18.呼ばれてる?
「気付かれなきゃ大丈夫なんだろ。大丈夫だ、俺がなんとかすっから」
「え…?」
ぼたぼたと涙が止まらなくなった美沙緒を、怖がって泣いていると勘違いしたのか、秋人が硬い表情のまま真面目な顔で宥めてくる。
怖いからじゃない。痛いのだ。
知希の現状を思うと、胸が痛くて苦しくて、仕方がない。
そんな美沙緒の心情など知るはずもない秋人は、先程までは確かに彼の顔にもあった怯えの色を消し、じっと草原の中で蠢き続ける花喰いを観察している。
美沙緒の涙でかえって冷静になったらしい。
それにしても、会ったばかりの相手に対して随分人が良い。ずずっ、と鼻を啜っていると、くぃっと手を引かれる。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
こちらはこちらで、永夜が励ます様に声をかけてくれた。なんだか照れくさい。
胸に痛いほどの先程までの苦しさから一転、温かいものがじんわり広がる。
「…ありがとう」
微笑むと、永夜も笑い返してくれた。
しばらくすると、花喰いは山の方へと消えて行った。
花喰いのいた一帯の彼岸花は、無残に食い散らかされた花の残骸が残り、風にそよいでいる。
「アレってまだ他にもいんの?」
「いると思う。少なくとも私は、今のと違う花喰いを3体見てる」
そう考えれば、一体どれくらいの数の花喰いがいるのだろう。幼い永夜が気にせず一人で歩き回っているからそんなに危機感を持っていなかったけれど、もしかして呑気に構えているには危険な数がこの森を中心に数多くいるのかもしれない。
「永夜はどれくらいいるか、わかる?」
尋ねると、困ったように首を傾げた。
「いっぱい」
個体の識別までは気にしていないらしい。
「帰れねーの、俺達」
憮然とした表情で呟くように言う秋人に、美沙緒は困ったように眉根を寄せた。
確かなことはわからないけれど、紗綾はここから帰ることをそう難しいように思ってはいないようだった。
「…帰れるとは、思う。電車は帰りたければ来ると言っていたし」
「誰が?」
「紗綾、って言ってもう一人いるの。多分、一番この場所に長くいる人」
落ち着いているというのか、冷めているというのか、諦めているというのか。
ともかく何に対しても興味がなさそうに淡々と物事を見ている彼女が、一番この世界のことについて理解しているのは確かだろう。帰る方法を知っているのなら、帰ればいいのに帰らない。
だから本当に電車が来るのかという疑問は残るものの、紗綾にとって元の場所は戻る価値のない場所なのだろうことはなんとなく感じた。
「じゃあ、電車待ってればいいわけ?俺、帰りたいし」
「…多分」
それなら秋人はなぜこの場所に迷い込んできたのだろう。
「何か、探し物をしていたんじゃないの?」
美沙緒のように。
彼だけの希望を追って、ここまで来たのではないのだろうか。
「は?特に探し物なんかねーけど。あんたは帰んないの?」
ケロリとしている秋人は本当に何も心当たりがなさそうだ。
「…私は、まだ探し物があるから」
「ふーん?…手伝おうか?」
「えっ?」
本気で驚いてしまった。
「なんで?」
「あの化け物いんのに、あんたとチビじゃあ、どう考えても危ねーじゃん」
「それは、そうだけど…」
だから、なぜ、その危険な状況にわざわざ一緒にいてくれるのかと問いたかったのだが。
「任しとけって。俺、身体能力には自信あっから」
「…」
美沙緒では簡単に出来ない選択を、息をするように当たり前にする事がただただ信じられない。例えば秋人と逆の立場になったとして、彼らが心配だからと残ることが出来るのか、即答出来ない自信があった。
待っていれば、帰れる。
一緒に行けば、危険がある。
こんな自分には即断出来ない事を軽々とやってのける周りを目の当たりにすると、自分が弱くて自分の事しか考えられない小さな人間だと卑屈にさえなってしまう。
そう思えば、紗綾が美沙緒や永夜を理解出来ないと言うような目で度々見るのは、こんな心境なのだろうか。
「…いや、やっぱいいや。探し物、花喰いだし」
「は?あんな化け物探してんのか?」
こちらはこちらで理解出来ないと言う顔をされてしまった。
「なら、なおさら俺が一緒いた方が良いだろ。あんたらじゃどうしようもねーじゃん」
…ぐぅの音もでないけれども。いや、そうじやなく。
「ここで待ってれば帰れるんだよ?帰らないの?」
言うと、秋人は困ったように頬をかいた。
「…あんたらはまだ帰らねーんだろ?一人でここに居るのもなぁ…」
どうにも歯切れが悪く、言葉を濁す。
「なんか、あっち」
そう言って、秋人が指差した先には海にかかる橋があった。その先は“あの世”。
「なんか、呼ばれてるような気がして、嫌なんだよな」
(呼ばれてる?)
美沙緒にしてみれば、青々とした海と空にかかる、真っ直ぐな線路が対岸へと続いているだけの、普通の風景にしか見えない。
なんなら周りの海原と空の青さが澄み渡り、絶景と言ってもいい見晴らしの良さに、不吉な影など微塵もない。
なんにせよ、秋人は、ここで一人でいたくないわけだ。それなら、ついてきてもらっても構わないのだろうか。
「電車が来るまで一緒に待ってようか?」
代替案を持ち出せば、秋人はきっぱり首を振った。
「いいよ。あんたらがどうせ気になって、帰れねーし」
…やっぱり彼は、根っからの“良い人”なんだろう。




