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・14-スターフィッシュ・アンド・コーヒー

Starfish and Coffee



 血と消毒液の臭いで医務室が満たされている。

 臭いの元は影崕派本部へ戻ってきた全身血塗れ、満身創痍の千鶴だった。この男の場合、彼が全身血塗れであればそれは常に返り血であると認識していたのだが、今度ばかりはそういうわけにもいかなかったらしい。いつも背を真っ直ぐとしている千鶴が、姿勢を崩し、荒く息を吐いて医務室の椅子に座り込んで自ら手当に勤しんでいる。

 普段なら常駐の医者がいるはずなんだけど……千鶴が追い出しでもしたな。彼の医者嫌いはいつまで経っても治りそうにない。ガキじゃないんだからたまには素直に治療を受けなよ、と親切心からで促したことはあるが、やはりそれもすべて無駄だったし。まあ、千鶴なりの驕りなのかもしれない。


「で、お前の大好きな星はやれた?」


 とりあえず本題を尋ねれば、千鶴は薄くせせら笑った。


「あの場には、ふたりいた。」


 はいかいいえの二択を差し出したつもりだったが。それ以外となると失敗したのだろう。千鶴自身もまた星であるというのに、この件が失敗となれば彼のアイデンティティに関わる話だ。とはいえ星狂い的には最高に昂る話らしく、今の千鶴は今まで見てきたなかで最も目を輝かせている、生きている。元気そうで何よりだねー。


「ふたりの星ね……もうひとりはどういうやつだったんだ?星なんて早々いないし、情報とはべつのやつが同じ場所に居合わせたなんて面白そうすぎて気になるんだけど。」

「速かった。」


 うわ。つまんねえ意見。商品レビューで良かったとだけ書いて投稿するやつだ。ああいうの、嘘っぽいし信用ならないし理由付けがないから好きじゃない類だが、千鶴は如何にもそういうムーブをする質だろう。星狂いの件に目を瞑って評価を下せば千鶴はよく言えば質素、悪く言えば退屈な男だ。星狂いの件に目を瞑れば言動の予測が全て可能と言っても過言ではない。彼がクソつまらない感想をあげること自体が予想の範囲内で、それがまた千鶴らしいとも言えるのだろう。

 しかし、まあ。星狂いがただ一言、速いと言うのであれば、それは相当な速さだったに違いない。その星の素晴らしさたるや!みたいな説明はなくとも、彼が言うんだからそうだ、みたいな信頼感は確かにあった。質素で退屈な男の意見は、質素で退屈なりに無駄がなく、事実しか残らないからだ。


 とはいえ俺だってどんな星だったのか興味はある。千鶴が唯一興味を持つ存在、星の加護の元に生まれた超存在。そういった愉快なものは好きだ。ユニークさってのは個々を判別するにあたって必要なもので、際立てば際立つほど、唯一性が煌めく。

 やっぱり、リミテッドエディションっていう語感に惹かれない人間なんていないと思う。そしてそのリミテッドエディションをたかだか〝速かった〟だなんてつまらなくて短い感想を出されると、どうにも納得がいかないのも当然の通りだとも思う。はあ、とため息をつく。

 しかたねえ、聞くか。好奇心に腹は変えられない。


「どう速かった?どう動いていた?それの容姿とかは?」


 尋ねてみれば、千鶴は珍しく黙り込んで考えた。そんな考えるような質問でもないだろ。


「……独特的だったな。」

「独特だあ?」


 お前が言うなんて相当だぞ。という意見は堪える。


「視界に何かが現れたと思えばすぐに――ああ。そういえば、バンの乗車している人間を処理する件についても失敗した。」

「は?」

「君の家族は殺せなかった。」

「いけないね。ちょーっと黙ってくれよ。」


 軽くオーバーなストレスで狂うかと思った。星狂いには期待をしていたのに、結局期待するだけ損だった。失望の念をぐっと胸に押し込めて殺すハメになったのは構わない、だがどうにも家族呼ばわりは癪に障る。許せないという感情にただただ突き動かされそうになる。そしてそれはとてつもなく愚かな真似への誘惑へと繋がっていると俺は知っていた――具体的に言って、ひどく、目の前の男を殺したくなった。なんていうか、ああ、これ以上キレるとさすがにまずい。本気になるな。クールにいけ、俺。くだらない感情が理由の勝てない争いはしない、するな。

 気分を悪くした俺を気遣えた千鶴は俺の言葉通り暫く黙り込んでくれた。それから星狂いは俺に頭を下げた。機械的なそれにはなんの意味もないと思うが、謝罪は謝罪だし、相手は星狂いだ。俺だってそこを推し量る器量はあった。


「悪いな、イオタ。君の狙いは星に連れられて逃げられた。」


 カイの近くにいるであろう、星の命――。

 脳裏に過ったのは、ヘラヘラ笑う緑頭。

 いや。まさかとは思うが。


「……赤い、ジャケットか、長靴は履いていたか?」

「ああ。」

「緑髪?」

「ああ。なんだ、知っているのか?」

「ゼノ隊員の制服に手袋?」

「ああ。」


 うわビンゴ。サイアクだ。あのゴミクズ、いつも俺の邪魔ばかりして。ほんとうに死なねえかな。

 苛立ちにたまらず頭を掻く。星狂いも勘違いをしてしまって、可哀想に。あれを星だと勘違いする気持ちはわかるし、俺だって何も知らなければ〝そう〟だと判断していたに違いないと思う。だが、あれは決して星だなんていうリミテッドエディションではない。そんなに美しいものではない。そこまでの唯一性はない。あれはただの命だ、汚らしいまでに生き汚い存在。その器量もないくせ生きる滓だ。


「星狂い。一応言っておいてやるけど、そいつ星じゃないよ。アレは完全にマガイモノ。」

「拳が逸れたんだ。」

「マガイモノっつってんだろ。信じていい。芒本志熊、この世界でいちばん俺が嫌いなやつ。あのクズに星だなんて評価を付けるな、品が下がるぜ。アレ、よくてヒトデだから。」

「……ふむ。彼女が、君の話していた存在か。」


 俺が頷けば、千鶴は黙り込んだ。何を考えているのかやはりわからない表情だった。だが、まあ。何を考えているにしても信じてもらいたいものだ。あれが仮に死んだところで千鶴の呪いが癒えないのは明白だ。取り込めないだろうし、仮に取り込めたとしてゲテモノマガイモノすぎて調子崩すに違いない。


「ん~……ま、殺したいのなら殺せば良いんじゃない?お前なら殺せるだろうし。ただ、時間と労力の無駄になると思うよ。あれ、基本的に価値ないから。」

「彼女についてまとめたファイルは?」


 コイツ。人の話聞いてないのか?いや聞いていてコレなんだったな、コイツ。頑固で人の話を故意で無視する、自分のやりたいことしかしない快楽主義の鬼。ハイ、そうでしたね。


「イオタ。」

「あー、ハイ。ハイ。ファイルね。あとで送っておくよ。」


 忍耐不足気味な星狂いに促され、適当に何度か頷く。ちゃんとした名称もつけないでPCに保存したファイルの山からシグマのファイルを見つけ出すのはなかなかの労力になるだろうけど、いまの状態の千鶴は星狂いモードだ。こちらが何を言っても聞かないし、こちらが要求をのまなければたいへん面倒くさい。一体どれくらいの時間がかかるのか想像もできない。

 あークソ、こういうときばかりはどうも最初から真面目にファイルの整理をすべきだったのかもしれないと感じる……とはいえマトモに整理するにはあまりにも手遅れだし、いまのままが心地良いので変える気にはならないのもまたファクト。ちょっとの不便くらい放っておいても構わないだろう。努力でなんとかなる、うん。


「そんで。本命のほうは何があったんだよ?」


 現実逃避、改め閑話休題。


 そもそも俺はあの緑頭の話を聞きに来たワケじゃない。できればアレの話は金輪際聞きたくないくらいだし。帰って来るなり医務室へ直行した星狂いが心配で様子を見に来たとか言うワケでもない。彼とて星であるのだと俺は理解しているし。


 まだ終わりそうにない〝滅罪〟の研究に時間を割いていたいこの俺がわざわざ医務室へ千鶴の様子を見に来たのは、俺の選択が正しかったと知るためだ。一時契約を結んだクォータム社がこちらに渡した星に関する情報が何の役にも立たなかったのであれば――自分で言うのは憚れるが、癇癪を起こすレベルだ。めちゃくちゃに腹立つ。だから知りたかった、自分が正しいのだと。


 千鶴はそれを理解してくれたのか、していないのか、相変わらず読めない表情で語り出した。


「あの場所には確かに星がいた。」


 うん、よし。いいぞ。


「目的地についたあとすぐに分身して、片方はバンを襲い、片方は内部結界内へと向かった。その際にスナイパーライフルを持った邪魔な男がいたので落としておいた。」


 邪魔な男?……誰だか知らんがどうせゼノ関連の男だろう。


「それ、殺してもよかったんじゃないか?」

「君は待ちに待ったご馳走を目前にカップ麺を食うのか?」

「カップ麺はご馳走だろ。」


 千鶴は俺を無視して続けた。


「内部結界は脱出を考えると面倒になる、なので手っ取り早く結界の主であるシンを狙い動いた。」


 そこまで言うと、千鶴は自身の首元のネックレスを軽く引っ張り出して示した。ポーランドから盗んできたアーティファクト、シン・フォルテーヌ。身に着けていればオートで強力なシンや核がいる方向を知覚できる優れモノだ。欠点と言えば長時間身に着けていると〝死〟が引き寄せられるのだが、星である星狂いには効いていないのでひたすらに有用なアーティファクトと化している。内部結界が関連する〝お使い〟にはもっぱら千鶴が行かされる理由のひとつだ。


「ビバ・文明だな。」

「ああ。次に核を探した。するとそこでふたりの子供と鉢合わせた。かなり貧弱そうな少年のゼノと、この内部結界の核となっていた少女――羽野薫だ。」

「お、本命登場。星が核ってなかなかイイ話じゃん。星の強固さがよくわかって、かなりイイ。好みのストーリーだ」


 願っても死の運命から遠ざかる星ならではだ。ふつうに生きている人間なら核には選ばれなかっただろう。何をしなくても生き残るだなんて羨ましいね。


「そしてたいへん無念ではあったが、こちらの邪魔をしてきた少年ゼノの心臓をはじめに穿った。」

「結局カップ麺か?」

「結局な。その後、星の腹を貫き、魂を吸おうとした際……驚いたものだ。何者かに完全にこの肉体を破壊された。目視も認知もできなかった。そのせいで殺し損ねた。」

「へえ!」


 そりゃあ傑作。苛立ちがすっかりと消化された気分だった。クォータム社の情報は正しかったし俺の選択も間違ってはいなかったが、千鶴が痛手を追って帰って来たのは羽野薫が星の命としての機能を発揮させたと考えるべきだろうか?……いや、それじゃあ辻褄が合わないんだっけか。

 基本的に、()()()()()()()()()()だ。仮に羽野薫の星が煌めいたとして、呪われているにせよ同じ星の加護を受けている千鶴はそれをなんとなしに貫通できる。だから辻褄が合わない。羽野薫が生き残ったこと、千鶴の半身が砕かれたこと、信じ難くはあるがそれらに繋がりはないのだろう。


 加護とは言わば、理に刻まれた刻印だ。

 数ある加護のなかでも星の加護は、死そのものからは程遠い常に逃れ行く命、不変の生を人間に因縁づけるモノだ。生の因果を引き寄せる、ある種での呪い。

 殺されたのが半身とはいえ、半身であっても彼の星としての危機感知能力は確かに機能すると前に聞いている。となれば千鶴自身の星の力が弱体化していたわけじゃなく、羽野薫自身の星が煌めていたわけでもなく、ただ純粋に、理ぐるみの危機感知能力を持つ星狂いに目視はおろか、認知もさせずに殺した何者かがいたのだ。

 運命殺しでもなければ不可能だと思うが、世界規模で数人しかいない運命殺しだなんて存在があの場に突如現れるわけがないので……この場合、最も辻褄が合う答えはひとつだけだ。

 それだって奇跡的な状況すぎて、ちょっと認めたくないものだけど。


「……()()()()()()()()()()()()()って、相当な話だな。」

「俺は、ふたりだと思うが……まあ、それもひとつの見方か。」


 こいつ、と目が回る。あのクズを星だと認識できるのなら三人目の存在を認めるべきだろ、常識的に考えて。否。星狂い相手に常識なんて詭弁が通用するワケもなかったのでそこは俺も甘かったかな、認めよう素直に。俺もまだ未熟だ。

 とはいえ。三人目の星の存在を否定するようであれば、千鶴は運命殺しがあの場にいたとでも考えているのだろう。理に人一倍干渉できるくせ、運命を殺すしか脳にない低能共。預言者のなり損ない。個人的に運命を殺してやるって反骨精神は好ましいが、頭を使わないところはどうにもアホっぽくて評価できない。


「ま、あの場にいたのが運命殺しにせよ星にせよ、だ。俺個人の考えだけど、ヒトデ(シグマ)よりそっちを探す方がずっと賢明だと思うよ。」

「がむしゃらに暗闇に向かって手を伸ばすより、空へ手を伸ばした方がより星に近付けるだろう?」


 ……星狂いらしい意見だ。

 俺から見たら、暗闇のなか星に照らされて光って見えたガラスの破片に映ったヒトデを星だと勘違いして手を伸ばしているようなのだが、まあ忠告はしておいたし、これからをどう動くかは俺の知ったことではない。大人は自己責任だなんて、誰もが知っていることだ。常識以前の知識。


「ひとつ、報告しなければならないんだが。」


 立ち上がって去ろうとする俺を見て、千鶴は表情ひとつ変えずに呟いた。報告だなんて言われて良いニュースが聞けると思えるほどの楽天家ではなかったので、軽くため息が漏れる。


「なに。」

「片身を壊された際、魂を半分吸われた。」

「は?」



 ※



「あ、ぅぁ――!」


 血。まあか。ぬるい。衝撃、熱、痛み。その瞬間は全てが遅れて感じた。

 僕の胸を貫いた拳。肉と骨が破裂して、砕け散っていく感覚。

 悲鳴も呼吸も、手も足も出なかった。

 先生、と悲痛な声で僕を呼ぶ獣の泣き声。

 今度こそ死んだのだと、その全てで痛感した。


 それでも、と僕の体は動いた。

 男の拳があの子の腹を通貫しているところを目にして、僕だって心臓が丸々ぶっ飛ばされている状態じゃ〝この先〟なんてなかったのは明白だろうにその瞬間はただひたすらに、あの子を守ることを諦めきれないだなんてばかみたいに思って、僕はポケットに押し込んでおいた自爆武器へと手を伸ばしていた。

 説明されなかったしなんの効果があるとかとくに聞いてはいなかった、ただの自爆武器とだけ称された煙草の箱型のそれを僕は使ったのだと思う。曖昧な言い様になってしまったのは、このとき既に真っ暗な視界で何もかもが不確かに感じられたからだ。死んだと確信しながらの行動だった。


 しかし、死んだと思ったのに僕は生きている。また。


 死んだと思ったのに生きているという体験は二度目だったので前よりは状況をある程度甘受していたが、それにしても何故こんなことになっているのか、自爆武器へと手を伸ばした後の話はなにひとつとして記憶になかった。


 ――ASX第一本部。

 医務室のベッドに腰掛けて、なるだけはやく僕の視点の顛末を話終える。

 ……苦痛でしかない記憶を振り返りながら人に説明するのはこれがはじめてというわけでもないが、慣れるものでもなければ、慣れたいものでもない。叶うのであればこんな経験は二度としたくなかった。あの惨劇を引き起こした奴を殺したいという願いも、あの子によく似た少女を守りたいという願いも。結局僕は何ひとつ叶えられなかった。叶えば叶うほどすべて遠退いていくようだ。

 話を聞き終えた、僕の目の前のスツールに座るマジモトさんは静かに、彼女ならではの傲慢さを声に滲ませて呟いた。


「お前は幸運だった。」


 幸運。ただそれだけが僕の全てであるかのような言葉で、なんだかひどく不快だった。幸運だったのが事実だとしても、僕が幸運だと感じたことなんて一度もないからだ。理解はできても納得は少しもできなかった。

 前に獣の件で幸運だと言われた際は、こんなにも苛立ちはしなかった。今こんなにも無意味に苛立っているのは自分の無力さにどうしようもなく打ちのめされているからだと、そう自覚できている。そう自覚せざるを得ないほど、あの校舎での無力感が未だに僕の心を巣くっていた。


「お前の不始末とカバーシナリオの即興を担当したシグマがいなければお前は今頃世界評議会行きだったんだぞ」

「誰ですかそいつ。聞いたこともないし助けろなんて頼んでません。世界評議会に行けって言われんなら行ってやりますよ。」


 マジモトさんは感心深そうに眉を上げた。その仕草に対してなにが言いたいんだよ、って食って掛かるのは辛うじて堪えることができた。第一なんでこの人がいるんだ。


「気立っているようだが、羽野薫は無事だぞ。」

「……え?」

「幸運だったろう?」


 彼女が生きている。

 あの子によく似た、僕の、ともだちによく似た少女。


「それが、ほんとうなら」


 言葉が洩れる。

 わからなかった。まだ生きている僕がおかしいだけで、ふつうなら羽野さんがあの赤髪の男に食らった拳は致命傷だ。彼女は腹を貫かれていた。それは確信を持って言える。目に焼き付いて離れない凄惨な光景を簡単に忘れられるわけないし、見間違えるようなはずもないからだ。

 どれだけ僕が彼女の無事を望んだところで事実は変わらない。それが、痛いほど常に感じる、現実と言うものの無慈悲さだ。そうであったはずなのだ。

 だけど。


「いま、どこにいるんですか?」


 だけど、僕がいま生きているように羽野さんが無事であるのなら。僕はいますぐにでも彼女の元へ走っていきたい。触れて、彼女の鼓動を感じたい。生きているんだって、その確証を感じたかった。失わずに済んだのだと思い知りたかった。


「ここからはシグマのカバーシナリオについてしばし話す。」

「は?!いや、ちょ、先に羽野さんのこと、」

「まず、トギやカイ、お前を襲った男は国際指名手配犯の千原千鶴だ。内部結界内に入るなり大元のシンをアッサリと殺したソイツは影崖派に所属し、ある特定の人間――死得ぬ者、または生得る者と呼ばれる人間、星の祝福を受ける人間たちを狙い動いている。彼自身もその祝福を得ながらも、生得る者の魂を狙っている。そしてなんと幸運なことに羽野薫は生得る者だったんだ。」


 人の話を聞かないな!?という苛立ちは、マジモトさんの話を聞いているうちに消えていた。あのとき、僕たちが襲われたのには理由があった。それはひどく苛立たしく、ひどく恐ろしいことだった。加護だなんてよくわからないものが理由であんな経験をしなければならなかったなんてふざけている。

 マジモトさんは続けた。


「星の加護とは言うならば〝主人公補正〟だ。銃弾の雨をなぜか切り抜けられる、敵がなぜか見逃す、もうダメだと思った瞬間に味方の援軍がやってきて一命をとりとめる。自死を選ぼうとすれば、刃は折れ、銃弾は不発し、飛び降りようとすれば鳥にぶつかり衝撃が緩和され生き残る。故に死得ぬ者、生得る者と呼ばれる。」


 死得ぬ者。生得る者。死ぬに死なない命。

 情報の羅列に、先程感じていた怒りが頭から消える。その代わりに。仮に羽野さんがそうであるように、あの子もまた星の加護を得ていたのならば。得ているのならば、或いは。そんな願い事でしかない可能性が一瞬にして僕の思考を燻ぶった。遠い希望を呼び覚ましてしまいそうで、それがたまらなく不快だった。

 僕の罪は消えない。その事実を受け入れるのに何年もかけた。今更、捨てた希望を拾うなんてできない。それは僕の犯した罪から目を背ける過ちで、あの子に対する冒涜だった。

 そうであればという願望は捨てて、言葉を続けるマジモトさんに意識を集中させる。


「――ありとあらゆる死が遠ざかるその祝福、〝星の加護〟こそ、千原千鶴が狙う存在だ。星の加護は同じ祝福を受けている者同士の殺し合いには作用せず、またこの加護を打ち消すには星殺しを重ねなければならない。故に、星を狙い動く千原千鶴の狙いとは……」

「死にたいんですね。」

「イエス、さすがにそれもわからんほどのイディオットじゃあなかったね!」


 死にたがり。それ自体の気持ちはわかるから非難はおろか否定だってできないが、人を巻き込んでいる時点で同情なんてできなかった。

 骨を砕いて僕の心臓を一直線に狙ったあの拳は、確かに羽野さんの腹をも貫いた。溢れる血の雨に濡れながらも動く彼の仕草のどれひとつをとっても、躊躇いは見受けらなかった。彼はあまりにも殺しに慣れていた。僕はその光景を見ていた。だからわかる。千原千鶴という人間は決して死にたがりという枠組みにいない。彼は無関係な人間を巻き込んでいるただの悪人だ。


「……でも羽野さんは生きているんですよね?星の加護を持つ人同士の殺し合いだと星の力が作用しないのなら、なにかが変ですよ。どっか間違えてませんか?」

「いいや、何も間違ってなどいない。状況も、理由も。そこについては信頼していい。だがこの件でのターニングポイントは、お前が自爆武器を発動させたことにある。」


 え、僕のせいなのか?いやこの場合僕のおかげになるのか……僕のおかげ!?僕のおかげだなんて言葉をマトモに考えたのははじめてだ。ちょっと感慨深いというか、いや。あまりにも耳馴染みがなさ過ぎてちょっとキモいとすら感じるレベルだ。


「トギたちがお前に手渡した自爆武器、アレはお前の手袋にかけられた封印へ特化しているアンチ・シールドだ。それを発動した事実と、そもそもアンチ・シールドの存在がバレたら道楽教官は世界評議会行き確定になるからな、シグマのカバーシナリオではなかったことになっている。口外するなよ」

「えっと、アンチ……?アレ、そんな責任が重かったんですか?」

対封印機(アンチ・シールド)だ。アレには異質体の封印を解放する機能があるんだが。なに、聞いてないとかか?」

「な――なんて!?」


 反射的に自分の手を見て、しっかりとはめられている黒の手袋を確認する。薄々やたらと静かに感じてはいたが、言われてみれば今日はまだあの騒がしさに眉を顰めていない。あのうっざたらしい獣の声が一声も発されていないのだ。僕の心臓が砕けて意識を失ったあと、目覚めた僕に一言も声をかけていないだなんて、あの獣としてまずありえない事態だ。おかしい。おかしかったんだ。くそ、何で気付けなかったんだ!?ていうかアイツ、いまどこにいんだ!?


「お前はアンチ・シールドを起動し、封印が解かれた異質体はお前の肉体への降臨を行った。このほとんど直前にカイの緊急連絡がシグマへと向かった。」

「はい!?」

「カイを襲っていた片方には逃げられたが、お前の体に憑依した異質体は即座に千原千鶴の半身を破壊した。」

「はあ!?」

「そこでカイの緊急連絡に慌てて向かったシグマがお前の様子を見に行き、状況を確認し、まだ辛うじて息をしていた羽野薫を治療し保護した。」

「おお!」


 めちゃくちゃいい話だ。いつもみたいに獣の声が聞こえないのは確かに不穏でしかないし、千原千鶴がまだ生きている以上は再び彼が羽野さんを狙ってやってくる可能性だってある、そもそも如何にして腹を貫かれていた羽野さんを治療して〝無事〟という状態に持っていけたのか僕にはまったく想像すらできないが、こうして聞く限りだと問題という問題が結果的にまるでなかった。今は何も考えずに羽野さんが無事だっていう言葉に寄り添ったままでいたかった。羽野さんは、まだ生きている。それだけで今はなんだって構わないと思える。


 ひとまずの安堵に宥められるまま張り詰めていた息を吐くとぐっと背中が曲がる。目の前に座るマジモトさんからの強い視線を感じてそのまま顔を上げれば、彼女のこちらを見下すような表情に警告されているように感じた。あまり安堵するな、ってところかな。

 ある程度は覚悟して、口を開く。


「そ、それで。獣はどうなったんですか?なんかいつも聞こえる声が聞こえないんですけど。」

「うむ、馬鹿にもわかりやすいよう段階を踏んで話すが、まず千原千鶴は分身した状態の半身でお前を襲っていた。異質体が破壊できたのも、同じように千原千鶴の半身のみだ。そしてここからが重要でな、うむ、ここからは可能な限り注意して聞いてくれ。」


 す、すごくめちゃくちゃ下に見てくるな、この人。いやまあ自分を天才だって言えるわけでもないし、なんだか事実でもあるので僕は彼女の辛辣さに一度目を閉じて――覚悟を決める。獣が今この場にいない理由が何であれそれは絶対に碌でもないだろうが、僕はそれと向き合わなくてはいけない。アレの責任を持っているのは、他でもない僕なのだ。


「お願いします、マジモトさん。」


 頭を下げる。彼女は尊大そうな緩やかな動きで頷くと、やはりどこか傲慢な口調で話し出した。


「ズブ素人であるお前であっても、異質体の魂量が人よりもずっと重いのは知っているだろう。アレは魂を吸収できる性質を持つ、()()()()()()()()()だ。異質体の魂量が多いのはそれだけの魂を吸収したからに他ならん。だがお前の異質体は、恋だなんてものを理由に自らの魂量を半分以下に切り落として弱体化した――そして。お前の異質体は、千原千鶴を破壊する際に、彼の魂を破壊できた分だけ吸収した。これがどういうことかわかるな?」


 拝啓、僕へ。アレと戦わなければならないのは僕でしたよね。言葉にならない感情には負けたくないです。でも絶望感に、ちょっと打ちのめされそうです。追伸、探さないでください。

 ――頭を抱える。

 いけない。現実逃避に走ったまま帰れなくなるところだった。


「……強くなったんですね。」

「ざっくばらんに言うとだな。加えて、千原千鶴の魂は他の生得る者を殺して魂を吸収し、蓄え、強化されてあるものだ。異質体が破壊したのは半身とはいえ、幾つかの魂分が蓄積された状態の、他の人間よりは濃い魂の半身だ。星の加護自体は消えているようだが。」


 あ~~……これ、正直、ちょっとメンタルブレイクが来るかもしれねえ。とりあえず深く息を吸って、改めて荒ぶる心を静めようと努めてみる。まったくうまくいかない。ですよね。うん、そこに絶望があるのならたぶんありますね、ハイ。


「つまり、異質体は実体化するに至ったワケだな、うむ!」

「ちょっと待ってください。」


 情報過多だ。再び頭を抱える。もう何も聞きたくはなかった。しかしマジモトは容赦を知らないようで、余裕そうに足を組み替えると「それでだな、カバーシナリオについて戻るが」なんてまた話し出した。


「千原千鶴に襲われるカイを助けに行ったシグマがカイに校舎内の惨状を伝えられて向かうと、そこには千原千鶴の半身を、あの場のシンに植え付けられている鹿目礼司の姿があった。魂の強度を千原千鶴から奪い、それを鹿目礼司へ植え付け核にする気なのだと気付いたシグマはシンをブチ倒し、鹿目礼司を助け、その場で死にかけていた羽野薫も保護。ただ植え付けられた魂の重さばかりはどうすることもできず、異質体は実体化……というものだ。これでだーれも怒られずに済む!まさにラブ・アンド・ピース!」


 どちらかと言えば、カオス・アンド・カバーだ。うまいように隠して怒られはしなくなったにせよ、僕としてはカオスがあったことと、これから待ち受けるモノがカオスであることには変わりなかった。



 ※



 医務室から無事に出られた僕はマジモトさんに案内されながら、ASX本部の廊下を歩いて行く。澄んだ空気の匂いに、窓から差し込む斜陽にいまは朝なんだと感じた。本部の医務室内は密室で緊張感に息が詰まりそうだったし、獣が降臨したあとの僕がどれくらい気を失っていたのか想像もつかなかったので、こうして生きて朝の気配を感じられるのは抱えていたストレスが癒えていくようだ。

 今のところ積み上げていくASX本部での思い出がどれもこれもで良いものではないのだが、それでもこうしてこの澄んだ美しい廊下を歩くのは、うん。素直にちょっとだけ、好きだったりした。


 お目当ての部屋に辿り着いたらしいマジモトさんは、青色のドアを前に立ち止まった。これまでに見てきた本部のドアのほとんどが白かったのでそのドアはなんだか異質であるよう思えた。

 何の躊躇いもなしにマジモトさんは何度かノックし、されど返事すら待たずにドアを開けて僕へ先に入るよう促した。僕は反射的にドアのなかへ進んで行った。


 部屋は、控えめに言ってもごちゃついていた。

 なぜか風船が幾つか天井にコンニチハしている。よくわからないお面やら用途が見当もつかない謎のアイテム、外国語の本が地面にあれやそれやと祭りのあとさながらに転がっているし、ありとあらゆる家具の色がどれもバラついていて、それがお洒落なんだというよりは微妙にダサくなっている。うん、統一感、ゼロ。いつか見たASXのパンフレットを思い出すレベルだ。

 アレとコレは別ジャンルのソレだけど……。

 そんなごちゃついたこの部屋を満たすのはピアノ・ジャズの軽快なリズムとコーヒーの匂いで、それがどうしてだか胸を締め付けるほどの愛おしさを呼び起こした。


 この部屋の中心にいたのはふたりの人物だった。ひとりは、道楽教官。これまた彼女らしいニンマリとした笑顔を浮かべ、道楽教官はマグカップを片手に僕へ手を振っていた。

 だが、この場で何より、誰より。

 僕の視線を奪ったのは――。


「せんせい〜〜っ!」

「う――うわああああっ!?!?!」


 けもの、ケモノ、獣。紫の眼をした、杏色の獣。

 僕を殺した、僕を食い散らかした、あの獣が――いる!


「コラーッ!シナン君、ボクの話聞いていなかったね!?節制!節制だよ〜ッ!」


 道楽教官は僕に抱き飛びつこうと跳ねる獣の首根っこを素早く掴み彼女の企みを阻止して、さらに暴れる獣の頭をスパッと叩いて静かにさせた。獣は道楽教官を素早く睨んだ。


「ちょっと、無礼なんじゃないの。」

「いーや。ボクの話を聞かない方が無礼なんだよね、これが。お嬢様ズラするならそれ相応の態度を取りなさいっていう、ハ、ナ、シ。ドゥーユーアンダースタン?」


 あの獣相手に道楽教官はすこしも怯まず叱るように言ったが、そんなことを真面目に聞く獣ではなかった。さすがは自己本位の獣だ。道楽教官の言葉を無視した彼女はあの熱っぽい紫色の視線を僕に向けた――僕は狼狽えた内心を隠し、その目を見つめ返す。


 この獣相手に怯んだら負けだって感情はあったが……うん。もしも本音を望むままにぶちまけることができたのなら、今すぐにだって逃げ出したいと認めてしまうだろう。

 道楽教官がいるのだから安心すべきだとわかっている。それなのに、それでも、安心できなかったのだ。到底無理だった。獣の目が、きらきらと輝くそれが1ミリも揺れずに僕を見つめる、それだけで何もかもが、僕の心を不安と狂気で揺らしていく。見惚れるような本部内の廊下や、いつか昔に聞いたジャズの軽快なリズム、朝を思い出す柔らかなコーヒーの香りだとか、些細な日常に胸をあたたかくしていたのにまるでその全てが元から何もなかったかのように今はただ居心地がひどく悪い。


 ……あの獣の姿をもう一度見ることを覚悟していたとはいえ、ダメだ。覚悟でどうにかなるものでもなかった。獣のあの熱っぽい目を見ていると、首元を食い千切られたあのときの感覚が呼び起こされていってしまう。あのときの恐怖が、まだ僕の心を蝕んでいる、まだ僕の背筋を冷たくなぞっている。平気だという表情を取り繕うことくらいが、今のところの限界だった。今までの声だけの状態に戻ってほしくて仕方がない。

 ふと、僕の葛藤に気付かないまま僕を熱っぽい目で見つめていた獣は「あ!」と大きな声を上げて目を輝かせた。こ、こわい。


「先生、あのね、わたしを見て!」


 ふっくらと色づく唇を穏やかな笑みに形を変えた獣はくるくると踊るようにその場で回転し、それに合わせるように杏色の長い髪の毛が揺れる。まるでひとつの絵画のように、まるで映画のシーンであるかのように。

 一々大袈裟にするのがうまいやつだ。


「それで、なんだよ。」

「……せっかくわたしがこの姿を久しぶりに見せたのに、その反応?」


 じろり、と恨めしそうに紫の目に睨まれる。獣が人間じゃないなんて痛いほどわかりきっているし彼女の所業を忘れることはまずないが、僕を睨む彼女はまるで人間のような反応をしていた。ふしぎとその目は、あの熱っぽい目付きより心地良い。それがなんだか、まったく違う意味で、不愉快だった。だからたまらず口を開いた。


「かわいいとでも言ってほしいわけ?」

「うん!言ってほしい!褒めて!」


 うわ、言いたくねえ。獣の背後に立つあの陽気な道楽教官でさえ「うわ、これマ?が、がんばれよ礼司君……」と言わんばかりの視線を僕に向けてきた。こういうときは助けてくれないのがいやに道楽教官らしい。

 とはいえ、やっぱり獣を褒めるなんてしたくなくて、思わず逃げるように視線をずらし――僕の視点からではソファに隠れている何者かの足にはじめて気付く。どこか見覚えのある赤色の長靴。晴れなのに?という疑問で首が傾き、一体誰なんだ?という疑問でつい身を乗り出した。

 地面にうつ伏せで倒れていたのは、若葉色の髪をした少女。


「あ!あ、この人っ、ちょ、ちょっと!」


 獣と道楽教官を通り越して慌てて駆け寄って膝をつく。腕に絡みついてきた獣がすごく邪魔だが、こうなってはもうどうだって構わない。それよりも今は、この、なんだ、この人の名前は――カイ先輩がこの人を宇宙人と呼んでいた記憶がふと蘇る。


「う、宇宙人先輩っ!」

「ブハハハハッ!エイリアン!?ハハハー!」


 道楽教官の吹き出し笑いを無視して宇宙人先輩を揺らす。それでも反応らしい反応はひとつもなくて、もしかして死んでいるのか?という可能性が脳裏を過る。色々と助けてもらったし、迷惑をかけるだけかけてしまったのに。彼女にちゃんとしたお礼ができていなければ、ちゃんとした謝罪もできなかった。

 生きていてくれなきゃ、すごくいやだ。そんな子供が駄々を捏ねるような感情に突き動かされ、僕は彼女の首元に自らの無様にも震える手をあてがって脈があるのかどうかを確認する。

 ――あたたかい。ぬくもりのなかからじっとりと伝わる緩やかな振動が、彼女の生を証明している。


「よ、よかった……」

「先生はこの人間が好きなの?」


 そのなんとも冷たい声に、返答を間違えれば今度こそ宇宙人先輩が死ぬと本能が極めて冷静な答えを叩き出す。とはいえ、いい加減この獣のノリにも慣れてきていた僕は落ち着いて首を横に振った。


「名前も知らないのに好きって言えないよ。」

「じゃあ名前を知ったら好きになるの?」

「ダルいダルい。」

「ダルくないもん!」

「ぐえぇ」


 ぎゅううと強く抱き締められて妙な悲鳴がさすがに洩れる。うん、獣がその気になればいつでも絞殺されるんだと思うと気が休まらないどころか恐怖感で気を失いそうだ。


「節制じゃけえ!」

「んにゃッ!」


 道楽教官の手刀(チョップ)が獣の頭にダイレクトに放たれ、獣が怯んだその隙に道楽教官は獣の首根っこを引っ掴み僕から引き剥がした。獣は驚くべきことに、じつに素直に首根っこを掴まれた猫のようにぷらーんと抵抗せずに大人しくなる。


「もう。シナン君、キミ、ちょっとは人の距離感覚えなよ。さっきも言ったけど節制だよ、節制。」

「教官って名乗ってるわりにはバカなんだね。わたし、人じゃないんだから人の距離感なんて守るわけないでしょう。」

「ン生意気ィ!」


 一連の、たった一瞬の出来事に僕は思わず数秒ほど呆気に取られ、それからふとこの状況を改めて理解した。

 これこそが実体化の二次被害なんだ。声だけだったときはこんなこととは無縁だったのに、これからはまさしく〝これ〟が日常になるんだ。ふしぎと、苛立ちと恐怖で一周回ってくれたらしく頭は冷静だった――というか、やっぱりどうにもちょっとダリぃなという気持ちが勝ってしまっていた。それが良いことなのかどうかはわからないが、獣の存在に慣れるまでに時間はあまりかからなそうだ。あれだけ恐怖を感じたというのに、これだけはやくに慣れるんじゃないかという思考に至るのであれば、僕もまだ捨てたものじゃないな。


「さて、礼司君、ボクが見るに、そこの宇宙人が気になっていることだろう。」

「あ、はい。この人、誰なんですか?というかなんでここにいるんです?なんで倒れているんです?僕とか獣のせいとかだったりしますか?前に獣の毒でダウンしてましたよね?」

「いや、毒の件は結構前に終わって……質問が多いなッ」


 う。確かに。というかASXと関わるようになってからというもの、毎日なにかひとつは必ず質問をしている気がする。いつかなにかの質問をせずに過ごせる日が来るのだろうか?……また疑問に思ってしまった。たぶんもうずっとわからないまま生きていくのかもしれない。

 僕が微かに自らの在り方にさえ疑問を抱いたところで、道楽教官は澄んだ声で告げた。


「とりあえず簡潔に言うと、彼女はね、キミのパートナーとなる人だよ。」

「え?」


 なに、パートナーって。

 まったく理解できなくて、とはいえ疑問を問いかけるのにも疲れて。場にはしばしばの沈黙が流れ、軽快なピアノ・ジャズだけが辺りを包んだ。


「……相棒、コンビ、バディ。デュオ。キミが呼びたいように呼んでくれて構わないよ?」

「いや、疑問なのは呼び方なんじゃなくて。なんのパートナーなんですか?」

「そりゃあもうキミの――ん~、生活の?」

「なんで貴方もわかってないんですか。」

「ちょっと各当ジャンルが多すぎて……ま、ウン、これからは日常的に何をするにしても彼女と行動してもらうというか……表向きにはキミの監視役としてボクが無理矢理推し進めた子だけど、邪険に思わないでくれ。墓越の件でこれから狙われまくるキミをサポートすることになるのはこの子だからね。ウン、我ながらキミの防御対策としては完璧な采配だぜ」


 ふんすと鼻息を荒くする道楽教官の言葉に適当に頷く。なるほど、つまり面倒ばかり引き起こす僕のお守りっていうところか。トギさんが昨日言っていた防御対策ってこの人の事だったんだろうな。

 ちらりと、若葉色の髪をした宇宙人先輩へと視線を向ける。微かな寝息すら聞こえない、身動きもしない、まるで死体のようになっている人。

 この人が僕の、パートナーに――。


「……この人、ほんとうに大丈夫なんですか?」


 主に、健康的に。獣の毒が理由になっていないのなら、宇宙人先輩がまったく返事のない状態にいる理由はたぶん健康上のものだ。彼女が気絶して倒れたような倒れ方をしているところを見ると、眠りが深い質だと考えられなかった。ソファに座っている際に眠ってしまうとかなら眠りが深い質だという可能性はありえたかもしれなけど、地面にうつ伏せで倒れているとなれば、気絶以外に考えられなかった。

 しかし道楽教官は獣の首根っこを引っ掴んだまま、にっこりと笑った。


「大丈夫以上!むしろキミの特待生待遇について行けて、キミの面倒をどこまでもと快諾してくれるの、彼女くらいなんだよね。他に適任なんていないのサ」

「いえ、適任かどうかはどうでもいいですけど……健康的に、大丈夫なんですか?」

「あっ……ウーン、まあ。そこね。まあ健康的には問題ないよ。彼女の問題は無茶の鬼ってところ。」


 僕は再度宇宙人先輩を揺すってみる。彼女はやはり動かない。うつ伏せで息が苦しいんじゃないかとなんだか心配になってきて、そっと若葉色の髪へ指を通し彼女の頭を動かしてみると長い前髪が揺れ、その整った顔立ちを露にした。

 寝息すら聞こえないのも相俟って、より一層人形のように見えた。よく観察してみなければ微かに上下する体にさえ気付けそうにない。


 パチリ、とその目が開かれた。

 長い前髪で隠れていた左目は、茶色い右目とは違う色をしていた。眩いまでの、まるで蕩けた蜂蜜のような黄昏の色。夢を見ているんじゃないかって思ってしまうほどにきれいで、僕は一瞬だけ呆気に取られてしまう。

 宇宙人先輩の視線は道楽教官が首根っこを掴んでいる獣へと注がれていると気付き、僕もすぐに彼女の視線に倣って獣へと視線を投げかける。獣は汚らわしいものを見るかのように蔑んだ目付きで宇宙人先輩を見ていた。

 ……あー。この獣、ほんとう変わらないな。いや変わるわけもないんだけれども。


「びっくりした。殺気(嫉妬)、すごいですね。つい起きてしまいました。」


 柔らかでいて、どこか無機質な声でそう言いながら宇宙人先輩はゆったりとした動きで座った。僕のせいで短くなった、その肩口までの髪が揺れると長めの彼女の前髪がもう一度左目を覆い隠し、切り残されている腰までの一房は長い三つ編みとなって右肩から垂れ下がった。

 彼女の視線は獣への警戒がまるでないくせ、獣から一ミリたりとも揺らがなかった。彼女の仕草にはどこか矛盾が存在していて、それがすべて彼女という存在を形作っているようだった。

 宇宙人先輩は首を傾げて穏やかに笑った。


「こんにちは!異質体さん、鹿目くん。これからお世話になります、特待生の芒本志熊です。」


 その名前に、僕は思わず目を見開く。


「し、シグマ?すすき、すすきもとしぐ……」


 マジモトさんが言っていたシグマって、この人のことだったのか!驚きでつい聞き返すように彼女の名前を何度か繰り返す。前に助けてもらったときも獣関連だったことを思うと、たぶん獣に悩まされ続けている無力なやつだと思われているに違いない。まあ。まったくその通りなので弁明とかがとくにできるわけでもなし、そこについては悔し涙をホロロと流す他ないだろう。

 ――けれど、そんなことは思考にないとばかりに彼女はやはり穏やかな笑顔と共に首を傾げて、やはり柔らかで無機質な声で喋った。


「うん。芒本志熊です。でもみんなシグマって呼ぶから、きみにもよければぜひそう呼んでほしい。異質体さんもね。」

「気が向いたらね。わたし、先生以外興味ないから。」

「……シグマ、先輩。よろしくお願いします。」


 その目の穏やかさにどうもドギマギしながら頭を下げて、ちらりとシグマ先輩の姿を盗み見る。天気外れの赤色のレインコートと長靴。若葉色の髪にふちどられた人形のように整った顔つきに浮かぶ、ふにゃっとした緩い笑顔、火傷跡の見える傾げられた首。

 この人が僕のパートナーとなる人なんだ。相棒、バディ。コンビ、デュオ。なんにしろ……あまり、迷惑をかけるようなことがなければいいと、そう思った。



ここにきて書き溜めが残り一話です。大変まずいですね。

書きたいことを書きまくってキリがいいところで次の回へ繋げていたのですが、一視点くらいで乗っけておくのが手なのかもしれません。どうしましょう。

今までが長すぎ?そんな……自覚しかありません……。

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