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 黒の剣でイオタの槍を払い流す。彼の槍の勢いに圧されて、木々が砕け散る。こいつ、性格悪すぎる。私でもわかる。負傷している人間相手に少しの容赦もなく攻撃できるとか、いや、プロ意識が高いと称賛すべきなのか?どちらにせよ今この瞬間を生き抜けなくてはカイの夢の話(皆仲良くできる日)は文字通り夢のまた夢になってしまうので、死ぬ気で――改め、生きる気でいなし続ける。

 そんな私に彼は青筋を額にたてると、いよいよ一度距離をとってびしり!と指を差してきた。


「遊んでんじゃねえぞ、死に損ない。」

「これが遊んでるように見えるんだ。きみの遊びは随分と命懸けなんですね」

「……お前、減らず口だよなぁ」


 呆れたように言われ、冷めたような目で見つめられる。……減らず口って何だ。不思議と褒められている気はしなかった。聞き覚えのない言葉にどうしたものかと少し迷って、それから笑ってみせる。


「ありがとう!」

「褒めてないんだよクズ」


 辛辣に吐き捨てられた。褒められているとも思っていなかったが、やはり褒め言葉ではなかったらしい。帰ったらカイに聞かなくてはならない疑問がうまれた。減らず口ね、うん。正解かどうかはさておき、私の推測としては恐らく〝よく喋る口〟だとでも言いたいのだと思う。減らず口、減らない口、減らない口数……よく喋るやつ、みたいな。はやくカイに正解を聞いてみたいところだ。


 途端に肌がひりつく感覚に意識を集中させる。やはり距離を詰めてきたイオタに少し腰を落として、受け流す用意をする。右足は件の零型シンによる瘴気の影響で動かないので、左足を軸に回りながら躱す。


 何とかこの場を切り抜けているにしても、本来私よりも力量があるのは間違いなくイオタだ。彼の動きひとつで圧されて私も木々と同じように砕け散ってしまいそうになる。魂に付与しているバフである程度を凌げているにせよ、それは間違いない。理解している。そろそろ、いなすだけではこの場を抜け出せないと現実を受け止めるべきかな。

 イオタの槍を避けるついでに彼の鳩尾を、なけなしの魔力を纏わせた掌を使い押し出す。効くとは思っていなかったがイオタは多少体勢を崩し、すぐに立て直され距離を取られる。隙も無い奴だと私が驚いていると、彼も何かに驚いたらしく目を見開いて私を見た。


「……お前、死にかけのくせにマジで魔力濃いな。」

「よく言われる。」


 雲雀の涙くらいなけなしの魔力なので強みに変換できないのが玉に瑕だが、質は良いと言われる機会は多い。その意味の本質は、いまいち理解できないが。


「お前みたいなやつには勿体ない能力値だよ」

「それもよく言われる。」

「ちょっと嫌われすぎじゃない?」


 まるでそれが一大事だとばかりに言うイオタに笑いが洩れた。


「べつに好かれたとて!」

「うーわ……クズ、そんなんだから嫌われてんだよ!」


 何に怒っているのか不明だが叫ばれる。とにもかくにも、彼を無力化するチャンスは一度きり。

 懐に仕舞っている銃は彼のような対人間用で、魔術式や魔力防壁を壊していく効能を持つ。一度使ったらイオタに警戒されるだろうからこの銃の存在は切り札だ。しかし驚くほど隙の無いイオタにどう使うのかが問題で、銃をホルスターから出してセーフティを外し引き金を引くまでの動作で私は槍に突き刺されるだろう。


 零型シン相手に、偽とは言え第三節の章をふたつも使ったのは想定外の事態で、そのせいで今は気も体力が底を尽いていて思うように体動かないのだ。……ガスマスクを付けたのにも関わらず瘴気の影響が出てしまい、思考がうまく動かないし息をするたびに体中が痛むし、正直今にも膝をついてしまいそうだ。


 先程のイオタの赤い鳥を対処する為に、身を削られるような思いで魔力を絞り出して出した黒の剣が魔力の限界値で、もっと言うのなら、今の私が物をうまくコントロールできる限界値でもある。これ以上の魔力は(のこ)(かす)で、軽く体に纏わす程度しか用途はないだろうし、剣を振り回すのが今できる精密な動きの限界だ。残念ながら、今の私ではイオタに勝てる要素がこれっぽっちも見当たらない。

 さて。どうしたらこの場を切り抜けられるかな。どうしたら銃を撃てるほどの時間を稼げるかな。


 ――頭が回らない。痛む。肌がひりつく感覚に体を動かそうとしたが、どうもうまくいかずに黒の剣が手から滑り落ちて、背中から倒れてしまう。あ、イオタが槍と一緒に降ってくる。

 これはよくない流れだな。というか、たぶん死ぬんじゃないか?


「うあッ!?」


 イオタが槍ごと吹っ飛ぶ。けたたましい轟音に起こされるように体に鞭を打ち立ち上がる。トギさんなのだろう。辺りには土煙が舞っていて何も見えないが、幸いなことに私にはよく視得るけどよく見えない目を持っていたので、どこにイオタがいるか視得ていた。――より正確に言えば、イオタの魂のカタチ。鹿目くんほどではないにしろ、彼の魂のカタチは極めて特殊で見間違えられない。ゆらゆらしている黒と白の定まらない、パッチワークじみたそれ。


 ジャケットの下にあるホルスターから銃を取り出しセーフティを外し、狙いをつける。引き金を引く。指先の感覚がないのでそれだけの動きでもいつもの倍程、やたらと時間がかかってしまう。使い慣れたハンドガンの反動がどういうものかくらい知っていたが、思っていたより私は限界が来ていたらしく、発射の反動でぶっ倒れる。

 反動も込みで狙いを付けたはいいが、これは、恐らく思ったより外れた可能性が高いな。銃をホルスターに仕舞う。


「……テメェ。」


 掠れた少年の声が聞こえる。良かった、生きているみたいだ。目と腕に力を入れながら上半身を起こす。イオタは脇腹――いや、腰を押さえていた。腰に当たったのか。よく的の少ない部分にずれて当たったな。骨に当たったとなると痛いだろうな。というかこのままだとトギさんの二発目が来て、彼はなるがままに撃たれるだろう。トギさんにはなるだけ手を出すなと言われているので、彼が来た以上この場に留まる理由はない。

 ぼんやりした頭の中、私は先程落としてしまった黒の剣を拾い杖代わりにして立ち上がった。


「ごめんね。痛かった?」

「クソサイコ死に損ないクズ……」

「すごい合せ技な呼び方だ。」


 吐き出すように呟かれた悪口の羅列は今まで私が呼ばれたことのある名称ばかりで、そうと言われずともそれが私のことだと理解できた。イオタによる呼び方のバリュエーションの多さは目を見張るものがある。ちょっと面白かった。


「……SET(術式構築) - TYPE:5(血唸る鎧)


 魔力が巻き起こる。濃密な血の匂い。彼を包む赤い、赤い血の鎧。魔術装甲。まだまだやれると言わんばかりに槍を拾い立ち上がったイオタがまったく嫌になる。前に記憶共有した際には見受けられなかった新しい技とか、やる気満々すぎる。そんな風にやられると、私もついバシバシと目が覚めてしまうではないか。

 瘴気の影響で纏まらなかった思考が一気にクリアになる。痛みは依然頭と肺に住み着いているが、大丈夫、死ぬわけじゃない。息をする度に痛む肺は、息をしなけばいいだけだ。魔力がなければ身を削ればいいだけ。この命はそのためにある。


 トギさんの指示に逆らうようで彼には申し訳ないが、黒の剣を持つ手に力を入れる。少年の掠れた声が鎧の向こうからくぐもって聞こえた。


「……なに、真面目にやる気でも出たのかよ?」

「瘴気の毒に慣れてきた。殺しはしないけど、いなすのはやめにする。」

「俺も今日はお前のことちゃんと殺すって思ってるから、良かった。」

「うん。それならそれ相応に努力してくださいね、イオタ。」


 槍を避け転がる。体勢を整え、一気に距離を縮め剣を振るう。鉄と鉄がぶつかり合う音。そのちょっとした隙で彼の鎧に触れて魔力の質感を確かめる。

 確かに私は魔力がどんなものか理解できていないが肌触りの感覚である程度分析は可能なので、うまれた隙は魔力分析に使うのがこの状況においての打開策になりうると判断した。


 彼の槍を堰き止めたこちらの剣から魔力が吸い取られていく気配がしたので、イオタの槍もまた私の持つ銃と同じで魔術式や魔力を打ち消すものだとすぐに推測できたが、情報が必要だった以上背に腹は代えられない。尤も、魔力でできた武装と魔力でできた剣での魔力勝負になってくるので、こちらの魔力(手札)を食わせるような行為はたいへん危険な橋渡りではあった。


 先程イオタは言っていたが、私の魔力は基本濃密で質が良いものである。少なくともそうらしい。ただ、その代わりに魔力量の無さが決め手に欠けている。イオタは何度も術式を展開できる馬鹿みたいな魔力量で私を圧倒しているが――どうも触った感じ、()()()()

 魔力強化しているのか、魔力を何処かから持ってきているのか。膨大な魔力量で質の悪さをカバーしているのが肌触りで感じられた。言わば何重にも、何百重にも重ねた分厚いガラスの鎧。気が遠くなるほどの攻撃を重ねれば、いつかガラスは無くなり核に辿り着くはずだ。


 対魔術式用の銃を使って彼の鎧を撃ち壊したく思うが、瘴気の影響で指先の感覚がなくなっているせいで今まで以上にかかるであろう銃で狙い撃つまでの時間を、あのイオタがくれるとは思えない。鎧を貫く程の質を目指し、戦いながら黒の剣の魔力を練り直し上げていくのが今私にできる最善であると見た。イオタから離れて黒の剣の魔力を急速で練り直し上げていく。練り直し上げるだけなら、それ以上の魔力は必要ない。


 一度目の練り直しを終えるか終えないかの瞬間、イオタが踏み込んでくる。頭を狙った槍の動きをギリギリでしゃがみ避け、練り直し終えた剣で彼の胴体を狙い下から上へと斬りつける。彼の鎧と私の剣がかち合った鉄と鉄の音が響く。


 イオタは体勢を崩すこともなく槍をクルクルっと回し、その槍に押し出されるように払い飛ばされた私は、ぐ、と木にぶつかる。脳が揺れる感覚に吐きそうだが止まらないのであれば何だっていい、どうとでもなる、そうさせる。感じる全てを無視して立ち上がる。

 黒の剣の魔力を再び練り直す。


「ぐ、ん……、ふー……痛かった、今のは!」

「へえ〜、死体でも痛いって思うことあるんだ。」

「え?どう見てもまだ生きているでしょう、きみの目ってば節穴なんですね。」


 すると、ぴたり、とこちらに近付こうとしていたイオタの動きが止まる。それから彼はすぐに動き出し、腰に手をあてて怒れるお母さん風のポーズをとった。こんな状況だというのに、彼はなんだかちょっとコミカルだ。


「ああ、いやどうもお前から腐臭がしてね。ちゃんとシャワー浴びてるか?」

「は!?ちゃんとシャワー浴びてますけど!」


 失礼な!においには気を付けている。私がくさいとか、そんなの解釈違いも甚だしい。練り直しを終え、再度練り直しを行う。こちらに詰め寄るイオタの動きを一挙一動見逃さず集中する。彼の槍に突き刺されないようしゃがめば即座に槍で払われる。近付けば蹴られそうになる。やっぱり、いやになるほど隙がない。だけどさっきと違いもう思考はクリアだ、どう動けば彼の動きについて行けるか今の脳であれば考えられる。


 私を突き刺そうと動く槍を体を捻って避け、槍を掴む。引っ張られると思ったのだろうイオタに槍を引かれ、ぐっと引っ張られるのに体重を任せ彼に近付く。予測通り。次に来るのはイオタの肉体攻撃だろう。私は引っ張られる重力をばねにして彼に近付き、拳を間一髪で避け槍をくぐりイオタの背後へ回り込む。三度の魔力練り直しを終えた黒の剣を斬り付ける。血の鎧に大きく傷が入ったのを見ていける、と確信してから距離を取る。

 次で練り直し、四度目。あと何回でイオタの鎧を打ち砕く威力を持つだろうか?


「……ってぇな。」

「効いた?」

「いや?ちっとも。」

「フム、それは頑丈だ。」


 動き出すイオタの素早い動きに、少し対応が遅れてしまい腕に傷がつき、血が飛び散る。飛び散った血は彼の血の鎧に吸い込まれていき先程付けた傷が修復されていったのが見えて、私は思わずほうと瞠目する。鎧が魔力を吸い取るものでなくて助かりはしたが、それでもこちらが流した血で修復されるのはあまり良いとは言えない。どちらかというと、たいへんまずい。

 腹を蹴られて飛ばされるが、体勢を空中で整えて地面に着地する。げほ、と咳き込みながら剣の練り直しを更に重ね、イオタを見上げた。


「その鎧ずるくないですか!」

「お前も大概だろ!その剣さっきからおかしいんだよ!何やってる?あぁ!?」


 吠えられる。黒の剣を何度も練り直していたことまではバレていなかったが、何かタネを仕込んでいるとはバレていたみたいだ。まあ、だからといってやることは変わらない。剣を使うのは鎧に対してのみ、槍は徹底的に避ける。できるだけ時間を稼ぎながらそうとバレずに魔力を練り直し続ける。

 私は黒の剣を彼に向けて、笑って見せた。


「この剣、実は鉄とかち合えば合うほど強くなるんだ。」

「……。」

「うん。どうする?」


 記憶共有の件があるのでイオタが私の言葉を信じるとは思わなかったが真っ赤な嘘をついて尋ねれば、彼は小さく笑った。


「どうもしない。お前みたいな死に損ないのこと信じられねえし。」


 イオタはまったく正しい選択をした。やはりこいつは目覚ましいほどに正しい選択を選べる人間だ。彼の思想さえなければカイの弟としてだけじゃなく人として好ましいとも思えたかもしれない。まあ、そもそも根本的に合わないというのは既に理解しているので夢の話だ。

 この小さな会話の間に七度目の魔力練り直しを終え八度目の練り直しを始めるが、不思議なことにぼうっと見つめ合う時間が生まれていて、そうしている間に黒の剣の練り直しは十一度目を迎えていた。するとイオタはわざとらしいくらいのため息をついた。


「はあぁあ……、なるほど。仕組みは理解したよ。」

「うん?」

「魔力練り直しね。趣味悪いわ。」

「ひー、あはは、わかる?」


 さすがにバレたか。動かずにこちらをじっと見つめていたのは自力で黒の剣の種明かしを試みていたからだったのか。しかし、イオタが種明かしを試みている間に十一度も魔力練り直しができたのだ。血の鎧を打ち砕くことはできずとも、穴をあけることくらいはできるようになったと思う。


「鉾立しよう、イオタ。」

「付き合うぜ。死にたいもんなお前は。」


 腰を低くして黒の剣を構える。イオタも槍を構えかけたその時だった。かなり聞き覚えのある歌が流れた。「バッド・ブラッド」?と私が首を傾げたのと同時にイオタは素早く鎧の内側からスマホを取り出すと電話を切った。どこか妙な沈黙が辺りを包む。この隙に黒の剣の魔力を更に練り直す。


「……」

「…………、……す、好きなの?テイラー・スウィフト。」


 沈黙が長引けば長引くほど喋り難くなる気がしたので、喋る気のないイオタに代わって私が沈黙を破ろうと適当に尋ねれば、分かりやすく舌打ちをされた。


「悪いかよ。」

「いや。私も好きだし。うん。出なくてよかったんですか?」

「どうせトナ、あ、いや。仲間からだし、電話してきた理由も分かってる」

「そっか。仲間の着信音がバッド・ブラッドでいいの?あれって喧嘩の歌だよね」

「好きなんだようるせーな。これフューチャリングがケンドリック・ラマーで倍イカしてんの。そんなこともわかんねえの?」


 ああ……と何度か小さく頷く。ケンドリック・ラマーか、確かにイカしている。イオタが少し動揺しているのが伺えるが、私も急なテイラー・スウィフトに動揺している人間の一人で、剣を握る手が少し緩くなる。つまるところ、見事に油断してしまったのだ。

 イオタは私の隙を見逃さず、一気に距離を詰めて――すると今度はケンドリック・ラマーの「ハンブル」が流れて、イオタは目にも留まらぬ速さで私から距離を取りながら電話に出た。あとちょっとで槍に突き刺されていたかもしれない。ゆっくりと彼から距離を取るが、イオタは少しも気にしていないようだった。


「も、もしもし影崕さん!どうしたんですか?珍しいですね。」


 ……人が変わったみたいだ。やたらめったらに嬉しそうな声で、影崕さん!と喜ぶ姿には激しく揺れる尻尾の幻覚さえ見える。この状態のイオタを見るのは違和感が果てしない。たぶん、この違和感を一生持ち続けるとすら思える。まあイオタと一生の付き合いなんてしないが。私はホルスターから銃を引き抜き、セーフティを外し、狙いを定める。彼はこちらに気付いていない。

 まさかあんなに頑張って魔力の質を高め上げた黒の剣ではなく銃を使うことになるとは思いもしなかった。まあ効率がいいのは間違いなく銃なのだ。ここまで隙丸出しになる瞬間が来ると知っていれば、最初からこの瞬間を素直に待っていたかもしれない。


「勿論、一通り済ませましたよ。いえいえ、そんな。……はい、ああ、ありがとうございます!いえ、そんな……!ハイ!嬉しい限りで、」


 引き金を引く。彼の手元にあったスマホが弾け飛ぶ。強制通話中断といったところだ。狙い通りに撃てて良かった。ちょっと狙いがずれて間違えて頭を吹っ飛ばしてしまったらカイに合わせる顔がなくなるところだった。イオタは錆びついたブリキ缶のようにぎぎぎとゆっくりとこちらへと振り向く。殺意マシマシの彼ににっこりと微笑むと、彼は唸るような声で呟いた。


「……殺す。」

「いや、きみは帰るんだ。影崕さんの話、最後まで聞けなくて気になるでしょ。」

「テメェ!」

「いいんですか?私なんか相手にして。影崕さんじゃなくて。」


 イオタは一度黙って、一気に距離を詰めてきた。黒の剣で槍を受け流すが彼は怯まず近付いて来たので、黒の剣で斬り付ける。十二度の魔力練り直しを終えた黒の剣は、血の鎧の装甲を大きく傷つけて穴をあけた。

 だというのに。それでもイオタを止めるには至らなかった。自爆攻撃とばかりの勢いで、彼は自らが黒の剣に突き刺さることを微塵も厭わず私へと突っ込んできて、叫ぶ。


SET(術式構築) - TYPE:3(血滾る短剣)!」

「うわっ!」


 黒の剣が刺さりイオタの腹から溢れ出た血が短剣の形を持つと、彼はそれを掴み私へと刺してきた。熱の塊が腹に突き刺さる。顔を顰めてしまうような痛み、思わず空気が口から洩れてしまうような痛み。


「あ、ぐうっ!?」

「死ねよクズ!」


 ぐ、と短剣が腹を引き裂く感覚に頭が真っ白になる。慌てて臓物が漏れないよう裂かれた腹を押さえる。短剣から手を離したイオタに、ついでとばかりに左腕をへし折られ顔を殴られる。


「ぐァあッ、あ、はは、ははは!おまえ、捨て身に、なるとか、ばかッ……!」

「お前の言う、()()()()()っ、()()だよ!」


 力が抜けて、イオタの力が籠められるままに押し倒される。彼は呻き声をあげながら黒の剣を彼自身の腹から抜くと、私に投げつけた。何もかもが血だらけだった。私の物かもイオタの物かも、最早判別できないレベルだ。

 ハ。やば。やばいなこれは。しぬ。


 血の海に横たわりぼうっと意識が遠退いてきた私の上から退き、立ち上がるとイオタは腹を押さえながらフラフラと歩き出した。まだ元気があるんだ、やっぱりイオタは魂のカタチと同じで異常だ。


「はあッ、はあ、はあ……帰る。」

「はは……へんなやつ……」


 でも、すてきだ。そんなにも、へんになれる、ものがあるの。


 ――それは、およそ7分間のことだった。



 ※



 あ、間に合わない。


 漠然とした確信。僕は馬鹿ではない、少なくとも自分に危機が訪れているかどうかは分かる。獣が今にでも出てきそうだと警告を伝える熱が手に強く感じる。燃えているのかと錯覚してしまう熱の感覚。しかし頭に斧を叩き付けられた化け物(シン)が一気に吹っ飛んだのを見て、手の熱は一気に引いた。獣はやって来ない。もはや危機はないと判断したのだろう。

 ――そして僕はあのバカでかい、物騒な斧に見覚えがあった。


「話を聞かんバカ者共!遅れてすまん!他のシンに手こずってた!」


 足立さんの声が森に響く。続いて紺色のポニーテールを揺らし現れた彼女に対して「先生はバカなんじゃなくて優しいだけだけど?!」とキレる獣の声が聞こえたが、いや。間違いなく僕と目輪君、トヅメさんはバカ者共です。自分がやりたいと思うことや、正しいと思ったことに素直すぎたのだ。そうして訪れる危機の躱し方も知らないで、突っ走るところは直した方が良いとも自覚している。

 足立さんが来てくれて感謝の気持ちで胸がいっぱいだが、今のこの状況に乗じて僕のリーチから抜け出した化け物(シン)を完全に逃すわけにはいかない。肌のない肉の化け物(シン)を追いかけながら声を張る。


「足立さん、こいつら自己再生中が弱点です!完全に自己再生される前に動けなくさせてください!」

「あたしはそんな強くないから期待しないでくれ!」

「リツなら大丈夫だって!おれらより強いだろ!」

「気持ちの悪い冗談は止せ!」


 目輪君の激励に苦笑しながら足立さんが斧を容赦なく振るい、追撃を行うのが視界の隅に見える。もう一体の化け物(シン)を気にする必要はこれでなくなった。であれば僕がやるべきことと言えば、ひとつだろう。


 僕を警戒し唸る化け物(シン)へと踏み込み、斬り付ける。

 あらゆる反撃の仕草を見逃さず、受け流し踏み込み、斬る。腕が逸る。言わずもがな油断は大敵だが獣による身体能力向上のサポートと足立さんが背中を守ってくれている今、余裕が生まれていたのだ。

 化け物(シン)の動きが鈍くなっているのは一目瞭然で、僕は切られた腕の痛みすら忘れて心が躍る気持で、ただ目前の化け物(シン)を殺すための動きをする。


 十二分に化け物(シン)の肉が抉れると核らしきものがあるとを認知した僕は刀をそれに突き刺した。


 ――足りない、まだ!

 

 刀の柄の先の部分、柄頭(つかがしら)を殴って刀を核のような部分へさらに押し込む。特に何も考えずに突き刺すべきだと思って突き刺したので刀を引き抜く際にあるタイムロスを考慮すべきだったと、はやとちりの攻撃に後悔した。しかし僕の後悔を蹴飛ばすように化け物(シン)は一際大きな声で叫ぶと、塵へと変えていった。刀が重力に従い地面へと落ちる。


「終わった……!」


 胸を満たすうるさい鼓動を押し退けて、安堵の息を吐きながら、いつ他の化け物(シン)がやってきてもいいように刀を拾う。


「獣、サポートありがとう。助かった。」


 僕が言うと獣の照れくさそうな笑い声が聞こえた。「いいんだよ、先生なら。」と獣は言ってくれたが――いや、僕は先生ではないんだって、とやるせなさを誤魔化すように奥歯を噛み締める。もしいつの日か僕が先生ではないと気付く日が来たら、僕はその時どうなるんだろう。

 獣に多少の不安を感じつつ足立さんの方へ振り向く。

 彼女の近くに化け物(シン)はいない。

 代わりに足立さんの隣にいたのは美しい蛇の擬人化――改め、道楽教官だった。道楽教官はその長い銀髪をかき上げて、笑った。


「フフフ、キミは元来の〝素質〟があってスバラシイね!オーフェリア君からキミが本体の異質体を刺したと聞いてはいたけど、ナルホド。今のを見たら納得だ。さては根っからの戦闘狂だなぁ〜?」

「――よかった。」


 ――力が抜けてぶっ倒れる。

 目輪君の声が僕の名前を叫んでいる。道楽教官が何を言っているのかまったく理解できなかったが、うん。そんなのはもう、どうでもいい。大事なのはもう気張らなくていいという点であり、皆が無事で生きているという点だ。心の底から安心しきると現金なもので、思い出したかのように体のあちこちが痛み出す。体のあちこちが震え出す。アドレナリンで思考も、体も、目も止まることを知らない。

 アドレナリンに震えて痛みに唸る僕を支えに来てくれたのは目輪君だった。彼だって足を怪我しているのにわざわざ来てくれた目輪君に僕は思わず瞠目する。


「おい新人っ!大丈夫かよ、って大丈夫じゃないよな!わりぃ!ちょっと待ってろ、おれが医療班まで運んでやるからな……!」

「いてて……いや、自分とトヅメさんを優先してください。あの子、まだ起きてないだろ。ていうか君も歩けてないのにどうやって僕を運ぶつもりなんです」

「そうだけど、なんとかするんだよ」

「何とかってなんだよ」


 思わず笑みが零れる。目輪君の気遣いは有難いけど、彼は足を怪我してまともに歩けないし、トヅメさんに至っては化け物(シン)に吹っ飛ばされて意識を失っている。僕の体の痛み以上に二人の方が心配だった。

 だが僕の考えに獣は納得できなかったらしく「なんであの女を優先するの?頑張ったのは先生だよ〜っ!」と騒ぎ立て始める。頑張ったのは僕だけじゃないんだよ。と獣しか聞こえない音量で呟くと、彼女は「むー」と如何にも納得していませんよといった鳴き声を上げた。いや、むーってなんだよ……。


 僕たちは足立さんと道楽教官のふたりに担がれて、ASXの搬送車の前までやってきた。道楽教官は足でガンガンとドアを叩きながら叫んだ。


 「ナインナイン、この言うコトを聞かない子たちの面倒見てちょ〜だいっ!」


 な、ナインナイン?ということは――。

 一週間と、ちょっと前の記憶が鮮明に蘇る。

 僕は獣に取り憑いたはじめの数日の間、それはもう頑固で気難しくてやたらと厳しい医師に診てもらっていた。道楽教官の管理下にいる医師である彼と過ごした数日間は忘れもしない……というか、忘れられない。


 彼の名札に書かれていた名前は99(ナインナイン)・P。

 はじめの数分間は丁寧に気を使ってくれていたが、取り憑かれている以外は僕が至って健康体であると判断した瞬間から、極めて鬼のように猛烈な医者だった。

 あいつが来るのか!?と僕が慄いて彼の姿を目で探すと、僕と同じように顔面蒼白である足立さんと目が合った。足立さんも彼を知っているようだ。図らずしも、かの医者に怯える仲間(同類)が増えた。

 ASX搬送車の扉がぐわりと勢いよく開かれる。姿を現したのは白衣を着た怪しすぎる仮面の男だ。


「うるさいぞ道楽ッッッ!」

「お。来た来た」


 声でか。音圧に驚いて怯む僕とは正反対に道楽教官は相変わらず余裕の表情を浮かべている。怪しすぎる男、もといナインナインの登場に彼を知らないらしい目輪君は不思議そうな顔をしているが、かの医者を知っている身としては怯まずにはいられなかった。


 ナインナインはトヅメさんを道楽教官から受け渡され、搬送車のベッドに寝かせると彼女の頭を鷲掴みにして診始めながら僕に話しかけた。


「異質体の器、調子はどうだ?」

「問題ないです。」

「何より。」


 異質体の器だと身も蓋もない呼び方をされて妙な気持の晴れなさが胸に蔓延(はこび)るが、だからといってそれを表に出せばナインナインは今にも僕に食って掛かり彼の検査に巻き込まれるだろう。とくに精神的なものに関わるとナインナインの激しさは嵐が如く増すことを僕は身をもって知っていた。あれはもう、なるだけ経験したくない。

 ……でも器って。マジモトも僕をそう呼んでいたし、ASX所属のゼノは人を器に例えるのがよほど好きらしい。腑に落ちない。


「そこの背筋のいいバンダナ!名を名乗れ!」

「エッ!?あ、はい!目黒目輪です!」

「階位は?!」

「さ、三型っす!」


 ナインナインの圧に目輪君が怯み、ちらちらと僕に視線を送ってくる。差し詰め、「この人なに?!」という混乱を解決してほしいのだろうが、生憎僕も彼が有能な医師であるという目に見える事実以外は理解不能なので、僕がいま目輪君にしてあげられることはない。南無阿弥陀仏である。


「泉水はまるきり無事だな。意識を飛ばしただけだ。呪いの兆候もない。そのうちに目を覚ますだろう。足立、調子はどうだ?」

「最高です……」

「何より。」


 足立さんの言葉に頷くと、ナインナインは目輪君を軽々と持ち上げ近くのスツールに座らせた。


「目黒、足を出せ。」

「うす。」

「何より。……おい道楽ッ、そこにある飴玉は貴様の為ではない!食うなッ!」

「ええ?もう口に入れちゃったよ〜」


 地響きのような唸り声がナインナインの仮面の下から聞こえる。道楽教官はそれをケラケラと笑い飛ばしたが、回復術を受けている当の目輪君はどこか怯えた顔をしている。ナインナインの手付きに少しの迷いもないのが唯一の救いだろうか。道楽教官の管理下にいる医師で、疑うまでもなくナインナインの腕は確かなのだ。ちょっと人物像が濃くて高圧的――改め、人格に少々の難アリなだけで……。

 回復術を受け終わった目輪君がスツールから立ち上がっておお!と感動の声を上げた。


「すげえ!何もなかったみたいな回復術とかはじめてだわ!」

「うるさいぞッ!」

「すっ、すみませんでしたぁ」


 はしゃぐ目輪君の倍ほど大きな声を出し彼を注意するナインナインに、目輪君はしょんぼりと肩を竦めた。目輪君をちょっと気の毒に思ったのも束の間で、ナインナインは僕を指差す。


「異質体の器、次は貴様だ。来い。」

「ああ、はい。」


 ナインナインの高圧的な態度に「前も思ったけどやっぱりなんかこいつ生意気じゃない?何様ってカンジ!」と獣が脳裏で文句をたれ始めるが、〝先生〟以外の人間に対する獣の高圧的態度もナインナインと同等の高圧さだと彼女自身は少しも気付いていないのが少しおかしかった。

 僕は笑い出さぬよう気を使いながらスツールに座る。ナインナインは繊細な手つきで僕の腕の切り傷に触れた。じんと滲む痛みに顔を顰める僕にナインナインは幾ばくか落ち着いた声色で話し出した。


「異質体の器として時を重ねれば私のような医者にかかることもなくなるだろうが、精神的な傷は簡単には癒せないものだと知れ。」

「は、はい。」


 真摯な言葉に心して頷く。異質体の器として時を重ねれば……、僕が強くなったらこうして傷つくことも少なるという話だろうか。そこまで生き残れる未来がもしあれば、確かに精神的な傷の方が重みは増すのかもしれない。ナインナインの言葉に決して他人事ではない、そう遠くはない未来を感じた。勢いで流されそうではあるけど、彼は結構マトモなんだな。

 温かな魔力の温度が、皮膚や血液を通して伝わる。


「身体的な強さと精神的な強さはまったくの別だ。心は大切にするんだぞ」


 僕の腕の切り傷はナインナインの手によって消えた。まるで元から傷なんてなかったかのようだ。切られたせいで肌が見えるぼろぼろのシャツと、そのシャツについた大量の血だけが、僕が確かに血を流し化け物(シン)を殺したのだと証明している。

 心が傷ついたら見えもしないどころか、その証拠さえも残さない。

 その事実は、正直少しだけ怖かった。



 ※



「もうトナリマジで吃驚なんだけど!?!?!!」

「……」

「キラが救助に行ってなかったらどうなってたか!」

「…………」


 叫ばないでくれ、とも言えないほど俺は今疲弊していて、じっとトナリを見つめるだけに留めるが彼女にそれを理解した様子はなく、ヒステリックに地団駄を踏んでいる。元気だな。良いことだけど今は勘弁してくれ。医務室のベッドに横になりながら騒ぎ立てるトナリを暫く眺めると、漸く落ち着いてきたのか彼女は近くの椅子に腰かけて大きな声で俺に説教し始めた。


「戦闘ばかの千鶴でも(わきま)えて元気に帰ってきたのにお前ときたら!なんだそんなにシグマを殺したかったんですか!?」

「ああ。」


 当然だ。聞くようなことでもないだろう。


「ほとんど相討ちじゃないか!そんなの意味ないぞイオタ!体を大事にしてくれ!」


 トナリにしては珍しくごもっともな言葉だ。殆ど相討ち。でも相討ちではないので結果的に見れば良しだろう。それに俺は今日あいつを殺すって決めたんだ、それで殺さないのは有言不実行で正直見下げる。故に、自分の行いに後悔は少しもない。

 ……唯一の後悔と言えば、もっと周囲に注意すべきだったことくらいだろう。鎧を着ていたせいで油断していたのだ。影崕さんとの電話をシグマに邪魔された瞬間を思い出せば、今でもあの時と何ら変わりない沸々とした苛立ちが蘇る程だ。珍しく影崕さんから掛かってきて嬉しくなったのが馬鹿みたいだ。


「影崕さんと、電話、してたのに……くそっ」

「ばか!だからって捨て身になるやつがいるか!体を大事にしろ!するんだ!」

「あの人より、大事なことなんて、ない、だろ」


 苦痛で途切れ途切れになる俺の言葉にトナリは顔を顰め、それから、とても悲しそうな顔をして俺を見つめる。何だかその様子が彼女とは不釣り合いにひどく可哀想で、俺は笑ってトナリの髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。珍しくされるがままのトナリだったが、俺が一度手を止めると乱れた髪を直すこともなくその手を掴んで小さな声で喋り出した。


「お姉ちゃんも影崕さんをだいすきなイオタの気持ちを理解してます。でもばかになるのは駄目だ、それはいけない。わかってるだろう」

「バカだった?俺。」

「大ばか者です!」

「はは、だよな。俺もそう思う……でも止められないんだ。苛立つとどうも考えなしに殺したくなる。」


 だからか、妙に胸がすっきりしていた。今まで堪えに堪えていた苛立ちの全てがあの死に損ないを刺した瞬間に消えていったことを加味すると正直、良いストレス発散になったとさえ思う。血の海に身を委ねていた死に損ないの姿を思い出すと本当に胸がすく思いだ。多少の傷は負ったものの、やはりそこに悔いはまるでない。あいつにとってもあそこで死ぬのが最善だったと思うし、うん、結果的に感謝されても良いくらいの善行だったな。

 ばか、と言われ額にデコピンが飛んでくる。


「いて。……俺、これでも怪我人なんだけど。」

「お姉ちゃんはそんなこと知りません!お前は怪我人じゃなくてばか人です。」

「バカ人ってなんだよ」

「お前です。」


 酷い言われ様だ。俺は影崕さんの為に、ひいては影崕派の為に頑張っていたというのに。そのついでに私欲としてストレス発散したことの何がいけないんだ。プロフェッショナルじゃない?そう考えると痛いな、何も言えなくなる。


「ま、君がちゃんと、滅罪を取ってきた。それが一番大事なことだよ」

「いいえ!違います!」

「はあ?」


 胸を張られる。いや、俺がこんな満身創痍になったのは七・三でストレス発散と滅罪奪取の為だ。何が違うんだよ、とトナリを軽く睨むとトナリは負けじと俺をオレンジ色のサングラス越しに睨み返した。青色の目はどこまでもと批判の色を滲ませている。


「お前の知識がなくちゃ、ここから先に進むのも難しいってわかってるでしょ。」

「……まあ。それはすまないと思っているし、影崕さんにももう謝罪してる。明日にでも至急影崕さんのところに向かうよ」

「ばか人ーーーー!!!!!!!!!」

「うわ、うるせー」


 キンと高い声が響いて、俺は思わず耳を押さえる。雷様も吃驚して腰を抜かすだろう、たまに出るトナリによる本気の大声ほど煩いものはない。

 トナリはその叫びの勢いを持ったまま俺の胸元を手繰り寄せる。がくがくと揺さぶられながらもサングラスの向こうに見えるのはどこか血走った目で、彼女もこんな目をすることがあるんだなと俺は痛む撃たれた腰と斬りつけられ挙げ句、刺された胴体を押さえながら漠然と思った。


「お前っ、お姉ちゃんの話聞いてたか!?」

「なに?」

「聞いていない!?トナリマジショックなんだけど?!」


 ……騒がしい。そんな一々大袈裟に言わなくたって要点を纏めて言えないものかな。揺さぶる手を止めてくれたのは助かったものの、それでも色々不服に思いトナリを見つめると彼女は機敏にそれを感じ取ったらしく、ひくりと口元を引き攣らせた。何か地雷でも踏んだか?と俺が怯むとトナリは威嚇とばかりに歯を見せて、拳を振り上げる。避けようと思えば避けられたが一応素直に殴られてやると、鈍い音が響いて――頭がかち割れるかと思った。クソ怪力だった。


「ゔっ、いってぇな……怪我人を殴るとかヒジョウシキじゃない?」

「自分の体を大事にしないどころかお姉ちゃんに冷たいばか人へのお仕置きです!」

「俺に家族はいないっていい加減覚えられないかな」

「あー!もう、またそういう意地悪なこと言うんだ!?」


 いや、意地悪を言っているのはどちらかというとお前。こちとら家族に碌な思い出がないんだぞ。なんて泣き言を吐き出したくなる衝動を堪える。殆ど毎日繰り返す同じ内容の会話で彼女が一歩も引かないのは知っているが、無論俺だってこの件に関して譲歩する気はこれっぽっちもない。

 しかし、今日はいつものような堂々巡りに付き合えるほどの気力がなかった。そのことにあまりストレスを感じなかったのは単にくたくただったからか、或いはあの死に損ないとのストレス発散試合によって本気ですっきりしたからか。後者であれば今のような余裕を感じる為に日頃からストレス発散に尽力するか検討すべきだな。


 トナリの小言を聞き流していると、ふと、うるさく不規則な足音が医務室内にまで聞こえてくる。こんな気色の悪い足音の主と言えば、思い浮かぶのはたったひとり。思わず目を閉じて天を仰いで息を吐いて、世間話の代わりにすこしばかりの願望を洩らす。


「トナリあいつ止めてくれねえ?」

「トナリだってマジで止めたいよ」


 うんざりしたようなトナリの声色。影崕さんを抜いて、影崕派内では最も力のある彼女でさえあの気色の悪い足音の主を少なからず憎たらしく思っていてなお、()は物理的な結果的に手出し不可の域にいる。()()()()()()()()

 仕方ねえな。

 上半身を起こすと途端に体中が悲鳴を上げるが、そんなこと、今はどうだっていい。アレの相手をトナリに任せたくはなかった。断じて自慢ではないのだがクズの相手なら俺は慣れているし、反対に理想主義のトナリはクズの相手がどうしようもないほど下手だ。キレたり悲しむと殺すしか目にないところは俺にもあるが、トナリは考えずに直感で行動するので俺の上位互換版だと言っていい。そして()はまず死なないしまず好戦的なので、トナリの直感ではじまった戦いが盛り上がり、建物を壊したりするとなれば、もう事態は悪夢の域だ。せっかくシグマの〝全有壺〟の一件から引っ越しをしたというのに、また引っ越すとか冗談じゃない。


「下がってろ、トナリ。」

「お姉ちゃんが下がるワケないでしょ。」

「うるせえな、いいから下がってろって。」

「フンッ」


 殴られる。


「いってえな!」

「ばか人は下がってるんだ。わかったな?」

「ばかだからわかんないね。」

「フンッ」


 殴られる。


「いってえ!……あーもう、いい。疲れた。影崕さんの迷惑になるような真似はすんなよ。」

「話、わかるじゃないか。」


 満足げに頷くトナリを横目にベッドへ横たわる。


 ――影崕派には面倒な人間が何人か在籍している。ここで認識する面倒な人間というのは様々な視点における、面倒だ。性格面での問題、体格面での問題、願望的な問題。それでも影崕さんは全員を受け入れているし、全員が暮らしやすいよう常々気にかけ行動に移す。そんな節を知る全員が影崕さんを尊敬しているほどだ。

 だがそんな影崕さんでも扱いに、時たま、困る相手が影崕派にはひとりいる。


 医務室のドアがぶち開けられると、レザージャケットを着た、190センチを超える高身長の男がずかずかと遠慮を知らない様子で乗り込んでくる。癖のある黒髪に浅黒い肌、左右で色の異なる黒と赤の瞳。ニヤついた顔。

 何ら変わりのない、いつものロー・シンクレアの様子だ。


「よお、死んでないとか災難だったなァ?」


 愉快そうにローはベッドへ近付いて来たが、トナリがぐっと彼の前で立ちはだかった。チビのトナリとノッポのローでは、何だか一見すると子供と大人のようにも見える。おーおー、頑張ってくれている。温もり深いね。つい泣いてしまいそうだ。


「イオタはいま死ぬほど疲れてるんだ。今日はどっかに行ってくれないか?」

「お前に話してないんだよ。ごめんねえ?」


 ローはそのまま片手でトナリの頭を掴むと、無遠慮に横へ押しやった。ああ、かわいそうに。あのトナリが笑顔を引き攣らせ、苛立ちで青筋を立てている。殺したくて仕方ないだろうに死なない奴が相手では趣がないどころか苛立ちが増すというものだ。

 俺が心底トナリに同情していると、ひどく礼儀も知らない様子でローはベッドの上に座り込んだ。彼は愉快だと言わんばかりに細められた目で俺を見やると、言った。


「死ななくて残念だったなぁ、イオタ。」


 しょうもな。それはもう聞いたんだわ。と、思ったが。この男を相手にお喋りなんて疲労しきっている今に限ってはお断りさせてもらおう。普段なら言葉で殺してやる気持ちを持てるものを、今日は、というか今は持てなかった。シグマの一件で心が冴えているし普段よりは良い気分だからだ。今日はトナリに下がっていろと言われたし、素直に甘えるのも――、


「シグマ、まだ生きてるんだってよ」

「クソ!!!っったれがぁ!!!!」



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