011 部屋
自分の身に起きていることを理解できず、置いていかれているような感覚。
それでも、容赦なく時間は進んでいく。
今日も一日、いつも通りの仕事をこなして会社を出る。
いつもの帰宅ルートを逸れ、須藤からメッセージで指定された例の喫茶店へと向かう。
落ち着いたところで話した方がいいと考え、メッセージや会社では見かけても、特に会話はしなかった。
喫茶店へ到着すると、店の前に会社でも見たスカートスーツ姿の須藤が立っていた。
昨日の悲痛な姿が脳裏をよぎる。さて、何と声をかけたものか。
心の中で気合いを入れ直し、真っ直ぐに歩み寄る。
「ごめん、お待たせ! ・・・ううん、私も今来たとこ」
「ふっ、全部一人でやらないでよ。私いらないじゃん。てか、意外と余裕あるんだね」
「いやー、ようやくって感じ。仕事中も悩んで悩んで、ずっと混乱してたけど、今は吹っ切れたかな。腹を括ったとも言う。てかマジで待たせてごめんな。さっさと入ろう」
とりあえずつかみには成功した。わずかではあるが笑顔を確認したことで一安心し、喫茶店のドアに手をかけた瞬間―。
「待って待って! ここじゃないの。私んち行こう」
「はあ!?」
「うわ、声でかっ! だって話が話じゃん。誰かに聞かれたらどうすんのさ。ここから近いんだよ、私んち」
「マジでいいのかよ」
「全然いいよ。ほら、行こう」
颯爽と歩き出す背中を追って横に並ぶ。
それなりに人通りの多い、街路樹が並ぶ歩道を、5分ほど歩き、10階以上はある高さの建物の前で立ち止まる。
周りにも似たような建物が並んでいる。
「マンションじゃん・・・いいとこ住んでんじゃん」
「別に普通だよ、これくらい。中は狭いよ。1Kなら家賃もそんなに高くないし」
「ちょっと待って」と言いながらカバンからカードキーを取り出す姿を見て、圧倒的敗北感を感じる。相馬のポケットには、古き良き鉄の鍵が入っている。
会社から徒歩10分くらいだろう。相馬もこの建物の前の道路を、仕事でよく走っていた。
さらにこの後日、家賃が自分の木造アパートとそこまで大幅に違わないことを知り、より落ち込むこととなる。
「エントランスを抜け、エレベーターに乗り込み、慣れた手つきで7階のボタンを押す彼女は、まるで豪華なタワマンに住む仕事のできる都会の女だった」
「ふへっ、全部声に出てる。しかも田舎の女なの知ってるでしょ。タワマンには程遠いし、これは豪華じゃなくて、新しいから設備が整ってるだけよ」
「その余裕のある感じにも格差を感じるわー。3駅離れた木造アパートに住んでんだよ、俺はー」
話してるうちに部屋の前に到着。
部屋の主がドアを開けて、招き入れてくれるので、大人しく従う。
玄関に立つと、目の前に短い廊下があり、その壁にはドアが2つ。そして、その反対側にはいかにも単身用の小さなシステムキッチン。
「そっちのドアはお風呂とトイレ。トイレは手前の方ね、自由に使って」
返事を待たずに廊下の奥のドアを開けて、先に進んで行く。
相馬も慌てて靴を脱いでから、付いて行った。
他人の家なので、一応靴を揃える。自宅では一度もやったことはない。
部屋は綺麗に片付いている。シンプルなベッド、低いダイニングテーブル、床に置かれたクッションは座布団代わりなのだろうか。
白い家電。木のテーブル。無地のカーテン。どこを見ても部屋の主の趣味を感じられないシンプルさでまとまった部屋は、どこかビジネスホテルを彷彿とさせる。
促され、やはりクッションに座らされる。
須藤は再び廊下に出て行った。
ドアの向こうで物音が聞こえたが、すぐに部屋の主は戻ってきた。どうやら、着替えていたらしい。
「高橋・・・?」
「は? 須藤なんですけど?」
「だって、それ」
須藤の胸元を指差す。
どこの学校か分からないモスグリーンのジャージには、「高橋」と刺繍が入っていた。
「あー、これか! 忘れてた。いいでしょこれ。兄の奥さんのジャージもらったの」
「そう、なんだ」
シンプルな部屋に、知らない学校のジャージを着た同僚。ほとんどが白と黒のこの部屋で、完全に浮いている。
知らないうちに、すでに夢の中ではないのかとさえ思った。
しかし、当の本人は気に留めた様子もなく、冷蔵庫から慣れた様子でペットボトルのお茶を2本取り出し、相馬に1本、自分も1本持って、テーブルを挟んで向かいに座った。
「テレビもねえ、ラジオもねえ」
「ふっ、そうだよ。あっても見ないし、スマホあればいいでしょ。必要なものだけあれば十分だよ」
(そのジャージは必要なものなんだ?)
完璧主義というわけではないが、効率の良さだけを求めた部屋。
テレビは見ないから置かない。買い換え時に似たデザインがある白くてシンプルな家電。部屋のデザインで悩みたくないから、派手な色のものは手に取ることも無かった。
しかし、人からもらったものは、普段の自分なら選ばないものでも使える限り大切に使う。
合理的な部屋は、仕事も効率良くこなす彼女らしいと言えば、らしい。
しかし、話すと愛嬌があり、可愛らしいものが好きそうな無邪気な少女のような部分を好ましく思っている同僚たちが見たら、かなり驚くだろう。
「さて、何から話そうか・・・。あ、ごはん食べる? 昨日作ったカレーでよければ出せるよ」
「ぁあ・・・いただきます」
マイペースにキッチンに消えていく姿を見ながら、相手が誰でもこうなのだろうか。石上のようなイケメンが来ても、その苔色ジャージで2日目のカレーを出すのだろうか?なんてことを考えた。
そのおかげか、緊張はいつの間にか無くなっていたし、大して期待していなかったカレーは2日目こそご馳走だった。




