31.火種
(良かった、無事だったんだ…)
けれど、なぜだろう。何かおかしい気がする。
そもそも彼女は、なぜここにいる?
こんな化け物がいる場所に、なぜ出てきた?
(それに、さっき…)
ーーー”それが、お前の食事?”
あの言葉は、花喰いに向けられたもののようだった。
「…花を、持ってるの?」
美沙緒の視線に気づいたマシロが、ゆっくり近づいてくる。
「怪我をしたくなかったら、大人しく頂戴?あの子、それが欲しいみたいだから」
(”あの子”って…やっぱり、花喰いのこと?)
「…どうして」
「あなたたちは助けてくれなかったけど、あの子たちが助けてくれたの。だから、手伝ってるだけ」
「…花なんて、無いわ」
「嘘よ。この虫がこんなに集まってるんだもの。隠してるんでしょ?さっさと出しなよ」
ズブズブと、彼女の立っている場所から周囲の草が枯れていく。
その廃退のスピードは、彼女を見失った時よりずっと早くなっているようだった。彼女を中心に、世界が腐っていく。死んでいく。そんな不吉な予感がしてならない。
「この、ッ」
どんどんその巨体をうろの中に引きずり込む花喰いを前に、秋人が手当たり次第に石を投げつけ、その一つが花喰いの見開いた右目に命中したらしかった。痛がるようにして、悲鳴を上げ、体を揺らす。その衝撃で、朽ちかけていた木の樹皮や小さな幹がパラパラと落ちてくる。
「ーーー何をしたの!」
マシロが憤るように声を荒げて美沙緒を睨む。
「花ぐらいいいじゃない!どうしてひどいことをするの!」
「花ぐらいって…」
ああ、彼女は知らないのか。この世界にある彼岸花が、なんであるのか。
「ダメに決まってるじゃない!ここにある花は、人の希望なんだから!」
「…希望?」
「そうだよ、人が生きるための、大事な希望。あなただって、持ってるでしょう?」
訴えかけるようにマシロに問えば、けれど彼女は全く理解が出来ないように首を傾げた。
「どうして?いいじゃない。そんなものなくたって、生きていけるわ。
あの子にあげたって、かまわないじゃない。あの子は、それを食べなきゃ死んじゃうんだもの」
「そんな…」
「あなたたちは、そんなものなくたって死なないでしょ?じゃあ、いいじゃない」
とても簡単に、不思議そうに言う。
また、花喰いが暴れたようで頭上から木片がパラパラと落ちてきた。うろの中にその巨体を滑り込ませている分、封鎖されていた出入り口が大きく口を開けだした。もう少しで、通り抜けることが出来る。
そうしてまともに対峙したマシロの瞳は、どこか怒りを帯びている。なぜかわからないけれど、何かに、誰かに、彼女は静かに怒っていると、そう感じる。
「希望?生きるための?…私はそんなもの持ってない。
あえて言うなら、殺してやりたい、苦しませてやりたい、同じ目にあわせてやりたい。
…私にとっての望みとは、そういうことよ。それも持っていた方が幸せ?ないといけない大切なもの?」
「…え…」
「生きることに、ただ必死で。
自分のやりたいこととか、希望とか…そんなことを持つ余裕すら、なかった!」
叩きつけるようにマシロが怒鳴りつけた瞬間、出入り口を塞いでいた花喰いの巨体が完全に無くなった。かわりに頭上からその全身がずるりと入ってきた。出口の前にはマシロが立ち、行く手を塞ぐ。
そうして緊張の一瞬の後。
「…だから他人もいらないだろうなんて、ずいぶん勝手ね」
ばさりと、どこかで鳥の大きく羽ばたく音が聞こえた。そうして、聞き覚えのある女の声も。
花喰いが入ってきた頭上から、顔を出す女。
「紗綾!?」
いつの間に、そこに現れたのだろう。木の上部に空いた穴からこちらを見下ろすのは紛れもない彼女。
紗綾はうろの中の様子を一瞥すると、手にしていたペットボトルを持ち上げてにやりと笑う。
「鬱陶しい虫と化け物…。前から一度、こうしてみたかったのよね」
そう言って、彼女は手にしたペットボトルをさかさまにひっくり返した。
秋人に集って大量にヒダネムシの集まるうろの中。紗綾がひっくり返した水は疑いようもない、あの彼岸花を付けた水だろう。水に触れたヒダネムシで、あちこちで火の粉が上がる。個々は小さな火種でも、それはたちまち巨大な炎に代わった。
「なんてことをするの!」
マシロが、悲鳴のような声を上げる。
花喰いにとっては狭いうろの中、逃げ場もなく炎に焼かれもだえ苦しむように暴れまわる。
「ひどい!ひどい!」
叫ぶマシロを押しのけ、美沙緒たちは外へと飛び出す。秋人が、木の側から離れようとしないマシロを無理やり掴んで引きはがした。
巨木が炎に包まれ、そこから大きな鳥が飛び立つ。
残った楠の中から、何かが暴れ悶えるような影が浮かんだ。しばらく動いていたそれは、やがて炎に飲み込まれるようにして消えていく。熱風が、頬を撫でる。バチバチと爆ぜる音が、夜の森に響く。
とても巨木を焼いても収まりそうにない火の勢いに、美沙緒は後ずさった。
「…これ、延焼しない?」
「するでしょうね」
あっさりとした返事に驚いて振り返る。
「紗綾!」
どうして彼女はこう神出鬼没なのだろう。心臓に悪いことこの上ない。いつの間にか木の上から逃げ出したらしい彼女は、所々に煤をつけてひどく疲れた顔をしていた。顔色も、あまりよくない。
「助けてくれてありがとう…。でも、私たちも焼かれるところだったんだけど」
ついつい不満を言ってしまうのは彼女の日頃の態度があるからだろう。
実際ヒダネムシまみれだった秋人はだいぶあちこち焦げている。
「呑気に喋ってグズグズしてるからでしょう」
「ぐぅ…」
全く意に介さない彼女だから、言っても無駄なことはわかってるのだが。
その時、耳に届くか届かないかの小さな呟きが聞こえた。
「…さない…」
放心するようにその場に座り込んでいたマシロが、怒りに燃える目で紗綾を睨んでいた。
「絶対に、許さない!」
マシロの声に反応するように、周囲の草木が萎れていく。枯れていく。腐っていく。
広がり続ける不穏に、空気が変わる。
ガサガサと周りの茂みを掻き分け、複数の黒い影がゆらゆらと近づいてきていた。
マシロは立ち上がり、未だ燃え続ける巨木に向かう。そこから、とうに動かなくなったと思っていた影が、今にも朽ち果てそうな状態で火の中から飛び出してきた。
炎を纏ったそれは、側にいた花喰いを襲う。森のあちこちに火種をばら撒きながら、集まってきた花喰いを襲いながらーーーそれは確実に成長していた。
花が花を食べて花喰いになるのなら。
花喰いを取り込んだ花喰いはーーー…?
「…だから、厄介だって言ったのよ」
紗綾が苦々しそうに、呟いた。




