91話 イミナ
洞窟の中に突如として響き渡った声。それは、あっけらかんとした子供のような高い声だった。だが、その声に覚えはない。初めて聞く声だ。
どこかこちらを見下すような話し方や佇まい、そしてそいつからあふれ出るマナだけで、そいつが尋常ならざるものであることは明白だった。後は、私達に出来ることは、「そいつ」が、私達の敵ではないことを祈るだけ。ただ、それだけである。
「こんな所までわざわざ来るだなんて、普通の人じゃないみたいだけど…… 私達に何か用事?」
動揺を見せないように、出来るだけ平静を装って突然現れた声の主に私は言葉を返した。私達がここまで来るのに通ってきた道、薄暗い洞窟の入り口の方向に立っていたのは、髪の長い、そしてまだ幼い外見の少年とも少女とも取れるような子供であった。
「君がその子を倒そうとしてたからね! ちょっと聞いてみただけだよ!」
その子とは鵺を産みだしている本体のことであろう。うすうすと感じていた嫌な予感がだんだんと現実味を帯び始めてきたようだ。もしも…… もしも私達の目の前にいるこの無邪気な子供が私達の敵だったとしたら…… これだけ尋常ならざるものであるとするならば、その正体は他ならぬ『白の十字架』のメンバーの1人の可能性が高い。
「あのさ~~ 話が読めてこないんだけど~~ 私達がこいつを倒したら、あなたに何の問題があるわけ~~?」
平然とした様子で、アマツが言葉を返す。こうなるとアマツやセンリが一緒にいるということが非常にありがたい。
「いやさ、別に倒そうとぼくは問題は無いんだけどさ! 君達が…… 特にイーナが大丈夫かなあって心配になっただけだよ」
ケラケラと笑みを浮かべながら、『そいつ』はさらに言葉を続けた。
「どういうこと? あなたは誰?」
「そうだねえ…… イーナ。ぼくのことは『イミナ』とでもよんでくれればいいよ」
イミナがそう答えた瞬間ぞわっとした感覚が背中に走る。どうしてあったこともないのに、イミナが私の名前を知っているのか。アマツの知り合いかと、アマツに対して目配せするも、アマツもイミナについては全く認識がなさそうな様子であり、ますます私は混乱へと陥っていく。
「まあまあ、そんな顔をしないでよイーナ。ずいぶんと可愛くなっちゃってさ。どうだい新しい人生は? なかなか悪くはないでしょ?」
笑顔で私に向かって話しかけてくるイミナ。ヴェネーフィクスの仲間達もすっかり困惑した様子で私の方を見つめてくる。
「イーナ様、知り合いなの?」
ルカもイミナに対し、ずいぶんと警戒しているようで、少し怯えたような様子で私へと小さな声で問いかけてきた。いや、知るわけがない。ルカに対して小さく首を振った私。
「まあ、君達がぼくのことを知らないのも無理は無いさ。ぼくはこの世界の行く末を見守っているというだけ。だから君達のことも知っている。ただそれだけのことなんだよ」
いまいち話が読めてこない。イミナの目的は何なのか。そして、どうして私達の前に現れたのか。何もかにもが謎である。
「あなたはどうして私のことを知ってるの?」
「そりゃ、君の動向には注目していたからね。まだまだ荒削りではあるけど…… 君はなかなか面白い。カーマとの戦いはなかなか面白かったよ」
カーマ。その名が出た瞬間に、私の予想は確信へと変わった。間違いない。こいつは、イミナは間違いなく白の十字架のメンバーの1人。ヴェネーフィクスのメンバーもイミナのその台詞を聞いた瞬間、その事実を理解したようだった。
だが、不可解なのはイミナが全く私達を襲ってくるような素振りを見せないと言うことである。
「あなたは白の十字架のメンバーなんでしょ? どうして私達を襲ってこないの?」
私の問いかけにイミナは不思議そうな表情を浮かべながら言葉を返してきた。
「どうして? どうしてぼくが君を襲わなきゃならないのさ?」
「どうしてって、カーマとの戦いを知っているのならカーマがやられたことだって知っているってことでしょ? 味方の敵討ちなんて普通の発想だと思うけど」
「ああ、人間の尺度というものは本当に不思議だね。別にカーマが死のうがどうなろうがぼくには、それに我が主にとっても詮無きことさ。それよりも我が主様が一番気になっているのは君だよイーナ。君にはカーマとは比べものにならないくらいの価値がある。そしてぼくもそれは同じ。だから、わざわざこうして会いに来たってわけさ」
「それってどういう……」
いまいちイミナの言っている事がわからない。カーマを倒したのは紛れもなく私なのだから、普通に考えれば私はイミナ達にとっての敵であるのは間違いない。なのに、イミナは味方の敵を討とうとするどころか、笑って会話をしてくると言うのだから、困惑しない方が無理という話だ。そして、そんな混乱の極みに陥っていた私達に向かって、再びケラケラと笑いながらイミナは言葉を続けた。
「まあまあ、そんなに困惑しないでよ。どうせ考えたって何もわからないんだ。でも君達が真実を知りたいというのなら…… アレナ聖教国に行くと良いさ。そこにきっと君の求める答えがある」
イミナが言葉を言い終えるのと同時に、突如として淡い光がイミナを包み始め、そして先ほどまで強く感じてイミナの気配がだんだんと薄れていくのを私は感じていた。
「まって!」
「ぼくらを失望させないでね。イーナ。楽しみに待っているよ」
イミナがそう告げると同時に、ぱあっと明るい光が洞窟を包み込み、そしてイミナの姿は何処かへと消え去っていた。




