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35.食べられた希望

「うわあぁぁぁっ!!」


ブチリと嫌な音を立てて引き千切られた途端、秋人の様子が目に見えて変わった。


「秋人!?」


尋常ではない苦しみ方に、美沙緒は慌てて彼の下から這い出した。そうして目にしたものに、絶句する。

そこにあるのは、先程襲われた背中の傷だけではない。

秋人の様子が、みるみると変わっていく。まるで引きずられたかのように、全身が血だらけで怪我をしている。右足が捻じれ、今にも千切れそうだ。

今にも死んでしまいそうな酷い状態に、秋人が苦悶の声をあげた。


「…なんだ。やっぱり、いらなかったんじゃない」


秋人の花を眺めるマシロが、ポツリと呟く。


「現実から目を逸らして、叶いもしないものをいつまでも抱えて。…馬鹿みたい」


「…どういうこと?」


「もう、無いんでしよ。その男の足」


「俺…そうだ、事故…」


秋人がうわ言のように言葉を呟く。


「子供が、庇って、足が…おかしくて…」


脂汗を浮かべ、苦悶に表情を浮かべながらも、懸命に記憶を繋いでいるようだった。


「自分が死にかけてることにすら気付かないで、後生大事に叶わない物を持ってたのよ。

さっさと、くれれば良かったのに」


マシロの言葉に、いつかの紗綾の言葉を思い出す。


ーーー“ここに来るのは、死にかけた人間か、希望を探しに来たものだけ”


どうして美沙緒とは違う秋人がこの場所に迷い込んできたのか不思議だった。


(ーーーそんな)


美沙緒が”探しに来た人間”であるなら、秋人はーーー…。

しきりに気にする右足は、たとえ完治したとしても元の状態に戻ることは不可能に思えるほど酷い状態だ。

まともに歩けるようになるのかさえ疑わしい。


(秋人の夢は、たとえ現世に帰った所で…叶わない…?)


秋人の、夢。希望。

マシロの手の中で

力強くキラキラとした光を纏う、その花。

マシロが、化け物に向かって花を差し出す。


「止めてっ!!」

けれど、叫びは届かない。


ボロボロと崩れ続ける花喰いは、大きな口を開け、そうしてーーー。

マシロごと、その花に食いついた。

飛び散る血飛沫が、辺りを濡らす。

マシロの残った両脚だけがその場に残り、めいめいが好き勝手な方向を向いて転がった。


「---ッ!」


あまりの事に悲鳴も出ない。


ーーー逃げなきゃ。

苦しみ続ける秋人に懸命に声をかけ、その腕を肩にかけ、立ち上がる。とにかくこの場から離れなければ、皆、殺されてしまう。なにより、このままでは秋人が死んでしまう。

美沙緒の叫びに、気を失っていた永夜が身を起こした。


「ーーー永夜!お願い、手伝って。秋人を帰さなきゃ。このままじゃ、秋人が死んでしまう」


ずり落ちてしまう秋人を必死に支え、永夜と二人で引きずるようにしてその場から離れた。遠くで聞こえる汽笛にハッとする。


ーーー電車!

顔を上げると、煙と闇に阻まれる真っ暗なトンネルの向こうでユラユラと灯りが揺れている。

僅かな期待も束の間、それは現世方面から来る電車だった。いつもの、捨てられた希望を乗せてくる電車。

こんな時間にもやってくるのかと思って見ていたが、ふと違和感を覚えて立ち止まる。

いつもはぎっしり乗っている人が、乗ってない。


(…?)


何かが、おかしい。

そう、不吉な予感を感じた瞬間、電車はホームよりずいぶん手前、美沙緒達の前で止まった。怪訝に思うよりも、早く。


「ーーー!」


開いた扉から伸びてくる、無数の黒い手。

がらんどうだったはずの車内から、手だけが伸びて秋人を掴もうとする。


「だめ!止めて!」


この電車が向かう先ーーーそれは、あの世だ。

このままでは、秋人が連れて行かれてしまう。

美沙緒も共に引きずり込まれそうになる。しかし、この腕が狙っているのは紛れもなく秋人の方だ。


「やめて!連れて行かないで!」


必死に腕を掻き分け、秋人を引っ張り出そうとするも、実体がないくせにその力は非常に強くて押し負けそうになる。


「…もういいよ、俺は」


引き込まれながら、秋人が光のない目で美沙緒を見た。


「俺、馬鹿だから。体使うことしか出来いし。…それすら出来ないんなら…もう、いいや」


諦めてしまった秋人は、いつかの自分だった。

知希のいない世界を、どうやって生きていけばいいのかわからない。だから、美沙緒はここへ来たのだ。美沙緒だって、知希が本当にいなくなってしまったら。あの、灰色の世界で死ぬまで生きていかなければならないのなら。

光のない世界で生きていくことは難しい。

ーーーでも。


「しっかりしてよ、秋人!」


それでも、美沙緒は彼に死んでほしくないのだ。

たとえ彼が諦めてしまっても、美沙緒は諦めたくない。生きていて、欲しい。

自分だって知希のいない世界はあれほど辛かったのに。人に対してならどうしてこんなに簡単に無理な願いを押し付けてしまえるのか、わからない。

でも、それでも。


「秋人!しっかりして!お願いだから…生きたいって、言って!」


死なないで。生きて。諦めないで。

無責任な願いでも、なんでも。

それでも掴む手を、離すことだけは出来ない。


「お願い…、私に、秋人のギターを、また聴かせて…」


また、青空の下で。めいめいが、好き勝手に過ごした、あの一時のように。

何気ない瞬間を、幸せだと感じるために。

そのために、美沙緒だって生きたい。


どんどん身体が電車の中へと引きずり込まれていく。

もうだめかもしれない。そんな考えが、どこか冷静な部分で浮かんでは消える。

でも。


「秋人!生きるの!」


こんな所で諦めるなんて絶対嫌だ。

何が何でも、秋人と永夜を連れて、戻るのだ。

その瞬間、引っ張る力が僅かに緩んだ。

思い切り力を込めて、電車の中に呑み込まれそうになっている秋人を引き抜く。

秋人の足が電車から出た瞬間、電車の扉が閉まった。そうして電車は何も降ろさぬまま、何も乗せぬまま、静かに発車する。

荒い息と動悸を何とか宥めながら、美沙緒は去っていく電車の後ろ姿を見送った。


(助かった…?)


そうしてホッと息をついた瞬間。

またも汽笛が聞こえて絶望的な気分になる。

どうしてこう、次から次へと困難ばかりがやってくるのだろう。

けれど今度は、電車は先程とは逆ーーー“あの世”の方からやって来ていた。


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