あどけない少女な感じで、お兄ちゃんお兄ちゃんって後ろを付いて歩く儚げな生き物じゃないの? なにこの爆イケモデル美女)
ベンチに座っている自分たちの前に立つ、長身の美女。どうしても見上げる姿勢になるので、また自然と口が開く。
「もういっそ私が入れてあげようか、虫」
「おいやめろ!」
軽く咳払いをして、仕切り直す。
いくら大人びて見えても相手は年下だ。ここは年長者がリードしてあげなくては。
だが、隣のお姉さんの方がわずかに早かった。
「改めて初めまして須藤玲奈です。凛ちゃんって呼んで大丈夫?」
「あ、はい。もちろん大丈夫です」
「ありがとう〜!なんで、私達のこと分かったの?」
笑顔で、当然の疑問を口にする。先程から相馬へのツッコミに容赦はないが、石上凛に向ける顔は必ず笑顔になっている。その気遣いは流石としか言いようがない。
石上はそこまで自分のことを話さない。妹と同居していて、家事を任せているとしか聞いていなかった。この学校に通っていることどころか、名前すら聞いたことが無い。
「あの、写真があって、うちに。お兄ちゃんと、須藤さんと、相馬さんが写った写真。リビングの壁にあるんですけど、そこに貼ってあるので毎日目に入るんですよ」
「あ〜、研修の最後の日に撮ったやつかな! 確かにあれならラクガキで名前も描いてあるねぇ。私も持ってるよ」
「ですです。今日もお兄ちゃんと、ごはん食べながらお二人の話を聞いていて、会ったこともないのに身近に感じちゃうんですよね。それで話しかけちゃいました」
初めは見るからに緊張していた凛の強張りが、みるみる解けていくのが分かる。固かった笑顔も、段々と柔らかくなっていく。
須藤のコミュニケーション能力には舌を巻く思いだ。
自然な流れで、凛も同じベンチに座らせる。中央に須藤を挟んで向こう側に座ったので、相馬からは凛の姿は見えづらくなってしまった。
須藤も凛の方を向いてしまって、丸く形の良い後頭部しか見えない。
「すみません、いつもはこうやって初めての人に話しかけたりしないんですけど」
「話しかけてくれて嬉しいよ。初めての年上の人なんて一番緊張するよねぇ。分かる分かる」
「俺も分かるよ?」
「でも、あのお兄ちゃんが、友達との写真を飾るなんて珍しくて。会社でうまくやってるんだなぁって」
「え〜、そうなんだ! 嬉しいなぁ、うちら同期は結構仲良いからねぇ」
「俺も? 俺も入ってる、それ?」
「私もこの人たちと話してみたいなぁって思ってたんです」
「いいねぇ、話そうよ〜! ご飯とか行っちゃう?」
「俺も行っていい? ちゃんと誘われる?」
ようやく振り返る須藤。それも、勢いよく。
「うるっさいなぁ! 人のアタマの後ろでボソボソと! マイクじゃないんだよ!」
渾身のツッコミを放つ同僚の仕事ぶりに感心する。
ツッコミなのか本気の怒号なのかはさておき、見事な阿吽の呼吸(?)は見せつけられただろう。須藤はお姉さんキャラを崩され、やや不満げだが。
「あはは、本当に仲良いんですね」
「まあな。君の兄貴もこれくらいはできるよ」
「本当ですか! なんか想像できませんよ〜」
確かに、石上を一言で表すならクール。感情がいまいち読み取りにくく、慣れると話せるやつだと分かってくる。
だが、それでも自分から積極的に話しかけてくるタイプではない。それでも意外に冗談には乗ってきてくれるし、何も言わず仕事をフォローしてくれる良いやつ、というのが彼に近しい職場の人間からの評価だ。
「大丈夫。あいつはおもしろいし、頼りになるよ」
嬉しそうに微笑み、頷く凛の姿に、兄への敬愛の念が伝わってくる。
「相馬さんも、兄に聞いた通りの人で安心しました。思い切って話しかけてよかったです」
「『やる気の無いバカ』とか言ってなかった?」
と、良いところで須藤が口を挟む。
「それは・・・少し言ってましたね。あはは」
「ひでえ!」
三人で笑う。終始和やかなムードで会話が進んでいるが、相馬は会話の途中から観察と考察を深めていた。
なぜ石上の妹は、自分たちが大学にいることを疑問に思わないのか。いくら写真で知っているとは言え、気弱で、見るからに人見知りな彼女が話しかけて来た。
何かが、引っかかっている。
(石上。写真。俺たちの話。二人暮らし。石上の家って少し遠かったような)
「・・・あ」
「どうしたの?」
「ごめん凛ちゃん。さっき、『今日もごはん中にお二人の話を聞いた』って言ってたけど、それって朝ごはんのこと?」
「? いえ、晩ご飯ですよ。朝はあまり時間が・・・」
全員、沈黙。
須藤も違和感を感じたのだろう。数秒何か思案したかと思うと、重大な事実に気付き、身を固くした。
大学の敷地内はまだまだ生徒が活動していて、陽も高い。
「・・・今日の、晩ごはん?」
独り言とも取れる須藤のつぶやきに、凛は「あ」と小さく声をあげた。
たった一文字だが、それが決定打だった。
須藤は歯を食いしばるように顔を歪ませ、恐る恐る尋ねる。
「凛ちゃん・・・これが現実じゃないって、分かるの?」
あの時のような悲痛な表情の須藤に声をかけてやりたかったが、まずは凛を気にかけてやらなければならない。
どこまで知っているのか。どうしてこうなったのか。
「はい。夢、ですよね? でも、なんで」
「なんで」の後に、言葉が続かない。
それはそうだ。凛からしたら、自分の夢の登場人物のはずの人間が、突然自我を持ち、核心を突いてきたのだ。
見知った顔がいる。現実では関わることのない人たちだし緊張するけど、せっかくだから声をかけてみよう。
そんな軽い気持ちで踏み出した一歩が、こんなことになるとは思っていなかった。
疑問、驚き、恐怖。様々な言葉と感情が洪水のように押し寄せた。
逃げ出したい衝動に駆られるが、頭の中の騒音に反して、体は凍てついたように動いてくれない。
「大丈夫だから。安心して」
かけられた声にはっとする。声の主、相馬は真剣な眼差しで目を合わせる。
「大丈夫」と言われた瞬間に、不思議と少しだけ気が楽になった気がした。
「大丈夫だから、ちゃんと説明する。今日はとにかく混乱しているだろうから、場を改めよう」
そう言う相馬から目を離せずにいると、ふと手に感触があった。見ると、須藤が凛の手を優しく包むように握っていた。初めて会うはずなのに、その心地良い感触になぜか安心する。
「うん、大丈夫だよ。落ち着いて話そう。現実で会いたいな、どうかな?」
「はい。もちろん大丈夫です。よろしくお願いします・・・。気を遣ってもらってすみません」
「謝らなくて大丈夫。謝ることは何も無いし、俺たちは絶対に味方だから」
凛は現状、この二人が何から自分を安心させようとしてくれているかは、見当もつかない。
だが自分の身を案じてくれているのは伝わってくる。
確かに夢の中で、夢だと自覚して過ごすことに、得体の知れない不気味さを感じていた。
自分は知らないうちに、何かとんでもないことに巻き込まれているのかもしれない。
優しくも力強い言葉を、素直に信じてみようと思えた。




