25.死んだ人
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「…誰か来る」
一番初めに気付いたのは永夜だった。
え、と顔を上げると、まっすぐ続く線路の先を指さす。
その仕草に、ギターを弾いていた秋人も手を止めた。
「あれ、人じゃん」
まだ豆粒のように小さいけれど、永夜や秋人にはしっかり確認出来るらしい。
遠い、遠い、線路の先。その上を、よろよろとおぼつかない足取りで動く、何かが確かにある。そうして目を細凝らす美沙緒にも、次第にその姿が確認できるようになると、それは確かに、こちらに向かって歩いてくる人だった。
こちらとあちらの間には、線路でつながる崖がある。その手前で足を止め、そうしてゆっくりと渡りだす。
「あっちから人が来ることもあるの?」
驚いて永夜に問えば、しかし彼は静かに首を振った。
「今まで、一度もないよ」
そう言って、静かに視線の先の人を見ている。
紺色のベストに胸元の緑のリボン。ひざ丈のチェックのスカートと、その姿はどう見ても学生だった。
よほど疲れているのか、よろよろと崖に架かる細い線路の上を、危なっかしく歩く。
美沙緒が動くよりも先に、秋人がギターを置いて走り出す。
遠くで、電車の音がした。
「嘘!」
---こんなタイミングで!?
「電車が来てる!」
悲鳴のように叫べば、秋人が一段とスピードを上げた。音のする方を見れば、”現世”方面からの電車が山から続くトンネルから顔を出したところだった。また、たくさんの乗客を乗せて。
一気に駅まで駆け抜け、その先の崖へと走る。近付くにつれ見えてきた女の子の風貌は、ぎょっとするものだった。
ボロボロの、全身真っ赤に濡れた女子高生。
駅へと入ってきた電車が、乗客たちを吐き出し始めた。
(間に合う!?)
「早く…!速く走って!電車が来る…!」
声の限りに叫べば、気付いたように女の子が顔を上げ、そうして急ぐように崖を渡りだした。
彼女のいる位置は、ようやく線路の半分を超えた辺り。美沙緒よりも早く到着した秋人が彼女のもとへと駆け寄った。
汽笛を鳴らし、電車がゆっくりと動き出す。
あっという間に美沙緒を追い抜かすと、やがて視界を遮り、秋人たちの様子が見えなくなった。
電車の汽笛が、一段と大きく鳴る。
「ーーー秋人!」
思わず叫んだ、視線の先で。電車が無情にも崖を渡る。そうして電車の通り過ぎた後の崖の手前で、もぞりと動く人影があった。
「ーーー!秋人!」
近寄れば、力尽きたように秋人が息を荒げ、横になったまま手を振った。
「なんとか、セーフ…」
大粒の汗が、額に光る。その顔は、苦しげに歪んでいた。そうして、その秋人の隣には、横になったままピクリとも動かない少女。
「…もしもし?大丈夫?」
全身血塗れなこともあり、生きているのか不安になる有様だ。真っ赤に染まっているものの、見たところ大きな怪我はない。そうして美沙緒の呼びかけに、僅かばかりだが反応した。
靴もなく、あちこち擦り切れて傷や痣になっている。
どれほど歩いてきたのか、足の裏はあちこち傷が抉れ、酷い状態だった。
「大丈夫か…?」
ようやく身を起こした秋人が、聞いてくる。
何とも返答のしようがないけれど、とりあえず生きてはいる。
「…多分。大きな怪我してるわけじゃ、ないみたい」
「血の海でも泳いできたみたいだな」
「やめてよ、洒落にならない」
こんな得体のしれない場所で、そんなものが本当にあったらどうするんだ。不吉な予感に眉を顰めた美沙緒は、ふと気付く。
少女の触れている草が、枯れるように萎れていた。
まるで、花喰いが通った後の草木が枯れていくように。たまたまだろうか。それでも、一度ついた不安の火種は消えてなくならない。
ーーーこの子は、いったい…?
何かが自分達と違うような、不安と畏怖。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん」
ようやく追いついて来たらしい永夜が、秋人の傍らの少女に気付くと、その側に座り込み、マジマジと少女の顔を眺めた。
その視線に気付く様に、少女の瞼が揺れる。
「…誰…」
か細い声が聞こえた。
「僕は永夜。お姉ちゃんは?」
永夜が尋ねると、少女は長く、細く。
ホッとしたような溜息をついた。そうして。
「マシロ」
それだけ告げると、再び重く、瞼を閉じた。
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「…なんてものを連れてきたのよ」
本日二回目となる、紗綾の怒りのこもった声。
予想はしていたけれど、秋人の時よりも更にイライラと機嫌が悪かった。
「お願い紗綾、この子、ずぶ濡れなの。火鉢を貸してもらえない?」
「嫌よ」
即答である。
全く懐柔出来る余地の無い、即断即決。
「その男も元いた場所に置いてこいと言ったでしょう?
なぜ増えているのよ」
明らかな怒りの滲む声。
意識のないマシロをおぶった秋人が、不快そうに眉根を寄せた。彼も好き好んで来たわけではないので、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「意識のないこの子を私と永夜じゃ運べなくて。
お願い、少し温めてあげるだけでいいから」
そうでなければ唇の色も失った、青白い顔をしたこの子が可哀想だ。
けれど、紗綾の意思は固かった。
「嫌。そんな厄介なもの、捨てて来て」
(…)
さすがに言い方が酷い。
元々こんな話し方をするのはわかっているが、秋人といい、言われる方はたまったものではない。
このまま粘っても悪化するだけだろうと、諦めかけた時、隣の秋人が驚いたように声をあげた。
「ーーーうわっ、」
そうしてバランスを崩すと、いつの間にか目を覚ましていたらしいマシロがその背から飛び降りる。
「…らない」
絞り出すように、ギリリと歯を噛み締めて紗綾を睨む。
「ーーーいらない!あんた達の、助けなんていらない」
そう叫ぶと、驚く美沙緒達に背を向け森の中へと走り去っていく。
その後を追うように、秋人が躊躇するように一歩踏み出す。そうして苛立ったようにちらりと紗綾に目をやった。
「ーーーあんた、最低だな」
言葉だけ置いて、結局彼も駆け出して行く。
「…ほんとに、最悪だわ」
走り去る二人を睨んで、紗綾が忌々しそうに吐き捨てた。そうして、美沙緒を睨む。
「あの女は、どこから来たの?」
「崖の向こう側から、線路を渡って来たけど…」
「そう。やっぱりね」
そう言う紗綾の視線の先には、マシロ達の駆けていった獣道。その所々がーーーちょうど歩幅の様な間隔で、黒く変色し始めていて、美沙緒は息を呑む。
…やはり、崖で彼女が触れた草が枯れていたのも、たまたまではなかったのだ。
「彼女は、なんなの?」
ズブズブと、彼女の歩いたところが黒く枯れていく。腐っていく。永夜が興味深げに近付いて覗き込むものだから、思わずその体を引っ張った。
生あるものが枯れていく。
まるで生気を吸い取られるように。
「“死んだ人”」
どんどん広がる、枯れた道。それを真っ直ぐ見据えて、紗綾が言った。
「電車に乗って、真っ直ぐ“あの世”に行くべき人間よ」
そうして、マシロと秋人が消えた森に視線を向ける。
「アレは、必ず電車に乗せないといけない」




