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第九話 『We Are The HELL』

 アイが地獄に来て、一年が経った。


 獄卒長部屋に住み始めたアイが、あれから仕事に出向く事はなかった。

 仕事らしい事をしたのはハンマーを数回だけ振った初日だけで、日中は部屋の中に入り浸り、夜な夜などこかに出掛けると酔っ払って帰ってきたり、どこかから知らない鬼を連れてきてパーティーをしたりと、昼夜逆転の自堕落な生活を送っていた。


 そんなある時、事件が起こった。


 何十匹もの鬼が、立て続けに行方不明になった。

 その場所は、アイがどこかから連れてきた多頭の龍や大蛇、火を吐く獅子や猛犬などが飼われていた元詰所の周辺だった。

 元々は鬼たちが休憩などで使われていた詰所は、いつの間にかアイが"ペット"と呼ぶ幻獣でいっぱいになっており、そのキャパは完全にオーバーしていた。

 檻から脱走した龍は辺りを飛び回り、大蛇はそこら中で繁殖し始めていた。


 普声処ふしょうしょの獄卒長、ラキがアイの住処(元、自分の部屋)を訪れたのは半年ぶりだった。




「で? うちの子がやったって証拠はあるわけ?」

 ラキが喋り終わる前に、アイが話を遮った。  

 アイは、足を組み一人掛けの派手なソファに深々と身を沈め、タバコを咥えるとすかさず横にいた猛獣が火を吐き先端に着火した。血のような赤い液体が入ったブランデーグラスを持っている。


「いや、だから一度、調査させてくれと言っているんだ」

 喋る度にどこかから唸り声がして、ラキは身を縮めた。


「鬼なんて食べるわけないじゃん」

 首に巻きついたグロテスクな柄の大蛇の頭を撫でながらアイは言った。

「こんなに可愛いのに」

「‥‥‥いや、しかしこの付近で何体もの鬼の髑髏(しゃれこうべ)が見つかっている」

「知らないし」

「たのむ! 一度だけでいいから」

「フン。ずいぶん必死じゃんラキ。まあ、立場上マズいもんね」

「違う! そんな事ではない」

「じゃあ、何よ?」

「そ、それは‥‥‥仲間だったから」

「はあ? あんた、そんなこと言うキャラだっけ?」

「う、うるさい! 俺は変わったんだ!」


 そう。ラキは変わった。

 

 一介の獄卒長だったラキに、アイをクビにする権限はなく、報告書を上層部に提出し、承認されなければ解雇はできない。

 アイの素行を書き連ねた報告書を何度も提出した。

 しかし、上から返ってくる返事は毎回、同じだった。

 『経過観察』

 それだけだった。

 なぜ仕事もせず毎日、遊び呆けている奴を放置しているのか。そんな奴に、いつまで給料を払い続けるつもりなのか。 

 何十匹もの部下がいなくなったこの状況を、上層部は本当に分かっているのか。 

 しかし理由を聞いても誰も教えてくれず、ラキの上司は戒めるように言った。


「見て見ぬフリをしろという事だろ? 空気を読めよラキくん。上手く世渡りしろよ」


 実際、上層部から派遣された調査隊は、現場を軽く一巡すると、亡くなった鬼たちの髑髏を持ってすぐに帰ってしまった。まるで証拠を隠滅するためだけに来たようだった。

 意味が分からなかった。

 どこかから大きな圧力がかかっているとしか思えない。

 ラキは、それでも執拗に叫喚地獄の庁舎に足を運び、アイの素行を訴えた。


「事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起こっているんだ!!」


 ラキは巨大な権力に一匹で立ち向かった。揺らぐことのないその強い精神的支柱は、本来ならば鬼にはない「正義」という名の心だった。

 そのうちラキの周りに、一匹、また一匹と仲間が集った。それは今まで蔑んでいた青鬼たちだった。


 今まで真面目に何かに取り組んだことはなかった。

 鬼の中で最も地位の高い"赤鬼"の血筋。実力はなくとも、それだけで社会的な地位は約束されている。努力する必要はない。今まで自分の思うようにならない事など、何もなかった。いつも、他の色の鬼たちを見下して生きてきた。

 でもそれが何だというのだろう。所詮、自分もただの鬼なのだ。

 学歴や肌の色の違いが何だというのだ。

 同じ地獄世界で生きている仲間じゃないか。


  「We Are The World!」


  「We Are The Hell!!」


 助け合っていこうじゃないか!

 

 ラキは生まれ変わった。

 毎日、汗をかいて一生懸命に仕事に打ち込むようになり、部下たちからの信頼も得るようになった。そして体重も落ち、彼女まで出来た。

 仕事が終わると毎日、庁舎前に集い、仲間たちとシュプレヒコールを飛ばし続けた。 

 色々な色の鬼達と酒を飲み交わし、未来について語り合った。


 しかし、結局ラキたちは負けた。

 ラキは他の地獄へ左遷され、仲間達もバラバラにあちこちに飛ばされた。


 その時、ラキは改めて思った。

 ああ、そういえばここは地獄だったのだ、と。

 

 そう。ここは地獄。

 地獄では悪こそが正義なのだ。

 間違ってるのはどっちだ?



 アイの事は忘れる事にした。

 関わらないのが一番良いのだと思った。

 種類が違うのだ。

「近づくな!」と何処かから声がする。

 それは体が訴える防衛本能だった。


 その時ラキは、過去一度だけ経験した、ある出来事を想起した。



      〜 〜 〜



 鬼たちのヒエラルキーの頂点に「十鬼(じゅっき)」と呼ばれる十匹の鬼が存在する。

 地獄を支配する「十王」の護衛に当たる十鬼それぞれの部隊に所属する鬼の強さは、獄卒の比ではなく、最下位の十番隊の一兵卒でさえ、無間地獄の幻獣を一撃で倒す程の力を持つといわれていた。


 ラキはかつて、その「十鬼」のうちの一匹を見た事があった。

 

 遥か昔「闇冥(あんみょう)事変」と呼ばれる亡者たちによる大きなクーデターがあった。

 その中心地にあたる等活地獄の一角「ザアラの古井戸」の警護についていたラキは、新米の獄卒だった。


 ある日、八番隊 "阿弥陀" の隊長「夜叉」という鬼(のちに脱隊)が視察に訪れた。

 十鬼が最浅層の八熱地獄に来る事は殆どなく、それ事態が事件だった。その姿を一目見ようと大勢の鬼や獄卒が遠巻きに見る中、夜叉は何百匹もの軍隊を従えて現れた。


 長い黒髪をたなびかせ、巨象ほどもある大きな黒馬に乗ってやってきた夜叉は、背の高いひょろりとした緑鬼(りょっき)で、邪悪なオーラが一帯を取り巻いていた。見る者の心の揺らぎを嘲笑うように、裂けた口角は不敵に釣り上がり、その姿は鬼というよりまるで悪魔のようだった。

 夜叉が、直立不動のラキの前を通り過ぎた時、ほんの一瞬だけ目が合った。

 息が止まり、体が凍りついた。

 その時ラキが夜叉の目の奥底に見たものは、地獄の風景さえも牧歌的に見えるほどのドス黒い闇だった。すぐに目を背けたが、太陽の黒点を直視したようにその残像はいつまでも消える事はなく網膜に焼き付いた。

 腰が抜けて尻もちをつき、股が温かく濡れていくのが分かった。


  夜叉の放つ絶対的な悪のオーラ。

「そこには近づくな!」と体が訴えた逃走反応は自分ではコントロールできない一方的な力で、それはアイの我儘や怠惰に通ずるものがあった。



※逃走反応

 1929年にアメリカの生理学者ウォルター・B・キャノンによって提唱された「闘争•逃走反応」とは、動物の恐怖への反応で、差し迫った危機的状況において、戦うか逃げるか身動きを止める(擬死、凍結挙動)方法で生き延びてきたため備わったと考えられている。

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