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第十四話 『マッティ』

 ヒナは毎日、学校の帰りにコンビニに寄ってカロリーメイトを買った。

 それがいつもの夕食だった。

 誰もいない家には帰りたくなかったから、遅くまで近くの公園にいた。


 五時のチャイムが鳴り、薄暗くなり始めたころ、ヒナはブランコに乗りながらカロリーメイトを食べ始めた。

 買い物の帰りだろうか。ヒナと同じくらいの年の子が、母親と手を繋いで公園の前を通り過ぎた。

「ママ、今日のご飯なに?」子供が母親に聞いた。

「カレーにしようかな」と母親が言った。

「やったー!」

「まあくん、カレー好きだもんね」

「うん、ママのカレーが一番好き!」


 今日のカロリーメイトはチョコ味だった。

 明日は何にしようかな、とヒナはぼんやり考えていた。



『マッティ』


「ヒナちゃん」と後ろから誰かが呼んだ。

 振り向くと、マッティがいた。塾の帰りだろうか。布のバックを持っている。

 ヒナは無視して、カロリーメイトを齧った。

「それ、晩ごはん?」マッティは小さな声で話しかけてきた。

「外で話しかけてくんなよ」ヒナは毒づいた。

「それだけで足りるの?」

「お前みたいなブタじゃないから足りるんだよ」

「ちゃんと食べなきゃだめだよ」

「うるさいし。どっか行けよ!」

 ヒナがそう言うと「ウチ来なよ」とマッティが言った。

「なんで?」

 何を考えているのか分からなかった。あんなに虐めてられてたのに。イジメていたその張本人を家に招こうとしている。

「ご飯、ちゃんと食べないと病気になっちゃうよ」マッティは言った。

「別にいいよ」

 本当にそう思っていた。自分の体なんて、どうでもいい。病気なんて怖くなかったし、別にいつ死んだってかまわないと。

 しかし、その意志に反してヒナのお腹はグウ〜と鳴った。

「ほらっ!」マッティの顔がパッと明るくなった。

「やっぱ、お腹すいてるじゃん!」

「ちげぇし‥‥‥」とヒナは言ったが、本当はもう限界だった。

「ご飯食べに、ウチ来なよ!」

 マッティは嬉しそうに笑った。

 

 マッティの家は古い一軒家だった。

 近くまで行くと、煮物の匂いがした。

 玄関に入るとフィリピン人のマッティのお母さんが顔を出して「いらっしゃい」と言った。お母さんは、マッティの何倍も体重がありそうな巨体を揺らしながら「咲茉(えま) がお友達つれて来たの初めてだねぇ」と嬉しそうに笑った。

 ヒナ達より小さな子供達が居間や台所をドタバタ走り回っていた。マッティは四人兄妹の長女で、家はお爺さんとお婆さんも一緒に暮らす大所帯だった。

 和室の大きなテーブルを家族が取り囲み、大皿に野菜炒めや餃子や煮物が盛られていた。

 所在なくマッティの横に座ると、目の前に大盛りのご飯と味噌汁が置かれた。

「たくさん食べなさい」とお母さんが言った。

 ヒナは味噌汁に口を付けた。熱い汁が食道を抜け、胃に治まった瞬間、体の奥のこわばりが溶けていくようにフワッと温かくなった。優しい味がした。それは給食のとも違う、とても温かくて懐かしい味だった。もう一口飲んで、また飲んだ。味の沁みた大根の煮物を口に入れ、湯気の立った白飯を噛みしめた。その一つひとつの味が、強烈に染み込んでくる。

 下を向き、まばたきするとポタポタと太腿に何かが落ちた。鼻を啜るまで自分が泣いている事に気づかなかった。目が霞んでいき、何も見えなくなっていく。ポタポタ落ちる涙を見ているうち、ウェェェェン、と声が漏れた。小さな子供みたいな泣き方だった。

 その時、突然なにかフワフワしたものに包まれた。


「いいんだよ」

 マッティのお母さんが耳元で囁いた。大きな手で包み込まれたヒナは、マッティのお母さんの胸に顔を埋めた。とても温かくて柔らかかった。

「お父さぁぁぁん」と、ヒナの口から掠れた声が出た。笑っているお父さんの顔が浮かび、すぐに消えた。

「お母さぁぁぁぁん」

 お母さんの顔も浮かんで消えた。

 三人で手を繋いで歩いている場面が現れ、消えた。


 ヒナは、カロリーメイトのお釣りを毎日、貯めていた。

 お父さんとお母さんは、お金の事が原因でいつも喧嘩していたから、お金さえあれば、お父さんはいつかきっと帰ってくる。お母さんもイライラして殴ったりしなくなる。そして、また前みたいな家族に戻れる。そう思っていた。だから、どんなにお腹が空いても毎日カロリーメイトだけで凌いだ。

 カラカラに乾いた体に、優しい味が染み込んでいく。やわらかく、温かい。

 喉をしゃくり上げポロポロ泣いた。涙が止まらない。

 マッティのお母さんはヒナを強く抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫」と、髪を撫で、小さな子供にするみたいに背中をトントンと叩いた。

 毎日、温かくて美味しいご飯を食べ、優しいお母さんがいるマッティが羨ましかった。


「そりゃ、太るよ」と思った。


ヒナは、いつまでも泣いていた。

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