45.囮
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…そんな風に思っていた時期が、私にもありました。
「きゃあああっ!」
追いかけてくる花喰いに、美沙緒は涙目になりながら紗綾に噛みつく。
「ちょっと紗綾!私、囮に使われてる!?」
「そんなことはないわ。花が他にないから、花喰いが集まるのは不可抗力よ」
「その花を私に渡したことに、悪意を感じるんだけど!?」
自身は永夜を抱え、空の上から平然とこちらを眺めている紗綾に吠えるも、「気のせいよ」としらっと返されてしまった。
---私も空に避難したい!
心から切望するが、美沙緒に羽根はない。そうして永夜を抱えた紗綾に頼むのも無理だろう。
結果、あちこち火に包まれて逃げ場も多くない草原を、花喰いに終われて必死に逃げる羽目になってしまった。
(捨てていい!?この花捨てていい!?)
どこか遠くへ投げ捨ててやりたいが、たぶんきっと確実にそんなことをしたら紗綾に怒られる。
「それに、貴女にはその方が都合がいいでしょう?」
「どういうこと!?」
「貴女の花喰いも、それにつられて寄ってくるでしょうから」
(---知希!)
そうだった。知希も花を求めてやってくるのだ。
こちらが闇雲に探し回るより、相手から来てくれた方が断然都合がいい。
そう思えば、この花を手放すわけにはいかなくなった。無くさないようにペットボトルを上着のポケットに入れ、とにかく必死に走り回る。
重たげだった厚い雲から、とうとう零れ出すように雫が一つ二つと落ちてくる。
次第に雨足の強まる雨も、火の勢いを弱めるにはいささか足りないようだった。
「んもう!知希!どこ!?」
煙と恐怖により、涙でくちゃぐちゃの顔で辺りを見回す。どこへ逃げていいかもわからず、少しでも火の手が弱い方へ、駅へ向かってとにかく足を走らせた。
「気を付けて、美沙緒。アレも来ているわ」
「アレって…」
頭上からの忠告に振り向きかけた時、側にいた花喰いがびしゃりと押しつぶされた。
固まる美沙緒の目の前で、潰された花喰いが摘まみ上げられ、そのまま化け物の口に運ばれる。
(まだ動けるのアレぇぇぇっ!)
しぶとすぎる化け物に顔を引きつらせながら、再びその場を駆けだした。
いくつも増えた手で、周囲の花喰いを掴み、取り込んでいる。美沙緒としては追いかけてくる花喰いを減らしてくれるのは非常に有難いのだが、花喰いは美沙緒を追うため結局あの化け物にも追いかけられる形となる。
(とういうか、なんなのあの化け物!)
無数の手もそうだが、もはや生き物としての形を成していない。
中央にある大きな口で、掴んだ花喰いをバリバリとひたすらに噛み砕き取り込み続けている。
「もう、実態も何もあったものじゃない。消えたくないと、その衝動しか残ってないのね」
呆れたように言う紗綾のもとへも、化け物の長い手が伸びる。
それを難なくかわすと、紗綾は永夜を抱えて空へと舞いあがった。
「まぁ、大丈夫だとは思うけど、気をつけなさいな。
貴女の希望は早めに見つけた方が良いわよ」
「---って、置いてくの!?」
「永夜を安全な場所へ連れて行かないといけないじゃない」
「それはそうだけど、この状況で放置!?」
言うだけ言って遠ざかる背中に絶望しつつ、しかしそれどころではないとぐっとこらえて周囲を見渡す。煙で見えない。けれど、なんとしてでも手遅れになる前に知希を探さなくては。
雨が、本格的に降り出して息の上がる体を濡らす。
煙でけぶる周囲に、美沙緒はポケットに突っ込んでいたペットボトルを取り出し、頭の上で大きく振った。
美沙緒にとって視認しにくいのなら、知希にとってもこの花を見つけにくいという事だ。少しでも目に付くように、気付いてもらえるように、ヒダネムシで煌々と光る花を振る。
「きゃあああっ!」
当たり前だが、知希以外の花喰いの食いつきも抜群だった。
続々と集まってくる花喰いが、次々に化け物に喰われていく。
(てかこの状況で知希が出てきたらダメじゃん!)
もれなく知希も食べられてしまう。
慌ててペットボトルを再びポケットに突っ込み、化け物の食事中にその場を離れる。
草むらの中から突如現れた花喰いに、行く手を塞がれ息を呑んだ瞬間、羽音と共に背後から体を抱えあげられて、足が宙に浮いた。
「---紗綾!」
永夜を避難させたらしい紗綾が、美沙緒を抱え上げて空へと上昇していた。
「…重いわ」
「きゃあああっ!お願い、落とさないで!」
永夜と比べたらそれは重いだろう。
ものすごく不安定なうえに、やっぱり無理だといつ手を離されるかわからない状況は心臓に悪いことこの上ない。しかも下からの熱風が空へと巻き上がり、ものすごく熱い。
「―――っ紗綾、熱い!」
「…煩いわね。少し炙られるくらい、我慢しなさいよ」
鬱陶しそうに言う紗綾の顔が苦しげに歪んでいた。そうして気付く。紗綾から、花喰いの、あの独特の臭いがする。
彼女の背中に生える翼。
それは、花喰いのように腐りかけたものだ。
昔路上で見た、カラスの死骸。あの時のボロボロになった生気のない、腐敗の始まった羽根によく似ている。そんなことを思い出せば、美沙緒を掴む彼女の腕からも温もりを感じないことに気が付いた。
今の彼女は、”花”というよりも、花喰いに近いのだろうか。
どんどん雨足が強くなって、打ち付けるようになってきた雨が余計に紗綾の飛行を妨げているようで不安になる。不安をそのまま顔に乗せていたのか、紗綾がこちらを見てふっと笑った。
「人の心配より、自分の希望の心配をしなさい。さっさと見つけないと、落とすわよ」
言われ、眼下の草原を見る。
降り続く雨で、幾分火の勢いが弱まっているようだった。その草原の中で、動く花喰いの数はもうほとんどない。すべてあの化け物が食い尽くしてしまったのだろう。
そんな中、化け物とほど近い場所に蹲る影を見つけた。
焼け残った花に手を伸ばそうとしている、今にも倒れそうな花喰い---知希だ!
「---いた!紗綾、知希があそこにいる!」
化け物が、知希の存在に気付く。
ゆらりと、その巨体をゆっくり動かし、花しか見ていない花喰いへと近づいていく。
化け物の、手が伸びる。
美沙緒が悲鳴を上げるのと、紗綾が美沙緒を花喰いに向かい宙に放り投げるのは、ほぼ同時だった。




