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49.新しい約束

*********

美沙緒の掌の中で、黒い彼岸花が震えた。

知希が食べようとしていたのを阻止して、そのまま手にしていた花だった。

その花が、突然現れたマシロに共鳴する様に、小さく震える。


「ーーー生まれたくなんかなかった。

こんな生き方しか出来ないなら、生まれて来たくなんかなかった。

私なんか、最初から存在してはいけなかったの。産まれてきてはいけなかったの。

…それなら、いらないなら、迷惑なら、厄介者なら!

最初から、産まなければ良かったのに!」


叩きつけるようにして吐き出す感情。

その一つ一つが、マシロの心にパックリ開いた傷口が訴える叫びだった。

痛い。胸が、とても痛い。

それは、怪我をした人を前にして、相手の痛みを自身の痛みのように感じることに似ている。

目の前の少女は、ボロボロに傷付いた子供だった。

痛い、痛いと泣き叫んでいる、助けが必要な子供だった。

マシロの思いが、痛みが、過去が、手の中にある黒い花を通して伝わってくる。


「ねぇ、全部全部、私が存在することが間違ってたの?

ーーー教えてよ。

あんたは、私を厄介者扱いしたじゃない。

…私が、悪いの?」


噛みつくようにして紗綾に問う。

そうしながら、その眼は否定されることを恐れるようにひどく怯えていた。


「---あなたは何も悪くないわ。ただ、居場所を間違っただけ」


「…居場所なんか選べない。産まれた場所も、親も、学校も、私に選択肢なんて一つもなかった!」


「そう。だから、そんな場所で貴女はずっと頑張って来たのでしょう」


噛みつこうと身構えていた怒りが、ふいに行先を失ったようにマシロが息を呑む。


「ただ、ひとつだけ努力出来たことがあるとすれば…誰かをーーー行動を起こす自分自身を信じて、助けを求めることが出来なかったことかしら」


ーーー誰かを信じて、助けを求める。


自身にも難しいそれを、美沙緒は胸の内で反復した。

よく言われることだ。そうして、どうしてそんな簡単なことが出来ないのかという言葉も、またよく聞く。人によっては、とても簡単なことなのだろう。

でも、美沙緒には---そうして、おそらく、マシロにも簡単なことではないのだろう。


「…誰かを信じること。そうして、助けを求めること。それって、経験がいると思うわ…」


助けてと、たった一言伝えること。

ただ、それだけなのに。その一言を伝えるには、とてつもない、強さがいる。

自分をさらけ出して窮状を訴えること。相手を信じて、その先の結果を受け入れること。

簡単なようで、難しい。


「信じて、助けを求めて、助けられること。そんな経験を通して、得る”力”が必要だと思う。成功体験、っていうのかな。…でも彼女は---そんな経験を一番得られるはずの家庭で、してこなかった」


掌を通して見えてきたもの。

そこにいる小さな子供は、ずっとずっと、その手を伸ばし続けていたのに。

母親も、姉妹も、周囲の大人も、同年代の子供達も。誰一人、彼女のその手を取ることはなかった。

胸が痛い、と思う。誰か一人でも、彼女の手を取っていれば、マシロには違う未来があったはずなのに。

誰にも届かない手を伸ばし続けるのはとても悲しい。

誰かが素知らぬ顔で通り過ぎてゆく度、心は傷付いていくのだから。いつしかその手を引っ込めてしまっても、どうして彼女を責めることが出来るだろう。

人を信じることも、助けを求めることも難しい。

そうして自分自身を信じる事はもっともっと難しい。

出来ないことを責めるのは簡単だ。でも、美沙緒は、マシロの過去を見てしまった以上、責めることなんて絶対に出来ない。

ただ、労いたかった。

一人で強く生きてきた彼女に、少しでも思いが届くように。

ぎゅっと抱きしめたマシロの肩が震える。


「あなたは、頑張った。

たった一人で耐えて、ただ頑張って生きてきた。

…えらかったね。辛かったね」


美沙緒の言葉に、マシロが震える。

そうしてその肩から、長い長い溜息を吐くように少しずつ力が抜けていった。


「---ずっと消えたかった。もし死んでも、また人間に生まれ変わるなんて、もう、まっぴらなの」


「…うん」


「でも、この苦しみが、誰にも知られないまま、何もなかったことされるのは悲しいの。

…お願い、私の事、覚えていて」


どうして彼女の最後の願いが、こんなにも悲しいものなのだろう。

美沙緒はポロポロと零れる涙もそのままに、力強く頷いた。


「覚えてる。私が、忘れないから。

絶対に、無かったことになんて、させないから」


それを見て、真白は初めてふっと柔らかく笑った。

年相応の、可愛い笑顔。


「ほんと…?なら、もう、いいや」


一つ、また一つ。

知希との約束。

マシロとの、約束。

果たさなければいけない約束が増えていく。

それは美沙緒を縛る呪いにもなり、生へ繋ぎとめる楔にもなるのだろう。


**********


(…なんだ。なぁんだ)


誰かが、自分のために泣いてくれる。

ただ、それだけで良かったのだ。

それだけで、満たされるものがあったのだ。

ぎゅっと、抱きしめられる感覚。

心地いいと、真白は心から思った。




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