・6-テイク・ミー・アウト
Take me out
つい先日、野地の部下による作戦は見ていられないくらい無様に失敗した。病院地下に封印されているシンの解放を目的とした作戦内容は笑えるくらい惨めだった。とはいえあの高慢ちきな野地が謝罪の文面を送ってきたので、この一件での失敗には俺も目を瞑った。
そもそも最初からうまくいくわけないと見ていたうえで好きにやらせたのは、野地のクソ高いプライドをズタズタにしたかったからで、言ってみれば野地の謝罪込みで全て俺の予想通りに動いていた。勿論任務が失敗しないに越したことはないが、非常に満足のいく結果となったのは事実だ。この一件の失敗でうまれる支障といったら、こちら側の動きがASXに伝わり警戒される程度で、それは支障らしい支障ですらない。
そしてべつに組み立てていたプランは俺が実地に向かい行うもので、たかだかASXの警戒によって阻まれるなんてまずありえない話だ。俺も純粋に戦えばトナリの次くらいには強い自負はある。
アーティファクト、「滅罪」の取得。
それを目的とし、ASXの注意を引くのにうってつけな封印されているシンは日本に5体いる。その内1体の封印を解くと、ASXはシンの後始末へかかりきりになり「滅罪」の警備は手薄になる。俺も可能な限り騒ぎに乗じて暴れる。星狂いの千鶴も俺と同様に封印指定を受けているシンの封印を解き、場を掻き回す。その間にトナリが動き「滅罪」をASXから盗み出す、筋書きはそんなところだ。
俺が実地に赴く以上、この過程に失敗するような節は見られない。例え万が一想定外の出来事が起こるとしても、幸運なことに俺とトナリ、星狂いは想定外の事態に対処できる力――つまるところ知識を十分に持ち合わせている。問題はないだろう。
「滅罪」取得に重要なプロセスとなる錯乱、その為にシンの解放は不可欠だ。元来極秘主義のASXが何よりも極秘とする封印指定、零型シンの居場所は既にマークしてある。
具体的にいうと、目の前の廃駅がそうだ。まったくセキュリティが甘い奴らだ。人っ気はゼノ以外にまったく無い。こんな辺鄙な場所に派遣されて可哀想に。心から哀れだと思った。
シンによる残穢の量は夥しく瘴気が辺り一帯に漂っており、ふつうの人間であれば息を吸うだけで寿命が消費される状態にあるようだった。前回の病院に封印されていたシンが例外なだけで、一般的に零型シンの瘴気量は有害という他ないが、それにしてもここのシンの瘴気量は異常だ。その為か、覗える警備たちは皆ガスマスクのようなものをつけていた。普通のガスマスクでは零型の瘴気は防げないので、瘴気を防ぐのが目的ならあのガスマスクは十中八九魔具の類だろう。
笑いが堪えられなくなる。たったひとつの魔具に命を懸けるとか、無防備がすぎる。
「あはは、いや。なんか悪いなぁ」
無防備な弱者相手に力を振り翳すようで、あまり気分は良くない。とはいえこちらからすれば、そういった無防備さのおかげでかなり楽になるのは事実だ。魔具の術式回路をバグらせることができたら、一々ゼノの相手にしなくて済むし面倒事を避けられる。瘴気程度であれば俺は何の問題もなく推し進められるし、こちらが丁度よく錯乱させられるような都合のいいアイテムを使ってくれていて有り難い限りだ。遠慮なく使わせて貰おう。
ガスマスクのバグで彼らは瘴気を吸って混乱し、その間を抜け、シンの解放に向けて尽力する。予定は当初のものと少し変わったが改善されたと思う。
長居する気は更々ない、とっとと終わらせてトナリに「滅罪」をちょこまかして貰おう。
望遠鏡代わりの視力強化用の術式を外す。頭が酷くぐらつくが、このくらいの代償は視力強化ではよくあることだろう。とにかく、あとは行動にうつすだけだ。
気配を消し走りながらASXの監視烏の視線を掻い潜って廃駅へと近付く。無理にバグを引き起こすのは寝ていてもできるくらいには簡単だ。ある程度廃駅に近付いてからベルトについている刃で手の平を小さく切る。手の平から滲み出た血が溢れ落ちる直前に魔力を込め、術式を練り上げていく。
「SET - GUNSBIRD」
声を出すことによって、赤い血が鳥へと形を変えていく。術式というのは基本、逼迫していない状況であれば声と共に術式を構築するのが望ましい。一番効力を発揮するからだ。というのも無声で術式構築するのは比較的近代に生み出された手法で、本来は言霊の力を借りて行うものだ。言霊あってこそ本領発揮する術式はとても多い。それが存在する言葉じゃなくても術者当人にとって意味のあるものなら構わないくらいなのだ、余程としか言い様がない。
「SEEDS」
仕上げに命令を下すと鳥は空へと飛んでいった。ガスマスクバグ作戦、開始。予定通りにいけば、ここからは休憩なしで明日までぶっ通しだ。血種があらゆるところに落とされたと確認してパチンと指を鳴らす。
「そらよっと」
鳥が落とした血に、あらゆる魔力が集約されていくのを感じる。少しして一人の叫び声が聞こえる。それに続くように叫び声が幾つも響き、下手な合唱のようだと思った。下手な合唱ではあるが、何よりもうまくいった証拠であるゼノ達の悲鳴に心が弾む。嫌な記憶を払拭する今が楽しくて仕方ない。ここには頭を悩ませる無能やクズもいない。劈くような悲鳴と、俺だけ。
「はは、うまくいってるうまくいってる」
かなり響いている悲鳴を無視して廃駅へ更に近付く。瘴気はかなり強かったらしく、ゼノ達は血をありとあらゆる穴から吹き出しながら、それでもこの場から逃げ出そうとしていた。瘴気は長く浴びれば浴び続ける程害を成すものだと知っているくせに、早いうちから逃げ出さないからこうなったんだ。さしずめ異常事態の確認なんかしていたのだろう。ごぽ、と血を吐き出す音がする。
うわ、グロ。なんか悪いなぁ。
「殺すつもりはなかったんだけどそうは問屋が……なんてやら。悪いね、お前たち。次の人生じゃマトモに生きろよ」
ああ、瘴気に耐性があって良かった。さもなくば俺も仲良く彼らの仲間入りを果たしていたのだろう、歓迎はあまりされなそうだ。そう加味すると日頃から瘴気に触れておくのも大事かもしれない。部下たちにオススメでもしておこう。
今となっては隠れて行動する必要すらない血溜まりの道を堂々と歩く。まともに四肢を動かせるゼノはもうこの場にはいないが、ASXが使役する監視鳥で異常を確認したゼノ達が間もなく向かってくるだろう。
廃駅に入る前、分厚めの結界が入り口に見えて思わず笑う。あるとは想定していたが、こんな分厚い結界にバカ素直に触れたらただじゃ済まなそうだ。まあバカ素直に触るやつもいないだろうけど。
そこら辺に転がっているゼノの血を吸っていた羽撃く鳥を引き寄せ、俺の腕に留まったところで術式を組み換える。
「SET - TYPE:4」
鳥は槍へと身を変え、手に槍を握り締めた俺はすぐに助走をつけてから勢いよく結界へと槍を突き投げた。じりじりと火花を光らせ音を立てて2秒程で結界は砕け崩落し、崩落した結界の魔力の欠片は星屑さながらに辺りへ飛び散っていく。
分厚い割には大したことなかった結界だ。何だか拍子抜けだ、この程度なら型外の羽撃く鳥で事足りたかもしれない。
結界の残骸を踏み廃駅へと入ると一際濃い残穢と瘴気に包まれる。顔を上げて廃駅内と対面する。
「ふうん。ま、さすが。趣味悪いわ」
これはまた随分と禍々しく拡がっている内部結界だ。零型シンも伊達じゃないね。封印されているのに関わらずただの廃駅内が拡張されているのだ、引き出せばかなりの大惨事になるのは明白だった。これの後始末はゼノ達に頑張ってもらわないとな。
ま、走るか。
※
森の中で無数の敵意に睨まれ、今朝かなり雑な感じで道楽教官に渡された刀の入った木刀袋を背負いながらどうしたものだろうと身を竦めた。
うち一人にはナイフを向けられている。睨まれる筋合いはこれっぽっちもないので(ナイフを向けられる筋合いはもっとない)、せめてもの抵抗として彼等からは目をそらしておく。念話で獣が「こいつら締めていい?」と囁いた。無論ダメである。
先日僕と獣が多大な迷惑をかけてしまった黄昏色の目をした少女が獣の毒を背負い、解毒したと道楽教官から連絡が来るのに五時間。その間僕はずっと獣の被害者を増やしたくないと自責の念に苛まれては獣に説教をして、獣も反省していたはずなのに、どうもその時の記憶はなくなっているようだ。やはり頭の作りが違うのだろう。
――先日の一件以来、僕の体に何らかの変化があったらしく獣との念話が可能になった。
幸いなことにも僕の思考は盗み聞きされていないらしく、知られたら困る情報(例えば禁煙、改め獣殺しについて等)が獣の手に渡ることはない。それに安堵した反面、念話のコツを掴みきれていない僕からの念話は九割ほど不発であり、現状獣と会話したい場合は文字通り声に出す必要があるせいで獣と会話するにはそれ相応の視線が向けられるという覚悟を求められるわけである。無論、独り言がうるさいヤツだと思われても気にしない、という覚悟は今のところない。
改良済である彼女の制御装置たる手袋によって姿を潜めたはずの獣の声がどこからともなく聞こえたときはついに頭がおかしくなったのかと思ったが、そのことを道楽教官に相談すると、彼女と混ざりかけたのが原因で獣との間に魔力パスが生まれ念話が可能になったのだろうと道楽教官の推測を話してくれた。
その推測は獣にも「アタリ!」と言われたので間違いないとは思うのだが、混ざりかけたことを良い話として昇華したくはないというのが正直な気持ちだ。念話だけじゃなく今までその存在が半信半疑だった魔力がどんなものなのか、獣とのパスを通じて知ることができたとしてもだ(魔力はまさしくパワーって感じだった)。
何て言うんだっけ、こういうの。棚からぼたもち?
背中を叩く道楽教官の声が響く。
「さぁて!キミたち、自己プロデュースはできるかな?」
「無論です、教官。あたしは足立律、四型ゼノで指揮をとることが多い。貧弱なやつと馴れ合うつもりはないからな。さあ名乗れっ、新人!」
敵意を放っていた内の一人が自己紹介をして、ビシ!と僕を指を差し高圧的にそう言葉を放った。群青色の髪をポニーテールにしている足立さんは少し苛立った様子で、意志の強そうな赤色の目で僕をじろじろと睨み続けていてどうもこちらとしては居心地が悪い。なのに彼女には睨んでいても目を引く美しさがあって自然と目が合う。威圧的ではあるけど、それにしても綺麗でつい目がそらせない。たまらずビクビクしながら応える。
「か、鹿目礼司です、ヨロシク……」
「ヨロシク!自分、泉水途爪、二型ゼノ。食べるのスキ!途爪でいいよ!」
背の小さな少女が僕にナイフを向けながら敵意を隠すこともなく、フレンドリーな自己紹介を終える。フレンドリーなんだか敵意向き出しなんだかどっちでも構わないのだが、途爪さんに対して獣が露骨に威嚇音みたいな声をあげていて、正直脇の冷や汗が止まらない。
何だ?何が癪に障っているんだ?ほら、ナイフなんか向けてきてめちゃくちゃ怖いところとか、そっくりだと思うんだけど――あ。同族嫌悪か?
「そしておれは三型ゼノの目黒目輪、気軽に目輪って呼んでくれ。そんなビビんなよ、べつに取って食ったりしないからさ、新人?」
同じく敵意を放っていたバンダナを頭に巻いている糸目の少年、目輪君が言いながらぐっと距離を縮めて肩を組んでくる。開眼して僕のことを睨んでいたくせに急に馴れ馴れしい。
僕に敵意と共にナイフを向けていた途爪さんは彼の言葉を聞くと驚いたようにしてすぐナイフを下げた。ああ、助かった、その気のないただの脅しだとしてもナイフを向けられるのはさすがにちょっと肝が冷え――。
「え!新人を食べないの!?」
なんて?
すると途端にぐっと手袋が熱を持ち揺れはじめ、僕はハッとした。このままではこの前の二の舞いになってしまう!慌てて祈るように手を合わせ指を絡ませる。改良した制御装置の新仕様で、獣の制御レベルを一時的に上げる為の動作だが、自分の体から魔力がぐんぐんと減っていくのを感じる。
僕のパワーが!と焦っていると「離して先生!あいつ殺せない!」というブチギレている獣の声が念話を通して聞こえた。ぶ、物騒すぎる。
「こらッキミたち!死にたいワケじゃないならそのチョッカイをやめるんだ!いいね!?」
半べそかきながら僕が獣を暴走させないよう骨身を削っていると、道楽教官が目輪君を僕から引き剥がしてくれる。すると獣のわめき声がすこし落ち着いた。まだ手袋は熱く揺れているが先程と比べると随分とよくなって、ナイフを向けられたことだけじゃなく目輪君も気に入らなかったこと――というか、この状況の何もかもが獣の気に障っている事実に気付く。だが、どうすれば獣の気は収まるのか僕には見当もつかない(まさか敵意を向けられているのが嫌ってだけじゃないと思うし)。彼女を正しく扱うには経験が足りないのだ。
制御装置も完全ではないので本気で獣を大人しくさせたいのであれば安全圏で過ごすのが一番だが、そうなると何の準備も鍛錬もしなかった僕自身が獣に喰われるというオチがついてしまうので避けたい。かと言って経験を積もうと安全圏から出れば僕に危険が及び、獣が出てきて僕を乗っ取る。
……こういうの、ムリゲーって言うんだっけ。
獣を深く知らないといけない。改めて痛感する。
「やはり何か隠してるでしょう教官!」
足立さんの声で現実に引き戻される。そーだそーだ!と途爪さんと目輪君がこぞって彼女の言葉に賛同し、騒ぎ立てるのをぼんやりと見ていた僕は思い当たる節があることを思い出してハッと息を呑んだ。思い当たる節があったのは獣もそうなのか駄々をこねていたのが嘘のように静かになって、手袋の熱と震えも引いていった。
……隠してる?隠してるって……いや、まさかね。
そんなことやっていいはずがないと思いつつ僕はどこかで道楽教官を信じ切れず、恐る恐る彼女の顔を窺う。僕と目が合うと道楽教官は蛇の目をすぐにそらしてきゅっと口を閉じた。
「道楽教官?」
「いや聞いてくれるね?」
「そんなこと言ってる時点で十分クロですよ!」
「……できるなら彼らが普通に接している間で獣とキミ、どこまで獣を制御できるか知りたかったんだよ。煽りはじめるとか、ボクの想定外もいいところだ。すまなかったね」
驚いた。この人は本当に僕に取り憑いている獣とか、僕が特段ゼノになりたくはないこととか、そういう伝えるべき前提のことを全て話していないのだ。僕が獣の制御に手こずっていることを知っているだろうに、何故そんなことをやろうとしたんだ。彼らに何かあったらどうするんだ。僕は人殺しになんてなりたくないし、彼らだって死にたくない。その気持ちが擦り合っていない限り、獣の制御なんてうまくいきっこない。
――たぶん、傲りだ。最悪の場合何か起きても何事もなく済ませる力が彼女にはあって、それ故に説明もせず危ない橋を平然と渡ろうとしていた。
それが見るからに落ちる橋だと気付いて軌道修正したようだけど、ちょっとこの人、アブナイ。
「獣……?獣って、どういうことですか教官?」
「えー、こちらの少年は獣に取り憑かれております。」
恐る恐るといった表情でたずねる目輪君に道楽教官はとても分かりやすく彼の疑問に答えた。獣が取り憑いている。これ以上なく僕が抱えている問題そのものだった。
簡潔に僕の抱える問題を聞いた目輪君と途爪さんは後ずさったりどよめいたり各々の反応を見せたが、足立さんだけが変わらず赤い瞳で僕をじっと見つめていた。目をそらしているのに彼女の刺すような視線をひしひしと感じて、正直居心地はとても良くなかった。
「強い獣なんで鹿目君自身も制御に手こずっていて、より強い制御方法を知るため、ここに来ました。キミ達と同じでゼノになりたい訳じゃないよ。認識は合ってるね?鹿目君」
「え、あ、はい。そんな感じです。」
嘘をついた。僕はべつに獣の完全な制御を目的にはしていない。しかしそこを突いて本来の目的を口にすれば、それを聞いた獣が暴れる未来しか見えなかったので僕は適当に道楽教官の話に合わせつつ、「キミ達と同じでゼノになりたい訳じゃない」と言った彼女の言葉を脳裏で何度か反芻した。
――彼女たちも僕と同じなんだ。旧校舎に集まるのは、ゼノになりたがっていない人間だけ。
一番最初に手を挙げたのは目輪君だった。
「はい、教官!質問があります!」
「ドーゾ、目輪君。」
「制御とかじゃなく、どうして教官が手っ取り早く獣とやらを殺さないんですか?その方が早く済むと思うんですけど」
うわ、鋭い。獣を殺すことは僕の一番の目的だ。その目的を隠しているのにも関わらず、すぐに獣を殺すのはどうだ?と考えに行き着く目輪君のゼノらしさは僕よりずっと獣退治に向いていると思う。その事実が、ちょっとつらい。「先生」役、変わってくれないかなあ。
「お、いい質問だね。ASXの条例違反になるからですが、一体ゼノが最も殺してはいけない存在ってなーんだ?」
僕が答えてはいけなそうな道楽教官が出した問題に訪れる沈黙を崩したのは足立さんだった。彼女はゆっくりと手を挙げ、赤目を細めて道楽教官を睨んだ。
「高位異常存在――……異質体。いや嘘ですよね?」
「正解!」
「嘘!異質体がそこの貧弱そうなやつに取り憑いてるなんてありえません!」
足立さんは言いながら僕を指差す。「はい?先生は貧弱そうなやつじゃないけど!?」と脳裏で獣が喚いた。獣の弁明は有り難いが僕も僕でなければ、足立さんと一緒で僕みたいなやつに異質体というモノが取り憑いてるとは信じられていないと思うので、貧弱そうと言った彼女の貶しは素直に受け止めるのが賢明だろう。如何せん僕は立派な一般人だ、これからも名誉一般人として名乗っていきたいまである。
「第一、異質体って専属のゼノが付いている筈で――」
「獣は彼を選んだ。それだけのコトだよ。」
そう。それだけのこと。それだけの話。道楽教官の言う通りだ。僕は特別でなければ強くもない、その資格があると問われたならば勿論ないと答えるしかない一般人だ。
ただ獣が僕を「先生」と見間違えているだけのこと。ほんとうなら僕じゃなくてもありえた話で、誰だってよかった話だった。あの場に居合わせていなければ僕はまだふつうに暮らしていただろうし、獣だって異質体として飼いならされていた。あのとき居合わせた不良たちや、元々獣と共にいた専属のゼノのオーフェリアさんとか、先日僕と獣が多大な迷惑をかけてしまった黄昏色の目をした少女――彼らが傷付くことだってなかった。
足立さんが面倒そうに軽く手を挙げる。
「教官」
「なんでしょう律君」
「そいつ、どこまで異質体を制御できるんですか?」
道楽教官に向けられたその質問には僕が息を詰まらせた。
「それを見たかったんだけどキミたちが不用意に煽ったからね、うん、まあ日常生活において先程のように煽るのはダメだし異質体の好意の否定も止せ。彼女の性質が礼司君と出会う以前と変わらないものと仮定して、それ以外ならたぶん大丈夫だ。制御自体は初心者にしては良い線いっていると思うかな」
道楽教官はそう答えたが、先程彼らが行った軽めな煽りに対して制御装置込みでギリギリ何とか抑えられたくらいで、例えば土壇場や先日のような本格的な身の危険に鉢合わせるようなことがあれば、きっと手加減なしの獣を完全に抑え込むのは難しいだろう。それはつまり獣が本気を出しフルスロットルで暴れたら制御装置の意味も空しい結果になるということに他ならない。道楽教官は「良い線いっている」と言ってくれたが、僕としてはまだまだ安心できない。
「さて、質問の時間はこれくらいにしておこう。今日は皆に森での任務について指導していくぜ!皆森は好きだろ?」
「んなわけないでしょう。こんな虫っぽいとこ嫌ですよ」
「自分は森スキ!魔力いっぱい!」
「そうそう!魔力感知下手で虫嫌いな律君には分からなかったみたいだけど、途爪君の言う通りサ。ここの森はASXの管理内に位置していてあったかい魔力を感じていると思うんだけど、それはね、」
激しいギターとドラムの音、ほとんど叫び声みたいなボーカルの歌声が静かな森へ場違いに響く。吃驚していると道楽教官がぱっと掌を僕たちに向けながらスマホを取り出した。かなりハードロックな着信音だ。
「んも〜皆ゴメンね?ちょい待ち。」
「授業中はマナーモードって言ってんのそっちでしょ、不公平ですよ!」
「ハイハイ。……あー、もしもし?マジモト?……はあ?あー。そう。シグマ君とトギ君のチーム?りょうかーい。早めに見ておくよ。」
目輪君を適当にあしらって電話に出た道楽教官は電話相手の話に少しうんざりしている様子だった。マジモトって、何の知識もない僕をゼノの試験会場に置き去りにした挙げ句なんのお咎めもなかった(殴られてはいたけど)あのマジモトのことだろう。苦い記憶に顔を顰めていると電話を切った道楽教官が僕をちらっと見て、それから「うーん」と唸った。
「……まあ、キミたちなら平気だと思うので一時間くらい自主練ね。あと、なるはやでできるだけこの森から離れて。それじゃバイビー!」
「えっ、それどういう意味ですか!?」
不穏な色を滲ませた彼女の言葉に足立さんが詰め寄ろうとしたが、道楽教官は一瞬にして姿を消してしまい足立さんは行き場をなくした手をわなわなと震えさせた。「いい加減過ぎる」と唸るように呟く足立さんがめちゃくちゃキレていることは傍目でも理解できたし、道楽教官がかなりいい加減な人だという認識は僕にも生まれつつあった。
というか知り合いがいなくなって居心地の悪さが増して心許ない、ふつうにちょっと気まずいな。なんて考えているとふと足立さんがこっちを振り向き、じろりと下から上まで僕を睨んで、それから彼女はため息を吐いた。
「仕方ない。指示通り森から離れよう、ほら、行くぞ新人。」
「あ、はい。」
「ちょい待った!」
「……あ?」
呼び止めた目輪君を足立さんがぎろりと一層強く睥睨した。今までの睨みは手加減していたとばかりのふつうに怖くなるレベルの睨みだったが、睨まれている当の目輪君は大して気にも留めていないようににやりと笑って言った。
「見に行かね?あの言い方からして森の奥に行けばたぶん――」
「ダメに決まっているだろう!妙な危険を冒すな。」
目輪君の言葉を遮って足立さんがぴしゃりと言う。彼女の言う通りだ。わざわざ危険を冒してまで見に行くようなことではない。何が起きているのか知りたいと好奇心を擽られる彼の気持ちも分かるが、それは後で何があったのか聞けばいいだけの話だ。なるはやでこの森から離れろという、道楽教官が出した指示に背き危険を冒す価値はないはずだ。
しかし目輪君は彼の中で明確に固まった意志があるのか、森の奥へ行くのを断固として諦めなかった。
「見るだけだって。教官が赴くレベルの問題が近場で起きてるの見たいし、もしかしたら零型の本気見られるかもしれないんだぜ、危険でも価値はあるでしょ」
「いや、ない。あたしが言ってるんだからそう。」
「自分は見たい、かも!」
「ほら!」
「はあ!?」
途爪さんまで目輪君に賛同し、足立さんはついに動揺をあらわにしはじめた。
「た、隊長命令だ!行くな!」
「あーわかった、じゃあ森の出口が分からなくなったテイで!」
「ダメだって話なんだが!?」
なんだか可哀想になってきた。かと言って僕に何かできる訳ではないのでこの膠着状態にある話の行方を見守ろうとしていると、不意に影が落ちたことに気付いて間髪を入れず視線を上げた。
木々の隙間から見える青い空が、すっぽりと暗闇に飲み込まれ消えていた。
現在時刻午前八時、夜ですらないのにまるで夜のような暗闇。天気にしても辺りは異質な暗さで、深く考えるよりも異常事態が発生したとすぐに理解してしまった。さらに「先生なら楽勝だよ!」と獣が明るく言い、僕としてはさらに嫌な気分にさせられた。獣の認識する〝先生なら楽勝〟というのは僕には適用していないことはもう十分に知っている。
今からでも遅くない、はやく、この場から逃げないと何もかも手遅れになる。
「ちょ、ちょっと……はやく逃げましょうよ……」
「えー?おれは見に行くぜ」
「自分も見てく!」
――絶句する。彼らだって僕と同じように空を見上げ、異常事態が発生したと知覚している筈だ。なのにどうしてこの場において、最も危険で馬鹿げている選択を自ら進んで選べるのだろう。僕には理解できなかった。それがゼノっていうものの素質なのか。
「新人。」
足立さんが僕を呼ぶ。彼女の赤い目には確かに呆れと共に、覚悟というものがありありと浮かんでいた。
「おまえは先に帰ってくれ。こいつらの面倒はあたしが見る。あたしは隊長だから、その責任がある。新人にはない。」
森の奥へと進む彼らの背中を見つめる。
ただの人間でしかない無力な僕に、何ができるだろう。引き留めることも守ることもできない、無力な自分。死にたくはない、けどこのまま何もせずに見過ごすくらいなら、共犯になった方がずっといい。
僕はそれを知っている。
※
雨の音、雷の音。それはイヤホンから流れる音。
嵐の音を鼓膜が傷むほどの大音量で流して息を整え、目を閉じた。定まらない頭を少しでも休ませたかったからだ。異質体の毒は控えめに言ってとても厄介なもので、おかげで元々薄っすらとしか感じられぬ魔力が体から抜けていく感覚にはひどく疲弊した。
近頃はほんとうに多種多様な問題が頻繁に起こる。問題があると私とカイは向かわなくてはいけない。ASX特待生なんて称号が付いていても、要は嫌われまくりの便利屋だ。それについて何か文句があるわけではないが、ただあっちこっちに振り回されるとそれ相応に多少の支障がうまれる。
具体的に言うと魔力不足だ。魔力が、ない。足りない。それもとても。そこに異質体の毒が相まってしまい、今の私に魔力タンクというものがあればものの見事にすっからかんだろう。
そもそも異世界出身の私の場合は魔力という雲雀の涙なぞ、それこそ本当にあってないようなもので、近頃なんて魔力不足の弊害で特に――あ。いや。それは些事だな。道楽さんやカイにも言われたが、余計な物を余計なまでに考えすぎるのは私の悪い癖だ。ああ、困ったな。まだ毒が抜けきっていないみたいに脳が回って、回って仕方ないくせにまるで意味がない。
――ASX日本本部一階のベンチの背凭れに体重をのせる。異質体の本体による制御がなくなった異質体の毒を対処する為に本部まで来て治療してもらったはいいが、この本部の雰囲気はあまり好ましくない。
早いところ帰りたいのに、あまりにも長い手続きが一向に進まない(毒抜き自体はその日のうちに終えているのにも拘らずだ。)それに退屈さで口寂しくもなってきた。購買へ向かったカイに連絡でもして何か買ってもらおうかな。でもそろそろ彼女も戻ってきそうだし、やめておくべきだろう。どうしたものか、素直に待つのはどうにも苦手だ。動いていないとちょっとだけ落ち着かない気がする。いや今のは嘘だ、かなりとてもすごく落ち着かない。
一人で悶々としていると聞き覚えのある声がイヤホンの向こう側で響き、大音量の嵐を一度止めることにして顔を上げる。まだうまく作用していない目で見る。あのカタチはカイのものだろう。
「おシグー、ジュース買ってきてやったよ。ほら。おしるこ。」
「ありがとう、カイ。」
ぱっと投げられた缶を受け取る。「おしるこ」といったジュースははじめて目にした。パッケージから察するに何か、食べ物の飲み物化みたいだ。
渡された缶を素直に開け口をつける。口の中に流れ込む固形物に慌ててもぐもぐする。これはパッケージデザインに描かれていた豆だろう。食べ物の飲み物化……とかではなく、普通に食べ物のようだ。
「うーん、斬新!前に飲んだコーンポタみたいだ。」
「おいしいでしょ?」
隣に座って、カイがにやりと笑った。
頷いて、再度おしるこに口をつける。
「気に入りました。いける。」
「マジか。」
「うん。……それにしてもこの世界のひと達はほんとうによく食べ物を飲み物と認識するね。カレーとかうどんとか!」
缶の縁を見つめる。カレー自体であればドロリとしているしそこそこの理解が追いつくが、どう見ても固形物で飲むとしたら確実に喉あたりで詰まる物を飲み物とする文化があるのはとても不思議だった。固形物はしっかり噛んで飲み込むもので、噛まずに飲み込むのは胃への大きな負担となるし、何より喉で詰まれば冗談では済まなくなる。喉で詰まらせる可能性がないとは言い切れられない以上、固形物を飲み物と称するのは疑問を持たざるを得ない。
「その系統のやつとは違うのだっ、おしるこは!」
カイはとてもおしるこに自信を持っているようだった。
しかしながら、この世界にきて半年間経つがカイにおしるこをオススメされたのは今がはじめてだったし、何より彼女がおしるこを手にしている姿を見たことがなかったので、どうも腑に落ちない。そんな自信があって好きなものには思えなかった。
現に今カイの手にあるのはおしるこではなく、彼女が事あるごとに選び飲むものだと私も認識しているウーロン茶だ。もしそんなカイにウーロン茶を推されたら素直に納得がいく。しかし、いま彼女が熱く語っているのは他ならぬおしるこ。
――本当に好きなのはおしるこか。そんな好きだったんだ。知らなかった。ギルティ・プレジャー的なアレソレなのかな。
「おしるこは……缶タイプで自販機で売られているのサ!一味違う!それに甘いし。」
「でも探せばあるんじゃないかな。うどん缶とかカレー缶とか。」
「このおしるこは探さなくてもあるもんなの。」
カイは探さなくても大抵どこの自販機にもあるウーロン茶に口をつけた。彼女は普遍的で間近にあるものが好きなんだろう。なんとなく思った。
そのとき耳を劈くような音がASX本部内のロビーに大きく響いた。チカチカと辺りが赤く照らされ、私やカイと同じでどこかぼんやりとしていた周囲の空気が一瞬で張り詰め出す。
「異常事態、零型シン:瘴気の封印場に問題が発生。これから呼び出されるゼノの皆々様は各々の準備をしてその場で待機してください。繰り返します――」
無機質な声が繰り返えされる。瘴気もののシンか。なるほど、本来なら瘴気に耐性のない私とカイ向きの仕事ではないだろうけど、解析・分解を得意とするカイに向いているし、封印できる力を持つ私にも向いている件だ。そのことを重々承知しているのか彼女は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
しかし、さすがに瘴気耐性値マイナスで有名なカイは呼ばれないだろう。この件で呼ばれるとしたらぜったい私だ。
「……封印場って言ってたけど、ぼく達は呼ばれないよね。」
「瘴気耐性マイナスのきみはだいじょうぶだと思う。」
「いやぼくがどうとかじゃなくて。とくにお前が、呼ばれるべきじゃないんだけど。お前、異質体の毒を抜いてまだ数日しか経ってないし、ぼくもお前もこの件は招集されるべきじゃないんだよ。」
そうカイは不安げに言ったが、その不安は恐らく正しいだろう。
如何せん、ASXの無謀さは時に目に余るものがある。この件に関してASXがゼノ隊員の能力に光を見出せば、誰であろうと、瘴気に耐性があるかないかに拘らず問答無用でその場に投げ出されるだろう。通常ならばまだしも対処するシンが零型なのだから、きっとASX側としては出し惜しみはしないはずだ。
そうだとしてもカイは特別瘴気耐性がないので選択肢として存在しないと思うけど、彼女と違って私はある程度瘴気を耐えられるし、異質体の毒を抜いて〝すでに〟数日も経っているのだ。何ひとつとして容赦はされない、というのは私の予測だ。少なくとも、私が特待生という立場にいる以上はそう予測せざるを得ない。
ドタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。ぴっちりと髪を整えた職員が私を見ると大きな声を出した。
「一型ゼノの芒本志熊さん!呼ばれましたよ、来てください!」
呼ばれたのはどうやら私みたいだ、魔力不足なのでうまく切り抜けられるかは不安だが、瘴気耐性マイナスのカイが呼ばれるよりはずっとマシだと言えよう。
ちらりとカイの顔を窺うと唖然としていて、そのわかりやすい可愛い顔に思わず笑った私をそれでも心配してくれたらしく、彼女は眉を八の字に寄せると私のおしるこを受け取った。
「死ぬの禁止ね、宇宙人。」
「努力するよ、カイ。」
立ち上がって私を呼んだ職員の後を大股で追いかける。見たことのない道を通っていき、まったく見知らぬドアを幾つも通り抜け、職員がまた別の職員から受け取った書類とガスマスクを渡される。これから対処に行くシンの情報が書かれているものだと何となく理解していたので、職員の後を追いながら急いで目を通す。
殺生禁ズとの赤い判子が大きく押されている。――まじか、と思った。
本体は人の形をしており、身長は2メートルぐらい。頭には毛らしきものが生えているが、体毛かどうかは判別不能。触手の可能性アリ。
両手の代わりに数本で構成される触手を持ち、その触手からねばねばした液体を出す。このねばねばした物質は彼が生み出す瘴気の塊で、万が一でも瘴気耐性のない人間がこの物質に触れた場合即再起不能となる。――ふむ、明らかに私向きではない。
本体から数メートル離れた先まで瘴気が届くので、瘴気耐性のないゼノが接近する為には瘴気を防ぐ魔具の使用が求められる。また視覚外からの遠距離攻撃に打たれ弱いことが判明している。封印を得意とするゼノ総勢21名による封じ込めが廃駅で行われ、21回重ね掛け封印を施された。
零型シン:瘴気の封印が解かれた場合、瘴気耐性がない通常のゼノが近付けばその場で再起不能に陥る可能性が非常に高く、至急の再封印が求められる。
……なるほど、封印が解かれた場合は再封印か。それを求められているのだろう。カイではなく私が駆り出されるのも納得だ。
大きな術式が地面に書かれているだけの質素な一室に辿り着くと、職員は振り返って私を見た。
「ここでお待ち下さい」
「うん、案内ありがとうございました。」
一通り目をやった書類を職員に返す。
一室には制服の紋章に一と書かれている見知らぬゼノ達が数十人集まっていて少し目を見開く。紋章からしてここにいるゼノ達は皆一型なのが分かるが、対処を求められているシンの階位は零型だ。
そういえば、零型ゼノはあまり数を見ない――私が知っている零型といえば道楽さんくらいだが、実際に零型シンを相手に駆り出される際は一型のゼノが多いという話をカイやマジモトに聞いたことがある。零型シンを一型ゼノの数で押していくのは気乗りしないが、どうやら今回の件では数押しするらしかった。
「トギさんのチーム全員揃いました~!出撃準備オッケーでーす!」
点呼をとっていた呑気そうな職員の声が響くと、ゼノ達が一列に並びはじめる。チームを組んでいるゼノの動きだ。チームに何ら関係のない私は彼らの邪魔にならないよう端っこへ寄る。
すると髪を後ろになでつけた、背丈ほどもあるスナイパーライフルを手にした瘦せ細った男が私の目の前に立った。彼がチームのリーダー、トギさんなのだろう。
「おはよう。尋問区画取締役、一型ゼノの戸木正義だ。君は一型ゼノの芒本志熊だろう?活躍や噂はかねがね聞いているが、今回の任務において君は廃駅手前で待機しシンの封印が解かれた場合にのみ動け。現場で起きている問題に関しては全て我々の手に任せてほしい。」
「了解です。」
彼らの問題は彼らのものという宣言。ひとにやりたいようにやらせるのが主義である私にとって、トギさんのどこか高圧的な態度はある意味好ましかった。主に何もしなくて楽だな、という観点で。
『現場に送ります。我々ASXの健闘を祈ります。』
どこか無機質な声が天井に張り付けられたスピーカーから響き、地面に書かれた術式が光った。光で視界が真っ白に染まる。目の染みるような光が収まると一面の緑が私の意識をぐっと強くした。
穏やかな森林。草木の香り。目が覚める気持ちだった。トギさんのチームは既にどう動くか指示されていたらしく、見る見るうちに姿が見えなくなっていった。隊員たちを見送ったトギさんがこちらを振り向き、中指と人差し指を十字に交差させた右手を見せてきた。
これは、ええと、この世界でどういった意味だっけ。
「幸運を、芒本くん。」
「あ……ああ。ありがとう、あなたもね。」
そう、それ。それだ。どうもいまいち覚えるまでに至らないし、マジモトに聞いた限りでは国によって異なるらしいが、この国では幸運を祈るものとして存在している。
トギさんの走り去る姿を見送って、私は支給されたスマホでASXのアプリを開き地図を見る。廃駅はどうやら彼らが向かった先ではなく、逆方向に位置しているようだ。
……あと結構距離がある。急がなければならないかな、と考えながら走る。庭へ通るという、一応瞬間移動的なことはできるのだが、魔力消費が馬鹿みたいに激しい手段なので可能な限り避けたい手だ。体力消費のほうが総合的な判断として得策だろう。
かなりの距離を無我夢中で走っていると、ピコンとスマホが鳴る。どうやら廃駅に着いたみたいだ。くたくたになりながら顔を上げる。倒れているゼノ達と血溜まりの向こうで見知ったカタチがごしごしと服を擦っている様子が見えた。
あれ、あいつ……。
「くそ、汚れがついちまった……」
「へえ。綺麗好きだね。」