さよならマーダー
ぜひ最後まで読んでください。
──さよなら、さよなら、悲しき獣。
──バイバイ、バイバイ、美しき王。
──グッバイ、グッバイ、哀れな男。
──あの世で会おう、生涯の友。
そう言った男は死んだ。
目の前で首を切って潔く自害したそいつは、俺の仲間の一人だった。ここまでよくついてきてくれたと思っている。部下というほど距離はなく、友達というほど愛はない。はっきりと意見を言い合える、悪くない仲だった。ざっくり言えば、良い仲だった。
予定では、俺は全ての仲間の死を見届けて死ぬ予定だった。
だというのに。
「ねえ、なにをしているの?」
突然の乱入者がいた。それは幼い少女だった。ぼろぼろの布切れをかろうじてワンピースとして纏っている。髪はボサボサで結ばれることもなく乱雑に下ろされている。はっきり言って、かわいそうな子だ。親は病気で死んだのか、あるいは子供を見捨ててどこかへ行ったのか。
少女の視界に数多の死体が映らないよう、さりげなく動いて隠してやる。
「儀式を、しているんだ」
「ぎしき?」
慣れない言葉を噛み締めるように、少女はそう言った。
「ああ、儀式だ。神聖なものなんだ」
「どんなぎしき?」
興味津々といった様子で少女が首を傾げた。
俺はすっかり困ってしまった。いくら悪役として生きてきたとはいえ、幼い少女を怖がらせるのは好きじゃない。
だから、誤魔化すことにした。
「神聖なものだから、言えないよ。でも、明日にはきっと分かる。だからね、ここから早く立ち去るんだ。でないと今夜は怖くて眠れなくなるよ」
「こわいものなの?」
「ああ、そうだよ。正しいことっていうのは、時に怖いものなんだ」
「そうなの?」
「うん。だから、早く家に帰ると良いよ」
「でも、おうち、ないよ」
家が、ないのか。
改めて目の前の少女を見た。もう何日も風呂に入れていないのだろう。ワンピースからはみ出す手足にはかすり傷のような跡が見られた。幼い子供が一人で生きていくには、スラム街で暮らすしかない。けれどそこには大人がのさばっている。もしかしたら何かいじめのようなものを受けているのかもしれない。やはり、かわいそうだ。
俺はポケットに手を入れた。冷たい感触がした。それを握りしめる。本当は誰にもくれてやる気などなかったが、目の前の少女は別だ。昔の俺に似ている気がする。多分、物語とは繰り返すのだ。幼かったあの日、ふらついた足で辿り着いた教会でロックな音楽を流していた風変わりな爺さんが俺にこれをくれたように。
「なら、これをあげる」
それは金色の懐中時計。あの爺さんがすでに三十年ほど使って、その前も誰かが使っていたはずだ。俺はすでに二十年使った。だから本来であれば電池の交換や修理が必要なはずなのだが、まだ動き続けている。化け物のような時計だ。
「とけい?」
「ああ、そうだよ。それは俺が昔、変な爺さんからもらった物だ。俺にはもう必要ない。だから君にあげる」
少女は金色の懐中時計をまじまじと食い入るように見つめた。「きれい」と声を漏らしている。
今思えば、あの爺さんは本当に神父だったのだろうか。熱心な信者には到底見えなかったが。
それも、あの世で会えたら聞いてみよう。いや、会ったら殺されそうだ。『人のために生きて死ぬなんざ馬鹿者か?』とか言われそう。同時に大笑いされそうでもある。『とんだおせっかい野郎だな、お前』って言いそうだ。
「それは、魔法の時計だ。それがあれば君は、大丈夫だ」
「まほう!」
「うん。だから、暗くなる前に帰るんだ」
「わかった、ありがとう!」
そう言って笑顔で走り出す。少女はいつも寝ている場所へ向かい始めた。その背中を見て、自然と口元が綻んだ。
「ねえ、お兄さんのお名前は?」
少し離れたところから、少女が手を振ってそう聞いた。
名前、か。
久しく名乗っていなかった気がする。名乗ると捕まるから、偽名ばかり使っていた。
「俺の名前は」
後ろに目をやって、仲間の亡骸を見た。
「カインだ」
風が吹いて、この国では珍しい俺の黒髪が揺れた。
「カインお兄ちゃん、ありがとう!」
金の髪を揺らしながら、少女はそう叫ぶと今度は本当に帰って行った。
「さて、そろそろ俺も逝くか」
ナイフを首元に滑らせる。
あの少女はこれからどう生きるのだろうか。
考えると同時に、一つの記憶が呼び起こされた。
『おい爺さん、何やってンだ?』
『こりゃまた口の悪い子供だな。見ての通り音楽を聴いているのさ』
『教会でロックなんて、聴いちゃいけないだろ』
『そんなこと誰が言った?』
『神父どもだ』
『なら大丈夫だ。神々が決めたわけではないからのぉ。それにワシとて神父だ』
『は? 嘘だろ? ボケてんのか爺さん』
『服装を見れば分かるだろうて』
『はぁ? ぁ、ほんとだ』
『ほらな。で、お前さんはどうしたんだ』
『どうもしてねえ』
『家に帰らなくていいのか? そろそろ十七時の鐘が鳴る』
『家なんざねえ』
『じゃあ、親はどうした』
『親父は喧嘩で殺された。お袋はそれを追って死んだ』
『お袋さんは愛に生き、故に愛を置いて死んだのか』
『それっぽく言うな。でも、いなくなってよかったさ』
『…なら、これをやる』
『あ? なんだ爺さん…懐中時計?』
『ああ、もうずいぶん使ったが、まだ動く。それをお前さんが使うのじゃ』
『変な爺さんだな』
『さっきから変人扱いしよって。大体ワシの名前はなぁ』
あの時、爺さんはなんと答えたっけか。
『で、お前さんの名前は?』
あれ……?
俺は、爺さんは、あの時なんと答えた?
俺の、名前。
幼少期の、記憶。
分からない。思い出せない。
一体どうなっているんだ?
ずっと、過去の記憶に良いものはないからと考えなかったけれど、改めて思い出そうとすると分からない。
ただ、忘れてしまっただけだろうか。
でも、気になる。
本当はどこかで全てを理解しているかのような感覚。
嗚呼、そうか。
『物語とは繰り返す』のだ。
あの時、爺さんは。
『ワシはカインじゃ』
その直後、警察が宗教の違反行為があるとかなんとか言って爺さんを捕まえに来て。
『で、お前さんの名前は?』
銃口を向けられたまま、爺さんはそう聞き続けた。
『黙れ』
そう冷たく言い放った警察の一人が爺さんを撃ち殺した。
『あ』
次の瞬間、俺は都合よく部分的に記憶を忘れて。
『俺は、カインだ』
もらったばかりの懐中時計を握りしめ、そう答えたのだった。
理解した。
カインが繰り返されるわけ。
懐中時計の針が、止まらないからだ。
今からでも懐中時計を取り返すべきなのだが、すでにナイフが食い込んでしまった。それに、街へ行くと警察に捕まってしまう。あの少女が俺の関係者であると人々に勘違いされたら、少女に迷惑だろう。
幸い、少女は名乗らなかった。だからきっと、大丈夫。
薄れゆく記憶の中で、過去を振り返る。
全てが走馬灯のようだった。
最初の記憶は、死んだ爺さんを見て、世界の悪を殺してみせると誓ったこと。
次の記憶は、そのために仲間を集めたこと。
次の記憶では、スラム街の全ての子供の王となり差別をなくすべくチームを創ったこと。
次の記憶では、悪逆のかぎりを尽くす政治家を暗殺した。
次の記憶の時には、すでに国中にカインの名が知られていた。
次の記憶の中では、俺たちの意見に賛同する政治家や市民が現れた。
やり方はどうであれ、悪しか殺さない俺らを人々は心の中で称えた。結局のところ人間は、自分の敵が死ぬことは大歓迎なのだ。それがたとえ殺しであり、本来であれば捕まるべき犯罪であっても。面倒でうざったるい人間が殺されていくことに涙を流す者などいなかった。
けれども、国中で革命が成功し、貴族社会が崩れた時、今度は俺が指名手配された。理由は簡単だ。人々は言い始めたのだ。カインは流石に殺しすぎた、と。それでも構わなかった。ひっそりと逃げ、隠れ、生きた。でもそろそろ限界だ。警察が俺たちのアジトを掴んでしまったのだから。
嗚呼、そうだ。
懐中時計が呪いかは知らないが、あれは革命を途絶えさせないためにあるのだろう。人の世を腐敗させないために。
でも、終わりはこんな結末だ。
死後の世界ではせめてもの幸福があるのかもしれないが、現世はこうなのだ。
爺さんや俺のように、理不尽に死ぬ。
それに俺は幾人もの悪を殺した。それが悪いとは思わないが、少なくとも法に触れ、少なくともグロテスクだった。
あの少女には、そんな未来は必要ない。
そこで思ってしまった。
スラム街で始まり、俺が目指した革命は。
──あの少女を救えなかったのだな。
血が滴り、俺は深い眠りについた。
永遠に覚めない眠りへ、冷たい温度と共に。
「あ、わたし、なまえいってないな」
少女は帰り道で気がついた。寒空が灰色になり、夜が近づく。
「わたしのなまえはぁ〜」
吐いた息が白い。けれど少女の息の白さも、独り言も、気にするものなどいない。
「わたしはカイン! おとこの子みたいななまえでしょ〜?」
さっきの人には聞こえないと知りながら、心の中でお兄さんの顔を思い出しながら言った。懐中時計は、少女の胸元にかけられたうえで彼女の手が握っていた。
「あれ、お兄ちゃん、なまえなんていってたっけ。わすれちゃった。こんどあえたらまたきこう」
けれども数日後、スラム街の入り口に置かれた掲示板に一つの新聞が貼られていた。
『英雄がついに自害・殺人鬼死す』と見出しは書かれているが、少女は文字が読めない。
「あれ、このあいだのお兄ちゃん?」
だが、写真は分かる。もしかして有名人だったのだろうかと思い、近くにいたおじさんに聞く。
「ねーえ、おじさん、このお兄ちゃんどうしたの?」
「ああ、彼はな…」
スラム街に住む中年の男は何か大切なモノを失ったかのような瞳で少女の問いに答えた。
「死んだんだ、おれたちの革命の英雄だったのにな…」
革命。その言葉の真意は難しくて分からない。
けれど、死んだという言葉がひんやりと心に突き刺さる。
「かく、めい」
体が熱くなっていく。
使命を、存在意義を、生まれた理由を、理解していく。
「革命を、起こすんだ」
それは誰にも聞こえない小さな声だった。
「あのお兄ちゃんの、跡を継ぐ」
彼の死を無駄にはさせない。
──革命の英雄である殺人鬼を、絶対に死なせない。
この日、新たなる『カイン』が世に生まれ出た。
面白いと思っていただけたら嬉しいです!
最後まで読んでいただきありがとうございます。




