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・11-フロム・ミー・トゥ・ユー

From Me to You



 五月になって漸くトギさんから釈放されて柚先輩と共に旧境防へ戻り、一年と二年のみんなが僕たちを温かく出迎えてくれたその日の夜――。


 シャワーを浴び終わり、髪を乾かしていると部屋にノックの音が響いた。

 ……誰だろう?今日の夕飯時、話題が無くなるくらいには全員と会話をしたのでこれといって用事があるようには考えられない。ドライヤーを机の上に置いて駆け足でドアへと向かい、鍵を解除してドアを開ける。そこにいたのは獣に「あ、めがね!」となんとも雑な思い出し方をされた、夕飯時には不在であったカイ先輩だった。

 染めた長い金髪に、ぴっちりと着崩しのない制服、白色のルーズソックス。手首にはカラフルなシュシュと、ハート形の腕時計。めがねで思い出されるより、ギャルで思い出されるべきなんじゃ?なんて考えが浮かぶが、そんなことはべつに構わないのだ。どうしてカイ先輩が僕の部屋に来たんだろう、と疑問に思いながら会釈する。

 彼女は眼鏡を押し上げると、もう片方の手でくいっと親指を上げた。どうも緊張しているのか、それとも単にガラが悪いのか、彼女は僕をぎろりと見る。


「ちょっとツラ貸しな。」

「や、ヤンキーだ。」


 思わず口から出た言葉にカイ先輩はニヤリと笑った。


「おツラを貸してくださる?」

「十分ヤンキーですって、ソレ。」


 中途半端に乾いている髪は忘れて、部屋を出て階段を下りるカイ先輩の後を追う。わりと久しぶりに会ったので何を話せばいいのか分からなかったが、無言でいるというのも何だか気まずい。頭を回転させて、社交的な道楽教官ならこんなときに何を言うだろうとイメージをしながら、口を開いた。


「そういえば久しぶりですよね、僕たち。」

「あー。まあ、お前のところの異質体がぼくの弟に毒を送ったとき以来だな。」

「う、その節はすみませんっ」

「気にするな。」


 カイは穏やかに言ってくれたが、あのときは多大な迷惑をかけてしまった。獣に乗っ取られていたとはいえ、あの場にいたもうひとりの先輩を殺そうとしたり、僕の判断じゃないにせよ獣がカイの弟に毒を送りつけたり、そのせいで結果的にもう一度あの先輩は死にかけたりした(……結局名前を聞きそびれてしまったがあの人ツイてなさすぎる気がする)。

 総合的に見てあの件における僕は被害者の位置にいると言っても過言ではないが――獣を抱えているのは僕である以上、僕にも責任がある。同じく責任を抱えている獣は「謝らなくて良いのに……」と抗議したが責任を持つ側として、謝らなくていいというだけでは謝らない理由にならない。そこのところをまるで分かっていないあたり、やっぱり獣なのだと再確認させられる。

 先を歩くカイさんは肩越しに僕を見ると明るい笑顔を浮かべた。


「それにぼくの弟でも、世界の敵ではあるんだし、お前が結果的に弟を殺してもぼくは受け入れる気持ちだよ」

「僕はいやですよ、人殺しなんて。」

「へえっ、そりゃあ善良、善良。ちなみに愛しの君よ、もう前みたいにはならない自信がおアリなワケ?」

「うっ……そ、それは……」


 カイの弟がASXの敵対者だと分かっていても彼がカイの弟である事実に変わりはないし、僕は人殺しになんてなりたくないので是が非でも勝手に毒を使うなと強く獣へ言いつけはした。もちろん。

 だが、獣とかいう理性のないやつが実際に従ってくれるかどうか僕はまだ信じていないというか……説教の後の反省した素振りだって次の日には無くなっていたし、残念ながら前回のようにならないと誓うことはできない。

 煮え切らない反応の僕を見てカイ先輩は軽く笑った。


「ぼくだってお前が人殺しになりたくないのはわかってるよ。ただ……物事っていうのは常に最悪を想像して動くのが万全だ。万が一、仮に、想像し得る最悪のことが起きたその時は自分で自分を責めるなよ、鹿目。ぼくはお前を責めない。お前の状況じゃ正しくいようとするのはきついし。」

「……」

「意外だわって顔に書いてあるの見えてるーっ」


 うん、まったく意外だった。身も蓋もなく言うと、やっぱり人は見かけによらないものだと今更ながらに痛感した。いや、見かけによらないの最高潮が正しく獣に他ならないし、いい加減僕も理解するべきなのかもしれない。バイアス反対を掲げたいところだ。


「なんていうか……いい人なんですね、カイ先輩って。」

「おっわかる?ぼくって正義の味方なんだよね、じつは!」


 やたらと嬉しそうにしているし、前にも正義の味方だと自称していたような記憶がある。僕としてはそんな遠い存在になりたがる気持ちはわからないけど、彼女にとっては譲れない拘りのひとつなんだろう。


「そういえば、あの時の先輩は元気ですか?」

「宇宙人か?そりゃあ無論、言わずもがな!あれはあれでも加護付きだからな。タフだぜ、そりゃあもう。」

「宇宙……え?加護付き?え、宇宙人?」


 色々と飛び出るとは思いもしなかった単語が飛び出た。宇宙人とか、加護付きとか。いや、加護付きに関しては何となくわかる。加護がついているんだな、で推測ができる。けど、宇宙人?宇宙人ってなんだ?いやわかるけどわからない。え?


「まあ、なんていうかな……死なないんだよ、宇宙人は。いや死ぬけど。なかなか死なない星の元に生まれているってカンジ?」

「宇宙人?」

「でもちょっと難しい話なんだよね、じつは。この加護付きっていうのはわりとよくある話で、あっでも加護自体はランダムで望んで得られるものでもないんだけど、その中でも宇宙人の加護は真偽不明なグレーゾーンでさ」

「あの、宇宙人って」

「この業界でも異質な部類に属している加護だし、何より理から外れている質の加護を加護と評していいのかも分からないし、理から外れているせいで実際にその加護が機能としてあるのか、或いは単に幸運なだけなのかわかっていないっていうか――」


 ダメだ、まったく頭に入らない。なんだ宇宙人って。ホンモノ?


「まあそもそも宇宙人の加護の場合は伝説、噂、寓話の類で、実際に加護として扱って良いのかは怪しいんだよね。」


 言われてみれば、はじめに道楽教官はあらゆるオカルトの対処を行っていると言っていたけど、まさか宇宙人もオカルトの部類に入っていたのだろうか?だとしたら、ほんとうにあの時の先輩は宇宙人なのか?宇宙人ってあんな人間に似ているものか?

 ……いや、考えたところでカイ先輩が加護付きの説明に夢中になっている以上は宇宙人に関する答えが返ってこないので何もわからない。

 葛藤する僕を余所に、階段を降りきったカイ先輩は懐から取り出した鍵で何度か軽く灰色の扉を突いた。


「ここ、特待生専用の地下室ね。普段は教官側からの許可がないと普通科の生徒は入れない特別エリアさ。役割としては避難シェルターに近いかな」

「へえ……あの、宇宙人って?」

「ん?」

「え?」

「宇宙人?」


 ……。


「それで地下室が何でしたか?」

「ああ。お前にちょっとした用事があってな。とりあえず中に入ってくれよ。」


 とくに何も考えずにカイ先輩の後を追って地下室へと入り、長い廊下を歩く。

 冷たく澄んだ空気の廊下には随分と奇妙な間隔で部屋が配置されていて、視界に扉が映る度にすごく歯痒い。正直に言えばものすごく気持ち悪かった。宇宙人って結局なんなんだ?本物?という疑問もこの際忘れて扉の配置にモヤモヤせざるを得ないまでの内装。ある意味で感心である。

 ……こういうのをなんて言うんだっけ、違法建築?いやそれはなんか違うな。


 奇妙でちょっと気持ち悪い配置の扉から目を背けるように歩いていると、先を歩いていたカイ先輩が立ち止まり白い扉を開け、僕に入るよう促したので素直に従って部屋へと入る。

 部屋に染み付くような煙草の匂いに気付くのと同時に、革張りの黒いソファに足を組んで座っているスーツの男が視界に入った。――トギさんだ。


 彼は相変わらず怠慢な動きで煙草を持った手を揺らし、僕たちに軽く会釈をした。それだけの仕草なのに、やっぱりなんだかトギさんを目の前にするとどうも緊張する。たぶん、彼が僕の知る中で最も〝大人〟だからだろう。うまく言葉にはできないけど、ある意味でトギさんからは社会を感じるのだ。アダムスルトさんはおじいちゃんって感じなので論外だ。

 しかしながら、社会にも大人にも興味のなさそうな獣はトギさんを見ると「出た!」とどこか不快そうに言った。情緒がない……。


「こんばんは、異質体の器、鹿目君。国蝶君もご苦労様。」

「うっす。」

「……、あの、これってなんですか?」


 異質体の器呼ばわりかよ、と思いながら、トギさんの目の前のソファに腰掛けながら尋ねる。彼は煙草を一口、深々と味わってから口を開いた。


「いくつか忠告をしに来た。そのうちの半分は善意だ。」


 ぐっと前のめりになる。彼の全てを知ったわけじゃないが、トギさんの言葉には嘘がない、そう信じたいと思う自分がいるのは確かだ。大人だから嘘を吐くんじゃなく、大人だから嘘を吐かないのだと彼の立ち振る舞いから感じるからこそ僕は彼を疑えなかった。


「半分が善意なら、もう半分は?」

「私のメリットになるからだ。」

「どうしてですか?」


 僕に忠告をしたところで、それがトギさんのメリットになる理由が分からなかった。正直、微塵も見当がつかない。獣関連のことなのかもしれないが、推測するには僕はまだASXについて何も知らなかった。

 トギさんは煙草に口を付けて、僕の質問に少し考えた。答えるべきか否か、考えているようだった。


「……黙秘したいところだが、どうせそこのお喋り頭が言うだろうから言わせてもらうと――」

「失礼じゃないのソレ?ぼくは確かにちょーっとお喋りかもしれないけど!」

「異質体の器としてではなく、鹿目君を大事に思う人間がいる。お前を守る対価として、私はその人間から協力を得るという口約束をした。わかるか?」


 一瞬、頭が真っ白になる。――僕を大事に、思う人間。

 獣が「わたしの先生だもんね!うんうん、大事に思われて当然だよね……!」なんて言っているけど、僕はお前の先生じゃない。本当に、違うのだ。先生のような医者でもないし、偉大な英雄でもなければ、誰かに大事に思われるような人間ですらない。わからなかった。その人の考えも、その人の正体も。僕を守りたいと考えるような人間。

 一応墓越先輩の命を救った身としてのアテを探すのであれば、それこそ墓越先輩自身だという可能性はあるけど、彼女はまだ昏睡状態から目が覚めていないと道楽教官に聞いたので、その可能性は限りなく低いと言って良いだろう。


「うーん、誰ですか?道楽教官?」

「まさか。道楽教官は協力とか恩義とかを少しも考えない暴走列車だ。……誰なのか言わないのは私の思いやりだ。お前も少しは感謝の気持ちがあるのなら誰なのかは気にするな。」


 少しも納得できなかった。誰なのか知りたかった。理由を知りたかった。僕は友達の手を離さないでいることすらできなかった人間だ。誰かに大事に思われるような大層な人間じゃない。大事にされるような理由なんてひとつもない。

 ――しかし誰にせよ、理由が何にせよ、僕に何を見出したのか理解できないが、〝感謝の気持ちがあるのなら誰なのかは気にするな〟なんて言われてしまった以上、どれだけもどかしくても追及はできなかった。

 トギさんは黙り込んだ僕を見ると満足そうに頷いた。


「良い生徒だ。忠告についてだが、まずはじめに話したいのは内通者の存在だ。ASX内の情報を外に流している何者かがいる。」

「内通者?」

「ああ。先日の……君にとっては、墓越君の婚約者が亡くなった理由は知っているな?当時君もいた、あの森の襲撃事件だ。」


 もちろん、忘れるなんてできない、尋問室に閉じ込められた原因のひとつだ。僕がはじめてリツさんや目輪君、途爪さんと会った日で、その日に起きた襲撃事件のせいで墓越先輩は婚約者を亡くし、禁忌に触れることとなった。僕が彼女を運命を殺さないといけなくなった理由。

 でも、内通者ってどういうことだ?


「襲撃事件だと聞かされているだろうが、実際何が襲撃されたのか君は知らないな?」

「あ、そういえば……」


 トギさんの言う通り、僕はあの森で何が起きたのか知らない。何が襲撃されたのか、誰がどんな目的で行ったのか。基礎的な情報をなにもかも知らないでいる。

 知らないでいてなにひとつ疑問にさえ思わなかったのは、自分で手一杯過ぎてそれどころではなかったからだが、それにしてももうちょっと疑問を持ったりするべきかもしれない。


「あの森には、データ上に情報を残していない機密文書にのみ記述されている封印指定のシンが、念には念入れた特別な方法で封印されている。あの日はその封印を解かれるという襲撃に遭った。反ASX主義である影崕命という男によって作られた、影崕派という組織の一員にだ。」


 反ASX主義、影崕命。彼の組織へと繋がる内通者がASXにもいる。それは理解できた。けど、パンフレットに書かれているのを読む限り、ASXの主義や目的には反対する要素なんてなかったと思うのだ。ASXはゼノとパクスで別れている世界を、なるだけ寄り添え合える形式で守ろうとしている。反対する必要も、憎む必要もないはずだ。


「なんで反ASX主義とかあるんですか?その、ASXが悪いようには思えないっていうか。」


 ――しかしながら、僕のこの言葉にトギさんは咽て咳き込み、隣に座っていたカイ先輩が 「マジか!」なんて言いながらおかしそうに笑った。

 獣だけが僕と同じように「え、笑うところ?」って不思議そうにしているあたり、十中八九おかしいのは僕の方なんだろう。こういう場合、獣と同等レベルの思考をしてしまっているというのはあまり良くない傾向だ。なんか、ちょっと、うん。不快かな。

 トギさんは咳払いをすると僕に目を合わせた。


「いいか、鹿目君。まず第一に、良いことをしているからってこの世界全ての人間に認められるわけじゃない。次に、ASXの主体は基本的には保守派で、うまく続いているものをわざわざ変える必要はないと考えている。反ASXを掲げている者のほとんどはより良い世界にしようと考えている革命主義者だ。どちらも主義の違いで相容れないでいるだけで、そこに善悪はない。」


 なるほど。非・勧善懲悪ってことか。ん?それは違うか。


「あ、でも、人に迷惑をかけて死人を出しているのなら影崕派は善とは言えませんよね。」

「ほう。」


 ほ、〝ほう〟?なんだよ、それ。トギさんの反応に何か間違ったことを言ったような感覚にさせられるが……高圧的でしかなかった彼の目付きが和らいでいるし、きっと間違ったことは言っていないはずだと個人的には思いたい。


「致命的に知識不足のくせ、そこを理解できるほどの考えと鋭さはあるんだな。これからが楽しみだ。」

「……。」


 褒められたのだろうけど、同時に貶された気もする。素直に喜べそうにはない。いや、貶しているとか褒め言葉というより、単にトギさんの感想であるようにも感じられる。まあどちらにせよ複雑な感じなんだけども……。


「お前の言う通り、死人を出している時点で良いとは言えない。好戦的なまでに暴力に訴える革命はただのテロだ。主義を持つのは良いにしても、やり方に問題がありすぎる。情報を盗んでは流す内通者に、人の命をまるで顧みない集団――ああ。全く、反吐が出るよ。」


 人の命をまるで顧みない、集団。

 その言葉にどうも違和感を覚えた。

 なんか変だな。前に聞いたことと齟齬がある、そんな気がする。なんだっけ。何を聞いたんだろう?と顎に手を当ててしばしば考えると、トギさんとカイ先輩は考え込む僕に気を遣ったのか、何も言わないで待ってくれた。

 そうして再び数秒の沈黙が訪れ、ピンときた反動に顔を上げる。


「思い出した。道楽教官が前に言っていたんですが、ゼノ……ASX隊員の方じゃなくて、記憶保持者のゼノってその気があってもなくてもパクスを守るように考えてしまうんじゃないんですか?命をまるで顧みないっていうのは、それに反している気がします。」


 僕の疑問に獣が「えっやだ先生、そんな基礎も忘れちゃったの?だいじょうぶ?」と煽りじみた発言をしたが、僕は先生じゃないので忘れるとかそれ以前の問題である。カイ先輩は獣とは打って変わり僕の疑問に納得してくれたらしく、すこし身を乗り出しながら眼鏡を押し上げると口を開いた。


「あーそれにはふたつの理論があるね。ひとつ、お前みたいな後天的ゼノにはそもそも備わってないこと。ふたつ、長時間瘴気を浴び続けたゼノはその感覚を失くすことがある。これは熱を冷まさないでいるとパソコンがぶっ壊れるのと同じ。車でもあるだろ、オーバーヒート。」

「……。」

「あらやだ!奥様、もしかして今の例えがどっちもわかんないカンジ?」


 彼女の茶化しに渋々ながら頷く。カイ先輩の説明はたぶん分かりやすいのかもしれないけど、車はおろかパソコンもからっきしレベルで詳しくない僕には何が何だかサッパリだ。いや、まあ、そもそも僕に何か詳しい分野なんてないんだけども。


「で、でも要所は掴めましたよ。後天的なゼノには元から関係ない話なのと、瘴気を浴び続けていたら守らないといけないという考えがなくなる、ですよね。」

「そう!だけどこれで忘れちゃいけないのは、ただ単に瘴気を浴びてもそうはならないってところね。ポイントは長時間、休憩もなく、続けて浴びていたら、だ。ふつうにゼノとして過ごす分には変わりないよ。」


 なるほど。そろそろ僕でも掴めてきたかな。

 瘴気を浴び続けた、或いは後天的な記憶保持者。世界を変えたがっている、人の命を顧みることのない反ASX主義者の集団。あの森での襲撃事件は反ASX主義である影崕命という男の組織によって生じた。

 そして、ここまではあくまでも前提なはずだ。

 トギさんの忠告は内通者の存在という点にあった。あの森に封印指定されていたシンの情報を盗み出した内通者がASX内部にいる。


「……それで、僕に、その影崕派と通じている内通者の存在を忠告する必要ってあったんですか?」

「ああ。大アリだ。」


 トギさんは煙草の煙を吹かしながらそう静かに言った。

 ――大アリ。単に必要があるとかじゃなくて、僕に内通者の存在を忠告する必要が、大アリ。どうしたものだろう。その先をすごく聞きたくない。ただでさえ抱えている問題()に悩んでいるというのに、忠告の必要が大アリな状況にいるとかちょっと荷が重すぎる。

 彼は足を組み替えると、怠慢な動きで僕に人差し指を向けた。


「異質体の能力は求められるものだ。異質体自身も弱っている今……最悪のシナリオを話すのは憚られるが、お前を捕らえることで異質体も捕らえ両方を強制的に眷属化、後は死ぬまでお前たちを働かせるだろう。ASXのゼノのほとんどは異質体を殺してはいけないという誓いを立てている以上、我々は反撃が不可能になる。その後、ASXはやりたい放題に駆逐され、世界はおしまいだ。」

「せっ、世界が!?」

「言ったろう、最悪のシナリオだと。我々の運が悪ければ世界は終わる。扱い方を間違えれば世界が終わる。異質体とは本来そういうものだ。」


 いや、知らなかった。

 当の獣なら呑気に「そんなこと起きるわけないよ、このわたしが先生を守ってるんだから!」みたいな返事をするかと思ったが、どうやら思う節があるらしく珍しく黙り込んでいる。

 事の重大さはそれで染みた。

 間違いなくトギさんの言葉は真実なのだろう。確かにアダムスルトさんや道楽教官の口振りから獣はやばいやつなんだろうとは思っていたけど、そこまでだとは。獣のあの感じで世界規模の危険性があるとは思わないじゃん、フツー。


「仮に世界が大事じゃなくても、大事に思う人間がいるなら誰も信じるな。何事も疑いから入れ。私もなるだけ君を見守っておくが、内通者が誰かはわからない以上、誰が相手でも警戒を怠るな。」

「ならそれも疑った方がいいんですか?」

「……ここにいる私は信頼して構わない。国蝶君も信頼に値するだろう。それから言わずもがなだが、道楽教官もだ。」

「合言葉とか作るか、いっそ!」

「青臭いことは止せ。」


 カイ先輩の言葉を即座に切り捨てながら、トギさんは煙草の火を灰皿に押し付けた。


「さて、次が本題だ。異質体の器たる君には少々難しいだろうがね……」



 ※



 苛立ちで脚が揺れる。爪を弄る。そろそろ切った方が良いかもしれない。邪魔だし、伸びたままにしていると、どうも爪の下辺りが痒い。ただ爪切りはストレスなんだよな。あんなものに時間を割きたくはないのが本音だ。まあ今のところ一番時間の無駄になっているのはこの瞬間なのだが……。


「それで……我々の申し出をどう取る?」


 あー。くそ。マジでどうでもいい。

 影崕さんにクォータム社との連携の可決が俺の手に任された以上、最善を選ぶ気持ちで今この場にいるが本気で興味ない。今すぐ帰りたい。聞いた情報を総括すると連携は悪くない提案であるように感じられるが、どうも自分の人間嫌いが発揮してしまっているのか少ししか乗り気になれない。

 魅力的な提案にそれほど乗り気になれずしばしば黙って爪を弄る俺に、クォータム社における右腕的存在の女――森崎芽衣(モリザキ メイ)が苛立ったように更にまくし立てた。


「我々の意見はお前たちにとっても悪いものではないはずだ。少数精鋭と言えば聞こえはいいが、お前たちは組織としては人数が少ない。行動も限られると感じているだろう?」

「困ってない。むしろ連携は人数の多さが欠点に聞こえるくらいだ。」


 人数が多ければ多いほど抱える問題も多くなる。そういうものだ。統率が取れなくなったら元も子もないし、人間としての根っこを知らない他人を懐に引き入れるような狂気性はうちにはない。そもそも、影崕派に短気で暴力的な人間が多いのもわかっている。殺したくなったら殺す。悪だと思えば殺す。そういう主義の集まりである以上、人数が増えるというのは致命的であると言える。

 人と人の関わり合いが増えると言うことは人間関係が増える。人間関係が増えると言うことは衝突が増える。衝突が増えれば影崕派では確実に死人が出る。

 もちろん、今のところは人間関係に勘の鋭い影崕さんの人事采配で揉め事は限りなく少なく抑えられているが、クォータム社との連携で一気に底の知れない人間が入ってくるとなれば……事故が起きるのは火を見るよりも明らかだ。


「ま、だけどASXの情報がオートで入ってくるのは魅力的だと思うよ。話から聞く限りじゃ信憑性もあるみたいだし。」

「共通の敵、ですからね。」


 森崎と同じくクォータム社の人間である万葉(マンバ)が興味なさげにピンク色の長い髪の毛先をいじりながら呟いた。


 ――そう、共通の敵。ASX。自称、人類の守護団。ゼノっていう記憶保持者の総称をまるで己かのように扱っている、あのイタイ集団。


 もちろん、ASXの情報を引き上げる方法くらい影崕派にだって存在している。今のところの問題はその情報の真偽を確かめるために短いとは言えない時間を消費していることにある。時間を割くということは、それにつられて動く時間も少なくなってしまうものだ。そして更なる問題点は、情報の真偽を確かめる人間が今の影崕派には俺しかいない点だ。とくに今は〝滅罪〟を手に入れた後で研究に時間を使いたい。影崕さんが俺にクォータム社との連携の判断を委ねてくれたのは、この連携でより得になるのが俺だからだろうな。相変わらず思慮深くて気遣いがお上手な人だ。


 影崕派は基本的にアバウト気質が多い。仕事のやり方が雑、やりたいことしかできない。協調性が皆無。同じことの繰り返しができない。長時間座っていられない。快楽主義者。そこらへん、言うまでもなく、とてつもなく壊滅的だ。情報を持ってくる内通者の情報から更なる深堀をできる人間はほとんど俺しかいない。というか、俺が一番最善だ。他の奴は信用ならない。


 クォータム社におけるASXの内通者は俺も根っこを知っている相手だったせいで少しは乗り気になれているのが現状だ。〝()()()()()〟というより、あいつはASXの味方をするにはASXを()()()()()()()。あの偽善者集団を妨害できるのなら何だってするやつだ。――何より、影崕さんの知り合いである時点で信頼はある。


 こちらの馬鹿共を使わせる代わりに渡される資金提供だって魅力的だ。目指すところだっておおよそは同じ。なのに何だろうな。気が進まない。今この場にいるやつら全員を殴り倒してこの部屋から離れたい。


 いや。こんなんじゃいけねえな。

 あの人に任されたんだ、いつも以上に気持ちに振り回されるわけにはいかない。しっかり影崕派として、影崕さんに任されたなりに考えなければならない。

 メリット、デメリット、総括するとアリ寄り。

 クォータム社の人数がこちらにも回ってくるのは後で跳ね除ければ良い。あっちはこっちに人数を回したいわけじゃないからその要求は簡単に通るはずだ。だが何より大事なのはあっちじゃなく、こっちだ。こっちの考えと、あっちの考えが合わないのなら、この件は要らない。


「クォータム社として答えてくれよ。」


 言って、ぐっと革張りの心地良くないソファに凭れかかる。


「お前たちさ、すげぇつまらない映画を観たとするよ。自分の核を否定するような、馬鹿にされている気分になる駄作的なヒドイ映画だ。見たらゲボ吐きたくなるやつね。」

「は?なんだ急に……」

「その映画を面白いって言うやつがいたら、どう思う?」


 森崎は黙りこくった。


「……腹立たしいと、思うだろう。」

「そしたら、どうする?」


 ここまでは想定内だ。たまに〝悲しむ〟とか言い出す気取り屋がいるだろうけど、大抵は腹立たしいと思うものだ。

 それから、例外として自分の核を馬鹿にされるような作品を見て平然としているような人間がいるが、そいつらは総じてツマラナイ人生を生きている敗北者だ。自分を構成するモノのためにすら立ち上がれないというのは負け犬でしかない。自分を織り成す全てを否定されても穏やかな波のような心を持っているっていうのは、人じゃない。

 荒ぶり、滾り、そうして訪れる平穏を持ってしてはじめて人だ。何にも立ち上がらないで何が人だ。何が心だ。そんなものが生きているだなんて言えるわけない。

 ――()()()()()()なんて答えられていたら、俺はたまらず彼女を殺していたかもしれない。ついね、つい。なんて嘘嘘、冗談、冗句。俺がそんなことするわけないじゃん。やだな。


「……何が言いたい?」

「質問で返すなよ。まずこっちの質問に答えてくれ。」


 森本の問いに吐きつけると、彼女は目を細めて俺を睨んだ。睨まれる筋合いなんてこれっぽっちもないが、話し合いの最中で一々そんな些事に文句を言い付けてたらストレスで死ぬに違いないだろう。それに何より時間の無駄だ。ここは素直に森本の一睨を受け止めて、彼女からの答えを待つことにした。

 彼女は不満げに口を開く。

 一体どんな答えが聞けるのだろうか。期待はしないが、気になりはした。


「何もしない。何かしてどうにかなるものでもないだろ。」


 うーわ。答え、期待しなくて良かった。心底そう思いながら、目を閉じる。

 なんてツマラナイ答えだろう。なんて色のない答えだろう。どうにかなるものでもないから何もしないなんて、ああ、なんて悲劇的な思考。虚無主義の最たる例じゃないか。森本の答えに期待していたら、見抜けなかった己に嫌気が差してゲロを吐いてたかもしれない。ため息を吐き出し、瞼を押し上げて森本を視界に捉える。


「それがクォータム社の答えなワケね。」

「ああ。暴力にも、交渉にも出ない。我々の考えと、そいつの考えは一致せずとも構わない。」

「ふうん。味気ないな。人として勿体ねえぜ。」


 苛立ったかのように眉を顰めて、森崎は俺を睨んだ。


「たかだか映画だろう。」

「たかだか映画に本気も出せないのが勿体ないって言ってんだよ。」


 そうやってクール気取って周りを見下しているところはほんとうに痛々しい。たかだか映画に本気にならない自分は他とは違うと思って生きているんだろう。本気で生きるなんて疲れるとのたまうに違いない。

 だけど、どうせすぐに終わりが来てしまう人生は走って生きてこそ本領なのだから、疲れる生き方をしないなんて人生を無駄に消費しているだけだ。それが何より勿体無いことなんだって気付けずに生きているのは最早哀れとさえ言える。

 人は死ぬ。遅かれ早かれ、どちらかと言うと早い寄りで、死ぬ。ある日気付けば死ぬ。突如として死は平然とやってくる。


 何事に関しても本気で生きていかなくても平気だって考えているのはそれを分かっていない証拠で、それをわかっていないのはすごく哀れだった。人生の無駄遣いは、この世の何より勿体無いことだ。余裕ないくせに余裕を持ち過ぎなのだ。


「今度はこちらの質問に答えてもらう。何が言いたい?」

「その駄作映画は()()だ。そんで影崕派は、面白いって言うやつにもっと面白いものを見せようとするやつらだよ。お前たちの考えがそういう味気ないものだとしたら、俺はクォータム社とは連携したくないね。影崕派の馬鹿共をお前たちに使わせる意味を感じない。」

「なっ、今のくだらない質問でクォータム社を量るつもりか……!?」


 映画を消し去ってやるとか、褒めたやつは忘れて映画の制作者をとっ捕まえて意見を聞くとか、褒めたやつを殴るとか調教するとかディベートで打ち負かすとか。選択肢は多種多様なのにわざわざ何もしないを選ぶのは無意味極まりない。生に対する冒涜ですらある。

 

 ――こっちの馬鹿共は確かに馬鹿共だ。でも影崕派の馬鹿共なのだ。全員に過去があるように、未来がある。全員により良い世界へ手を伸ばす権利がある。全員により良い世界で生きる権利がある。謳歌する権利がある。彼らにクォータム社のくだらない思想も意志も感じない殺しに加担させる理由はない。クォータム社的にただ邪魔な相手を殺してくれ、脅してくれとかそんな依頼なのは目に見えている。


 彼らは気にしないだろうけど、俺は気にする。人殺しは良くない。好きじゃない。楽しむのはいい。だが重みを忘れるような、意味のない殺しだけは認められない。そんなものは人として終わってるイタイ生物だし、影崕派の誰一人としてそんなものに成り下がらせるわけにはいかない。俺にだってプライドがある。俺たちは都合の良い便利な暗殺集団じゃないんだよ。確かに手足は汚れているが、だからって汚れ(そこ)に理由がないわけじゃない。俺たちは常に世界を変える気で殺している。自分を取り巻く状況の全てを変える気で命を奪っている。浅い考えの殺しなんて、くだらない。思わず殺したくなるほどに。


「最初に言ったはずだろ、クォータム社として答えろって。どういった意図で尋ねたのか、なんて少しは頭を動かせば分かる。それともなに、舐めてかかってんの?甘いな~そういうところも嫌いだわ。」


 蟻が群がるような甘い考えは、俺が最も嫌いとするものだ。頭を動かさないやつは大嫌いだ。何でもかんでも平気だと思うようなやつは大嫌いだ。

 少しも現実を見ない恥ずかしい人間共め。お前が生きているのは現実であって、お前にとって都合の良い世界じゃないんだよ。夢を見ているままでいいなんて馬鹿げている。そんな偽りでしかないものに、一体なんの意味がある?わからない。知りたくもない。偽物は所詮偽物だ。甘ったれるなよ。クソ。クソクソクソ。


「お前が今相手にしてるのは影崕派代表代理なんだよ、分かるか?驕るなよ。影崕さんの代わりとして来たからにはあの人の代わりに見定めてんの。お前のそういう斜めに構えた態度は影崕さんの代理に向けていいものか?そうやってあの人のことを舐められると殺したくなる。やめろよ」

「舐めているのは貴様の方だろう!」

「ああ。舐めているよ。少しも頭を使ってないやつを相手にするとどうも腹立っちゃってさ、悪いね。」


 森崎は即座に立ち上がり、俺に銃を向けた。


「はは、なに。呆れるんだけど。」


 思わず口から溢れ出た。全くこれがクォータム社の右腕としているのが不思議でならない。なんだ、コネ入社か?俺もだけど俺こんなんじゃねえよな?人のこと言えねえけどもうちょい考えてからキレようぜ。トナリが今ここにいてくれたら色々言ってくれただろうにな、俺とこのコネ入社のアホに共通点があるかないかとか、結構気になるんだけど。クソ、何がショッピングだ、こっちの用事にも少しは付き合えっての。薄情者め。


「……、くそっ!」


 苛立ちを隠さず子供みたいに一度地団駄を踏み、彼女は座り直した。……トナリがいなくても今ので自己チェックができたと思う。俺より酷い癇癪持ちとかいるんだな。ちょっと自信持ててきた。地団駄とかダサすぎてプライドが許せない。そんなことをやるくらいなら舌でも噛みちぎるね。


「ま、この話はナシね。お互いの邪魔すんのもナシ。最終的な目的は同じなんだから大人しく放っておいてくれよ」

「お前が欲しがる情報を持っている。」

「おいおい、今度は嘘か?恥ずかしいな、目も当てられないよ。」

「嘘じゃない。星の……星の命についての情報だ。」


 揺らしていた脚を止める。よし、フェイクなら殺してやる。



 ※



 ――勝手な行動は行うな。誰が何をやっても喋るな、何を聞いても頭を下げて黙っていろ。


 トギさんの忠告を受けて翌日。

 僕は彼の忠告についてばかり考えていたせいで、旧境防での授業中、身が入っていないと指摘されて何度も道楽教官に投げられた。おかげでたちまち体中が擦り傷と痣だらけになったが、道楽教官の指摘は筋が通っているため理不尽だと思う事すらできなかった。

 獣を殺すためにアダムスルトさんではなく道楽教官に付いて来たというのに、これでは無意味だとわかっているのに、それでも悩む思考が止まらない。

 トギさんの忠告の意味。考えるだけで怖くなる。


 ぐわっと体が宙に浮く。嗚呼、空が青い――なんて思った次の瞬間には体が地面に衝突し、転がっていく。微かに潮風の香りが混じったグラウンドの匂いが鼻膜を包む。


『せんせえ~!』


 獣の悲しそうな鳴き声が脳裏に響いた。

 僕としては、道楽教官に投げ飛ばされるのにも慣れてきたもので、息が荒れることも脈が早くなることも徐々になくなり、投げ飛ばされるのに虚無感すら覚えてきたところだ。慣れって恐ろしい。

 というか僕、トギさんの忠告に動揺しすぎかな。警戒を怠るなと言われたのに警戒どころかほとんどの集中力がなくなったとなれば、彼の忠告は本末転倒だった気さえしてくる。このまま僕の集中力が欠けたままあっさりと死ねば、トギさんは僕を守りたいと考えているらしい人の協力を仰げないだろう。嫌な顔をされるに違いない。


『殺してこようか!?』

「やめろバカ。」


 今日でもう20回以上は繰り返したやり取りをもう一度行いながら、体を起こす。手合わせの相手だった途爪さんがぐわし!と抱きついてきて僕はまた地面へと逆戻りする。獣が「は!?なにこいつ!」と苛立った声を上げて、今にも出てこようとしているのかグローブが熱くなるのを感じる。

 あーもう……。


「新人!どうした!?どうした!?なんで自分との手合わせ中に意識を飛ばせる?!疲れた!?」

「おい大丈夫か新人!今日でこれ何度目だ!?まさかこの前の墓越先輩で全ての意志を使い果たしたか!?そんなっ……酷すぎるぜ……!」

「……新人、尋問室で何があったんだ?あたしで良ければ話聞くぞ。」


 途爪さんと目輪君の騒がしい揶揄い混じりの気遣いをほぼ無視するようにリツさんが言った言葉は、再び僕を思考の溝へと突き落とした。

 尋問室。トギさん。昨夜の忠告。何もかもが昨夜の繋がって、何もかもの答えが出ないことにしっかり疲れてしまって、僕はもう何にも抵抗せずにグラウンドへ寝そべった。

 ええい、どうにでもなれ……なってしまえ……。


「ハイハイ、キミたち離れたまえ〜!群がらな〜い!異質体は器との肉体接触を嫌いまーす」

「ハーイ!自分、離れる!」


 ぴょこぴょこと跳ねながら途爪さんが僕から離れると、入れ替わるように道楽教官が僕の脇に手を入れて軽々と持ち上げた。彼女の赤い蛇の視線と目が合う。きゅう、とどこか心配そうな表情をしている。


「礼司君、今日どうしちゃったの?何に集中してるの?ちょっと教官に話してみんしゃいよ。」


 すごく気さくに言ってくれる。前々から思ってはいたが、気負う必要がないのだとこちらに感じさせるのがうまい人だ。意図的なのか、或いは生まれつきなのか見当もつかないあたり、それが道楽教官らしさへと繋がっているのかもしれない。

 ……しかし。


「ハライタ、かな?」

「トイレ行けっ!いや保健室か?」


 地面に降ろされながら言われ、僕は力なく首を横に振り道楽教官の提案を断った。

 トギさんには誰も信じるなと言われているのでリツさんや途爪さん、目輪君がいるこの場では彼女に本当の事を言えなかった。同級生を疑うような真似はしたくないし、そもそも彼女たちを疑ってもいないけど――世界の命運が懸かっているとなれば話は別だ。トギさんの言ってた内通者が見付かるまでは、不必要でも疑うべきであるように感じられる。だって世界だ。背に腹は代えられない。

 道楽教官は思慮深い目付きで僕を見下ろすと、腰に手を当ててビシリと指を向けた。


「まあ、でもせめてちょっと休憩しようか。てかハライタならもうちょっと早めに申告しなさーい!ボクもキミを投げ飛ばしちゃったじゃんか!ゴメンよ!」

「自分はそれアリ!真の戦い、誰も、何も待たない!」


 相変わらずの片言で途爪さんが指摘した。うーん、至言かな。彼女の言う通り、それこそ途爪さんとの手合わせが実際の戦いであったのなら、今日の僕はあっさりと死んでいたに違いない。


「でも休憩は頂きたい所存ッッ!おれもう休みたいっす。」

「あたしもくたくたで死にそうだ。休みだ休み!」

「ヒンジャク!弱すぎ!致命的!」


 ぴょんこぴょこ元気に跳ねながら途爪さんが笑った。何故そんなにも有り余っているエネルギーがあるのか、或いは僕たちが彼女の言う通りヒンジャク弱すぎ致命的の三拍子過ぎるのか……何にせよ、強者である途爪さんに着いていける同級生はこの場にいなかった。

 ぱん!と道楽教官は手を叩いて注目を集めるとにんまりと笑った。


「んじゃあ多数決で休憩だね!四時になったら再開しようか。」

「よし、解散だ!」

「コラッ!それボクが言うヤツ!」


 言われているのにリツさんは道楽教官に目もくれず、僕の手を取るとぐっと引っ張って近くの物陰へ僕を押し込んだ。あまりにも俊敏な動きで、獣がとやかく言う間すらもなかった。

 穏やかな日光の届かない物陰へ遅れて目輪君と途爪さんもやってくるのが見える。とはいえ壁に寄り掛かり、余裕気に澄ました表情で僕を見上げているリツさんに対しての疑問で頭がいっぱいになってそれどころでもない。とりあえず、少なくとも先程の〝くたくた〟という発言は嘘らしかった。


「意外とまだ元気じゃないですか。」

「新人。あたし、感謝してるんだ。」

「ほあ。」


 予想もしていなかった言葉に間の抜けた声が洩れた。


「私の友達を……沙耶を、助けてくれてありがとう。」


 ――ああ。

 今ばかりは何も考えずにリツさんの言葉に浸って良い。そんな気がした。

 墓越先輩を助けた、なんて尊大に表現したところで僕の行いはASXでは〝運命殺し〟と呼ばれるタブーだったし、尋問室ではそれを責められて反省文を何枚も書かされて厳重注意された。正しい行いだったけどタブーであることに違いはない、あれは自己満足のための行動だった、厳重注意だけで済んで幸運だと言っても過言ではない、その認識は尋問室に閉じ込められた日からずっとある。


 だから。まさか感謝されるなんて思いもしなかった。


 こそばゆい感覚だった。僕が素敵だと思うものを、同じように素敵だと言ってくれる相手がいたんだって知ったときみたいな嬉しさ。或いは、一人で寂しく歩いている気でいたのに、隣で騒がしくパーティをしている人がいるって気付いた時みたいな可笑しさ。

 

 それが同時に寂しくもあった。

 僕は自分の友達は救えなかった、その歴史は変わらないし、これからも一生背負い続ける。そうでなければならない。仮に、あの子との記憶を背負い続けられないのなら僕は今すぐにでも死んだ方が良い。

 けど誰かの友達を救えたのなら、僕が生きていることでのメリットがあったのなら。僕みたいな人間に贖罪以外の、まだ生きていても良い理由があったんだってそう思えた。それはまるで過去の経緯によって積み上げて生まれた自分が少しだけ消えるみたいで、寂しかった。


 忘れた息の仕方を思い出して、僕は取り繕うように笑った。


「あはは、そういうのってフツーは昨日再会したときに言うもんじゃないの?」

「なんだと!折角がんばって本音を言ったのに!」

「がんばったんだ?」

「当たり前だ!昨日の時点で合わせる顔がなかったんだぞあたし!沙耶を助けるって意気込んでたのにパニクった挙句気絶しておまえに責任を全部投げた。恥しかなかったんだから!」


 くしゃりと顔周りの髪を掴んで、頬を真っ赤に染めてリツさんはそんなことを言った。あ、この人、照れると可愛いな、と思ったがもし万が一にでもそんなことを言えば獣が元気に大暴れする未来が見えるので堪える。


「あ、でも感謝なら、僕の方こそ感謝したいです。ありがとうって言ってもらえて嬉しかった。ありがとう、リツさん。」

「……うん。」


 リツさんは頬を赤く染めたまま、複雑そうな表情で頷いた。その姿はやっぱり可愛かった。それまで大人しく見ていた獣は途端に「あー!なんかキライだなっ、ここ!」と騒がしく吐き捨てた。あー、なんかやかましいな、お前。


「ここ、アオハル?」

「おいそんなこと言ってるのバレたら隊長がキレちゃうだろ、トヅメちゃん」

「そこのふたりッ!聞こえてるぞ!」


 リツさんは背後で僕たちを見ていた目輪君と途爪さんに勢いよく睨みつけて怒ったが、その頬はやっぱり赤くて、なんだかいつものような鋭さが欠けていて少しも怖くなかった。ふたりも同じようで(まあふたりは元からリツさんが睨んでも怒っても気にしていなかった気がするが)、リツさんの暴発にきゃっきゃと楽しそうに笑うだけだった。

 その姿をぼんやりと眺めているとリツさんが途爪さんにヘッドロックをかけたところで、目輪君はササっと僕に近付き肩を組んできた。いつものようなニマニマした感じじゃなくて、どこか真剣な表情を浮かべている。まあ、それがとても怪しく感じるわけだけど、とりあえず目輪君が何を言うのか待ってみる。

 彼は深呼吸をして、どこか大袈裟に「新人……」と呼びかけた。


「おれたちが漢を見せたお前を労わりたい気持ちがあるのは本当だぜ。隊長が恥でメンタルブレイクを起こしても、鬱でメンタルブレイクを起こしてないのはお前ががんばったからだ。」

「あ、うん。ありがとう。」


 こそばゆくって、どうも照れくさい。頬がだらしなく緩むのを抑えようと頬を掻く。目輪君は陽気にサムズアップするとにやりと白い歯を見せた。


「ジュース、奢ってやるよ。」

「いらないです。」

「即答か!」


 怪しすぎである。トギさんに警戒しろと言われていなくても今のは警戒するレベルだ。この境防内に設置されている自販機や購買、それから食堂には誰がこんなの買うんだ?という疑問を持たざるを得ないモノが幾つか販売されている。うん、目輪君がソレを買ってくるという予感がする。そして今この場で受け入れたら僕は間違いなくソレ等を飲まされるだろう。

 確かに喉は渇いているけど、いまの目輪君の怪しすぎる誘いにまんまと乗れるほど喉は渇いていない。さすがにそこまでじゃない。砂漠のど真ん中に何時間か放置でもされないと今の誘いには乗れなかった。

 しかし、へこたれない目輪君は僕の肩を掴んで食い下がらなかった。


「いや何もしないよ!ハライタなお前におれが親切心であったかいもんを奢ってやるって――」

「いらないです。」

「言い終わってもいないのに!」


 怪しすぎる。食い下がらないところが、とくに。ただの親切心なら申し訳ないと思うけど、ただの親切心だとは思えないので申し訳ないとも思えない。すまないが平和のために成仏してくれ、目輪君。

 リツさんが途爪さんをヘッドロックから解放しながら目輪君をフンと鼻で笑った。


「ふん、新人に警戒されてジュースも奢れないときたか、目輪!」

「ジュース?ジュース、自分も飲む!」

「あっほら!トヅメちゃん同行よ。これなら安心でき――」

「いらないです。」

「せめて言い終わらせてくれ!」

「信用ゼロ!」


 途爪さんが指摘した。うん、ごめんけど信用ゼロです。目輪君が何か妙な種類の飲み物を買おうとしても途爪さんは何も気付かなさそうだし、ちょっと、ね。

 彼女ならきっと「飲み物?ぜんぶ同じ!ゴクゴクいける!」とか言うに違いない。実際今日の昼食時だって見たことも聞いたこともない組み合わせの麻婆納豆ラザニア定食を頼んでそれをいちごアイスクリームと同時食いしていたので……うーん、恐ろしい未来が見える。


「あたしも行くよ。調子の悪い新人はここで待っているといい。」


 リツさんであれば〝隊長〟だし、怪しい目輪君と食べ飲みに関して何も考えていない途爪さんよりは信用できる。喉は渇いているし、道楽教官に20回も投げ飛ばされた疲労は確実にたまっている。

 う、悩める。悩めてしまう。


「う~ん」

「甘えるの大事!新人、がんばった!」


 バシバシと途爪さんに背を叩かれた勢いに負けた僕はその誘惑に乗ることを覚悟した。マトモな飲み物を奢ってくれるか、或いはクソマズジュースを持ってくるのかは五分五分の賭けだが、この際、どんな奇妙なものを持ってこられても受け止めてやろう。この人たち、僕が渋っても受け入れるまで粘りそうだし。


「じゃあちょっと甘えようかな……。」

「よ~し、接待決まりな!おれのすばらしいジュースセンスに泣いて震える準備をしとけよ新人!」


 あ、ダメそうだなこれ。

 賑やかに去っていく三人を見届けて、僕は物陰の奥にポツンと置いてある色褪せた黄色いベンチに腰掛けた。穏やかな平穏の空気感に促されるようにベンチに座ったまま軽くストレッチを行うと、たまった疲労感がぐーっと抜けていく。


 気分が良い。どんなタイプのジュースが奢られるのかという不快にならない疑念も、こんな自分でもまだ誰かと楽しく話せるんだという事実も、内通者のことを考えなくも良い穏やかな瞬間にこうして体を伸ばせる平穏さも。

 忌憚なく、気分が良かった。


『……先生、今日はなんだかぼうっとしてたけど、昨日の忠告のせい?』


 脳裏に響いた獣の質問に頷く。


『やっぱり。確かに先生も、わたしもまだ本領を出せていないもんね。こんな状態じゃ相手次第、運次第で世界が終わっちゃうなんて明白だし……ねえ、先生。怒ってる?』


 思わず眉を顰めた。怒ってる?ってなんだ。この状況で怒るようなことなんてない。トギさんの忠告の件は悩みというカテゴライズであって、怒りとは程遠い。獣のせいでこうなったという点に合わせてうまれた疑問ならば、なんだか今更過ぎる質問であるように思う。

 違和感があった。彼女らしくない、愛らしいいじらしさだ。こういうときの獣はたいへんろくでもないと僕は知っていた。

 恐る恐る尋ねる。


「なんで僕が怒ってることになってるの?」

『わたしに言わせちゃうの?やっぱり先生、怒ってる……』

「で、なんで?」


 先を急かす。嫌な予感がしてならない。この会話の流れからハートフルな言葉が飛び出てくれるようには思えなかった。間違いなく獣は僕の知らないことを知っている。それも僕が知ったら動揺するような、なにかを。


『……先生を、わたしの器にしたでしょ?あのとき先生の魂とわたしの魂がうまく合うよう……こう、ちょっと余計なものは切り落としちゃった、でしょ?』


 脳に白いペンキをぶちまけられたと言ってもいいくらい、何も考えられなくなった。ちょっとしたショートを乗り越え、一瞬の間を置き獣の言葉を何とか処理して――グッバイ・平穏、ハロー・不穏。ぞくぞくと背筋を走る悪寒が一瞬ほど言葉を喉の奥あたりで詰まらせたが、なんとか声を吐き出す。


「なっ、なんて!?何を切り落としたって?!」

『んーと、その。先生の、その……』


 なんだ。何を切り落としたんだ。いよいよ見事に嫌な予感で済むことじゃなくなった。知らないうちに自分の一部分を切り落とされているとかちっとも笑えないぞ。

 獣は甘ったるい声で、媚びを売るように続けた。


『先生の理を?なんていうか、ちょっと?こねくりまわしちゃったかなあー、なーんて……』

「いや可愛くない可愛くない。」

『かわいいもん!それに!先生にわたしがいるならいらない部分だったし!』

「それはお前が勝手に決めることじゃない!いいからどこ切り落としたんだよ、どこを。なにを。」

『んと、基礎。』


 あー。落ち着け。キレるな、キレるな……。


「ふう……。それで、なんの?」

『ゼノとしての基礎。前まで先生が使えてたもの全部使えてないでしょ?』


 あ。そっか、なるほど。獣は僕を先生だと思っているから、僕が先生と異なり弱いことへの理由付けなのか。気付きと納得の心地の良い波に、どっと安堵してたまらず胸を撫で下ろす。

 そうとなれば、まあちょっとは可愛く感じられる。


「はあ、ムダに驚いた……」

『え!先生、怒ってないの?』

「はは、怒ってる怒ってる。」


 無論嘘だ。元から僕になかったものを切り落として捨てたなんて言われたって怒りようがない。元々相手次第、運次第でバッドエンド直通の状態なのだ。

 だが、一応僕は彼女の先生だし(違うけど)、道楽教官には獣を刺激しないようなるだけ先生でいることを否定しない路線でいけと言われているので、僕は僕が先生であったのならば怒るような点にはしっかりそう明言しておく必要があった。それに、図に乗られても困るし。

 獣は申し訳ないと言わんばかりに「うにゃ~」と唸った。唸るくらいなら謝ってくれと小さく苦笑する。


『――先生、立って。』


 途端に声色の変わった獣に促されるまま、即座に立ち上がる。ふと衣擦れの音がした方へと視線を向けると、薄緑色の目とかち合う。

 僕はその顔立ちと、よく似た顔を前に見たことがあった。


「へえ、よく気付くじゃん。初代会長の生まれ変わりって説、マジかもしれんね」


 刈り上げの白髪に、薄緑色の目。自信たっぷりに胸を張っている姿勢。黒のゼノ隊服。刺々しい視線。初対面なのに、敵意がまるで丸出し。リツさんたちも初対面時には僕へ敵意を向けてきたわけだけど――()()()()。これは殺意だ。彼は本気で僕を殺す気でいる。

 ほとんど直感的に、目の前に立つその若い男が墓越健司なのだと僕は理解した。


「初代会長モドキに世紀の落ちこぼれ、人殺しに元生贄。今年の道楽教官は苦労しているだろうな。」

「……え?」


 彼の口から放たれた音の羅列に思考が一時停止する。その言語はわかるのに、まるで意味が分からなかった。


「足立律は――」

「あ、言わなくていいです。貴方の口から知るような話じゃない。」


 そもそも、彼の言葉の意味を分かりたくもなかったので、自らの思考停止には助けられた。

 知り合いなら、その過去は当人から聞くのが一番だ。他人の口から語られる過去ほど無情なものはない。ぱっと聞かされた感じ、勝手に踏み入っていい領域でもなさそうだし、彼から聞く気は微塵もない。

 第一、彼が墓越健司である以上、僕にとって彼は僕を殺そうとしてきた相手でもあるのだ。そんな相手から聞きたいことなんて、なにひとつない。それが知り合いの過去についてなら拍車がかかる。


「人の話を遮っちゃダメって知らない?それともそんな頭悪い?今までの教育上で誰も指摘してこなかった?あ、指摘すら値しないって思われたのか。」


 うわ、と思いはしたけれど悲しいかな、彼の言葉は事実なので頷くしかできない。

 殺そうとしてきた相手に礼儀を持ち続けないといけないと考えられるほど物好きではないので彼の話を遮ったことは何とも思っていないが、頭が良いわけでもなければ、教育上で誰かに指摘された経験も彼の言葉通り、ない。同様に、指摘すら値しないと評価されても仕方ないと思った。僕だしな。


「……なに頷いてんの?落ちこぼれ供の同級生にいじめられてなんでも受け入れるようになった?まあロクな集団じゃないもんな。どうしょうもないカスみたいなやつらに囲まれて苦労する気持ちはオレにはわからないけど、ひとつ言わせてもらうならちゃんと言い返すべきだよ。〝生きてる価値もないクズに生まれちゃってすみませんが、お前たちも僕と同じ人間のクズなので仲良くしてください、何でもします〟って。」


 手袋が熱でチリつく。


「それともやっぱりあの出来損ないのクズ共とは馴れ合いたくない、あいつらには言い返す価値もない、みたいな?異質体が選んだ器だもんね、プライドくらいあるか!いやそんなものがあるワケないか!プライドがあったらあんな低能の臭い豚共と一緒にいるわけないしな」


 視線を逸らして、自分の手を見る。徐々に熱を帯び始める黒い手袋に覆われたそれ。大事なものだけ掬えない手。何にも値しないであろう僕。

 あまり考えることもなく、ぼんやりと視線を墓越へ戻す。


「死ねよ。」



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