50.別れ
抱きしめた腕の中の、マシロの姿が消えていく。
急速に遠ざかる存在感を、慌てて掴むように力を籠めれば、その両腕が空を切った。
残された行き場を失った両腕と、掌の中の黒い花。やがてその花もポロポロと風化するように崩れて完全に手の中からその姿を消した。
まるで、最初からないもなかったように、跡一つ残らない。それが今はなぜか、酷く悲しい。
気付けば、マシロが消えた代わりに永夜が腰のあたりにぎゅっと抱きついていた。その頭を、軽く撫でる。
「…消えちゃった」
「花の、残滓でしょう。---私と同じ」
紗綾の言葉に、顔を上げる。
(ーーー…同じ?)
「え…?」
紗綾を見ると、彼女はどこかいたずらっぽく美沙緒に笑った。
「貴女が豪快に燃やしてしまったでしょう?」
言われたことが理解できず、数秒固まる。
紗綾に託され、あの化け物の口の中で、爆発という言葉がピッタリくるくらい大量のヒダネムシにより大炎上した最後の花---…。
「---ええっ、あの花、紗綾だったの!?」
てっきり囮に使われたのかと思っていた花が、紗綾本体だとは微塵も考えなかった。サーッと血の気が引いていく美沙緒とは反対に、紗綾は穏やかに微笑んでさえいる。
「どうせもう、食べる花もすべて燃えてしまったもの。
遅かれ早かれ同じことよ」
ポロポロと、紗綾の黒尾い羽根が落ちていく。
「永夜」
紗綾が、美沙緒にしがみついたままの永夜を呼んだ。
永夜が今にも泣き出しそうな顔で、彼女を見返す。
「私はあなたを、あの狭い部屋から出してあげられない」
紡ぐ言葉は今まで同様、突き放すような内容なのに、その声音は言い聞かせるように酷く優しい。
「…っ、それでも!」
「…だから、永夜。
自分の力で出るの。…出来るわね?」
永夜はいやいやをするように首を振り、美沙緒の服を掴む手にぎゅっと力がこもるのを感じた。
励ましたくてその小さな手に自分の手を重ねる。
と、ふいに永夜の体の力が抜けた。
永夜はぐっと口を引き結ぶと、やがて、小さくコクリと頷く。
そんな永夜の様子に、紗綾はどこかホッとしたように優しく笑った。
「永夜」
パラパラ、パラパラ、風が吹いて、羽が舞う。
その姿が、ひどく朧気になっていく。
「誰よりも、あなたの幸せを願っているわ」
紗綾を見上げる永夜の目から、堪えきれなように、大粒の涙が溢れ出す。
何か言おうと口を開くも、言葉に出来ないでいる彼に、紗綾は優しく笑って、その頭を撫でた。
そうして、美沙緒の方を振り返る。
「私の大事な子供のこと、後はよろしくね」
「え…?」
わけがわからず首を傾げる美沙緒に、紗綾はなおも続けた。
「この子はシツコイから…絶対に諦めないわよ」
ふふっと楽しげに笑う。
そんな穏やかな空気を残したまま、そうして彼女は消えていった。
いつの間にか、焼けて荒れ果てた野に、新たな芽吹きがあちこちで生まれていた。
捨てられたものではない。何かの成れの果てでも無い。
確かにここから生まれて、芽吹いて、明るく未来を照らすもの。
焼け野原に、再び芽生える芽。希望。
海の向こうから力強く大地を照らし出す朝日のもとで、次々と希望が芽をだし、蕾をつけ、花開いていく。
赤、白、黄色…とりどりの彼岸花が咲き誇り、美沙緒と永夜を包み込む。
「綺麗…」
いつかのように、美沙緒が呟く。その手を、ギュッと小さな永夜の手が握った。
「…うん。綺麗だね」
見れば、永夜も見惚れるようにその光景を眺めていた。
以前は、共有できなかった感情を、今は確かに心の底から共感出来ている。そのことに、頬が緩む。喜びと、嬉しさが胸を覆う。
こうして長い長い夜が、ようやく終わりを告げた。




