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・7-ア・ロンリー・ナイト

A lonely night



 本当に。嫌になるほど濃密な瘴気だ、俺に耐性がなければ本気で危うかったな。零型シンとして扱われた理由はこの馬鹿みたいな瘴気の強さだろう。ゼノであれば、瘴気は通常どれだけ強力でもぶっ倒れて肺を焼き尽くすのが限界だ。ここまで害を成すタイプは恐らくこの零型くらいなものだ。

 シンによる攻撃の軌道予測をしつつ、地脈が崩れぐらつく道を走る。殆ど身を投げ出すように結界から抜け出す。零型シンが解放されて溢れ出した瘴気によって空は暗闇に染まりつつあった。立ち上がって服についた泥を払う。擦る。……ああ、落ちない。


「くそ、汚れがついちまった……」

「へえ。綺麗好きですね。」


 聞き覚えのある声に顔を上げる。瘴気が届いていない辺りに見える、にっこりと笑う人形じみた顔の血色はお世辞にも良いとは言えないが、個人的にはもう少し死にかけているかと思った。わりと元気そうで残念だ。


「ま、何でもいいけど、何でお前がいんの?」

「アラートがなったときたまたま本部にいてね、急に転移術式に押し込まれたんです。何かと思ったら、なんだ!きみか!何をやってるんですか、今回は。」

「泥を払ってる。」


 零型シンが今にも俺を追って来ているだろうし、はやいところここから逃げ出さねばならない。アレの相手をするのは俺ではなくゼノでなければならない。しかし、認めるのはたいへん癪だが、いま目の前にいるこの女は大きな問題だ。異質体の毒はもう抜けてしまったのが残念だ、もう少しあの毒が粘ってくれていたらシグマはこの場にいなかったろうに。だからといってただぼんやり立ち尽くしているわけにはいかないのも事実問題。

 スマホを取り出し、千鶴に準備できたと一言連絡して、ゆっくり歩き出す。シグマの首が横に傾げた。その目はまるで虚無で、生を知らぬ死人のようだ。俺は彼女ほど空虚に力を奮う人間を知らなかった。


「行かせてくれない?」


 ダメもとで尋ねてみる。すると彼女は笑顔を深め、ぱちぱちと瞬きをした。死人と生者の違いも知らないような奴であれば一瞬で恋にだって落ちてしまいそうな純粋無垢な仕草だった。


「逃げたいくらいのことをしたんですか?」

「べつに?ここにいたやつを起こした程度だよ。」

「どうして起こしたんです?」

「起こしたかったから。」


 意味のない会話をする。俺に話す気がないと知ると彼女はふう、と息を吐いて目を伏せた。その息には疲れはおろか呆れすらもない。ただそうであるようにとインプットされているから仕方なくそうしたと言わんばかりのハリボテ。

 闘争の意志すら滲ませずにジャケットから黒鍵を取り出すその顔にはそうであるようにと作られた笑みが浮かんでいる。長い前髪の隙間から見えるパチリと開いた薄茶色の目が穏やかに細められた。そのすべてが精巧に作られた偽物のようだった。


「他になにか企んでいることがありますね。」

「仮になにかあるとして、お前たちにはどうすることもできないだろうけど?」


 如何にも何もないといった顔を取り繕う。といっても他に目的があるとバレたとしても、その本来の目的が「滅罪」であると知られる由は決してないので、これが嘘だと思われても構わなかった。

 シグマはにこやかに口を開いた。


「やる前から決めつけるのは良くないですよ。」

「だりぃんだよ、そういう綺麗事。」

「でも好きでしょう、そういうきれいごと。」

「はい死ね。〝私はわかってますよ〟ムーブとかキモすぎて殺意湧くんだけど。てか死ねよ。」

「あれ、きれいごとが好きだってことは否定しないんですね。」

「じゃあいま否定――俺の時間奪ってんの?それとも俺が零型シンとホコタテしてるところが観たいとか?」


 気付いて尋ねれば、無言の返事が返ってくる。それは痛いまでの肯定だった。狡猾で強かな性悪。こいつのこういうキショく悪いまで相手の隙に入り込むところが本当に憎たらしい。

 シグマはシステムじみた動きで首を傾げた。


「いいよ、きみ。行っていい。きみを追うのは私の仕事じゃないんだ。」


 もうサイアクだな。思わずため息が出る。封印を解いた人間の相手をするのが管轄外だというのなら、シグマの担当として割り振られたのは零型シンの再封印だ。シグマというクソサイコが取り掛かる以上、再封印に時間はかからないだろう。邪魔をしようにもシグマ相手に時間を割けば、それがここに来た意味の主体へと変わるし俺も血が上って零型シンを巻き添えにしてしまう可能性がある。そうなるくらいなら、シグマの好きにさせておくのが一番無難な案だ。

 他のあらゆる選択を封鎖されて、たったひとつの選択しか選べなくなる。こいつと絡むといつもこうだ。


「へえ、そりゃあ有難い。」


 口先だけの言葉を適当に放つ。シグマの空虚な目はいま、俺ではなく俺の背後に位置する廃駅の入り口に向けられている。きゅっと眉毛が八の字に寄せられる。口元に笑みさえ浮かんでいなければ、それこそ絵に描いたような困った顔だったろう。


「それにしても困ったね、とても問題児って感じがする。」

「ああ、努力した。じゃあな」


 走り出そうとして、森の奥から輝くものが見えた。慌てて転がりそれを避けるとすぐにけたたましい音が響き、土煙が辺りを包んだ。先程自分がいた場所に視線を移すと大きなクレーターができあがっていたのが見える。

 土煙のせいで全身が汚れたじゃねえか。どうしてくれんだよ、と苛立ちながら顔を上げるとシグマと目が合う。彼女は厭味ったらしいほど穏やかに笑みを深めた。


「私は、追いませんからね。」


 意味深に強調される言葉。ああ、そういえばこいつ、基本的に気まぐれか、余程追い詰められた状況とかでもない限り一個だけの目的では動かない根っからのクズだったんだ。

 さっきの無駄な会話は情報を聞き出そうという魂胆だけに留まらず、俺から時間を奪って俺が零型シンとかち合えばヨシ、他のゼノが来るまでの時間稼ぎにもなればヨシの三ヨシだったのだ。これがもし、そのうちのどれかひとつだけの理由であったのなら彼女は俺を相手にしていなかっただろう。ほんとうに性格悪いな。


 だが、こっちは些細で性格の悪い三ヨシで崩れるようなヤワな計画を持ってきたワケではないのだ。俺だけの目的ならば「ASX本部の錯乱」で終わる話だが、俺と千鶴の錯乱によってASX本部が普段より幾分か手薄になったところをトナリが付け込み、「滅罪」を奪取するというのが今回の全体図だ。

 仮にシグマの悪巧み三ヨシのみっつが成功したとしても、こちらの計画が狂うことはまずない。番狂わせとなるとしたらこの場で今、シグマがたったひとりで俺の相手をすることくらいで、その他大勢の相手が他のゼノだっていうのなら至って計画通り、有難いまでに構わない俄雨(にわかあめ)のようなものだ。

 それはそれとしてシグマの態度は癪に障ったので羽撃く鳥を呼び寄せ、シグマを襲うように仕向けてから森へと走り出す。


 ――先程俺を攻撃したのは遠距離型のゼノだろう。どこにいるのか推測もできない以上下手に動くのは適切ではないだろうが、今はそんなことよりこの場を掻き荒らすのが大事だ。出血大サービスでもしてやろうじゃねえの。

 ベルトの刃で手の平を切る。


SET(術式構築) - GUNSBIRD(羽撃く鳥) - EYES(血眼)


 赤い血が鳥に変形し、ばっと空へと飛んでいくのを見届けながら止血用の布で手の平を巻く。ゼノの位置を探り見つけ出すまでは自力で攻撃を回避するしかないが、見つけ出せた後はこっちのものだ。それに幸いここは森で見通しが悪く、遠距離型からしてみれば相性は良いと言えないだろう。うん、遠距離型ゼノの存在については余裕で躱せる。

 他に何か掻き回せる要素は――そうだな。ばらまいておいた爆弾を起動させるとかだろうか?或いは捕えていたシンの檻を開けるか。どちらにしよう。


 お、来る。


 警戒していた遠距離型の攻撃をすぐに避ける。土煙が舞う。巻き添えを喰らった木々が倒れる。目を向けたそこにはやはり先程と同じようなクレーターができあがっていた。

 無防備状態なら一発でも喰えば確実に木っ端微塵になるな。死体すら残らなそうだ。まあ当たらなければいいだけの話で、そう難しくはない。痛むだろうが魔力で固めれば受け止められるし、それに今の一撃で読み方を予測できた。魔力を銃弾として変化させているらしく、その際わかりやすく大気中の魔力に波紋が広がっていた。

 つまり、大気に浮かぶ魔力の動きに注意すればいいパターン読みゲームみたいなものだ、簡単に予測ができる。威力に反してわりと退屈な仕組みをしている。


 再び走る。羽撃く鳥が空から見た情報が脳に伝わる。ゼノがシグマの他に1、2、3、……28人かな。遠距離型は何人か確認できたが、先程から俺を狙っている本命の遠距離型はどうやら羽撃く鳥の射程範囲内にいないらしい。それから、ゼノ見習いの学生が4人。そのうちひとりは異質体を抱えている。十中八九、以前お世話になったやつだろう。


 それにしても本部から出張ってくれるゼノ隊員が全然足りないんじゃないか?仕事してくれよ。あまり釣れなかったのは大方ASX側が慢心でもしているのだろう。しかし千鶴の方も成功すればいくらASXでも人数を出してくるはずだ。そこそこの打撃を与えられたらあとはトナリが何とかしてくれるかな、と思っているとタイミングよく千鶴から連絡がきた。ちらりとスマホの画面を見ると通知のポップアップに「完了」と簡潔な言葉だけが表示されていた。さすが星狂いだ、仕事ができるうえに早い。


 大気中の魔力が揺れる。追撃だ。脚に力を込めて飛び込むように銃弾を避ける。土煙と轟音が辺りを包み、それを隠れ蓑にしていると言わんばかりに大気中の魔力が再度揺れているとかろうじて気付く。


 間隔時間が短くなっている。なるほど、連射することによって土煙が魔力の渦による揺れの目視を防ぐのに一役買っているわけだ。ただのパターン読みゲームではないようだ。だが魔力感知事態は警戒していれば――、お、二発同時。そりゃあ28人もいるんだ、一発一発で済んでいいわけがない。この感じだとそのうち二十八発分の弾丸が降り注いでくるだろう。


「ッ、しょ……っと」


 二発を潜り抜けるが、銃弾の引力と風圧で体勢が少し崩れる。魔力で体を固めていなかった以上、無理に体を捻りでもしなければ今のは腕がもがれていただろう。万が一があっては困るので急遽魔力で体を固める。

 二発分の轟音と土煙から察するに、本命の遠距離型以外にも狙われ始めたのだろう。とはいえ今ので受け止める余裕はもちろん、避ける警戒だってできた。ここへ来たゼノ隊員分の銃弾の雨がそのうち降り注いでくるだろうが何発来たとしても問題ない。そういうのはむしろ相性がいいくらいだ。

 手の平に巻いた布を解く。そこそこ深く切った傷はまだ乾いていない。この分なら再度切る必要はなさそうだな。

 手を水平にして血を垂らし、赤いそれに魔力を込める。


SET(術式構築) - TYPE:6(魔抱く長剣)


 血が形を持つ。遠距離型とは異なるゼノが近付いてきたのをいなす為の武器であれば、基本的に剣が一番効率的だ。ばらまいておいた爆弾は後に取っておくとして、シンを閉じ込めていた檻は今解放しよう。スマホを操作して檻に閉じ込めていたシンを放つ。ある程度のゼノはこれで濾過されるだろう。

 ば、と目の前に銀髪の女が現れる。見た姿だ。憎々しくも美しく異形の血を色濃く継ぐ生きる伝説、道楽霧切。シンの歪さを女の器に押し込めているような奴だ、嫌いな要素しかない。だが幸運なことにこちら側の魔術(タイプ・シリーズ)との相性は忌憚なく良いものだと俺は知っていた。生ける伝説を相手にする以上、油断はおろか慢心もないが負けるようなことはないだろう。


「よっす、カイの弟君」

「う、ぐぇ~、キショい呼び方すんなよな、悪趣味すぎて死ぬかと思ったわ。」

「ここで死ぬか、捕まるか、どっちか好きな方を選ばさせてやるよ!」


 クサいこと言われてまったくたまらないな。それでどっちかを選ぶ人間なんていたことあるのかよ。



 ※



 先を行く同級生達を追いかける。

 不安しかない中で、自分の選択が正しいとちっとも思えない中での行動は、控えめに言ってとても気分が悪かった。だけど彼らを見捨てるなんてしたら、それこそ胸糞ものだ。その確固たる事実だけがいま僕の背中を押してくれていた。決して正しい選択ではない、けど間違っている選択でもない。こんなことになるとは夢にも思っていなかったな。


「来なくてもよかったんだぜ新人!」


 バンダナ少年の目輪君が走り抜けながらそう言った。いや、よくもまあぬけぬけと。あの場で彼らに同行しないような人間だと思われているのであれば、そのイメージを是非とも払拭したい限りだ。同調圧力に押し負けるやつと思われたほうがずっとましだ。

 ふと禍々しいパワー、――改め、魔力が肌を突き刺す。

 先日獣と同化しかけて以来、鋭くなった直感がこの場は「まずい」と判断したのか鳥肌がぐっと立つ。獣も僕を呼び警戒しろと囁きかける。ちょっとした機器察知能力を得たみたいで便利だな。同級生たちを呼び止めようと声を上げる。


「待って皆、ちょっと警戒してほしいんだけど、」


 僕の声を聞いてくれたらしく同級生たちは皆一同に足を止めて、辺りを見渡した。話の聞かない奴らだと思っていたけど意外と聞いてくれる余地はあったみたいだ。これで話を聞かないようだったら肉体言語に出る必要があったので助かった。と僕が考えていると足立さんがずっと担いでいたバッグから大きな斧をふたつ取り出した。結構物騒なものを持ち歩いていたらしい。

 ……職質とかされたら一発でおしまいになりそうだな。


「むう。確かに新人の言う通りだ、いやな気配がする。」

「いやいや、なんか来ても大丈夫でしょ。この瘴気の感じからしてそう強くは――ッしゃがめ!」

「え、うわっ!」


 急激に膨れ上がった禍々しい魔力の強さと目輪君の叫びに驚いて反応が遅れた僕を足立さんが庇うように押し倒してくれる。ぐっと地面に当たる背中が痛い。風が横切る音、けたたましく何かがそこで着弾した音、舞う土煙――そして、吐き気を催す悪臭。

 そんな非日常を感じて僕は呆けてしまいそうになる意識を何とか取り繕う。見捨てないって選択をしたのは僕だ。邪魔になっては元も子もないのに。自己嫌悪を押し殺して、僕は斧を即座に手放した足立さんの肩を掴んで起こす。


「足立さん大丈夫!?」

「当たり前だ!ほら行くぞ!」


 立ち上がった足立さんに体を引っ張られ、無理矢理立ち起こされる。突然の出来事に頭が真っ白になっていた僕だが、途爪さんと目輪君に目も向けず走り出す彼女に手を引っ張られながら慌ててその場から逃げ出すことになってしまって、今の状況はおかしいと強く確信した。

 走りながら声を出す。


「あ、あれの相手っ、しないんですかっ?」

「あたしとおまえはアレの相手するには弱すぎる!トヅメと目輪に任せていい!」

「でも!」

「死にたかないだろ、新人!」

「死ぬかどうかなんてわからなくないですか?」

「バカ!とりあえず黙って先輩の言うこと聞け!」


 足立さんが僕の安否を気にしているのはわかっている。彼女の言葉がこの場においての正論であることも、嫌というほど理解できている。でも途爪さんと目輪君を置いて行ける訳がない。だって今二人に化け物(シン)を放って行けるなら、そもそも彼らについていこうなんて考えうまれていない。死ぬ覚悟ならもうとっくの前にしていた――というか、僕は今までずっと生の感覚がないまま生きてきたのだ。

 ただそれだけが、自分の犯した罪に対する罰になりえると信じている。罪を贖い、生きているという感覚をもう一度手に入れられるまで生きていたい。だが、死ぬとしても僕が感じている通りに、真に生きていない状態になるだけの話だ。自ら望んで死なないのであれば、それだけで十二分だ。

 だから、僕は僕のやりたいようにやる。


「すみません!足立さん!先に逃げていてください!」

「はあああああ!?」


 足立さんの手を払い、僕は木刀袋から刀を出しながら来た道を全力で走る。脳裏で獣が嬉しそうに「やっぱり先生は先生だね」と呟いていたが、僕は先生ではないのでちっとも腑に落ちないし嬉しくなかった。ていうか、それどういう意味だよ。


 モヤっとしながら先ほどいた場所に戻ると、ぶっ飛ばされて来たのだろう途爪さんが僕の頭上を遮った。木にぶつかった彼女は意識を飛ばしているようで唸っている。慌てて寄ろうとすれば獣が「そっちじゃなくてバンダナの方を気にしたほうがいいよ、先生」と言ってきて、僕は途爪さんを置いて行く罪悪感に苛まれながら目輪君の目立つ水色の髪を探す。


 見つけた目輪君は足から血を流し、悪臭漂う化け物(シン)に首を絞められ今にも窒息しかけていて、なりふり構っていられなくなった僕は意を決して刀を抜刀し鞘をそこら辺に投げ捨て、スライディングしながら下から切りつける。腕がつられてもげそうになるのを、獣が彼女の魔力で支えてくれるのを感じた。

 化け物(シン)の叫び声が耳を劈く。すんでのところで目を閉じたから目に入ることはなかったものの、そいつの頭から血を浴びてしまって、鼻がもがれる悪臭の血でびしょびしょになってしまった感覚はひどく気持ちが悪かった。


「げほっ、ごほ、新人!?お前何して……!?」


 目輪君の驚きの声が聞こえる。その言葉が何だかおかしくて、僕は思わず笑ってしまう。


「何してるって……僕にできることです。」


 目元にまで降りかかった血を拭い、目を開ける。

 肌のない肉の化け物(シン)は骨ばった(一見して大体)三メートル越えの巨躯を折り曲げて血が溢れる腕を抑え、四足歩行の捕捉者のようにその3つ目で僕を見つめていた。

 ぎょろぎょろとした3つ目のうち2つの眼球が、どろり、と零れ落ちる。それを合図にしたのか、そいつは大きく口を開けて血の息を吐き出し僕を威嚇し、俊敏に動き出した。化け物(シン)の鋭い爪を避ける拍子に勢いよく踏み込み切りつけると、そいつは呻き声をあげ距離を取り始める。


 僕が切りつけた筈の肉が見る見るうちに再生していくのが見えて、そのおぞましさに脳が痺れそうになる。目輪君は瘴気の感じからしてそう強くはないと断定していたが、このおぞましい生物がそう強くない認定されるのはどうも納得ができない。


「新人!そいつの目ン玉動くしブツけられたらクソいてぇから気をつけろ!」


 目輪君の声に僕はハッとして先ほど地面に零れ落ちていた眼球に目をやろうとしたが、どこにも見当たらなくていやな汗が流れる。動いて攻撃する目玉が消えたとか、シャレにならないぞ。


「どこ行ったか見たか?」

「お前が来た方に行ってた!」


 僕が来た方――狙いは途爪さんか?僕は少し悪手だと理解していたがこの場に置いて行くよりはましだと足を負傷している目輪君を担ぎ上げ、途爪さんのところまで走っていくことにした。化け物(シン)も僕を追わんと走り出そうとしたのが視界の隅で見えたが、目輪君が何かを投げると痺れたかのように化け物(シン)が震え出す。


「スタンかけておいた!けどあと二分は同じ手使えないしそんなスタン時間は長くないから油断しないでくれよ!」

「十分だ!」


 全力で走って途爪さんの元へ向かう。途爪さんの目前で2つの目玉はぐぐっとバスケットボールほどの大きさに膨れ上がり、それぞれ先ほどの化け物(シン)へ変態しようとしているのが目に見えた。

 一体でも苦戦するようなやつが二体も増えるのか?と戦慄し、慌てて僕は刀を目玉目掛けて投げる。ちょっとでも当たって途爪さんから気を逸らしてくれれば儲けものだと考えて投げた刀だったが見事に刃の部分が突き刺さり当たり、血が飛び散った。


「クリーンヒット!?マジかよ!お前野球選手目指せるぜ!?」

「ボールは怖いからいやだ!」

「いやおれが言ってるのはピッチャーでバッターじゃねえ!」


 興奮冷めやらぬ目輪君を近くの木の根元に下ろして、急いで刀を取り戻しに行く。刀がクリーンヒットし突き刺さっている目玉はぴくぴくと動いていて生理的嫌悪感を煽っており非常に近寄りがたいが、刀を返してもらいたいので僕は躊躇せず刀を引き抜くために目玉を踏ん付けた。刀を抜くと血が飛び出る。そういうおもちゃみたいだった。

 もう一方の目玉は殆ど変態を終え先ほどの化け物(シン)のような剝き出しの肉の巨躯、四足歩行の面影を表し、今にも僕を襲ってきそうでビビらずにはいられない。早いところ途爪さんを回収したいところだ。刀を片手に途爪さんを担ぎ、目輪君の隣に寝かしてスマホを出してロックを解除する。


「目輪君、これ僕のスマホ。教官に連絡して。たぶん足立さんがやってくれてるだろうけど、一応頼む。」


 スマホを渡す。足立さんが既に連絡しているだろうが念押しだ。今の状況は道楽教官にいち早く来てもらわないと困るのだ。目輪君は静かに頷いて、それから怪訝な顔をして僕を見た。


「おい新人、これからどうするつもりだ?」

「どうって、そりゃあ努力するつもりだよ。他にどうしようもないだろ」

「お前、本当に異質体にとりつかれてるんだな。」

「……二度と言うなよ。」

「お、おお?」


 至って当然のことを口にしたまでなのに、アレと同類と言われているようで正直気分が悪い。しかし僕の言葉を聞いて何を勘違いしたのか獣は「そうだよね!わたしがとりついているんじゃなくて、相思相愛だから一緒にいるんだもんね!」と色めきたった。

 まったく、おぞましいことを言う。相思相愛だと言うなら乗っ取ろうとするべきではないし、ましてや文字通り食い貪るなよ。

 僕が続けて何も言わないのを少し偏った見方をしたらしく、「先生は照れ屋さんだね……」と嬉しそうな声が聞こえた。この獣、妄想癖が激しい。


 唸り声が聞こえる。目前にいる元眼球の、1つ目の化け物(シン)が動き出した。奥から先程のもう一体もやってくる。二体同時に相手はさすがにきつい気がする。何気にいま大ピンチかもしれない。自己再生する巨体の化け物が二体。でもそんなことはどうしようもないか、ただやるべきことをやるだけだよな。

 息を整えて刀を構える。


 襲い掛かる鋭い爪の斬撃。足を狙ったそれを避け化け物(シン)の側面を切りつけ走る。奥の一体が飛び掛かるのをスライディングで避けるついでに、化け物(シン)の腹を切りつけた。血を浴びる動きだと先程学習したので今度は顔を逸らしておく。だが結局顔の側面が血で濡れてしまったので起き上がるのと同時にそれを拭う。化け物(シン)たちは二体して先程僕が切りつけた個所を自己再生しようと動きを止めていた。


 自己再生しているときは動いていないのはなぜだろう。動けないのか、或いは罠か。

 動けないのであればそれは化け物(シン)共の弱点だし、罠であるなら尚更厄介な生物だと判断できるだろう。知る必要はあったが僕に渡されている武器は今この手にある刀だけだし化け物(シン)たちは先程の状況と異なってふつうに動いている以上、先程のように刀を投げるのは得策とは思えないというか――たぶん今考えられる限り一番やってはいけない手だ。


 自己再生を終え再度襲い掛かる化け物(シン)たちをいなしながら、何か手はないかと声を張り上げる。


「目輪君!僕が合図したら遠距離攻撃みたいなことってできる!?」

「遠距離とか本業じゃないんで強くないぜ?!」

「当たればいい!」

「んなら任せろ!」


 よし、これで自己再生中が弱点なのか罠なのか判別できる。あとは僕がまた頑張れば……。「わたしも手伝うよ、先生」と獣の声が聞こえた。甘い誘惑。しかし僕は心を鬼にしてその誘いを断ることにした。


「いや、お前はお前でやってる。それで十分だ。」


 僕が普通の人間であるという事実は僕が一番理解している。この跳ね上がった反射神経や動体視力は獣の支えによるものだ。それにさっきからずっと、刀を振るい突き刺す度に引き攣りそうな腕を支えてくれていたのは他ならぬ獣だと僕は既に理解している。「でももっと手伝えるよ」獣は小さな声で言う。

 化け物(シン)の攻撃を避ける。風を切る音が聞こえた。


「ありがたいけど、これ以上手伝わせる気はないかな」


 僕は今のうちに、こういう荒事に慣れて獣と対峙する日に備えなくてはいけないのだ。死んだら元も子もないけど。その矛盾がどうにもおかしかった。


 避けきれなかった化け物(シン)の爪が腕の肉を抉る。苦痛で声が洩れる、汗がどっと滲み出す。獣が心配そうな声で僕を呼ぶと、手袋が熱を持ち出す。あまりいい流れじゃないな、と奥歯を噛み締めて化け物(シン)に反撃をしかける。避けられないよう一気に切りつけると化け物(シン)は呻き声と共に下がって自己再生を始め、もう一体の化け物(シン)が近付いて来た。ここぞとばかりに刀を振うと化け物(シン)の悲鳴が響く。

 チャンスは今だ、ここを逃すわけにはいかない。


「目輪!」


 合図を出すと目輪君が手のひらを化け物(シン)に向けた。


「術展、弾!」


 自己再生中の化け物(シン)に目輪君の一撃が当たる。化け物(シン)はのたうち回り、自己再生しきれなかった箇所から更に血を出したのが見えた。

 ――自己再生中は弱点だ。僕は全力で走って追撃を加える。暴れ出した化け物(シン)の振り翳す爪がスローモーションにすら見えて、僕はただ無我夢中で刀を振るった。


 目の前の化け物(シン)を殺すこの機を逃すわけにはいかなかったが、「先生、後ろ!」と叫ぶ獣の焦った声に僕はハッとした。もう一体がいたことを完全に失念してしまっていて、もしや目輪君たちの方へ向かったのか?と振り向けば、まさに今もう一体の化け物(シン)が僕に襲い掛かろうと腕を振り上げていて。

 あ、間に合わない。



 ※



 魔力で体を固めながら、降り落ちる弾丸を避けていく。予想通り、弾丸はちょっとしたにわか雨くらいの量になりつつあるせいで、土煙で幾分か視界を削がれ死角が生まれている。大した質もない弾丸に当たったところで問題はないだろうが、せっかくだ。ノーミスでいけたらカッコいい……道楽に手を抜かれている以上、こっちとしても何らかのモチベーションを上げることが必要だった。


 ――心臓へ向けた一手は予測通り道楽の左胸を貫いた。魔力を吸い取りあらゆる防壁術式を無効化する血抱く剣は、しっかりとその効能を発揮し回復魔術に宛がわれる魔力すらも吸い取っていたはずだ。しかし彼女の心臓は再生した。()()()()()()()()()、だ。

 つまり彼女はその気になれば負傷を気にすることなく、俺に対して特攻を仕掛けていける。不死の勢いに負ければ俺なんてちゃちなハリボテもいいところだ。道楽の体に自己再生の機能がそもそもとして備わってあるのであれば、特攻を仕掛けない理由はひとつだ。こちらがうんざりするほど、()()()()()()()のだ。影崕派内に彼女のような完全に魔術・魔力なしの不死がいるが、不死特攻型のそいつが今の道楽の戦いを見たら悔しさで咽び泣くことだろう。


 数メートル範囲内で連続して行われる転移移動は弾丸と同じように魔力の波がうまれるので見切ることは容易いが……ああ、どうにも。剣が、手を抜く彼女の肉を抉る度に再生する肉体を見るのはどうにも気分が悪い。モチベーションっていう域を塗り越えて、純粋に気分が悪い。伝説なんてクサい評判のある道楽をこちらの尺度で勝手に弱者と評価するなんておかしな話だが、今のままでは文字通り弱者を相手にしているかのような気分だった。そして俺に弱者を痛めつけるような趣味はない。


 肉を抉るためではなく、剣を弾丸の軌道を逸らすために使う。道楽の目が愉快気に細くなる。彼女がなにか余計な茶々を入れるより前に口を開く。


「手、抜いているのはわかるよ。理由は何にしろ、ありがたいと思う。」

「ふぅん?」


 えらくやる気が削がれるし、ひどく癪に障るという主観はさておき。馬鹿にしているにせよ、理由があるにせよ、ほんとうにありがたいと思える。生かしておきたいと思われているんだ、光栄と準える他ないだろう。


「――でも俺はお前みたいな、手を抜くようなやつが一番嫌いなんだよ。」


 あまりやりたくなかったが、殺すことにする。

 人を殺すのは好きじゃない。大抵の場合仕方なく殺している。過程で勝手に野垂れ死なれるのも好きじゃないし、人殺しは最終手段としての手札にしている以上己の負けを認めるようで腹立たしいが、旅の恥は掻き捨てだ。この際なりふり構っている場合ではないと理解するのも生きる上で大切なことなのだ。如何せん、こっちは手抜きに苛立って仕方ない。


 魔力回路を走らせる。まずはこの鬱陶しい銃弾を放ってくる奴らから始末しよう。ASXの学生みたいな奴らも情報として見かけたが、今頃奴らの近くに配置しておいた腐肉のシンに襲われているはずなので放っておいて構わないはずだ。今気にかけるべきゼノの目星は既についている。


ORDER(術式命令) - GUNSBIRD(羽撃く鳥) - SHOOT(撃ち落とせ)


 すると、すぐに打って変わって落ち着いた表情で道楽は俺を見つめた。まるで値踏みするかのような目付きだ。その目を俺は知っている。その目の持つ意味を、俺は知っている。芯に染み付いて離れない、息が詰まるような視線。化け物の目だ。

 命がざわつく。魂が殺せと叫ぶ。心が滾っていく。


「……それで。イオタ、今ので何人殺した?」

「必要なだけだよ。」


 まあ、たまには殺してしまえと叫ぶ魂の言う通りになるのも悪くはないだろう、最近は堪え過ぎていたくらいだし、今までよく我慢した方だ。エンジンがついて熱を持つ魔力回路も準備万端だ。さて。自己再生が効かないほど殺してやろうじゃないか。


 ――激しいギターとドラムの音、デスボの歌声が響く。トナリのお気に入りバンド、スリップノットの「アンセインテッド」だ。無難だな、と思考が気を取られる。道楽がぱっと手のひらをこちらに向けてきて、この定番曲が彼女のものだと理解に至る。


「あ、ちょっとタンマね。あーもしもしどーした?ボクお仕事中なんだけど。……、あー。そう?それは仕方ないねえ。じゃあそっち迎え行くからあとちょっと耐えられそう?うん、できる?いい子だねー!」


 赤ちゃんと会話しているのか?と疑問を持たざるを得ないほどの猫なで声で道楽が電話しているところに血の匂いを纏う羽撃く鳥が俺の元へ戻って来た。


 遠距離型のゼノの方は解決したようだ。これでもうあの銃弾の雨はやってこないだろう。使った血は戻せないので羽撃く鳥を腕に休ませながら、血上った頭を落ち着かせようと頭を別のベクトルに動かす。


 別の場所で千鶴が俺と同様に零型シンの封印を解いたので、トナリは今アーティファクト「滅罪」を奪いに行っている頃合いだろう。「滅罪」が手に入れば遅くても年末にはシンの完全消滅に向けて動ける。千鶴や俺はその未来を勝ち取るためにトナリが動きやすくなるよう全力を尽くすし、零型ゼノくらい何人であろうと相手にするつもりだ。たかが伝説だ、殺せない相手じゃない。

 ていうか何だ?生ける伝説って。そんなくそ下らない名称付けられて恥ずかしくねえのかな。俺だったら恥ずかしくて前を向けて生きていけない。なんてことのないように生きている道楽の厚かましさのレベルは確かに伝説と評価するに値するのかもしれない。


 道楽はスマホを懐に仕舞うとにっこりと行儀よく笑った。


「見ての通りボクも用事ができた。オマエの動きから推測するにべつにここを真に狙っていたようにも見えないしボクはそんな人間を相手にするほど物好きじゃない、好きにしろよ。じゃあな」


 仮にもASXの重鎮がそんなんでいいのか?疑問には思ったものの、道楽は一瞬のうちに消えていたので今の俺にできることといえば、このまま影崕さんの元へ直帰するくらいだろう。足を進めようとしたその時、背後に気配を感じて振り返る。距離はあるが目が合うには事足りてしまって、俺はほぼ無意識のうちに顔を顰めた。

 零型シンをこの短時間で封印したのか。


「うわ、なんでいんの。」

「私を見たらそれ言うのやめられないかな」


 珍しくまともな反応だ。

 服が所々ほつれていたり、引き摺って歩いている右太腿が紫色に変色しているのが見える。彼女は珍しく疲弊しているようだった。……いや、それ自体は珍しくないか。珍しいのはそれを表に出しているという点だ。


 今なら殺れるな。生かしておく意味もない奴なので適当に殺しておくか。羽撃く鳥を行かせる。――だが疲弊し、ぼろ雑巾みたく草臥(くたび)れているシグマはどこからともなく取り出した例の黒い剣で俺の羽撃く鳥を切り伏せた。まったく、しぶとくて困る。しかしどうやら魔力不足が祟っていたのか、がふ、と小さな口から血を吹き出した。

 へえ。何節何章を使ったのかは知らないがここまで疲弊しているとなれば、本当にあの零型シン相手に無理したんだな、とつい笑いが洩れた俺を彼女はちらりと見ると微笑んだ。キショ。


「イオタ……困るんだよ今みたいなの。見逃してくれない?」

「やだけど。」

「そおですか。」


 今が絶好の機会なのだから見逃すわけない。人を殺すのは好きじゃない、それは本心だ。だが、なんて言うか、そう。この目の前の死にかけている奴に限っては別だ。こいつはちゃんと殺してやった方が世界のためになる。シグマ自身のためにもなる。そういうやつなのだ。ほら、燃えるタイプのゴミは燃やしておくのが一番だろう?そういう定めにあるし。

 ベルトについた刃で手のひらを切る。


SET(術式構築) - TYPE:4(魔穿つ血槍)

「マジか。趣味が悪いぞきみ。」

「なんとでも言ってくれ。なんにしてもお前ほどじゃないさ」

「きみがその気なら私だってそれ相応に対応するってわかってる?」

「そんなぼろ雑巾みたいな体で何言ってんの。」

「ぼろ雑巾なりに。しぶといよ、私は。」


 ……それは、正直一理ある。ASXの杜撰な情報や扱いのせいで、シグマが危機に陥っている場面は彼女を監視し続けたこの半年間で百度見たといっても過言ではない。無論、全有壺の能力によってコピペで見せられた記憶のなかの彼女も、同様に幾つもの死線を経験していた。その視線の度、シグマは生き残ってきた。

 いっそ気色悪いほど生に執着的だと言えよう。黙った俺を見て彼女は口を血で汚したまま、それを拭うこともなくにっと笑った。びりびりとした意思の強さに思わずぞくりとした。作り物ではない、命の灯火をこれでもかと燃やす人間の笑みだ。


「やるなら来いよ、イオタ。本気で()()()()()()。」


 おお。言うじゃん。いいね。決めた。殺す。今日、ここで。



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