48.黒い彼岸花
**********
終わりが欲しかった。
いつまで我慢すれば良いのか、いつまで頑張れば報われるのかわからない毎日を生きるのは、ひどく消耗して、擦り切れ傷ついた足で歩き続けるには辛すぎるのだ。
延々と歩き続けなければならないのならーーー…いっそ、道を外れて飛び降りたほうが良い。
もうこれ以上傷付かなくて済むのなら、一瞬の痛みですべてが終わるのなら。
…それは、非常に甘美な誘惑だった。
ーーーでも。
欲しかった、ものがある。
憧れていた、ものがある。
真っ黒に塗りつぶされたような希望のない世界で、その渇望だけが、唯一、真白を生に繋ぎ止めるものだった。
「マシロ…?」
驚いた顔でこちらを見る女性の手の中の、小さな黒い花。
真白は自身から生まれた彼岸花を見て、初めて知った。
(ーーー…ああ。私にも、願いが…希望があったのね…)
殺してやりたい。壊してやりたい。私を否定するものなんて、全部いらない。
そんな衝動的で破滅的な感情ばかりが渦巻くこの体の中で、確かに、真白自身にも気づかれることなく、小さな花は咲いていたのだ。
それを教えてくれたのは、唯一真白に寄り添ってくれたあの化物だった。
ポロリと、涙がこぼれる。
「…私の花を、守ってくれてありがとう」
言えば、女性は自身の手の中のものと真白を見比べ、そうして遠慮がちにこちらへと花を差し出してきた。
「ごめんなさい、ちょっと火で炙られちゃったかも…」
そう言って差し出された花は、確かにすっかり生気を無くし、一部は焦げて萎れかけている。
けれど、それでもこの花は、焼けも食われもせず、彼女に守られここに在る。
---”そんなものなくたって死なないでしょ?じゃあ、いいじゃない”
そう言って、自分を助けてくれた男の花を強請ったのは真白だ。
助けたい一心だった。後悔もしていない。
けれど、この花をあの子にあげれば、また違った結末があっただろうか。
駅のホームから飛び降りて、もう、完全に戻る肉体のないマシロには必要のないものなのだから、あの子のためなら、惜しくなんかなかったのに。
差し出された花に手を伸ばす。
女性の手から離れた花は、肉体のないマシロの手をすり抜け、ポトリと地面に転がった。
「…ごめんなさい」
きっと無くしてはいけなかった。
真白が身勝手に刈り取った、男の人の力強く咲いていた希望。
人のものを踏みにじっておいて、真白の弱々しく咲く、真白自身でも気づかなかったような花は守られていた。その花を前にして思う。思ってしまう。
---消えてしまわないで、良かった…。
焼かれてしまわないで。食べられてしまわないで。守られていて、良かった、と。
「ごめんなさい」
いくら謝っても、もう、取り返しはつかない。
憎まれても仕方がない。
そもそも、真白が本当に謝るべき相手はもう目の前にいない。
落ちた花を、再び女性が拾い上げる。
真白の小さな希望。小さな花。そこに詰まった、真白の願い。
欲しかった。
憧れていた。
真白だけの特別な存在。真白に寄り添ってくれる、側にいてくれる、誰か。
ようやく手に出来た気がしたその特別を、ただ、守りたかった。
大切に、してみたかった。
「…たかった…」
花を持ったまま、女性が困ったように首を傾げて視線を合わせた。
真っすぐにこちらを見る瞳。誰かとまともに視線を合わせるのは、いつぶりだろう。
そんなことを思えば、押し込めていた感情が堰を切ったように外に溢れ出す。涙が、止まらなかった。
「…助けたかった、だけなのに。結局、私が苦しめた」
涙に濡れる目で女性を見返し、認めたくはない言葉を吐き出す。
いつだってそう。自分の選択は、自分の存在は、周囲を不幸にしかしない。まるで疫病神だ。
そう言われ続けることに反発して、虚勢を張って、そんなことはないと自身を奮い立たせてきたけれど…結局残ったのは、周囲の言葉が正しくて、真白が間違っていたという現実だった。
最初から、存在なんてしなければ良かったのに。
けれどそれすら、真白が選べたものではない。もう一体、どうすれば良いのかわからなかった。
ただただ消えたいと、そう願う。
もう二度と、人になんかなりたくない。
魂まで欠片も残さず、消えて無くなりたかった。
最初から、存在なんかしていなかったように。
最初から、誰の記憶にもなかったかのように。
真白の存在そのものを、消してしまいたい。
そう思うのに、ひたすら苦しくて辛いだけだった真白の人生が、誰にも顧みられることなく無かったことにされるのは、自分自身があまりにも不憫だった。
最初から、何もなければ楽だったのに。
苦しんだ時間があるから、わかって欲しい、理解して欲しい、同情して欲しい、慰めてほしいと子供のように泣き喚く自分がいる。
だから、真白にとって地獄のように感じる世界を、叩きつけるようにして、伝えたかった。
深く、深く、傷つけたかった。一生、死ぬまでその記憶に残り続けるくらい、強烈に、生々しく。肌に爪を突き立てて抉るように、真白の存在を残したかった。
その思いが、殺してやりたいと、復讐してやりたいと、…苛烈な感情に繋がって、いたのに。
「私は誰も、幸せに出来ない」
だから、誰にも、愛されない。
---ああ、そうだ。
最期の時も---それに気付いたから、諦めたのだ。
自分の存在が、自分にとっても無価値だと、認めてしまった、あの瞬間に。




