24.結城真白
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外では雨が降り出していた。
耳に自然に馴染むその音に、結城真白は微かな安堵を感じた。
雨は、嫌いではない。
雨が降れば、自然に家の中に閉じこめられる。
動きを止めてくれる。無理に外には出なくて良いと、そう思える。
極々自然に、真白と周囲を隔絶してくれる。普段の喧噪も、雨の日は遠くなる。独りなのに、それを許せる。そんな、温かさと優しさのある音。
窓を打ち付けるその音に、しばし意識を飛ばしていた真白は目を開ける。
時々大きく揺れるが、それでも電車の規則的な振動は寝不足の身には心地よく、車内で一時眠り込んでしまったらしい。
雨の音とともに聞こえる電車の線路を走る音。その音に、少しの違和感を覚える。
(あれ?学校行くとこだった…?)
自分はなぜ電車に乗っているのだろう。よく、思い出せなかった。
ぼんやりとした頭で窓の外を見ると、やはり、雨が降っている。
自宅で雨に降られるのは嫌いではないが、外出先では困った事になる。
先程までの穏やかな気分は途端にげ、と声そのままの憂鬱さに変わる。
傘なんて、持ってきていない。
しばしばとしみる目をこすり、辺りを見回す。
いつもは人で溢れる電車内が、今はポツポツと座れる座席が目立つ。
「---!寝過ごした…っ!?」
慌てて飛び起きたところで、電車が止まる。
「早く。降りないの?」
「えっ」
乗客であった女性が声をかけてきた。
「このまま行くと帰ってこれなくなっちゃうけど、いいの?」
折り返しがない!?
女性の言葉にドアが閉まります、とのアナウンスが続き、慌てた真白は焦ってホームに飛び出した。
そうして目にした光景に、言葉を失う。
さーっと青くなった次の瞬間、電車のドアが無情にも背後で閉まり、動き出す。
「…何よ、これ」
駅に降り立ち、真白は呆然と呟いた。
目の前に広がった光景がどうしても理解できなかったからだ。静かな雨が降り続く重たい雨雲。
全く地上に太陽の光の届かない世界。今が朝なのか昼なのか、夕方なのか、時間帯を計るすべが何もない。
そうしてそんな薄暗い世界にあるのは、どこまでも続く枯れ草だけの、まるで死んだような世界だった。
ざわざわと、先程真白と一緒に降りた乗客達が枯れた世界でざわめいている。
乗っていた乗客が全員ここで降りたから、それなりに大きな駅だと思ったのに。一体ここはどこだろう。
悲鳴のような風が唸る。
暗い世界を徘徊する人々の群れ。四方に散るその姿がやがて闇に紛れ、飲まれるように溶けていく。
「…え?」
見間違いでもなんでなく、人がずぶずぶと溶けていったのだ。
そうしてそこには影だけ残り、体を無くしたことなど気付かぬように、そのまま草原を彷徨い続ける。影の踏みしめた大地は、ただでさえ枯草しかないのに更に黒く染まり、朽ちていく。
魍魎のような得体の知れない存在が、草原中を蠢いていた。
(なに、ここ…)
自分は夢でも見ているのだろうか。だってこんなの、現実じゃない。
恐ろしさのあまり駅から一歩も踏み出せずに、呆然と立ち竦むしかない。
駅の案内版には駅名はない。名前のない駅。
書いてあるのは行先の”あの世”と、”現世”だけ。
「どうしたの?行かないの?」
先程真白に声をかけてきた女性がこちらを見て笑った。その笑顔のまま、ズブズブと溶けていく。
「ここで一緒に呪いましょう。恨みましょう」
そうして狂ったように笑いだす。
溶けてしまう直前に見えた、彼女の笑顔はゾッとするほど恐ろしかった。
「…死んだ?私、死んだの…?」
疑問を口に乗せた途端、冗談じゃない、と動揺が胸の奥で怒りに代わる。
---あいつらを、まだ、殺してない。
どうして私だけ。どうしてこんな目に。
どうして最初から最後まで、理不尽なままで。
生きているうちも決して幸せとは言えなかった。むしろ不幸だったと言っていい。
それなのに、死んでもなおこんな薄気味の悪い場所で永久に彷徨う羽目になるなんて、絶対に嫌だった。
降り込む雨が頬を濡らす。
それを手で拭えば、雨は透明ではなく血の色をしていた。次第に強まる雨足に、真っ赤に染まっていく地獄のような世界。生きていても地獄。死んでなお、地獄が続くなんて。
「…帰らなきゃ」
元の、世界に。
逃げださなければ。この地獄から。




