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29.大楠


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、こっち」


藪の中から顔を現した永夜が、手を招く。彼も結局美沙緒を追って来てしまっていたらしい。

大量にヒダネムシが集まっている秋人がいるので、辺りがひと際明るくよく見える。昨日のペットボトルのランタンと全く同じ働きをしている。


「…秋人って、なんでそんなにヒダネムシが集まってるの?」


明るいのはいいが、非常に目立つ。

花喰いにその存在を教えているようなものなので、これはこれで頭が痛い状況だ。


「知らねーし。なんなんだよコイツら、蚊か?払っても払っても寄ってくる上に…いてっ、…噛んできやがるし」


「え?そうなの?」


美沙緒自身には全く寄り付いてこないので初耳だった。

ただ蛍のように綺麗な飛ぶ虫、という認識だったが、まとわりつかれると意外と厄介な虫らしい。

そういえば紗綾の周りにもよくヒダネムシが飛んで、鬱陶しそうな顔をしていた。

彼女はヒダネムシの好物の彼岸花をよく手にしていたからだと思っていたが、それなら秋人はなぜだろう。

彼が花を持っていることと関係しているのだろうか。

秋人のおかげで見通しのきく森を、永夜が慣れた足取りで進んでいく。


「ここに、隠れてよう」


そう言って永夜が案内したのは、巨大な楠がそびえる場所だった。

廃神社の側にもご神木と思われる大きな楠があったが、この木はさらに樹齢が大きいのがわかる。


「こっち」


そういって永夜に手招きされて近付けば、巨木の中はぽっかりとした空間が開けていた。


「すごい…」


大人が二、三人入っても余裕のある空間。見上げれば、幹の一部が欠損しているらしく空が覗いた。

ここなら、秋人の明かりも隠せるだろう。

少し疲労の滲む秋人が、どかりとその場に腰を下ろす。その側に同じく腰を下ろして、美沙緒は気になっていたことを聞いた。


「秋人、あの子は見つからなかった?」


「あー、俺が追いかけた時にはもうどこ行ったかわかんなかった。その辺探してみたけど、俺も戻れなくなっちまったし」


この森の状況で、マシロは一体どこでどうしているのだろう。それにしても。


「え、迷子になってたの?マシロの通った後が、道になってたでしょ?」


「ん?なんだそれ」


あんなにわかりやすい道しるべに、秋人は気付いてなかったらしい。

触れた場所が枯れだすのに一拍の間があったから、すぐにその後を追った秋人は気付かなかったのだろう。


「私たちも追いかけて、あの子が花喰いの眠ってた場所にまで行ったことはわかったんだけど。

それ以降どこに行ったのかはわからなかった。…大丈夫だと、良いんだけど」


「んー、あの化け物がいる状況じゃなぁ…。じっとして隠れてると良いけど」


美沙緒が神社に連れて行こうと言い出さなければ良かったのだろうか。

駅にいれば、少なくとも森に入ることはなかった?

駅にいれば、行くべき場所に向かう電車がやって来た?

考えれば考えるほど、美沙緒の選択全てが間違いだったような気がして落ち込んでしまう。

全て、美沙緒が状況を悪くしているようだ。

どうして、自分はこうで。

どうして、うまくいかないのだろう。

なんだか泣きたくなってきて、ひざに顔を埋める。


「…色々、間違っちゃった。神社に連れていくべきじゃなかった。

すぐにあの子を追いかけておけばよかった。キミも、すぐに返しておくんだった」


秋人を見れば、彼は怪訝な顔でこちらを見ていた。


「ごめんね、早く帰ってればこんなことに巻き込まれなかったのに。

残ったこと、後悔してるでしょ」


言うと、首を傾げて少し考えるようにし、ややあって首を振る。


「うーん、まぁ、俺が決めたことだし」


そう言って、何でもない事のように「まぁ、元気出せって」とにかっと笑う。


「別に、あんたの選択が全部間違ってるとも思わねーし。

あんたはあの女子高生を神社に連れて行っただけで、あとの結果は他の奴の反応の積み重ねだろ。正直あのさあやとか言った?あいつの対応、ありえねぇし」


なぁ?と側に座る永夜に同意を求める。

同意を求められた永夜は、頷くわけにもいかず困った顔をしていた。


「それと、さっきはありがとな」


「…こっちこそ」


美沙緒は何も出来ていないのに。

花喰いを前に、固まっていただけだ。

助かったのは美沙緒のおかげではない。

お礼を言われるようなことなんか、なにもしていない。

…けれど、当たり前のように笑う秋人に、気持ちがすごく救われているのを感じた。


(…あの、助けてくれた花喰い…)


突然現れ、結果的に美沙緒と秋人を救ってくれたあの花喰い。

あれは、知希だった。


(助けてくれた…?)


わからないけれど。

彼がまだ美沙緒を無くしたくないと思っているのなら。

もしかしたら、彼を連れて戻れるかもしれない。その方法が、あるかもしれない。

そう思えば、少しだけ希望が持てる気がした。


**********

水の音が聞こえる。

しばらく目を閉じていた美沙緒は、その音に気付き目を開ける。

水の、流れる音。

それが、寄り掛かった楠から確かに聞こえていた。

大地から、水を吸い上げているのだろう。

こんなにもハッキリと聞こえるものかと、少し驚く。


「お姉ちゃん?」


美沙緒の様子に気付いたらしい永夜が声をかけてくる。


「すごいね、水の音が聞こえる」


壁のようにそり立つ木の幹に耳を当て、その音を確認してみせると、永夜も同じように木の幹へと耳を当てた。木の中から水の音を聞くなんて初めてだ。


「私の住んでる街にも、大きな楠があるの」


「お姉ちゃんの住んでる街?」


「そう。樹齢何千年とかで、結構有名なのよ。公園の中にあって、そばにベンチもあって…」


知希と何度も行った場所。美沙緒のお気に入りの場所だ。


「すごく好きな場所だったの。この楠みたいに中に入れるわけじゃないし、一回りは小さいけど…でも、側にいるとすごくパワーをもらえる気がして」


落ち込んでも、うまくいかないことがあっても、頑張れる気がした。

けれど本当に美沙緒がだめになってしまうと、今度はそんな場所へ行く気力も無くなってしまった。

あの木も、耳を当てればこんな風に水の音がしたのだろうか。


「こうして木の音を聞いたことはなかったな。すごく、力強いね」


知りたいな。聞いてみたいな。

そう思えば、かすかな力が宿る。

もう一度、あの世界に戻るための力。


「戻ったら、また行きたいな」


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