mission 1 : to the MOON⑦
───なんだ、これは。
どきりと、心臓が嫌な音を立てる。
予想だにしていなかった出来事に、俊輔は瞳孔を限界まで開いた。
足がすくみ、脳が現実の受け入れを拒否する。
視覚が揺れ、霞み、足元が覚束ない。
俺は今、悪い夢でも見ているのか?
「が、ァ…」
これは夢ではなく実際に起きていることだと、
か細く苦しげな声が現実を突きつける。
(機械が)
人間の頭を、掴んで、宙吊りに…
なんだ、これは?
───機械の反乱。そんな言葉が頭をよぎる。
あの本。地球を出る最後の日にもらったあの本には、確かにそのような事が書いてあった。それに思い返してみれば、海野少年や湖礼少年もよくに話題に出していた気がする。
しかし、俊輔が取り組んでいる訓練はあくまで能力をコントロールするための訓練で、実際に敵と言われているものと仮想空間においてすら相対した経験もなく、今一つ実感が湧かなった。
そのせいだろうか。未だにどこか遠い世界、そうまるで異世界の出来事のようにぼんやりと他人事だと心のどこかで思っていた。当事者であるにも関わらず、現実を見せられてもなお、愚かにも。
夢であれと、思ってしまっていた。
「あ…ああ…」
これは、機械から地球を取り戻すための戦い。
散々聞いていたのに。兵器になったんだって。
そのための能力なのに。
そのために俺は、人間をやめさせられたのに。
何もできないのか?
せめて、
あの機械を──────
「!シュ、」
「───はなせ、その人を!!」
ガッ ガシャン
…と、鈍い音をたてて、それは吹き飛んだ。同時にどさりと地面に人が落ちる。三メートルはありそうな大型の機械は、両腕からぱちぱちと静電気のような音と火花を散らし沈黙した。
湖礼少年は一瞬唖然としたが、すぐに頭を切り替え冷静に状況を分析する。培ってきた経験が彼を理性的にさせていた。
(光速移動!?殴ったのは電力を直接流してショートさせるため?考えるより先に体が動いたっぽい…これを実戦で一発目で?なるほど思っていたより)
「大丈夫ですか…ああああ?!」
俊輔が駆け寄ろうとした直後、下半身からふっと力が抜け、勢いよくリノリウムの床に無様に転がった。能力の反動だ。理解はしたものの、踏みとどまることはできなかった。
(…はっず…思いっきりこけたし、めっちゃ痛い!)
───俊輔は何が起きたのか、よくわかっていなかった。先ほどの光景を目の当たりにした瞬間、全身の血が凍るような感覚と憤怒が湧き上がり、目の前が真っ白になって───あとはただ体が勝手に動いた。
わかっていることと言えば、機械を殴りつけたらしい右手がものすごく痛いこと。転んだ時に鼻を擦ったらしくあまりの痛さと羞恥にこのまま意識を落として考えることを放棄したいと思っていること。
…そう、素手だったのだ。自覚した途端に右手が猛烈に痛くなってきた。ただでさえ全身痛いのに、泣きそうになってきた。泣きっ面に蜂である。
「いた!いたたた…うう…鼻と右手がかなり激痛なんですけど、よもや折れたかな?!」
「思いっきりいったもんねー、痛そう!多分折れてはいないよ、擦りむけてはいるけど!」
「よくないけど良かった!」
「ゲホッ」
「あ!?だ、大丈夫ですか!?す、すみません、この体勢のまま失礼します!不格好ですみません、ちょっと今動けなくて」
「…ああ、大丈夫だ。君のおかげで、君よりは。体勢のことは気にしないでくれ」
「よ、よかった…湖礼くんごめん、ちょっと悪いんだけど、起こして欲しいかも…湖礼くん?」
「…」
───光の速さは、音よりもはるかに速い。その差はおよそ100万倍。あの一瞬、湖礼少年は俊輔よりも確かに遅かった。音速移動より早く、無意識に雷の能力を利用した光速移動をやってのけ、電気を纏った拳で一発入れた。到底ぶっつけ本番でできるような芸当ではない。
(夢みたいだ、こんな原石と出会えるなんて!ああ、茂樹っちに見せたかったなあ!まだ経ったニヶ月なのに!半年はかかると思ってた!今まで会ってきた能力者の中でも、シュンスケは潜在能力がダンチすぎる!磨けばめっちゃ光る、叩けば響くやつーーー!!)
湖礼少年は今すぐ踊り出したいような気持ちをなんとか抑え、首に掛けていたヘッドフォンをセットする。まずは目の前のことを対処しなくては。
瞬きの間に音速移動を駆使し、俊輔と機械に掴まれていた人物を入り口付近まで一人ずつ移動させる。大型機械から距離を置し、様子を見る。今は動きを止めているが、いつ動き出すかわからない以上、油断はできない。機械の性能も全くわからないし、とにかくあの腕が届く範囲からは距離をとりたかった。
「はーい!ここなら射程範囲外のはず、飛び道具がなければ!あ、シュンスケは動けるようになるまで横になってて!ナイスファイト!」
「う、うん…ありがと…いたた!」
「それで、あなたは何者ですか?」
地に付したままだった男は湖礼少年に手を引かれ、ゆっくり立ち上がった。機械による拘束時間や落ちた時の衝撃はそれほどのダメージではなかったらしく、首を数度回し、首の後ろを数度摩ると、黒い仕立ての良さそうなスーツを着用した男は口を開ける。白髪混じりの黒髪は機械に掴まれて無造作ヘアーになっていたものの、胸元に光る銀のピンバッジがこの男がそれなりの地位にいるものだと告げていた。
「まずは感謝を。助けてくださってありがとうございます。私はムーンベジタリアンカンパニー代表取締役の、矢田野と申します。あなた方は第三の地球からの遣い、ですね?」
「まあ、そんなところです。危険信号が感知されたため、ここに来ました。何があったのか状況を教えてください。あ!あとこれは一番大事な確認なんですけど、あれ、壊しても大丈夫なやつですか?!」
「…えっと…できれば壊さないで欲しいですが、万が一の時は致し方なし、ですね」
普段と違う雰囲気で淡々と話す湖礼少年を横になりながら見て、俊輔は驚く。湖礼くん、落ち着いた話し方もできるんだ…と。失礼である。ちなみに驚きのあまり涙は引っ込んだ。
さて、矢田野と名乗った男の視線は先ほどの大型機械に向けられている。二人もそちらを見ると、ちょうど復活した機械が不気味に頭をもたげていたところだった。かこんかこんかこん、と関節一つ一つを繋ぐような音を立てながら、ゆっくり上半身を立ち上げ、下半身のキャタピラをこちらに向けてきゅるきゅると動かし始めている。内部のモーターが激しく回転する音まで聞こえてきた。両腕部分には三本ずつ鋏のようなものが取り付けられており、これもまたこちらへ狙いを定めるかのように向けられている。時間がない。
「了解です!なんか攻撃してきそうなんで緊急停止させる方法とかあれば手短にお願いします!」
「あの子はこの植物プラントの大型自動給水機器でして、カーボンメタリック色の、関節が蛇腹になっている首のように見える部分がありますでしょう?その後ろに白色の二つのスイッチがあるので、それを同時に押して下さい、非常停止します」
「わかりました!ちなみにこれはただのボクの知的好奇心なんですけど!右手と左手にあるあれ、貴方が掴まれていたあれ、あれはなんですか?給水しそうには見えませんね」
「……それは」
「あとで教えてくださいね!シュンスケ、見ててねー!」
ウインクを一つ寄越してから、湖礼少年は駆け出した。
(え、能力使わないの…?)
湖礼少年は殺意を持って振り翳される機械の腕を、能力なしで身軽に躱わしている。機械は意外にも早く動き、腕を振るっては工場の設備を攻撃し、その度に壊れた設備の破片も飛び散る。少年は右に左に身軽にひょいひょいよけ、そして二本の腕が同時に上から振り落とされた瞬間、『音』の能力を発動した。
(あれは、『共鳴』反応!)
俊輔は知っていた。というより、目の前で見たことがある。数ヶ月前に赤髪の先輩に絡まれ助けてくれた時に使用した技だ。あの時は炎を消した。
今回は『共鳴』を起こして機械の動きを止めた、ように見えた。




