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22.スケッチブック

美人の顔は、大きく歪んでいてさえ様になる。


「…元いた場所に戻してきなさい」


まるで、子犬を拾ってきた子供に一言一言、言い聞かせるように。

けれど隠しきれない怒りの滲む、地の底を這うような低い声。組んだ腕の向こうでこちらを睨み付けてくる双眸が非常に痛くて、美沙緒は首を竦めた。

少し休もうと一度神社に戻ってこのかた、紗綾と顔を合わせた瞬間から、彼女は非常におかんむりなのだ。


「最悪だわ。よりにもよって、一番厄介なものを連れてきているじゃない」

「え?俺?」


睨みつけられた秋人がきょとんとし、次いで憮然とした表情になった。


「…あんまりな言い方じゃね?」


完全に同意するが、美沙緒の時よりも拒絶の色が強いのはなぜだろう。


「ごめん、紗綾。すぐに出ていくから」


戻ってきたのは失敗だったと、すぐにとりなす。

この場所に戻ってきたのは、身軽な秋人のおかげでたくさん採れた果実の、お裾分けも理由にあった。


「彼のおかげでたくさん採れたから、紗綾も食べるかなと思って。彼---私と同じように電車に乗ってきた秋人君。こっちは、紗綾」


ひとまず簡単に紹介だけして、さっさとこの場を離れようと手にしていた果物を軒先に並べていく。


「いらないわ。それよりあの男、近づけないで」


「なんで?」


「花を持ったままこの場所に迷い込んでる。花喰いが、一番好む花」


え、と顔を上げる。確かに秋人はなぜこの場所にいるのか不思議な人物だ。

今まさに夢に突き進んでいるし、未来に描く希望も全く陰りなく持っている。


「あの男がいると花喰いが寄ってくるわ。…あなたにとっては、ちょうどいいかもしれないけれど」


耳元で告げられた言葉に困惑する。


(花喰いが、寄ってくる…?)


それは、秋人の花に魅かれてという事だろうか。

ーーーもしも、その花を奪われてしまったら?

自分の未来を真っ直ぐに突き進めると信じて疑わない秋人の姿、ヒヤリと冷たいものを感じる。

…やっぱり彼は、早急に元の場所へ返した方が良いのかもしれない。


「俺、あいつ嫌い」


境内の中へと入っていった紗綾の背中を見送り、美沙緒たちは再び駅へと引き返した。

散々わけもわからずけなされて、厄介扱いされた秋人が拗ねたように呟く。それはそうだろう。

…が、彼女はあれがわりと通常運転だ。


駅が見える位置まで近付くと、それから秋人はおもむろにその場に座り込んだ。

花喰の森からそのまま持ってきていたギターを脇に置き、手にしていた果実に齧り付く。


「もうここでいいだろ?あんな気持ち悪い場所じゃ、食欲もわかねーし」


そう言う秋人の隣に、果実を採取する過程でだいぶ懐いたらしい永夜が腰を下ろす。そうして、同じく手にしていたイチジクに齧り付いて、美味しそうに食べ出した。永夜もしっかりオカリナを持ってきている。

二人で演奏会でも始めるつもりなのだろうか。

…まぁ、美沙緒もスケッチブックと鉛筆を持ち出しているので何も言えないのだが。


確かに食べているところに電車が来て、また花喰いの食事風景を見せられることになったら全部リバースしそうだ。

美沙緒も大人しく永夜の隣に腰を下ろす。

さやさやと、穏やかな風が周りの草木を揺らし、心地よかった。

さっさと食べ終わったらしい秋人がいそいそとまた、ギターを弄りだす。

美沙緒も真っ赤に熟れた甘い柿を一つ食べた後、持って来ていたスケッチブックを再び広げた。

美沙緒もこれとよく似たスケッチブックを持っていた。

そうして、学生の頃から使い込み、塗装の剥げてしまった、けれどしっくりと手に馴染む使い心地抜群のシャープペンも。


何か描きたくて、夢を詰め込みたくて、やる気だけは十分で。たっぷり描けるようにと分厚いスケッチブックを買ったのに…けれど半分も埋めずに、ペンもスケッチブックも、どちらも捨ててしまった。

捨てたあの時は、もう二度と使うことはないと思っていたのに。今となっては、どうしてあんな大事な物を捨ててしまったのだろうと後悔さえする。

大事だったのに。どんなに見窄らしくても、ボロボロでも、いくらでも代わりがあっても。

美沙緒だけの、美沙緒の時間が詰まった、特別なスケッチブックとペンだったのに。


手の中のスケッチブックも、途中で時間が止まっていた。もう、足されることのない、まっさらなページ。

確かにここに詰め込みたいものがいっぱいあったはずなのに、それを表現する術を、途中で見失ってしまった。

忙しさにかまけて周りと比べて正解だけを求めるようになって。

…そんなもの、存在しないことなんてわかりきっていたのに、周囲と比べる事をやめられなかった。

どんどん自信を失って、描くことが億劫にさえなった。あんなに好きだったのに。昔は、好きだけでいくらでも描けたのに。


そんな思いが込み上げてきて、美沙緒は広げたスケッチブックをそのまま力任せに真ん中から引き裂いた。

驚く永夜に向かい、引き裂いた用紙の半分を渡す。


「永夜、絵を描くの好き?一緒にやろう!」


絵を描くのが好きだった。表現することが好きだった。楽しかった。

知希とともに楽しんできたあの感情を、知希と再び感じるためにも思い出したかった。木の根元に座り、近くで適当な旋律を鳴らす秋人のギターを聞きながら。

一本の鉛筆を何とか二つに割り、小さな携帯用のはさみで削る。

そうして永夜と共に白い紙面に向き合った。


まっさらな場所に、頭に思い浮かぶままに絵を書き出していく。

こんなに下手だっただろうか。

線も歪で、バランスも悪い。描き始めは思うように描けないもどかしさに、何度も手が止まりそうになる。表現したいのに、出来ない。その辛さが、美沙緒の“好き”を止める。

けれど、ひとたび描き上げてみれば、やっぱり歪で、下手くそで、とても稚拙なその絵が、何とも言えない愛おしさでパッと輝いて見えた。


下手な絵。知識も技術も足りない、きっと人に見せれば笑われてしまうような幼稚な絵。けれど、これが美沙緒の絵だ。この絵が自分は好きで、描く度に愛おしくなって、だから描くことが楽しかったのだ。


下手だと否定していた自分の絵。

それを全力で肯定出来ていた昔の自分。


…じゃあ、今は?

今、自分の絵に思うことは。


「…可愛い」


なんだか泣きたくなって、嬉しくて、思わず笑う。


ーーーああ、今も変わらず、私は私の絵が好きだ。

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