33.不安
「ーーー逃げるぞ!」
美沙緒の手を掴み、秋人が駆け出す。
永夜が引きずられながら、紗綾の名前を連呼していた。
(なに…?何が…)
未だまとまらない思考で、必死に先程の状況を思い出す。目の前で、紗綾がーーー…。
一気に足元から震えが立ち上った。
(嘘。そんな。だって、つい、さっきまで)
秋人と、軽口を言い合っていたではないか。
足が震えて、縺れそうになる。けれど泣き叫ぶ永夜が紗綾のもとへ戻ろうと、手を振り払おうとしたのを感じて、慌てて力を込めた。
ダメだ。いま戻ったら、永夜まで。
「逃がさない!その男の花を渡して!それがないと…!」
必死の形相で言い募るマシロが、秋人を指す。
風が吹き火の粉が舞う森の中、煙で視界がどんどん悪く、呼吸すらまともにしにくくなってくる。
「振り返らずに走れ!」
秋人の怒鳴り声と掴まれた手で、なんとか森の中を駆け抜ける。木々の間に入ると、巨大になり過ぎた花喰いは足を取られるように失速した。けれどその代わり、秋人に集うヒダネムシの明かりにつられたのか、それともマシロの怒鳴り声に従っているのか。その他の花喰いたちが、ゆらゆらとこちらへと近づいてくる。
「逃がさないで!」
寄ってくる花喰いを避け、がむしゃらに森の中を走り続ける。もう、上に上っているのか下に下っているのか方向感覚もままならない。森の中全体に煙が漂い、ただでさえ苦しいのに、肺一杯の空気も吸い込むことすら叶わず苦しさに涙が浮かんだ。
ガクン、と腕を引かれて振り返る。
「ーーー永夜!」
永夜が足を縺れさせて転んでいた。
子供の永夜にもかなり無理を強いている状況。慌てて駆けよれば、激しく地面に激突したらしく、永夜の膝から酷く血が流れ出ていた。
「大丈夫か?」
秋人も息を弾ませ戻って来るが、永夜の怪我を見て顔を顰める。これ以上歩かせることは困難だろう。
「…とりあえず撒いたみたいだけど。早く森から出ないとマズイな。どんどん煙が酷くなってきてる」
そう言って、座り込んだままの永夜の前にかがみ、背中を向けると永夜をおぶった。
秋人の背中で、永夜はまだグスグスと鼻を鳴らしている。
「でもここ…どこだろ」
辺りを見回すと、木々の向こうで仄かに灯る、明かりが見えた。
だいぶ距離があるが、眼下に淡く光る一帯がある。
「あれ、ヒダネムシの明かり?」
「…駅の前だと思う」
永夜の言葉に、納得する。駅の前は彼岸花の数が確かに多かった。それに集うヒダネムシも、多いのだろう。
「とにかく駅に…」
目印が出来た。
向かおうと、そう口にした瞬間。
踏み出した足が、空をかいた。
「…え?」
フワリと、嫌な浮遊感。
のち、ゾクリと全身を襲う、落下感。
「きゃあああっ!」
突如消えた足元に、美沙緒はなすすべもなく落下した。
**********
「おい!平気か?」
頭上で秋人の心配そうな声が聞こえる。
「ったたた…」
幸い足を滑らせた斜面はそう高さがなかったらしい。
途中で低木に突っ込んだことで勢いも相殺され、なとか全身打撲くらいで生きていた。
(…死ぬかと思った)
どくどくと勢いのいいままの鼓動を何とか宥め、ほぅ、と長く息をつく。
秋人の方を見れば、永夜を背中にしっかりしがみつかせたまま、こちらに器用に降りて来ていた。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
秋人が着地したとたん、永夜がその背中から降りて飛びついてくる。
「…ごめん、足元見てなくて」
「折れたりしてないのか?」
あちこち痛いが、立てないことはなさそうだし、腫れてもいない。
「…大丈夫そう」
強いて言うなら、ぎゅうぎゅう首を絞める永夜の力が強くて苦しいことぐらいだろうか。
けれどその小さな体が小刻みに震え、本当に怖がっているのがわかるので、美沙緒は静かにその背を叩いた。慕っていた紗綾が目の前で花喰いに喰われ、その動揺とショックが収まらないのだ。美沙緒だって、いまだ受け入れられずにいるのに。
秋人に手を引かれ、立ち上がる。
やはりどこも折れたりはしていないようだった。
「…落ちたから、だいぶ近づいたね」
「不幸中のナントかだな」
「とにかく、駅に行こう。電車に乗れれば、逃げられる」
「…だな」
返事を返す秋人の顔色がよくない気がして美沙緒は彼を見返した。
相変わらず彼にだけ纏わるつくヒダネムシに照らされるその横顔は、血の気が引いているように青白い。
「大丈夫?」
「うん、なんか…気力を吸い取られてるみたいだ…」
そう言いながら秋人は煩そうに虫を払い、首を振る。少し、体がふらついた気がした。
やっぱりコレは、秋人にはよくない。
飛び交うヒダネムシに、不安を覚える。早く、駅に行かなくては。秋人を、元の世界に返さなくては。
秋人の様子に永夜も気付いたのか、再びその背に戻るとは言わなかった。
幼い永夜でさえ、自分の足で歩いて頑張っている。
(早く、早く駅に行かないと…)
気が急いてくる。
これ以上、紗綾のように誰か一人でも欠けてしまったらと思うと、恐ろしくて仕方がなかった。




