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34.手折られた花

視界から入る情報と聴覚からくる情報が、これほど噛み合わないことも珍しい。

眼前に広がる淡い光に包まれ草原の、そこかしこから彼岸花の断末魔のような悲鳴が響いていた。


駅に近づけば彼岸花の数も増える分、それに集うヒダネムシも森とは比べ物にならないくらいに多く、夜なのに一帯を見渡せるほどに明るい。

けれど背丈の高い雑草に紛れる花喰いの姿を浮かび上がらせるほどではないので、花喰いの姿はその黒い影の塊としてぽつりぽつりと草原の中に点在していた。


影が動くたびに、光が舞う。

ヒダネムシが逃げ、そうして近くの花へと戻っていく。

この光景だけを見るなら息を忘れそうなほど美しいのに、聞こえてくる彼岸花の阿鼻叫喚の叫びは地獄の釜のそれだ。


花喰いは、あまりヒダネムシの多い場所には近づかない。光が、苦手なのだろうか。

彼岸花が花喰いを寄せ付けないために、虫を誘引するものを出しているのか。

それとも、秋人に集うヒダネムシを見るに、花からヒダネムシが、何かを得ているのか。けれど彼岸花の汁は、水に混ぜてヒダネムシにかけると、非常に優秀な着火剤となる。

自身を破滅させる劇物に集っているというのも、不思議な話だ。


「これ、昼間の…」


木の側に転がった、ギターとスケッチブック。そしてオカリナ。

昼間マシロを見つけた時に、慌てて投げ捨てていった物たちがそこにはあった。それでは、ここは昼間、秋人たちと過ごした場所なのだろう。あの時は、あんなに流れる時間を幸せだと感じたのに。

こんなことになるなんて、欠片も思っていなかったのに。


「紗綾を、助けないと…」


「永夜…」


「今ならまだ、助けられるかもしれない。今助ければ、まだ…」


それが叶わないことを、永夜自身が知っている。

それでも願わずにはいられない言葉に、かけてやれる言葉が見つからない。

もし、助かるのなら。

もし、可能性があるのなら。

縋りたくなる。


…どんな苦しさよりも、失くす苦しみが一番辛いのだ。


ーーー“私からは奪うなんて、不公平じゃない!”


自分達はマシロから何を奪ったのだろう。

あの、火に焼かれた花喰いだろうか。美沙緒にとっては恐怖の対象でしかない化け物が、マシロにとっては大切な存在だったのだろうか。

決して手を離さないように、永夜の手を強く握って抱きしめた。再び鼻を啜りだした永夜の頭を黙って撫でていると、隣に立つ秋人が言った。


「あのマシロが言ってた、俺の“花”って、なんだ?」


「キミの希望だと思うけど。スタントマンになりたいって言ってた、夢そのものじゃないかな」


「そんなもの、どうやって奪うんだよ」


全く理解出来ないと言いたげな秋人に、美沙緒も困る。美沙緒の様に、自ら捨てるならともかく、奪われるというのはどんな状況だろう。


「怪我とかして、飛んだり出来なくなるんじゃないかな。知らないけど」


「…怪我?」


美沙緒の言葉に、秋人が一瞬黙る。


「秋人?」


けれど、すぐに首を振って何でもないと小さく言った。

火の手はまだこちらには広がっていないが、煙と森の焼ける臭いはすでに辺りを覆っていた。


「…とりあえず、俺があの化け物引きつけとくから、その間にあんたらは駅まで走るんだ」


「だ、駄目よ。秋人も一緒に行くの。電車が入って来てからでも、ここから走れば間に合うと思うし」


「永夜は怪我してるだろ。その足じゃ、無理だ」


「でも…!」


一人、また一人と。

減ってしまうような恐怖が先程から消えて無くならない。

そもそも秋人だって、先程から口数が少なく、ひどく具合が悪そうなのだ。

その時、急に足元がカサカサと音を立てだした。

怪訝に思って下を見て、ぎょっとする。それまでピンと伸びていた雑草が、急に萎れるようにして枯れだしていた。一帯の草木が、黒く染まり、それが広がっていく。

煙のにおいに混じる、花喰いの、独特のにおい。

かさり、と枯草を踏む音が聞こえた。


「逃がさない」


森から現れた少女に、息を呑む。

その傍らにいる化け物は、一回り小さくなっただろうか。ボロボロボロボロとまるで錆びた金属が崩れるように、あちこちが崩壊し、もう、その肉体を維持出来ないでいる。


「紗綾!」


永夜が叫ぶ。見れば、大きく裂けた花喰いの腹部から、人の手が垂れていた。細くてきれいな---おそらく、紗綾の。ピクリともしないそれは、もう、動くことはないのがわかる。

繋いでいた美沙緒の手を振り切ると、その手に向かって永夜が駆けた。


「紗綾!紗綾を返せ!」


「永夜!」


息を呑む美沙緒の前で、永夜が何かを花喰いに突き立てる。それは、小さな鉛筆だった。一緒に絵を描いた、美沙緒と半分にした鉛筆。いつの間に拾っていたのだろう。それを、力いっぱい花喰いの腹部に突き立てていた。

花喰いが、叫ぶ。力いっぱい振り払った手が、永夜を突き飛ばし、小さな永夜の体はいとも簡単に弾き飛ばされてしまった。


「永夜!」


慌てて駆け寄ったが、永夜は美沙緒の腕の中でぐったりと動かない。


「おい!後ろ!」


秋人の、切羽詰まった怒声が響く。

振り返れば、そこに立ちふさがる別の花喰いがいた。パカリと、大きな口が開く。恐怖に引き攣る思考の片隅で、死が目前にあることを覚悟した。永夜を抱え込み、目をつむる。

突き飛ばされるような、激しい衝撃。

衝撃はあったが、痛みは感じなかった。

ぎゅっと体を固くしたまま不思議に思っていると、耳元で聞こえる苦し気なうめき声。


「秋人!」


美沙緒と永夜を庇ったらしい彼の、背中が酷く抉れていた。


(ーーー!)


息を呑む美沙緒の目の前で、秋人の体から、淡い光が立ち上がる。そうして美沙緒と永夜の上に覆いかぶさったままぐったりと動かない彼の背中に、その光が集まっていく。

その光が輪郭を形作るようにして、そこに一本の彼岸花が咲いた。ヒダネムシの光よりも強く、透き通った光。光の色がそのまま花の色になったように、鮮やかな黄色の彼岸花。


「…ようやく、見つけた」


ホッとしたような呟きが聞こえた。

マシロの手がその花に延びる。


「ダメ!」


慌てて身を起こそうとしても、気を失ったらしい秋人の体は思うように動かない。


「ダメ!とらないで!」


必死の懇願も空しく、マシロの指先がぽきりと花を摘み取った。




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