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4.彼岸花

**********

「私、死んだのかしら…」


なんとなく薄々感じていた事を、言葉にするとぐっと現実味が増す。

何もかもが奇妙な場所で、見たこともない化け物がいて、そうして人が花になる。

もうこれをただ降りる駅を間違えましたで済ませるには無理がある。そもそもこの駅には駅名すらない。

行き先なら書いてある。

“あの世”

そうして、美沙緒がやってきた方向が“現世”。

それぞれが矢印とともに書いてある。全く捻りもセンスもない悪い冗談だ。駅のホームへと引き返した美沙緒は、そんなふざけた駅名板を眺めながら溜息をついた。

全く自分と関わりのない場所に行きたかったのは確かだが、まさかこんなわけのわからない場所へ来る事になるとは思ってもいなかった。隣では永夜が同じくベンチに座り、足をぷらぷらとさせながらイチジクに囓りついていた。

着古した緑の半袖パーカーに、くたびれた半ズボン。田舎の子供の服装なんてこんなものなのか知らないが、この子供の格好もいやに年季が入っている。最近の子供は美沙緒よりもよっぽどお洒落で高そうな服を着ていると言う印象なので、逆に新鮮で目新しい。

少し伸びた印象の短髪と円らな瞳のせいか、どこか女の子のように可愛さを感じる顔立ち。その顔には気のせいか、「この大人は目を離せない」とありありと書いてあるような気がする。

ずっと美沙緒についてきているが、元々お喋りではないようで言葉を多く交わしているわけでもない。退屈ではないのだろうか、とぼんやり思うが、こんな場所にそれこそ一人で放り出されるのも嫌なのでその存在は有難い。


「私ね、仕事クビになったの」

美沙緒が話しかけると、円らな相貌がこちらを向く。


「ずーっと仕事が忙しくて、朝から晩まで働いて、昼間のうちに息をつけるのは、トイレと休憩時間だけ。家に帰ったらもうご飯を食べるだけで一日が終わっちゃう」


美沙緒の人生なのに、そこには美沙緒のための時間はどこにもなかった。出来るのは、せいぜい短い休憩時間や休日に眠って疲れた身体を回復させる事だけ。けれどそれも、眠る事しか出来なったという自己嫌悪に変わって結局自身を追い詰める。

好きだった事。絵を描く事や、知希と笑う事、ゲームをしたり、友達と遊んだり、自分のために時間をかけてショッピングをすること。そんな美沙緒が美沙緒でいられる時間を全て取り上げられ、ただ、やってもやっても減らない仕事に追われる日々。

美沙緒を目の敵にする同僚にも、のらりくらりと交わして何もしてくれない上司にも、責任だけが増えていく仕事にも、理不尽に入るクレームの電話にも、もう何もかもが限界だった。何のために生きているのか、わからない。そんな思いで手にする給料も、大半が時間も作る気力もないために買う食費と、実家への仕送りで消えていた。このままこの生活が延々と続いていく。未来が見えない。耐えられない。

そうして美沙緒は起きれなくなった。

布団から出れなくなって、会社に行く事が出来なくなった。


「しんどくてしんどくて…そのうち仕事に行けなくなっちゃって、…オシマイ。あんなに悩んで苦しんで、それでも必死に繋ぎ止めてたものって、何だったんだろうって、簡単すぎて笑っちゃった」


何度も鳴る電話に、会社の人間が家に来るかもしれないという恐怖、社会人として最低の事をしているという自覚に、どうしようもなく自分がダメな人間であるという事実。動き出す事が出来ない布団の中で、それらグルグルと巡る恐怖や後悔や情けなさに、押しつぶされてしまいそうな毎日。

会社に行けなくなっても、ちっとも心は安まらなかった。

そうして会社から届いた一通の解雇通知書。それを手にして、ようやく美沙緒は解放されたと思った。


「それで、会社をクビになって、なんかもう何もかもがどうでも良くなって…色々捨てたの。部屋にあったものほとんど全部。もう、最低限生活出来ればいいかな、って思って。そしたらめちゃくちゃスッキリして…」


そうして、足りないものに気付いた。


「そうしたら、一番大事な彼ーーー“知希”がいなかったの。

彼は君が言うところの、私の希望だった。夢だった。

その彼を私が捨てた。手放した。それでもーーーそれでも、ずっと一緒だったから。本当に好きだったから。だから、いつかまた、戻ってきてくれると、そんな風に思ってた…」


でも、知希は戻ってこなかった。

仕事から解放され、もう、なにも美沙緒を縛るものがなくなっても、気持ちに余裕が出来ても、一向に知希は戻ってこず、知希と一緒の時はあんなに鮮やかだったはずの世界はいつまで経っても灰色のままだった。


「知希は、もう花喰いに食べられちゃったのかな…」


半ば確信のように呟く。

そうでなければ、彼が戻ってこない理由がなかった。

そんな美沙緒の前に、永夜が立った。


「永夜?」


首を傾げる美沙緒に、手を差し出す。


「大丈夫だよ。お姉ちゃんはちゃんと探しに来たから、見つけられる。探しに行こう」


そう言って差し出された小さな手は、やけに頼もしい。

ふっと笑う。永夜が大丈夫と言ってくれるのなら、大丈夫な気がしてくるから不思議だ。


「ありがとう」


そうして取ったその手は、やっぱり温かい。


けれど結局、知希の花は見つからなかった。

彼岸花はあちこちに咲いていた。その花の真っ赤で独特の形状は秋の風物詩であり、同時に祖父母のいた田舎の墓場などでよく見ていた経験から、どこか不吉さを感じさせる花。

美沙緒はなんとなくその輪生状の空を掴もうとするような形から、あの花を見る度、人の手のようだと思っていた。土から生えて、必死に太陽に手を伸ばす無数の手。


嫌いではないが、好んで観賞しようとも思わない。

そんな美沙緒的に微妙な立ち位置の花だから、そもそも全部同じに見えてしまって、正直個々の違いなど全くわからない。

彼岸花は生物学的に全部同じ遺伝子を持っているから開花のタイミングや花が揃っていると聞いたことがあるけれど、ここの花もそうなのだろうか。

自分の捨てたものなら第六感的なものでわかるのかも…などと甘く考えていた美沙緒は、そろそろ太陽が傾いてきて空が色つきだしてきたという段階になりようやくただ眺めていくだけという現在の探し方に一抹の不安を覚えた。


(いや、これ無理じゃない?どれも同じにしか見えない!)


美沙緒と知希の間に見えない繋がりは今のところ見つかりそうにない。このまま野宿になりそうな予感を前に、早急に方針転換をしなければならない。


「ここ、永夜以外の人はいるの?」


全く人気の無いこの場所において、果たして他の人がいるのか…半信半疑ではあったものの、美沙緒が尋ねると永夜は少し困ったように首を傾げ、ややあって頷いた。


「サーヤなら、いるかも」


そうして美沙緒の手を引き、山の方へと歩き出す。

歩いているうちに、また太陽の角度が変わり、日が長くなる。

まだ、夕方ぐらいの時間と思っていたのに、日が陰ってくる。やがて、空がオレンジ色に染まり出す。

秋の日暮れは早い。

夏の間は夜の7時と言えばまだまだ街灯などなくても十分辺りが見回せたのに、ふと気付けばもう6時頃には薄暗い闇が迫っていたりする。もう夕方頃から夜の気配を感じる季節は、否応にも月日の流れの速さを思い知らされる。

それにしても、いつの間に季節がこんなに変わってしまったのだろうと、普段そんな変化にも気付く余裕の無かった美沙緒は驚いた。

職場のデスクから外は見えているはずなのだが、パソコンと睨めっこをする毎日の中でそんなことに関心を向ける暇も無かったのだ。毎日同じ時間に同じ格好で同じ事をしに同じ場所へ向かう。それを当たり前として、もう何年も生きてきた。

生きているのか、囚われているのか、わからない日々。

そんな日々を抜け出し、見上げた空はまるでいつもと違う表情をしていた。

けれど、美沙緒の頭の上の空は変わらない。

変わったのは、それを見上げる美沙緒の心のあり方だけだ。

こんな日々が続けば良いと思う。

時間に追われること無く、空を感じて、自然を追いかけて、その移り変わりの中に生きていく。

けれど、美沙緒が人として生きる以上、それが叶わないことも知っている。

働かなければ、お金を稼がなければ、生活してはいけない。

生活するため、仕事をして、仕事をするために、どんどん美沙緒自身の大切なものを手放してーーー…。

ーーーそうしてその中に、“彼”もいた。

今来た道を振り返れば、夕日に照らされ、無数の花がキラキラと優しく光を反射していた。


「きれい…」


染まる茜に、まるで燃えているような花の群生。

そこに、普段抱えている不吉さは微塵も無かった。

思わず呟いた美沙緒の言葉に、隣の永夜が目を瞬いた。


「あんな、花が?」


心底同意出来ない、という表情に思わず吹き出す。

永夜も彼岸花はあまり好きではないらしい。人のことは言えないが、あまりにも不吉なイメージばかりが強い花に、少々の同情を覚えた。


「彼岸花は、球根植物なのよ。毒はあるし墓場に多いし、花はすぐ散るし。

死人花や地獄花なんて言われて、確かにあんまり縁起の良くない花だけど…花が散っても、地面の下ではちゃんと根っこに次の希望を蓄えて育てているんだもの。

案外、強くて美しい花じゃない」


そう思えば、花は枯れてからが勝負なのだ。

次の希望の種を、どれだけ大きく育てられるか。見えないところで、大事に大事に育て続けなければいけない。美沙緒も見習わなければいけない事。

だからそんなに毛嫌いしてはダメよ、と自分にも言い聞かせるように言って、永夜の頭を撫でる。その掌の下で、燃えるような大地の中に咲き誇る花に、永夜は再び視線を戻したようだった。


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