49.新しい約束
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美沙緒の掌の中で、黒い彼岸花が震えた。
知希が食べようとしていたのを阻止して、そのまま手にしていた花だった。
その花が、突然現れたマシロに共鳴する様に、小さく震える。
「ーーー生まれたくなんかなかった。
こんな生き方しか出来ないなら、生まれて来たくなんかなかった。
私なんか、最初から存在してはいけなかったの。産まれてきてはいけなかったの。
…それなら、いらないなら、迷惑なら、厄介者なら!
最初から、産まなければ良かったのに!」
叩きつけるようにして吐き出す感情。
その一つ一つが、マシロの心にパックリ開いた傷口が訴える叫びだった。
痛い。胸が、とても痛い。
それは、怪我をした人を前にして、相手の痛みを自身の痛みのように感じることに似ている。
目の前の少女は、ボロボロに傷付いた子供だった。
痛い、痛いと泣き叫んでいる、助けが必要な子供だった。
マシロの思いが、痛みが、過去が、手の中にある黒い花を通して伝わってくる。
「ねぇ、全部全部、私が存在することが間違ってたの?
ーーー教えてよ。
あんたは、私を厄介者扱いしたじゃない。
…私が、悪いの?」
噛みつくようにして紗綾に問う。
そうしながら、その眼は否定されることを恐れるようにひどく怯えていた。
「---あなたは何も悪くないわ。ただ、居場所を間違っただけ」
「…居場所なんか選べない。産まれた場所も、親も、学校も、私に選択肢なんて一つもなかった!」
「そう。だから、そんな場所で貴女はずっと頑張って来たのでしょう」
噛みつこうと身構えていた怒りが、ふいに行先を失ったようにマシロが息を呑む。
「ただ、ひとつだけ努力出来たことがあるとすれば…誰かをーーー行動を起こす自分自身を信じて、助けを求めることが出来なかったことかしら」
ーーー誰かを信じて、助けを求める。
自身にも難しいそれを、美沙緒は胸の内で反復した。
よく言われることだ。そうして、どうしてそんな簡単なことが出来ないのかという言葉も、またよく聞く。人によっては、とても簡単なことなのだろう。
でも、美沙緒には---そうして、おそらく、マシロにも簡単なことではないのだろう。
「…誰かを信じること。そうして、助けを求めること。それって、経験がいると思うわ…」
助けてと、たった一言伝えること。
ただ、それだけなのに。その一言を伝えるには、とてつもない、強さがいる。
自分をさらけ出して窮状を訴えること。相手を信じて、その先の結果を受け入れること。
簡単なようで、難しい。
「信じて、助けを求めて、助けられること。そんな経験を通して、得る”力”が必要だと思う。成功体験、っていうのかな。…でも彼女は---そんな経験を一番得られるはずの家庭で、してこなかった」
掌を通して見えてきたもの。
そこにいる小さな子供は、ずっとずっと、その手を伸ばし続けていたのに。
母親も、姉妹も、周囲の大人も、同年代の子供達も。誰一人、彼女のその手を取ることはなかった。
胸が痛い、と思う。誰か一人でも、彼女の手を取っていれば、マシロには違う未来があったはずなのに。
誰にも届かない手を伸ばし続けるのはとても悲しい。
誰かが素知らぬ顔で通り過ぎてゆく度、心は傷付いていくのだから。いつしかその手を引っ込めてしまっても、どうして彼女を責めることが出来るだろう。
人を信じることも、助けを求めることも難しい。
そうして自分自身を信じる事はもっともっと難しい。
出来ないことを責めるのは簡単だ。でも、美沙緒は、マシロの過去を見てしまった以上、責めることなんて絶対に出来ない。
ただ、労いたかった。
一人で強く生きてきた彼女に、少しでも思いが届くように。
ぎゅっと抱きしめたマシロの肩が震える。
「あなたは、頑張った。
たった一人で耐えて、ただ頑張って生きてきた。
…えらかったね。辛かったね」
美沙緒の言葉に、マシロが震える。
そうしてその肩から、長い長い溜息を吐くように少しずつ力が抜けていった。
「---ずっと消えたかった。もし死んでも、また人間に生まれ変わるなんて、もう、まっぴらなの」
「…うん」
「でも、この苦しみが、誰にも知られないまま、何もなかったことされるのは悲しいの。
…お願い、私の事、覚えていて」
どうして彼女の最後の願いが、こんなにも悲しいものなのだろう。
美沙緒はポロポロと零れる涙もそのままに、力強く頷いた。
「覚えてる。私が、忘れないから。
絶対に、無かったことになんて、させないから」
それを見て、真白は初めてふっと柔らかく笑った。
年相応の、可愛い笑顔。
「ほんと…?なら、もう、いいや」
一つ、また一つ。
知希との約束。
マシロとの、約束。
果たさなければいけない約束が増えていく。
それは美沙緒を縛る呪いにもなり、生へ繋ぎとめる楔にもなるのだろう。
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(…なんだ。なぁんだ)
誰かが、自分のために泣いてくれる。
ただ、それだけで良かったのだ。
それだけで、満たされるものがあったのだ。
ぎゅっと、抱きしめられる感覚。
心地いいと、真白は心から思った。




