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・2-ブラッディ・サマリタン

Bloody Samaritan



 ずっと夢を見ている。長い間、終わらぬ夢を。


 ――――微睡む眠りの話。


 決して。この長すぎる夢に意義を、問いかけているわけではない。そんなものに興味が湧くわけなどない。そんなものに救いはない。緩やかに終わりを待つだけの人生のなか、今の自分は生きているのか、ただそれだけが知りたかった。いつかきみが、わたしに教えてくれたように。



 ※



 ビルの屋上から見上げる空は、普段よりも解像度が高く見えた。足を付けている以上は手に届かないくらい遠く、掴めるものでもないのに、ふしぎと地面に足を付けていた頃よりも空を近くに感じる。しかし残念ながら空はどんよりと灰色で、その光景の暗澹感と言ったらない。

 風が頬を撫でる。十一月の冷たい、冷たい風は流れるだけで痛くなるから困る。雨は今にも降り出しそうで、とりあえずいつ雨が降っても構わないようにとレインコートのフードをかぶる。


 微塵も動かぬ手中の駒鳥を見つめる。いつまで経っても来るはずの連絡が来ないのに呆れて、退屈潰しに手元のミニ双眼鏡を使って目的の洋館を見据える。郊外に位置する洋館は見るからに人を寄せ付けないためのもので溢れていた。ゴミ、コケ、半壊の建物、瓦礫。外観はなかなかに良いものだと思うけれど、廃墟マニアの自分でも、中に入るのは危険だと理解できるレベルで崩れている。

 あの中に向かわなくてはいけないのかあ。うん、頼まれた以上は行くっきゃないけど、万が一にでも建物が崩れたりしたら愛らしい巻き毛の天使なんかがお迎えにやって来ること間違いナシだ。


 ふと、駒鳥が動き出し、私の手中から飛び立つ。

 ジジッ、ツーツツーツー……。


『あーあー、サマリタン、こちらファーゴ。聞こえているなら応答を。繰り返す、聞こえているなら応答を――』


 耳元の通信機から待ち続けていた連絡が漸く来る。普段とは異なるじつに妙な口調で喋っているが、彼女が自分の知る少女だと私は知っていた。

 ぱたぱたと私の周りを飛ぶ駒鳥は他ならぬ彼女が作り出した至極の逸品で、今こうして通信できるのも彼女と彼女が作り出した駒鳥サマのおかげだ。


 魔力を通した特殊機械こと駒鳥は、あらゆる場所においての連絡や間接的なサポートを可能とするアーティファクトで、超優秀としか言い表せない彼女の才能にはシビれるものがあるのだが……本人がとても愉快なやつで、私はこの非常に便利な駒鳥か彼女の無駄口かを選ぶことがあるとすれば彼女の無駄口を迷わず選ぶだろう。

 彼女の様子を愉快に思いながら通信機を一度軽くタップする。


「聞こえてますよ、カイ」

『コードネームで呼ぶんだって!』


 ああ、そういえばそんなことを言っていた気がする。もうちょっと渋っても良かったが、バンの中でもひたすらコードネームについて悩んでいた姿を思い出すと、できるかぎりカイを尊重しようと思えた。彼女は自分のこだわっていることに対して雑な対応を取られると、それはもう……とても、ひどく拗ねるので面倒だった。そういう節は人間臭くて好きだが、わざわざ拗ねさせるのは性に合わない。


「ごめん、そうでしたね。聞こえてますよ、シルバー・スプリング。」

『それは準候補のやつ!今日はファーゴだよ。……次は君が名乗ってくれるかな、宇宙人。』

「えー、こちらシグ、」

『サマリタン!』

「あう」


 耳がきーんとなって、思わず通信機を外そうかと本気で思ったが、そうなるとカイは拗ねるのでもっと面倒くさくなるだろう。しかたない。


「わかりました、こちらサマリタンですファーゴ。」

『……ヨシ。』

「これ、必要?」

『こういうのはモチベが大事なんだよ、宇宙人。』


 モチベ。

 こんな世界だ。名は命綱だしコードネームについては私も大賛成だが、そもそも私は誰にもほんとうの名前を言っていないのでべつにシグマでもコードネームとそう大差ない。しかし要点はそこではないというのであれば、彼女の気持ちもよくわかる。

 こんな世界で楽しくハッピーに生きたい故にコードネームで呼ぶ。いつもとは違う名で呼び合うのがモチベになるそんなお年頃……お可哀想に、カイ。要は中二病発揮してるんだよ、きみは。そして私はそれをサポートしたい。友達だから。


『んじゃ、今日の目的について連絡します。』

「はーい!」

『まあ、大体のことはバンで伝えた通り、お前が今立ってる廃ビル前の森の奥に有名なアーティファクト・コレクター、板尾創司の持ち家たる洋館がある。ASXとしての指令は、そいつの持ってる壺を盗んで来いっていう確固たる犯罪さ!うちらの組織はいつから犯罪グループになったんでしょ奥様~~!』


 盗みへの罪悪感をふざけて誤魔化しているのが、少し沈んだ声でわかった。たかだか壺ひとつを拝借しても些細な違いだろうと思う私はモラル的に良くないのが相対的に浮き出てくるが、やはりどうも壺のひとつやふたつくらい構わないとしか思えないので、せめて沈んだカイを元気づけるように明るい声を出すよう意識する。


「問題のある壺なんですからプラスマイナスで問題は消えるでしょう、奥様」

『そうだけど、ほら、壺の詳細は完全に極秘っていう時点でこの任務には何かしら裏がある気ぃする。噂も噂で怪しいし、……不安だ。用心しなよ、宇宙人』


 カイの不安はごもっともだ。

 お目当ての壺の名は「全有壺」。

 極秘なんて便利な言葉で片付けられているため詳細は不明だが、所持するだけで名前の通り「()てを()する()」と噂が出回っているらしい。件のアーティファクト・コレクターもその噂につられて山奥の洞窟から掘り出した、とバンでのミーティング中にカイは言っていた。


 全てを有するだなんてどえらく分かりやすく嘘っぽい話だが、この世界には嘘っぽいくせして本当の物が幾つもあるので何にしろ全力で疑ってかかるのは悪手だろう。仮にその噂が真実だとして、正しい人間の手に渡るものであればわざわざ危険視する理由はないが、もしそうでない人間が壺を手にした際、生じるであろう危険性は計り知れない。

 ただの噂が真実でも、真実がただの噂でも、何にせよ、だ。悩むより突き進んでみるのが一番単純でいい。


「例えきみのそれが正しい予測からくる不安でも、私たちにはどうすることもできない。やれって言われたらやる、私たち嫌われ者の特待生の元に来る任務なんてほとんどが皺寄せですし」

『くそ!自分たちの才能が憎いっ……!』


 特待生、なんて聞こえはいいが響きだけで実態は血筋も、経歴もなく、実力しか取り柄のない人間の配属先だ。それに、特待生を追い詰め業界から追い出そうとする節があるのでまったく特待生とか聞こえばかりいいだけで、居心地はひどく悪い。


 とはいえ。生まれてからずっと人生を鍛錬に費やし生きていた最中、突然現れてたまたま才能があっただけの奴が自分より強かったら誰だって嫌うはずだ。と、そのあたりはよく理解しているので、私たち特待生も文句を言うことはあれど同情の念が消えることはなく、皺寄せの任務でも「やれと言われたらやる」のモットーでこいつどうせ失敗するんだろうな的な期待を裏切ってきた。

 さすがに人殺しの任務は私も絶対やりたくなかったし最終的にはカイがブチギレながらお断りしていたけど。伊達に特待生として選ばれた訳ではない。

 

「まあ、人が不安がる任務なんてまさに私向き!逃げることに関しては負けませんからね!」

『はは、それもそうかぁ』


 普段通りに盛り上がってきたカイの声に満足する。彼女の持つ私への信頼がどうやら戻ってきたようで私も嬉しい。

 ――不安がることはなにもない。カイは遠距離支援型という立場上まず死ぬことはないし、私は人並み以上には死なない運命にある。死んだとしてもそれが私の運命だったというだけのこと。そこに不安は必要ない。なるようになればいい。それが人生というものだ。


「それじゃあ、うん。ぱぱっと片付けて、一緒にラーメンでも食べに行こう。」

『うまいラーメンの為にも死なないでくれよ、宇宙人』

「努力はしますね!」


 ミニ双眼鏡を懐に仕舞い、ビルの屋上から身を飛び出す。風を全身に感じる。地上へと惹かれる引力。その速度。自分の居場所を完全に塗り替えるイメージで一度懺悔(メタニア)の庭へと道を通す。雨粒、灰色の視界。立ち込める霧、ペトリコール……再度塗り替えのイメージ。立ち込める森の香り、草臥れた古い洋館。降り落ちる重力の雨。

 体に熱を感じる。引き攣る。


「ッとと……よし。」


 洋館の目の前へと着地する。土を踏みしめる靴の感覚が、世界渡りを使った移動による弊害で鈍った私の感覚を鮮明に呼び戻す。何度か瞬いて、目から幾分かの視覚情報を抜きとって中の様子を伺う。ひとけはない。これといった隠密行動をする必要は大してなさそうだ。

 洋館は一見不用意に見えるが――敷き詰められたこの息が詰まるような空気感。間違いない。この洋館、人を歓迎していない。ある種の警告文のようなもので、ここから先へは立ち入るなと非常にわかりやすく告げている。怨念や願いから自然に発生した空気感ではなく、純粋に警戒心を掻き立てるために意図的に作られた偽物の空気感だ。実に巧妙で、実に狡猾。そうまでもして人に見られたくないものがあることは、ひどく不誠実だと思う。

 不用意に見えてそれなりの対策は取っているあたり、ただのアーティファクト・コレクターと見くびることもできない。壺、盗むの楽しみになってきたかもしれない。


『再接続完了ッと……サマリタン、聞こえてるか?』


 世界渡りの影響で外れた接続を再び繋ぎ直したカイからの連絡に小さく返事をする。駒鳥が上空で必死にやってきているのが見えた。


『ここから見てる分にはわりとふつうの廃墟だけど、魔力数値がキレイ過ぎでどうにもフェイクくさいし、警戒を怠るといけないぞ~』

「努力しよう。」


 ざくざくと土を踏み締める。開いているとは思えないし、仮に開いていたとしても罠である可能性は十二分にあるので馬鹿正直にドアを開ける気にはならないが、物は試しだ。ドアに近付くと駒鳥は肩に止まった。


『待ち待ち!こういうのには大抵トラップが仕掛けられて――』

「えっ」


 カイの助言と共にドアノブに手が触れる。あ、まずい。脳が知覚するよりも早く体が引き込まれる。視界は捻られ胃がひっくり返る感覚に吐き気を催して、すかさず目と口を強く閉じる。体を遠慮なしに投げ捨てられた私はその勢いのまま床をゴロゴロと転がっていき、最終的に壁にぶつかることで回転は止まった。吐き気は止まらなかった。


「う……」


 ――き、気持ち悪い……。

 巨人に振り回されたおもちゃのような気分だ。或いはしぼられた雑巾のような、この独特の感覚は転移魔術によるものだ。

 ドアノブに触れるという行動が転移魔術のトリガーになっていて、転移魔術を起動させた私はどこかに飛ばされたのだろう。即死トラップとかなら危機感知が働くので、このような古典的な罠に対して油断していた。

 地面に額を押し当てるとひんやりとした冷たさに吐き気を癒される。


「はは、これはこれは。驚いたな。」


 掠れた声に顔を上げる。檻の中にいるらしい私の他にも誰か、壁に凭れかけて座っている見知らぬ青年がこの場にはいた。白い服に、曇った空のような目と髪の色。頬と目元の鮮やかな痣なんて目にならないほど整っている顔立ちだったが、痣を抜きにしてもどこか荒んだ危うい雰囲気から彼がうつくしいとは断言はできなかった。

 ……牢獄仲間がいたとなると情報共有できるかもしれない。


「こんにちは。あなたも全有壺を盗みに来たんですか?」

「いや。俺は壺の持ち主だよ。」


 あー。カイに怒られそう。壺の持ち主に泥棒だって紹介してしまった以上カイに延々と説教される未来が易々と見えた。自分のうかつさがモロに出てしまった。ちらりとカイを探す。

 駒鳥はすぐに見つかったが、どうやら起動していないらしく、死体よろしく地面に落ちていたので拾ってレインコートのポケットの中に入れておく。駒鳥はあらゆる場所で活動可能なので、起動していないとなれば何かしらの理由がある。おおかた、この檻事態に魔力制御の機能が付与されているに違いない。


 フム。困ったな、世界渡りによる移動は使えないなら本格的にここから出られない。とはいえ体質が反応してくれたら、なんて薄い可能性に縋りつくのにはまだまだ早い。


「ここ、しっかりと出られないよう対策してある檻っぽいですけど、なんで持ち主さんはこんな場所にいるんですか?」

「お前みたいな泥棒に襲われてここに閉じ込められたんだよ」

「む。同類扱いされたくないな。私も確かに泥棒をしに来たわけですが、さすがにそんな乱暴はしませんよ。」


 頬と目元の辺りを示す。アーティファクト・コレクターは私の見解に顔を顰めた。


「同類も同類だよ。仮にも泥棒なんだから乱暴するべきですらあるね。」

「物を盗むのと人を傷つけるのは別ベクトルですよ……」


 アーティファクト・コレクターというのは確かに嫌われているものだが、それにしても彼らは一般人に変わりはない。

 乱暴なんてそんな……、ん?何か違和感があるな。彼は全てを有するなんて噂のある壺の持ち主で、泥棒に捕まえられて檻に入れられた、暴行も振るわれた。泥棒が壺を狙ってきたのであればアーティファクトの知識がある人間ということになり、アーティファクト・コレクターを嫌っているのは確定となる。壺の持ち主なんて、生かすだろうか?わざわざ危険分子を生かすような意味は見受けられない。

 ちらりと青年を見る。


「あなた、名前は?」

「イタオソウジ。お前は?」


 カイに聞いた通りの名前だ。ボロが出ればいいと思ったが、さすがにそこで判断はできないか。こんなことなら容姿について無理を言って調査してもらうべきだったかな。

 立ち上がって檻に近付く。鉄格子の向こう側、廊下の突き当りに階段が見えた。


「私はサマリタンです。」

「はは、泥棒が善き隣人を名乗るのかよ」


 善き隣人。聖書の話だったかな、確か。考えはしなかったが指摘されたら妙に皮肉的だと感じた。


「良い指摘ですね」

「そうかよ」


 向こう側の階段に出口へ続いていれば幸運だが、いや、その前にまずはここがどこだか理解する必要があるだろう。あの屋敷内のどこかに位置する牢獄であればラッキーだけど、もし屋敷内でないのであれば再度世界渡りを行う必要がある。無駄な労力消費をさけるためにも位置把握は必須条件だ。


 手っ取り早いのはアーティファクト・コレクター自身にここがどこか尋ねることだが、当のイタオが本人か疑わしい以上、彼にここがどこであるのか聞くのは憚れる。仮にイタオがアーティファクト・コレクターではなく私と同じように泥棒なのだとしたら、私は何も気づいていないふりを続けるのが最善策なのは明白だろう。物事を穏便に進ませるため、気にすべきことを気にしないのはたまに大事だ。

 ……鉄格子、折れるかな。

 檻に触れる。バチッと電流が流れる。


「いったい!触れるのもダメなんですねこれ」

「あはは、いけると思ったの?あーほんとすげえ馬鹿と一緒になったなぁ」


 電流が流れた手を見る。これは以前、マジモトに授業で教えてもらった独特の痛みと同じだ――捕虜を閉じ込めるためのもので、痛いは痛いにしろ、死なないように調整されている据え置きの魔術電流。据え置きの魔術電流はかなりの魔力食らいかつ、じつに単純な壊し方の定説があるため旧世代の魔術とされている。現代魔術であれば地面か天井にでも魔術対象者の魔力しか必要としない魔法陣が地面の奥にしかれているであろう。


 ――据え置きの魔術がかけられているということは魔力がガソリンとしてどこかにタンクが存在している筈で、そうなると無理に鉄格子を壊せば爆発を起こしかねない。つまり逆を言えば、魔力をカラカラにさせた後は無理に壊しても問題はないのだ。しかし魔力をカラカラにするにはなかなかの労力をかける。

 単純な壊し方とはいえ、なるだけ避けたい壊し方だが、檻に魔力制御がかけられている以上私に他の選択肢は残されていない。世界渡りの体質が任意ではなくたまたま偶然〝反応〟すれば或いは……なんて可能性の話は勿論、選択肢として作用しないのだ。

 諦めて、それからちょっとの覚悟をきめて、片手の手袋を脱いで地面に置く。


「フム。」

「どうした?」

「ちょっと来てください」

「……ん?」


 近付いたイタオの腕を掴む、すぐに鉄格子を掴む。


「お前……ッ!?」

「ぅぐ、」


 電流が流れる、離したくて仕方ない体を抑える。イタオにも電流が流れているのを横目で確認してから目を閉じて、時間が過ぎ去るのを待つ。それから数十秒、数分が経過して、電流が止む。

 魔術電流用に直されていた魔力が尽きたのだ。


 ひどく質の悪い頭痛に悩まされているときのような鈍い痛みにふらつきながら地面に置いた手袋を拾う。片方だけでも壊れないよう外して正解だ、はめたままにしていたもう片方の手袋は魔術電流に調子が狂ったようで動きにくい。

 頭を殴られる。


「痛いな!急に何するんです?」

「こっちのセリフだボケ!」


 汗だくのイタオは叫んだ。こちらの意図を正しく理解したらしい彼は汗だくになりながらも私から離れてくれなったおかげで、ただでさえ魔力食らいである魔術電流の消費魔力量が二人分になり予定より事がはやく済んだ。殴られたことはそれで帳消しにできると思う。

 私は感謝の気持ちいっぱいになりながら手袋をしっかりと両手にはめ、鉄格子を掴んだ。ぐっと力を込めて握ると手袋――改め、パワーグローブが起動する。チカチカとグリーンネオンの線が手袋に奔る。パワーグローブが魔力タイプじゃなくてよかった。


「まあ、いいじゃないですか、っと!」


 鉄格子はぽっきりと折れ、ひとり分なら簡単に通れる道ができた。鉄格子が折れたのとほとんど同じタイミングでばちりと音がして、ずっとはめていた手袋が壊れる。よく魔術電流に長時間耐えきりやるべきことをしっかり終えてから壊れたものだ、誇らしい。あとでちゃんと直そう。

 振り返るとイタオは目を見張って私が掴んでいる鉄格子の魂ともいえる鉄の棒を見つめていた。鉄格子だったものを横に投げ捨てる。視線はなお釘付けで、彼はちょっとした衝撃を受けているようだった。


「クソ怪力だな……」

「そんなことありませんよ。」


 この程度で驚いているとか、やっぱりアーティファクト・コレクターじゃなさそうだ。揺さぶりでもかけてみよう。


「ほら、イタオ。ちょっと全有壺まで案内してくれたら泥棒退治もしてあげるけど、どうかな。」

「……壺って、お前が盗む気の壺だろ。」

「あなたが私に協力しても、しなくても、あなたから奪っちゃいますよ。」


 彼はため息をひとつ吐くと、頷いた。これはちょっと想定外だった。イタオはほんとうにアーティファクト・コレクターなのか……ううむ、断言しない方が良いかなあ。

 檻を出て階段へと向かう。


「そうだ。お前、どこ所属なんだよ」

「ASXです。」

「へえ、なんでそこを選んだ?くだらない思想か?しょうもない教科か?愛らしい制服か?」

「うーん……」


 なんで、かあ。

 ――九月の夜。世界渡りによって、この世界に来たばかりの頃。前の世界が嫌になったわけではなくて、ただ私の放浪癖が一か所に留まることを良しとしなかった。具体的に言うと、起きたら違う世界にいた。そういう体質を持って育ってきていた為、これといって驚くことはなかった。


 身につけていたアクセサリーを売って山間を走る夜間バスに乗り込み、最終地点で適当に暮らしてみようと目を閉じた。少しの間眠っているとバスは地滑りによる事故に遭い、私は窓ガラスに頭をぶつけ叩き起こされた。バスに乗っていた者達同士で近くの村へ向かうことを判断したが、私は途中で先程までいたはずの少女がいないと気付いて、少女、改めカイを探しに一同から離れることとなった。

 見つけた彼女はずいぶんと具合が悪そうにしていて、そんなカイを介抱していると、村の方から大きな悲鳴が幾つも聞こえはじめた。すぐに向かおうとする私をカイが引き止め、語ったのはこの世界の隠された事情。


 対罪・世界最高機密特殊機関ゼノ(Against Sin, the world's top secret special agency XENO)、通称ASX。異常存在の破壊、封印、彼らとの共生。そして、シンが持ち合わせる瘴気。

 このことについては私は知っていたが、魔力、魔術、奇跡等々。


 当時瘴気についてまだ疎かった私は何となく気分が悪いな、で済んでいたため判断できなかったが、カイは瘴気に人一倍繊細で、村からの瘴気に耐えきれず具合を悪くさせていたのだ。村へ向かっていた一行を止められなかったことを悔しそうに泣きながら、そしてちょくちょく吐きながら謝っていた。彼女は驚くほど真面目だった。

 そこで瘴気にある程度耐えられるうえ、ちょっぴり問題解決に関して自信のあった私はカイに押し付けられた駒鳥を引き連れて村へ向かい、隠密行動をしながら村の問題を目の当たりにしながら瘴気を打ち祓っていった。そうして最終的に村に住み着いていたシンを祓った私の目の前に立っていたのは蛇の擬人化のような存在、道楽霧義。

 彼女の蛇の目を思い出す。


「……まあ。成り行きですかね。」

「すごい考えてたじゃん、気になるんだけど。」

「頼まれたんです、一緒に来てくれないかって。それに暇だし、いいかなって承諾しただけで、実際成り行きとしか言えませんよ。」

「ハァ?なんだよそれ、忠義心とかないわけ?」


 しばしばイタオの言葉を考える。忠義心。誰かに使える意義か。それはきっとすてきなことだ。


「興味ないですね。」

「冷てぇ~」


 すてきだとは思うが、興味ないのが正直なところだ。忠義心なんてものが自分にあるとしたらきっと私の人生はもっと豊かなものになっていただろうか。でもそんな人生にも興味ない。生きているだけで十分だ。きっとこれ以上なにかを求めるだなんて強欲で愚かで、すごく無意味だ。


 階段を上り上がると鍵のかかったドアがあったので遠慮なく蹴り壊しておく。

 ドアはたまに便利だが、もう一度捕まえられて檻に逆戻りすることがあればドアは面倒なものとして分類されるだろう。施錠を一々ピッキングするのは何だか割に合わないように感じた。


「サマリタン、お前隠密行動って知ってる?」

「得意ですよ。」

「ドア蹴り壊しておいてよく言うわ」


 先を歩くイタオの後をついてゆく。その足取りに迷いはない。視覚情報を切り取って変え、屋敷内の偵察をする。外から見たときはそこそこの廃墟だったのだが、こうして見るとアレは単に廃墟に見せていただけらしい。うかがえる魂の数は――ひとつ、ふたつ、みっつ……大体やっつほどで、三階の一か所に固まっている。どれも揺らぎなく人間の魂のカタチをしている。どれも屋敷の前に立って確認した時にはなかった、魂たち。

 魂の隠蔽か。

 随分と精密な細工をされていたらしい。だが屋敷の中からの隠蔽はしていないあたり、この屋敷に踏み入れた部外者を外には出さないという意気込みを感じる。

 やっつのうちの魂がみっつ、動き出したのが見える。こちらに気付いたのだろう。


「イタオ、こっちに向かってきてる人がいます。」

「へえ、そういうのわかんの便利だな。ま、精々ドロボー退治、よろしく頼むよサマリタン」

「うん、ちょっと下がっていて。」


 ポケットを覗いて駒鳥が息を吹き返したか否か確認しながら私はレインコートのチャックを開く。カイはきっと今頃心配しているだろう、その様子が目に浮かぶようだ。うん、こちらの不手際で心配させて申し訳ない限りです。

 駒鳥はいないし私の能力は基本的に人間じゃないもの特攻なので油断できない戦いになる。向かってきている魂は人間だった。

 レインコート下のジャケットへと手を伸ばし、視覚情報を元に戻す。

 (つか)をジャケットの内側から取り出す。


「人間相手に乱暴したくないので無力化程度に留めます。きみも、妙なことはしないように。いいですね、イタオ?」

「もちろん。俺も乱暴事は嫌いだからお前の意見には大賛成。」

「よかった。」


 二階へ上がるための大階段手前に斧を構えた細見な男が立っていた。他の二人は上にいるのだろうか。一緒くたに来てくれた方が楽だったのだけど、どうやら別行動で動くことにしたらしい。ああ、疲れるぞこれは。


「そこのきみ、ちょっと名前を教えてくださいよ」

「教えるわけねえだろ、頭とんでんのか?」

「〝オシエルワケネエダロ・アタマトンデンノカ〟さん!うん、すてきな名前ですね。ちょっと長いけど。」


 腰を低くして構えた。ちりつく危機感に導かれるまま柄の刀身を編み出し、イタオへと投げられた斧を即座に跳ね返す。(ダミー)だと直感が判断した私は彼の思惑通りに見せかけの隙を作りながらもうひとつ、柄をジャケットの裾から引き出した。柄をぎゅっと握ってパワーグローブが起動したのを確認する。

 斧男は私が作った隙へ飛び掛かってきた。


「信じちゃうなんて無防備」

「な、ぐッ!?」


 柄になけなしの魔力を込める。柄がぐっと伸びて黒鉄のクォータースタッフ(棒状武器)が編み出され、上から襲い掛かってきた斧男の腹を突いた。衝撃で手放したらしい斧が降ってくるのを避ける。パワーグローブの勢いに押された斧男は壁へのめり込む。急いで持っていたクォータースタッフと刀を地面に落とし、ショルダーホルスターに用意していた愛銃を引き抜く。


 セーフティを外し、狙いをつける。引き金を引く。それだけの動作を四度繰り返す。両肩、両足。四度分の悲鳴。これで彼はもう動けないだろう。

 銃を仕舞い、先程落とした諸々の武器を拾い、クォータースタッフを手袋のない右手で構えて斧男の頭へと狙いをつける。こういうのは一歩間違えるとたいへんなことになってしまうので、手を抜くわけにはいかない。私は壺が欲しいだけで、殺したいわけではないのだ。

 覚悟を決めた硬い表情へ微笑んでみせる。


「それじゃあ、おやすみ!」


 スイングしてから振り向く。


「無力化完了です。先を急ぎましょうか、イタオ!」

「……仕事が速いな。引き抜きたいくらいだ。」

「褒めたって壺は貰いますよ。」

「おーっと、違うだろサマリタン。奪う、な。くれてやる覚えはないぜ」


 む。ケチ。

 階段を上る。


「そうだ、お前の使ってる武器、詳しく教えてくれよ。見たことなかったんでね」

「えっこれ見たことないんですか?」


 両手には今、刀と棒が握られている。どちらもとても一般常識レベルの武具だ。彼は呆れたようにため息をついた。


「それじゃなくて、それの前の形態が気になってんの。」

「ああ、柄のことかな。」


 ジャケットの内側や裾に18個隠してある柄は私が重宝しているものだ。攻撃が当たれば瀕死な身にとっては敏捷さ重視なので、重い武具を持ち歩くのを避けたい私にはうってつけなのだ。


「柄は単体だと打撲くらいしか用途がないけど、柄と組み合わせられる武器は山ほどある。そういう武器をすべて持ち歩くより柄を持ち歩いて、必要な時に必要な部分を作り出した方が理にかなっているはずでしょう?それに、重いもの持って歩くのは好きじゃないから。」

「……なるほど、お前、規格外の無転百術者なのか。」


 目つきの悪い目をぱっと見開いて独り語ちるように、先を歩いているイタオはそんなことを言った。

 カイに説明した際にも似たような反応をされたことを思い出して、たかだか2か月前だというのにイタオの反応にすっかり懐かしさを感じた。


 ――無転百術者。ゼロから一気に百を作り出す者。零から〝完全〟を形作るまでの量子を魔力に肩代わりさせてそこに〝在る〟こととする力だ。無から完全を編み出す力は、親指台の物の具現でさえ多大な魔力を消費するため非常に燃費が悪いのが大きな欠点で、わざわざ無転百術者になろうと考える人間は少ないらしい。

 本来ならば私も魔力が少ない人間として無転百術は選ばない方が良いのだろうけど、()()()()()()()()()()()()()()()()。魔力も魔術の使い方もすべて、私は私の世界に存在する理との沿線上に存在している。この世界の燃費の悪さは正直ビビるほどである。

 そもそも、私の世界には魔力なんて存在しておらず、代わりにあるのは〝律〟と言うもので、私は未だにこの世界にある〝魔力〟というものを完全に理解しきれていないし扱いきれていない。

 ……カイに聞いた限りでは〝理〟に所以するものらしいけど、脳で理解しても体が追いついていけていないのが現状だ。


 とはいえ。魔力の理解が及んでいないあたりはネックではあるが、無転百術とは言ってしまえば世界という土台へ行うテクスチャの上書きだ。

 日々悩まされ続けていた体質である私の世界渡りもそれに近しく、カットアンドペーストで物を言わせているテクスチャの上書きだ。そういった面倒な体質と非常に相性が良かったことが幸いして無転百術は他の何よりも身に馴染み、魔力消費の少ない魔術だった。


 この世界の人間の目に映る私はさぞめちゃ強いのだろうと思う。ふつうにめちゃ弱いので期待とかされたくはないけど。

 ……、一応、念押ししておこうかな。


「ちょっと変な戦い方する程度で弱いですからね?」

「ふん、謙遜か?嫌味になるぜ、お前みたいなのがそう言うのは。」

「謙遜とかじゃなくて。いや。規格外なやつは本気で規格外だし。」


 笑って見せるとイタオは黙りこくってしまったが、事実は事実なのだ。特待生、なんて大層な称号がついているだけで、私なんかよりもカイや同期の特待生である拙分千歳――千歳のほうがずっと優秀で強い。カイは瘴気に弱いだけで人間相手には基本的に最強だし、千歳は相手がなんであっても負けるはずがない特性とそれに見合う力の持ち主だ。そして、そんな彼女たちと並ぶと見劣りするのが華のない私である。


 イタオの先導をもとに廊下を歩いているとふと彼が振り向く。明るいのに暗い瞳だ。イタオの魂のカタチと同じだ。さびしい命だと思った。


「……お前、やっぱり引き抜きたいわ。ASXに何の忠義心もないんだろ?俺と来いよ」


 実際、彼が異なる組織に所属する泥棒だろうと、ただのアーティファクト・コレクターだろうと私は一向に構わない。カイや千歳と違って、ASXに長期間留まる理由や意思は私にはない。そもそもの問題として私には切っても切り離せない放浪癖がある以上、住処を変えるのは遅かれ早かれの話なのだ。そう考えると彼のお誘いは十二分に魅力的なものとして見える。

 だけど。


「忠義はありません、きみの言う通り。だけど恩がないわけじゃないんです。」


 住む場所をくれた。職をくれた。そこにどれだけ意味がなくたって、ただ与えてくれた存在である彼女たちを裏切るようなことはできない。


「背を向けたら、それは、不義理だ。」


 一度、捨てては置けないものを過去に捨てたことがある。それは一度だけで十分だと言える経験だった。あのときはそれが最善だったので後悔はしていないが、思い出さずにはいられないものだ。

 過去に思いを馳せる私にイタオは好戦的な笑みを浮かべた。


「へえ、思ったよりイイコじゃん、ますます気に入ったよ。ほら、誠実さはチームにとって欠かせないだろ?」

「引き抜こうとしてたくせによく言いますね。」

「駒にするくらいなら強くても不誠実でもいいんだよ、邪魔になったら殺せばいいだけ。だけど誠実なら近くに置いておきたい。そういうものだろう?」


 驚いた。考え方が私とまるで違う。イタオは人を物として捉えている。それも断捨離が極めて素早いタイプの頭だ。


「さっき乱暴事は嫌いって賛同してくれてませんでした?」

「効率的だったらしかたないと思うよ、俺は。」


 にこっと微笑まれる。


「悪質な効率厨ですね。」

「なんとでも言ってくれ。」

「サイテー、乱暴人、アーティファクト・コレクターなんて言ったってどうせ他の泥棒から大金払って受け取ってるだけのノウナシ。」

「なんとでも言うな。言葉の綾だってわからないクチ?」

「言葉の綾を突くのが好きなクチです。」

「うわ、性格悪~……」


 ちりり、と感覚がする。穏やかに会話していたイタオを蹴り飛ばしながら私も勢いよくしゃがむ。ぎりぎりのところで銃弾が私とイタオの頭を掠めたのが見えた。

 止まない銃声に感覚がどう動けば助かるのか、思考を早める。姿勢を崩して倒れる彼の首根っこを掴み、すぐさま刀を地面に突き刺してから近くの部屋に入り込む。客室らしく豪奢なベッドの上にイタオを投げ捨てる。


「いッてぇな!もうちょっと丁寧に……!」

「ごめんごめん。」


 ドアの近くの壁に背を付けて隠れながら、先程地面に刺した刀の反射越しに件のスナイパーがどこにいるのか確認する。

 ――ガンマンか。個人的に、スナイパーよりは助かる相手だ。視界に捉えられるのなら最悪どんな相手でもなんとかなる。


「おォ~ハズレなしだと豪語してたんだけどね……いや、見事に逃げられちゃったもんだわ。でも何発かは入ったみたいだし、ホラ、今なら降参すれば助けてあげるよ、お嬢ちゃん~」


 さて。

 クォータースタッフを地面に投げ捨てレインコートを脱ぎ、銃を引き抜く。ガンマン相手に銃試合とか、誰もが一度は憧れるシチュエーションだろう。ただ問題は、先程ガンマンも言っていた通り私は一発避けきれず銃弾に脇腹を抉られている。

 防御用として体を魔力で固めていたのだけど――このガンマンは魔力防御への対策持ちだったらしい。それに加えて自分の脇腹の負傷……脇腹に食らっただけマシだろうけど、自分のエイム力が下がるのは目に見えている。まともにやり合えば明らかにこちらの分が悪い。

 ちょっとズルをしよう。


 一度、視覚情報と聴覚情報を自身の体から切り取る。

 ジャケット下から柄をひとつ取る。気を乗せ柄の中身を編み変える。できあがった即席閃光弾のピンを引き抜いてドアの向こう側へと投げる。

 ガンマンの魂のカタチが大きく揺れるのを見て、私には聞こえなくなった閃光弾による170デジベルもの轟音が響いたのだと分かった。即座にドアから飛び出して、ガンマンへと近付く。視覚情報を張り付ける。目の前に耳を塞いでいる驚いた顔の男がいた。


「悪いね。」


 銃弾を放つ反動が、四度。両肩と両膝分の銃声。血を流して倒れるガンマンとしばしば見つめ合う。四十代くらいの男の顔は苦痛に歪んでいる。その顔を見ていると途端に自分も撃たれたことを、その痛みを思い出して脇腹をかかえて座り込む。


「イーッ……!いたすぎる〜っ!」


 手が血に濡れる。どくどくとした鼓動が聞こえる。ちらりと脇腹をうかがうと肉が指二本分ほど抉れていた。これでウエストサイズを絞れました、なんてカイへの冗談が思いついたはいいものの、冷静になればなるほど痛みというものは鮮明になっていく。はやいところ壺に向かって進むべきだろうけど――痛い!

 ガンマンは唸る私を見て笑った。


「はは、おあいこにゃならねえけど、これで互いに痛みを分かち合ったわけだ……」


 何言ってるんだ。


「何言ってんだお前。」

「イデッ!殴んなくてもいいでしょぉ」


 イタオは私が先程落としたクォータースタッフでガンマンの頭を殴ると、私の腕を引っ張って立ち上がらせて先程脱ぎ捨てていたレインコートを押し付けてきた。辛そうな顔をしているのは、たぶん、先程の閃光弾の轟音に耳を傷めたのだろう。察しがついてすこし申し訳なくなった。一言かけられるほど余裕がなかったので許してほしいところだ。


「おい、サマリタン、傷を見せろ。治せる。」

「いえ、そんなことしなくてもそのうち治ります。」


 脇腹に触れようとするイタオの腕を遠ざけながら、押し付けられた赤色のレインコートへ腕を通す。

 体力回復くらいなら半人前の魔術師にだって使えるが、抉れた傷口の回復となると魔力消費が激しいうえ並みの魔術師では扱えきれない複雑な技術を要する。

 未熟な魔術は基本的に何であろうと、対象に対しての代償が大きい。千歳の練習相手になったことをかなりカイに怒られた苦い経験を思い出すと、私としてもどうも乗り気になれなかった。とくに信頼してもいない相手からの魔術は避けるべし、というか信頼していても避けるべし、というのはカイの持論であり、私はまじめな彼女を信頼しているのでその論に倣っている。少なくともそう考えるよう努力しているつもりだ。

『自分以外の魔術は基本的に避けるものであって!恩恵じゃないの!ましてや練習相手になるだァ!?かーッ、これだから宇宙人と天然は!』

 カイの怒号を思い出す。彼女はまじめで心配性だった。


 不安に思う私に対してイオタは胡乱げな表情から急ににっこりとした笑顔を張り付けた。


「とりあえず黙ってろよ。」

「お喋りだってよく言われるから無理そアッイタタタ」


 問答無用とばかりに脇腹を掴まれる。ぼんやりとしたなにか――私には理解しきれない、魔力が流し込まれると神経が熱を持ち出し抉れた血肉を再生していく。この奇妙な感覚にはいつまで経っても慣れる気がしない。

 彼は数秒してすぐに離れた。


「ハイ、オワリ。」

「ふうー……ありがとうございます。でも何故回復魔術を使ってくれたんですか?」

「は?なんで。逆にやらないような奴だと思うわけ?」


 イタオは顔を顰め、食い掛ってきた。なかなかに素早い食い掛り方だ。彼の反骨精神は私も見習うべきかもしれない。考えながら、そっと彼の頬と目元の痣を指差す。


「自分の痣を先に治療するものだと思っていました。」

「お前緊急性って言葉知ってるか?回復魔術なんてそうそう使えるかっての。効率っていうんだよ、こういうのは。」


 ああ、なるほど。先程、人を物として捉えている節がイタオに見受けられたので私のこともそう気にしないだろうと考えていたが、彼はそれ以上に効率厨だったらしい。イタオにとってより効率的に感じたのは私が完全な状態でいることなのだろう。

 ふと、イタオがクォータースタッフを投げ渡してきた。


「何ボーっとしてるんだよ、おやすみするんだろ?」

「ああ、そうでした!ありがとうございます。」

「ちょっ、それで殴るつもり?ちょっと待って。善き隣人(サマリタン)でしょまずは話くらい聞くべきなんじゃない?俺雇われの身でこんなボロボロのまま再戦を選ぶタイプじゃないしわざわざトドメ差す必要ないと思うよ?そんなことしないでよ……?!」


 乞われてしまった。カイがまじめで心配性であるように、千歳がこの世のほとんどに興味がないように、イタオが効率厨であるように。私は暴力を好んでいない。人間相手だと、なおさら。理由がないのであれば、なおさらのなおさら。

 十分とは呼べない無力化で満足して後になって追われて増えるリスクと、ただの自己満足。比べるまでもなかった。


「もう追ってきちゃだめですからね。」

「おっハナシのわかる子だったかぁ!」

「サマリタンさんよ……」


 イタオがコメカミを押さえて非難の声で私を呼んだ。言いたいことはわかる。間違っていることもわかっている。でも生きていく上でのモチベは大事だ。私やカイがファーゴやらサマリタンやらと名乗っている理由は、とても重要なのだ。

 しゃがんでガンマンの体をポンポンと叩く。音がしたところから暗器や銃が出てくる。私はそれを適当にレインコートの内側にあるポケットへ押し込んだ。


「これ、貸して貰いますね。帰るとき余裕があれば家の前に落としておくので。」

「俺のベイビーたちが……!」

「行きましょう、イタオ。」


 イタオは何も言わずに先を歩き出した。呆れているのは空気間で随分と伝わったけど、誰かが呆れられているからってだけで自分の行いが間違いだったなんて思えない。私はそういう性質だ。

 イタオは本棚を蹴飛ばして隠し通路への道を開いた。彼は隠し通路に入る前、一度振り向くと私を指差した。


「言わせてもらうけど、お前は引くほどのトラブルメーカー気質だね。理想主義者ってのは辛いなサマリタン、そのうちその理想が原因でお前は死ぬぜ。」

「む。それはどうだろう。私トラブルなんて起こしたことありませんよ」

「……トラブルメーカーってなんでみんなそう言うんだろう」


 イタオは呆れたようにかぶりを振りながら隠し通路へと入っていた。どうやら彼の周辺に相当なトラブルメーカーがいるらしいその苦労が言葉に滲み見えていた。

 ……暗い場所は苦手なので一度視覚情報を切り取って気持ちを誤魔化しながら隠し通路を歩く。何も見えていないので判断しにくいがどうやら埃っぽいのか、鼻がムズムズする。耐え切れずくしゃみをする。驚いたのかイタオの歪な魂が目の前で揺れた。


「ごめん、ここ埃っぽくて……」

「……ちなみにお前、理想主義は否定しなくていいわけ?」

「まあ。人なら誰だってどこかしら理想主義者で、誰だって自分の理想に沿って生きています。主義って結局、ぜんぶ理想から来るものだし……いつか理想が原因で私は死ぬって言いましたけど、人はなんにしろいつか死にます。その原因が理想ならきっと、満足して死ねると思いますよ。」


 イタオは立ち止まった。彼の魂は怠慢な動きで揺れる。


「それ即興?かなり重度のポエマーだな」

「いまのはあまり良い完成度じゃありませんでしたね。もっとポエムにできますよ!」

「へえ?それはぜひとも聞きたいね。」


 げ。意外に食いついてきた。冗談だったのだが、求められた以上は何か捻り出してみよう。同期ふたりにかなりな無茶ぶりを要求されることが多いので、即興でクサイポエムを生み出すのはそう難しいことじゃなかった。適当になんかそれっぽいこと言おう。


「えー。ゴホンゴホン……〝ひと、それは夢見るもの。夢、それは朝のない命。目覚める前に死ねたなら、それほど夢のあることはない。〟……まる。」

「うーん、43点。」

「もう一声!」

「0点。」

「キビシイな……」

「往生際が悪い、マイナス100億点だな。」

「わあ。アーティファクト・コレクターって規模がでかい。」


 イタオと話しながら、この隠し通路の規模があまりにも大きいことに疑念を持たざるを得なくなってくる。視界情報を切り取りすぎると目が疲弊してくるのだが、こればかりはしかたないので諦めて視覚情報を更に区別し、空気間の状態を確認する。

 うん、魔術結界だなこれ。


「イタオ、この隠し通路って、」

「言いたいことはわかる。……お前、走るの好きか?」

「ええ。好きですが、まずは状況確認でしょう。下手に走ってそれが何らかのトリガーになる、なんて避けたいし。」

「ン。」


 イタオは生返事と共にぴたりと立ち止まった。聞き分けが良くて助かる。

 視覚情報を次々と変えて状況を確認していく。無論確認の限界はあるが、しないよりはマシだ。今は情報が欲しい。世界渡りはなるだけ帰還用に取っておきたいので最終手段だ。


 ちゃんと私とイタオは歩いている。それはずっと私の目で目視していた。故に催眠術の可能性はない。魔術結界はじつに控えめな魔力量できれいに展開されているが、結界内にさらに幾重にも重なった魔力層があり、それが丁寧に薄く延ばされた魔術結界を二重窓のように強固にしていた。

 ……推測する限り、術師は間違いなく超技術者。

 隠し通路のすぐ横に立つ魂のカタチがよく見えた。淡く、それでも芯のある魂。


 斧男やガンマンは囮だったのだろう。だから三人とも別々で来て、こちらの消耗を狙ったに違いない。本命はこの魔術師の打ち出す結界――無限か?いや違う。無限なんて控えめな魔力量では展開できない、ならばこれは道と道を繋げてループさせている?道を消したのか?どれも違う。


 微量な魔力での結界、歩いても終わらない。


 ここで重点を置くべきなのは〝終わらない〟ことでなく、〝魔術結界〟という点にあるはずだ。薄く伸ばした魔力で人を閉じ込めるにはどうしたらいい?(シグマ)だったらどうする?どう動ける?魔力量からして結界内に敷けられるルールの限界点は高くない、比較的地味な魔術のはずだ。


 視覚情報を元通りに貼り付けて、レインコートからガンマンに借り受けた暗器を地面へ落とす。指先から離れた瞬間、暗器は瞬く間に闇の中へと消えた。……地面に当たる音は聞こえない。暗闇の中で目を凝らして自身の指先を見つめながらクォータースタッフを落としてみる。再度、床と当たる音はしなかった。勘違いでも、まぐれでもないらしい。


 この魔力量で、結界内で敷けられるルールの限界――沼か。


 暗闇で正しく目視できなかったから分からなかったけれど、この結界に敷かれたルールは沼と同じだ。動いていても、沼にいるから結局は進みきれていない。歩いていればそのうち出られる可能性はあるけど、その前に飲み込まれる可能性だってある。というか、ここのベースが〝沼〟である以上、足掻き続けると沈むという可能性が素直に脱出できる可能性より高い。

 慎重に動くべきだろう。幸い仕組み(トリック)は理解した。あとは結界破りだ。


 結界を破るには結界に矛盾を作ることが大事だ。ここの矛盾、沼の矛盾……上へ向かうのが沼としての矛盾だが、生憎私の手札に上へ向かうようなものはない。


「フム……強行突破するしかないかな」

「なにか案でも?」

「うん。めちゃくちゃ乱暴なことするけど、ここから出られないよりいいでしょう。」


 手袋を脱いで懐に仕舞い込む。

 足掻けば沈む。沼はそういうものだ。下手に魔術を使用して足掻いたという認識をされる前にすべて吹っ飛ばす。二重窓のような魔力層も、魔術結界も、すべて。


「何する気だ?」

「見ていればわかります。」


 にっこり笑う。イタオは小さく「……頼むぜ?」とじつに不安そうな声を上げた。

 最終手段そのいち、()()()()。これが効かなければいよいよ世界渡りするしかなくなり、私はちゃんとASXに帰れなくなる可能性がとても増える。まあ、もしもそうなったのなら、そうなる定めだったのだと受け入れる他ないだろう。

 左手を翳すように伸ばす。


「〝σετ(鏤め)〟」


 ありったけの気を奔らせる。すると沼が動き出すのを感じる。私は彼がどこかに行ってしまわぬよう右手でイタオの手を掴んで、私の腕を掴ませる。

 下へ翳していた左手を上へと向ける。掌の紋様が光る。


「〝Μετάνοια(懺悔の庭)〟」


 雨音が聞こえる、うす暗いその灰色に思考を奪われないよう調節しながら丁寧に庭へと手を伸ばす。胸元から喉にかけて焼けるような痛みが広がっていく。重く圧し掛かる苦しみを感じながら自分が何をすべきかという目的がブレないよう集中する。

 ここから抜け出す。ここを壊す。私たちはここから出られる。


「〝ここは過ぎ去らぬ記憶の道。喜怒哀楽、天地乖離、雪泥鴻爪。遠く彼方、地の果ての向こう岸、懺悔の憂い〟」


 調整も程々に庭から光を引き抜こうと伸ばした手を握りしめる。

 ――〝庭〟が、安易には使えない理由はいくつかある。そのいち、意識が少しでも揺らげば不発に終わるだけじゃなく意識をすべて持っていかれ、三日から一ヶ月ほど抜け殻になってしまい、目覚めた後にも多少の後遺症が残る。前にそうなった際は周囲に頼れる人間がいたから良かったものの、今はとくにいないので何が何でも抜け殻にはなれない。後遺症もきついし、何より抜け殻になった際のロストタイムがあまりにももったいない。

 安易には使えない理由、そのに。庭に必要なのは魔力ではなく、私自身の気であること。そのさん。こんなのを何回も使える程に元気な人間なんてこの世には存在していない。いたとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()

 口の中に鉄の味が広がる。それを噛み締める。

 私たちは、ここから出る。意思だけで庭の重圧を押し退ける。


「〝されど〟」


 体中が焼け付くようだ。

 私がここから出ようと足掻いていると認知したらしい不可視かつ不感知の沼が確実に上昇していっているのが分かる。息が詰まってくるのを感じる。あまり猶予はないのだと知らしめている。

 だが、これ以上の猶予なんてすこしも要らないことを、そこにいるだろうきみ(術者)に知らしめたいと思う。


「〝|Το φως είναι εδώ《光はここに》〟」


 庭で掴んだ光を離そうと、握った拳を開く。左肩が衝動で揺れ――その光が掌の紋様から溢れ出る。狭苦しい隠し通路を眩く照らす。魔力の籠を消し去っていく。


 重圧も体に纏わりついていた沼も流れていく。結界に穴が空いたのだ。沼の流れが持つ勢いに足元を掬われそうになったのか転びかけるイオタの腕を慌てて掴んだ。すると掴んだ左手を通し、まるで何かに刺されているかのような痛みが腕を駆け巡る。息が震えないよう思考を整える――庭の影響が表れただけで、問題は、とくべつない。


「悪い、サマリタン……」

「怪我は、していない?」

「ああ、おかげさまで。」

「なら良かったです。ちょっと先に行きますね」


 イタオが無事なのを確認した私は手袋を再度はめて隠し通路を走って抜ける。先程魔術師がどこにいるのかも確認していたので、足取りに迷いはない。

 ――いない。逃げられたのか?いや、そんなはずはない。視覚情報を切り取り、再度周辺を見渡す。


「っうあ!」


 喉にナイフが掠る。喉を抑える指が生ぬるい温度に濡れる。ツンとした痛みだった。視覚情報を切り取るのがあと一瞬でも遅ければ、頭と胴体が分かれていたのが分かって思わず笑いが洩れた。

 再度切りつけてくる腕を躱して一歩踏み込む。肘で相手の顎辺りを殴る。呻き声が聞こえた。しゃがんでナイフを避けながら回り込み、一発蹴りを入れてやる。呻き声。ぎゅっと手を握ってパワーグローブを起動させて、トドメを決めにいくため視覚情報を元に戻す。

 相手のみぞおちに狙いをつけて拳を腹にめり込ませる。


「ンッ!」


 視界の中に長い髪が揺れ、少女の体躯は壁にひびを入れた。優れた魔術師というのは大抵肉弾戦に弱い。技術面に力が入っている魔術師なら、なおさらだ。


「ぐぅ……っは、あ……は、いき、息が……」

「大丈夫、大丈夫。」


 片手でポフポフと頭を軽く撫でて銃と、それから柄を取り出す。少女の目と目が合う。憎々しさでいっぱいのそれに、私はちょっと申し訳なさでつい苦笑した。


「そんなに睨まないでください、困っちゃう。」

「ころしてやる……」

「そう?なら待ってる。」

「ばかにしないでちょうだいっ」

「していません。素直にやらせるなんて言ってませんし、ちょっと自惚れだと思う、それ。下手に強いとプライドが高くなってマトモに考えられなくなっちゃうのかな」


 でも待ってあげてもいいと思っているのは本気ですよーと笑って見せてから引き金を引く。彼女のように優秀な魔術師であれば目覚めた後すぐに回復魔術を使うのが目に見えているので焼け石に水だろうが、彼女だけ撃たないのはどうも公平性に欠けているように感じられて、引き金を引くことへの躊躇いはなかった。

 殴って気絶させるくらいなら柄だけの状態でも問題ないので、柄を取り出したそのままの状態ですぐに軽く腕を振りかぶる。床に伏せた彼女の意識が飛んだことを確認してから隠し通路に呼びかける。


「イタオ、もう来ても問題ありませんよ。」

「ん、ご苦労さん。危なげな怪我してるね。」

「かすり傷ですよ」


 触れようとしてくるその手を避ければ、イタオは「はあ、そりゃ何より」と乱雑に首を搔いた。〝効率〟が低下しそうにない限り深追いしてこない彼の姿勢は好ましかった。面倒くさくなくていい。

 着ていた服で適当に手についた喉の血を拭う。


「……、見たことない顔だな」


 彼は倒れている少女の姿を見ると、首を傾げ怪訝そうな表情を浮かべた。イタオは泥棒に襲われたと言っていたが、そのときにもきっと少女は姿を隠していたのだろう。


「透明になれるみたいだったので。きみも見えなかったんじゃないんですか?」

「ああ!?こいつだわ、俺を殴り倒したの。おい、もっと痛めつけてやれ!」


 イタオは幾つかの痣を拵えた顔をさらに顰めて苛立ちを露わにし、そんなことを言った。その凶暴性にどうも笑ってしまって、すると彼はぎろりと私を睨んだ。なんだかよく睨まれているな。

 もちろん、不必要なまでの暴力なんて意地でもやってやらないのでイタオは無視して一本筋の廊下を先に歩きながら彼の注意を引き付けるよう口を開く。


「きみ、効率はどうしたんですか?」

「ムカついて仕事にならないときに効率なんて一々気にしてられるかよ」

「はは、そういうの凶暴って言うんですよ。」

「うるせーよ」


 イタオは何だかんだ言いつつ気絶している少女に暴力を振るうことなく共に来てくれた。無力な人間に対して不必要な暴力を振るうようであれば撃ってやる。そう考えていた私は彼の素直さに安堵して、漸く一息つけた。軽く腕を伸ばしながら廊下先の階段を目指す。

 しっかり着いてきてくれたイタオは大股で歩いて、私を追い越した。それを見ながら銃のリロードをする。

 なんだかどっと疲れてきた。〝三節〟だけじゃないだけマシだが、二節の疲労も馬鹿にならない。


 階段を上ると、イタオは先に進むことを止めてきた。


「……ここら辺、仕掛けられてる。」

「はー、めんどう!」


 唸りながら視覚情報を切り替える。困ったな、ほんとうに色々仕掛けられている。こういうとき、普段はカイの駒鳥がなんとかしてくれていたのだ。それ以前はこんなまどろっこしい奴と鉢合うことすらなかったので困ることはなかったが、ああ、どうしたものだろう。希望を持ってレインコートのポケットを覗く。

 うん。まだ寝ている。


「フム、しかたない。体当たりで行きますか!」


 こういうのはなんだって勢いが大事だ。

 踏み出すが即座に肩を掴まれて引き戻される。


「なに。打つ手ナシかい、サマリタン?」

「お恥ずかしながら。」

「ふーん……じゃあちょっと下戻ってろ。終わったら呼ぶよ」

「打つ手アリ、ですか?」


 イタオは目を閉じて考え出した。

 この様子であれば、打つ手アリだと捉えて構わないだろう。一体何がしがらみになっているのか、たった数十分程度の関係では知り得ないが彼が長考している時点で私は彼を信頼したいと思った。

 効率厨で凶暴で、そのくせ本気にはならない、寂しげな魂を持つ青年。

 

 あえて本気にならないよう気を付けているのだろうと簡単に見て取れた。イオタは本気で凶暴で、本気で人を物として見ている。それなのに凶暴性を押さえつけられるその理性さが好ましかった。獣でも、理性があれば私はそれを人とみなせる。暴力に生きない人間は好きだ。

 イタオは結論を出したらしく、まっすぐとこちらを見据えた。


「……ま、もうあの透明女がいないってんなら隠す必要ないかな。アーティファクト・コレクターって言ったけどアレ、嘘。俺はイオタ。お前を利用させてもらった分、ここから先は俺も手助けしてやるよ」


 なるほど。彼の口ぶりからして私は所謂毒見役だったのだろう。イタオ、改めイオタをボコした存在を彼自身は見当もつかず、再戦を憚っていたところに何も知らない私がやってきた。非戦闘員だと私に言い、私が先遣することによって自分の安全を確保しつつ、一体何が原因だったのか探る。

 じつにクレバーで、まさしく効率厨だ。

 私はつい笑った。


「ていうかイタオとほぼ変わんないじゃないですか、イオタって。」

「ソレ、ここに来る前から散々言われてもう聞き飽きた。ほら、とっとと下へ行く。」

「見ちゃダメですか?」

「見せモンじゃないんだわ。」


 イオタは呆れたように笑って、しっしっと厄介払いするように手を振った。いやなやつだ。私だって私の力は見せモンじゃないもん。でも渋っても意味ないし、軽く頷いておく。


「了解。待ってるので、来てくださいね。」


 そう言って私は階段を下りて行った。

 ――私を置いて壺を盗みに行くようなことはしないはずだ。そうでもなければここでわざわざ彼が〝イタオソウジ〟じゃないことを話すメリットがない。私のことを嘲笑いたいというのであれば、それに付き合うまでだ。

 ……カイが聞いていたらキレていたに違いない選択だ。まあ、そもそもカイがいたらこんなことにはなっていないか。


 瘴気対策バッチリの完全なサポーターたる駒鳥にもまだまだ改良の余地があるらしい、なんて考えながらポケットから駒鳥を取り出す。

 完全に鳥の死体だ。可哀想ですらあった。仕組みとしてはドローンやラジコンである駒鳥自体に魂はおろか自己すらもないが、なんだか同情してしまって、指で駒鳥の頭を撫でた。


「……うん?」


 首がよろけてそのままの形に留まった私の視線は駒鳥のコメカミへと釘付けになる。

 ――小さな、小さな血のあとと、小さな穴。それは十分に乾いていて、茶色っぽく酸化していた。

 駒鳥は生きているよう見せかけるのにカイが心身を注いだ、じつに()()()()()だ。機械に血はない。例え駒鳥のコメカミに穴が空いても、壊れはするけれど、血は出ない。

 先程薄く切られた私の喉から出た血がポケットに紛れ込んだのかとも思ったが、それにしては十分に乾いて酸化しているように見える。新しい血には見えない。


「サマリタン、お前も名前教えろよ」

「あ、もう終わったんですか?」

「そ。簡単に人を信頼したあほの信頼に応えてやってんの。」


 話ながら駒鳥をポケットへ突っ込んで立ち上がる。

 ――駒鳥を破壊した犯人はイオタだ。簡単に推測できた。

 駒鳥が明確に壊されたのは、イオタに殺す意志があったからだ。駒鳥をではなく、私を。そうでもなければ駒鳥は死なない。私を守る動きを取るようカイは駒鳥をプログラムしているし、そこら辺の完成度は正直目を張るレベルだと私は知っている。

 ではなぜ私を殺そうとしたくせに生かして共に行動していたのか?という疑問、これについての答えは単純だろう。急に現れた(異物)へ向けたはずの一手は魔力制限が掛けられたあの場では切り札だったはずだが、私を守ろうとした駒鳥にその一手が向かい、手段を無くした彼が取った選択は私を毒見役にすること。辻褄が合う。

 では何故、毒見を終えた今もまだ私を生かそうとしているのか。そればかりはわからない、けど、少なくとも彼はまだ私を殺そうとしていないので今のところはそれで充分だ。


「……私は芒本志熊です。」

「イオタにシグマか。アルファとかベータも必要になってくるな」

「探せばいるかな……あ、きみ、その手はどうしたんですか?」


 イオタの手には血がにじんでいる布が巻かれていた。指摘すれば彼はそんなことをまるで忘れていたかのように瞬きをして、笑った。


「ああ、コレ。魔術の代償って色々あるだろ?俺の場合は魔力と血ってだけのこと。」

「へえ、結構たいへんそう、それ。貧血っていうのはなかなかにつらいですからね。怠いし、フラフラするし!」

「いや、俺は魔術代償のなかでも比較的マシなほうだよ。」

「たいへんなのを比べちゃいけないでしょう。」


 話しながら階段を上る。罠のなくなった通路をイオタが大股で進んで行った後ろをついて行く。窓のない通路は一本道で、一番奥のドアには簡単に辿り着けた。ただ、ドアは壊れていた。まるで蹴飛ばされたと言わんばかりの崩れ方に感心する。

 イオタがやったのだろうけど、あの一瞬でここまで来るのは些か無理があるように思える。彼が一体どうやったのか不思議に思いながら、ドアの破片を乗り越える。


 ――内側から見た屋敷にはやっつほどの魂があった。うちみっつは私が無力化した。この部屋には、残りの五人全員が倒れていた。ずらりと展示されたアーティファクトの下に突っ伏しているそのうちの一人、武器を持っている他の四人と比べた恰好から推測すると恐らく本物のイタオソウジの上に赤く貌のない鳥が居座っていて、私は即座に柄へと手を伸ばした。だが、イオタが私を止めた。


「鳥は俺のだよ。」

「殺したのか?」

「体当たりさせて気絶させただけ。言ったろ?乱暴ごとは嫌いなんだよ」


 壁も床もまっしろい部屋で、流れた赤い血は一層気味悪く見える。視覚情報を切り取って魂がまだ体に残っているか、イオタの言葉が本当にそうであるかを確認してから、イオタが展示されているアーティファクトのほとんど壊して回っていることについてどう反応するべきか考えた。


「壺も壊す気ですか?」

「いや。壺以外はどうだっていい。今やってるのは腹いせだね、うん」


 とてもいい笑顔で彼はそう言いながらビリビリと絵画を破いた。絵画から耳にこびりつく様な悲鳴が聞こえた。コレクターであるイタオソウジも起きていれば同じような悲鳴を上げていたに違いない。……乱暴ごとは嫌いという言葉との矛盾がどうも激しいように感じられるが、イオタから言わせれば効率の話なのだろう。

 バンでカイに見せてもらった壺の写真にはわかりやすくデカデカと達筆な筆書きで『全有壺』と書かれていたので、すぐに見つかるはずだ、と視線を辺りに巡らす。


「あ~……?」

「お気に入りを見えるようなとこに置くと思うか?シグマ」

「フム。なるほど、確かに一理ある。」


 目的の壺とは異なる壺を地面に叩き落とし割りながらイオタが放った言葉に深々と納得する。隠し通路があったくらいだ、自分にしか見つけられない細工をする、というのは無難なムーヴのように感じられる。

 今日はこれ以上使いたくなかったが四の五の言っていられるほどの人間でもないので諦めて視覚情報を個別化し、一層一層を確認する。するとどうも妙な引っ掛かりが見えてきた。


「ッい、イオタ、そこの、壁。探ってみて。」

「リョーカイ。……お前、様子が変だけど、どうかしたか?」

「ちょ、ちょっと目を使い過ぎた。」

「っはは、貧弱だな」


 イオタに見られぬよう俯いたままぐっと目元を拭う。べっとりと温い温度の血が、目元を拭った手の甲を濡らす。服にあてつけて手の血を拭うが、血が目にしみて、涙が出てくるといよいよ目を開けていられなくなる。キリがないので仕方なくシャツの襟を目元にあてて息を整える。

 自分の目から流れているであろうそれに嫌悪を感じているとカチャ、と音が聞こえた。


「お、小細工発見。貧弱なくせに便利な目だなぁ、サマリタン?」

「よく言われるよ。」


 そろそろ血が止まったかな、と顔を上げる。私の回復を待っていたらしくイオタは壁に背を凭れ、私を見つめていた。彼が凭れる壁の横は大きく凹んでいて(なんと私やイオタよりもでかい)金庫が嵌められている。あそこに壺があるのだろう。


 巨大な金庫へ近付く。指紋認証のようだ。不用心だなあ、と思いつつ気絶している本物のイタオソウジを担いで金庫の前に下ろす。手を指紋認証機に押し付けると、金庫内から幾つもの音が聞こえた。いかにも鍵が外れていっている感じがして、その音を聞くのは楽しかった。

 金庫の扉がわずかに開く。


「お先にどうぞ、サマリタン。俺はここで待ってるよ」

「ご丁寧にどうも、イオタくん。壺持ってきますね」


 などと軽いやりとりをしながら金庫内へ足を踏み入れると、おしゃれな電灯に明かりがつき……なんていうか。お金持ちってすごいなとしみじみする。

 

 ――全有壺は金庫内の最奥でひっそりと、そして豪奢に飾られていた。

 私とイオタは共に同じ壺を求めてここに来た。喧嘩になるのは目に見えていたので、どうなるかなんて考えたくはなかった。思考放棄するほどには疲労困憊していた。なんとかなるでしょうと、とりあえずデカデカと『全有壺』と書かれている五十センチほどの地味な色の壺を抱え、金庫を出る。

 イオタは私をじろじろと見た。


「魔力は感じるが……どうだ?すべてを有したって感じはするか?」

「全然しません。ただの壺ですねこれ!」


 軽く掲げて壺を見上げる。どこから見てもちょっと地味な色の壺だ。ぼんやりと、なんとなく壺から圧力の感情を感じるのでただの壺ではないのは分かるが、全てを有する的な感覚はこれといってない。


「やっぱただの噂だよな。すべてを有する奴が鳥に体当たりされて気絶してたまるかっての、ははっ」

「フフ。とりあえず持ってみます?すべてを有してみたくはありませんか?」

「いらねえよ、どう見てもガセ、縁起悪いまである……おいこら押し付けんなアホ」


 きゃーきゃー笑い合いながら、壺を押し付けていると観念したイオタが壺を抱えた。途端、壺が黄金色に輝く。

 ――え?



 ※



「カイ、壺は壊しました。」


 電話越しにそう告げるとカイの動揺する声が鼓膜を揺らした。無事だったのか、何が起きたんだ、壺を壊したってなんで。疑問と心配。優しいんだなと相変わらず思う。でも、今はなにも。なにも話したくなかった。なにも聞きたくなかった。最低限だけで済まさなければならない。

 ごふりと血が口から溢れる。その血はびちゃりとスマホを汚した。地面へ落ちた血は雪を赤く染めた。血は嫌いだ、とくに、白が染まるときの血は。

 ――体中に奔る激痛。気が削れまくったせいでどうしようもなく世界に嫌われているなんて感情になる。


「笑えよ……カイ、ついさっきおまえの弟に殺されかけた。いまASX、に帰るとぉえ……う、殺される気がするんで……座標を、ずらした。新潟の、公園にいる。ひまだったら助けてくれ。ラーメン、つきあえ、なくてごめん、ね」


 降り注ぐ雪が頬に触れる。体温でそれはすぐに溶けた。ベンチに座ることもままならず、その手前で崩れ落ちる。通話終了の画面が映るスマホは手から零れ落ちた。何度か拾うのに失敗しながら、なんとかジャケットのポケットへ仕舞うことに成功する。体はボロボロでも誰かに連絡できるだけ、スマホが生きていただけ幸運だった。


 ……カイの弟――国蝶庵太(コクチョウイオタ)……イオタは……、寂しい命だった。


 全てを有する壺。


 全有壺は、確かに全てを有する壺だった。ただ、なんの全てであるのかを明記していれば、この話はもっと平和に物事が進んでいたに違いない。

 ――壺の実態は、AからBへ壺を受け渡す際、その瞬間に至るまでの生きてきた記憶と感情、思考の全てを、AとBが互いに共有するものだった。

 〝相互情報全有壺〟とかにしとけ、とイオタの記憶と感情を思い出しながらそう思った。


「はあ……はあ……ふー……」


 ――ちょっと、さすがにしんどいな。

 体中が傷と血と激痛に塗れている。吐血しているあたり、内臓はどう感じても無事ではない。本気で固める防御を行ったというのに左足はあの血の鳥のせいでぽっきり折れて微塵も動かない。他にも諸々の骨が折れている感じがする。視界はもうほとんど何も見えていない。印象主義もびっくりのぼやけかたをしている。

 痛みに耐え切れず雪の上で軽くもがいて、頭を雪に埋める。自身の腰を掴んで、握り締める。爪が肉に沈む。

 あいつ(イオタ)強すぎないか。いや、それもそうか、彼は……。


「だいじょうぶですか……」


 血の気が引いていて仕方ない、とばかりの声だった。なんだっけ、普遍者(パクス)、だっけ。顔を上げて笑って見せる。


「うん、へーき。」

「なわけないですよね」


 なら聞かないでくれと思った。言えるほどの元気はなかった。このまま死んでしまえたら楽だという考えしか浮かばないこの状況では、なおさらに。

 目の前に映る、もごもごと動くシルエットは学生服を着ていると徐々に気付いた。こんなに寒いのに学生服だけとは、健気だ。と思ったらなにか体の上にかけられる。たじろぐと、肩を抑えられる。

 その手が暖かくて、つい離れたくないと思った。


「安心してください、僕の上着です。……き、救急車だよな、こういうときは、うん。」

「いや……きゅ、うきゅうしゃじゃないけど……助けなら、呼んだ。GPS情報でく……ふー……来るから、帰っていい。」


 来なかったら来なかったであとは死ぬだけなので構わないが、そんなことを言って目の前のお人好しな少年を心配させたくはなかったので本音は伏せておく。


「……あなたがふつうの人間じゃないことくらい、わかります。きっとなにか僕には想像もできない事情があって、確信をもってそう言っているのも分かります。目の前に突然落ちてきたら、そりゃあわかります。……けど、女の子がこんだけ傷だらけなのに、はいそうですかって見過ごすほど、僕は終わってない。」


 意志の宿る声だった。彼は私を抱えた。確かな温度が、離れがたい。この世界で最も確かな温度のようだ。だけど、こんなにすてきなものに浸り続けてはいけない。少年の有無を言わさぬ態度に私は焦りながら口を開いた。


「いや。放っておいて、いいんだ。ほんとうに。きみは明日にでもなれば、このことを――っ、忘れる。そういう魔法を……こう、ばちゃーっと……かけておいた。」


 口に溜まる血を飲み込みながら、なんとかそう伝える。普遍者(パクス)は異質を記憶できない。魔法をかけたのは私ではないが、そう言っておけばこの優しい少年に放っておいてもらえるのではないかと思った。

 適当に笑顔を取り繕って見せる。


「きみが、誰かを……見過ごしたことも。きみがそれを、いやだと思ったことも。忘れちゃう、んだから。」


 少年はため息をついた。


「だったら、なおさらダメです。なおさら、あなたを見捨てられない。」

「へんなやつだって言われるだろ」


 突き放す言葉を言った。これで彼が呆れて、私をそこら辺の地面に放り投げてくれたらと願った。でも少年は呆れるくらい真剣に頷いた。


「変でもいい。どれだけ意味がなくたって空虚でも、僕にはちゃんと意味があることです。だから、なんだって構いません」


 なんて、まっすぐなんだろう。少年の眩しさに思わず息が詰まるほどだった。こんなことは、うまれてはじめてだった。


「でも、わ、私は……意味のない命だ。けっこう、見るからに手遅れそう、でしょう?」


 認め難くはあるが、現に私はいまこの状況の全てを受け入れている。カイが間に合わなければ死ぬこと。この生の無意味さ。自分の身勝手さすらも。しかたがないよなぁ、って笑えてしまうくらい、終わりが来るのを受け入れている。

 それくらいには、傍から見ても、自分から見ても手遅れなのは明白だ。だから、少年には放っておいてほしかった。明日に忘れるとしても、少しでも私を想っている時間はない方が良い。パクスは長時間、普通じゃないものに触れると支障をきたしてしまう。まっすぐで、すてきな彼には、何事もなく幸せに生きてほしかった。

 それなのに。


「手遅れだからって何もしなかったら、本当に手遅れになる。そのうちやってくる未来を一々考えてたら、キリがないし。やるべきことも、やりたいことも、できなくなる。」


 少年は戸惑うこともなく言った。


「もしあなたが次の瞬間には消えるような命でも、あなたは今まだちゃんとここにいる。それなら空っぽでも、無意味でもありません。誰かがあなたのために何かをする価値はある。きっとそうであるべきだと思うんです。」


 ――その言葉に、喉の奥が詰まるような感覚がした。なにか生ぬるいものが頬を伝った。口の中に溜まってくる血をもう一度飲み込みながら、曖昧に口を開く。


「きみは、明日には、覚えていないよ。」

「でも今日は覚えているんですよね。」

「……やさしいんだ。」


 感想が口元から零れた。

 少年の実直さが身に染みるようだった。荒んだ記憶と感情を押し付けられた後だと、一層と染みるようだ。……あの記憶で唯一の救いはイオタが救いを手に入れたことだ。その救いが、どんなにものだとしても、救いは救いだった。そしてイオタにとっての救いがアレであるように、今の私にとっても少年の優しさは紛れもない救いだった。

 けれど少年は戸惑ったように、もどかしさに悩むように呻いた。


「違う……違いますよ。僕はそんなふうに思われていい人間じゃないんです。」

「ううん、だいじょうぶ。きみはちゃんと、やさしいよ。」


 手を伸ばす。触れてみたかった。

 少年は私の意図を理解しただろうに、大人しくされるがままになった。少年に触れるたび、胸の奥、魂が補修されていくような気持になる。


「これでたぶん、私の血が付いた。」

「汚さないでくださいよ……」

「明日、このことを忘れているきみはその血を見てびっくりして、腰を抜かしちゃうかもしれない。おろしてくれたらきれいにしてあげるよ」

「だったら、いくらでも汚していいですよ。」

「……」


 やっぱり、ちょっとへんな子だ。どうしよう。でも話がうまく通じないところは千歳に似ている気もする。


「どこに向かっているの、少年くん」

「僕の家です。すぐ、そこで……母さんが看護師なんで、それなりに教えてもらっている息子の身分でもちょっとは手当できます。」

「DIY治療するつもりか。きみ、相当肝が据わってるね」

「手当のことそんなふうには言わないよ。それと、鹿目礼司です。僕の名前。少年くんじゃありません。あなたは?」

「わたし、は……」


 名前。これだけやさしくて、これだけまっとうな少年に嘘の名前を教える気にはならなかった。それに、明日にはわたしのことなんて何ひとつ覚えていないのだから。口が開く。ほんとうを言うなんて、いつぶりだろう。自分の名前、好きじゃないのにな。

 ほんとうを言うと、「あまり聞かない名前ですね……」と鹿目くんは珍しがった。その声が、かわいいと思った。



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