69話 サクヤの病状
ミドウやロードから預言の書について聞いた私達。しばらくミドウ達と話をしていたが、ようやく話も一段落つき、私が次に会話をしたのはアレクサンドラであった。なんと言っても、私には世界を救う前に救わなければならない相棒の存在があるのだ。
治癒魔法の使い手であるアレクサンドラであれば、もしかしたらサクヤの病気を治療するための手がかりが得られるかも知れない。そう思った私は、ちょうど王の間を立ち去ろうとしていたアレクサンドラの元へと向かったのだ。
「アレクサンドラさん!」
「ああ、イーナ。これからよろしくね。あたしに用かい?」
私の呼び止めに、振り向いて答えてくれたアレクサンドラ。おそらくは巫人達も忙しいのであろう。すでにブレイヴや王は、王の間を立ち去っており、他の巫人達もほとんどが王の間から姿を消していた。もっとアレクサンドラにもいろんな話を聞いてみたいところではあったが、そこはぐっとこらえ、早速本題へと入ることにする。
「こちらこそよろしくお願いします! アレクサンドラさんに一つ聞きたいことがあってきたんだけど……」
「なんだい? あたしで答えられるようなことならかまわないが……」
「アレクサンドラさんは今まで寄生虫の治療を行ったことある?」
「寄生虫……?」
「アレクサンドラさん! 実はイーナちゃんは動物専門のお医者さんで…… 九尾さんの治療をするために、こんな身体になっちゃったらしいんですよ!」
「ほう……」
近くで私達の会話に耳を傾けていたのか、ナーシェが言葉を挟んできた。そして、ナーシェの言葉に、少し興味深そうに頷いたアレクサンドラ。そのまま私はアレクサンドラへと話を続けた。
「私の中にいる九尾。最初に彼女を診た時の病状は心雑音、それも全収縮期雑音と呼ばれるものだった。そうなれば考えられるとしたら、心臓の先天性疾患もしくは三尖弁閉鎖不全症……」
「イーナ…… あんた、一体何者なんだい?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、私に言葉を返してきたアレクサンドラ。治癒魔法に精通したナーシェですら、何を言っているのかわからないと言った様子だったが、どうやらアレクサンドラには、私のその言葉で何となくサクヤに起こっている病状は伝わったようだった。
心雑音、つまり心臓を聴診したときに聞こえる雑音にはいくつかの原因が考えられる。一般的に心臓というのは、心室と呼ばれる血を送り出すポンプ的な役割を果たす場所、そして血管から心臓に帰ってきた血が集まる心房という二つからなる。それぞれ右と左に心室と心房が存在し、哺乳類では基本的には2心室2心房という形態が一般的である。
左心室からは全身の血管に血を送り、そして全身から帰ってきた血液は右心房へと入る。そのまま血液は右心室へと移動し、肺動脈を通り、肺へと送られ、新鮮な酸素を含んだ後で左心房へと帰ってくるという仕組みである。
その中でも右心室と右心房を隔てるのが三尖弁と呼ばれる弁膜である。これは右心室から右心房へ血が逆流するのを防いでいるという重要な役割があるのだ。血を一方向に循環させることで、全身への酸素供給を効率的に行っているというわけだ。
三尖弁閉鎖不全症というのは、右心室から、右心房への血液の逆流を防いでいる弁膜が機能しないという病態である。ここに異常が起きてしまうと、全身循環のバランスが崩れ、心臓へ帰ってくるはずの血が上手く帰ってこない…… 例えば、うっ血や浮腫と呼ばれるような症状が現れるというわけだ。
そして、その弁が上手く機能していないと言うときに考えられるのは、生まれつき心臓の形態に何らかの異常があったか、もしくは弁自体に何かが引っかかったかどちらかであると考えられる。生まれたからある程度時間が経っているサクヤの身に、急にそう言った症状が出てきたと言うことは、おそらくは後者の可能性の方が高いと言うわけだ。
………………………………………
「イーナ。要は、あんたはこう言いたいというわけだ。あんたの中にいる九尾、そいつの身体の中には、何らかの虫がいる。そいつが増えたことによって、九尾の身体を内部から侵していっていると」
「そうだよ。それも大分病状は悪い…… 放っておけばいつ死んでもおかしくはないようなほどに……」
「とんだ偶然もあるもんだ。イーナ。あたしの中にいる猩々。名前はカヤノ。そいつもあんたの言っているのと同じような病状だった。さてさてこれは偶然か…… それとも……」
不敵な笑みを浮かべながら私に言葉を返すアレクサンドラ。アレクサンドラに言葉に私も驚きを隠せなかった。
「じゃあ……」
「残念だが、あたしも治療法は見つけられていない。あんたと同じように、あたしもカヤノの命を救うため、彼女の巫人になったが…… まあそういうわけだ」
アレクサンドラであれば、何かサクヤの治療に繋がるような事を知っているかも知れないと期待していた私は、落胆を隠せなかった。だが、何の情報も得られなかったというわけではない。アレクサンドラのパートナーでもある猩々『カヤノ』。カヤノもサクヤと同じような症状が出ているというのは、病気の治療に繋がる大きなヒントとなる可能性だってある。
「さて、あたしからも聞きたい。あんた、そこまで知っていると言うことは、この病気の治し方についても心当たりがあるんじゃないのかい?」
「急性症状を抑えるためには、手術とかで引っかかっている虫自体をとらないといけない。だけど、とったところで身体の中に虫がいれば、また詰まったり引っかかったりしてしまうし…… 結局は薬による治療が必要になる……」
「なるほどね。あたしもあんたの言うように、一度カヤノの中を見たことがあるんだ。あたしもあんたと同じ事を考えたことがあってね。あの子だって、不思議な力を持っているとは言っても、あたしらと同じ生き物だからね。だが、身体の中からはあんたの言う虫とやらは見つからなかった。何も見つからなかったんだ」
「……どういうこと? 寄生虫じゃない……?」
てっきり、虫による心臓の塞栓が原因だと考えていたが、もしアレクサンドラの話が事実であるならば、原因は別にあると言うことになるだろう。ここまで医療に精通したアレクサンドラだ。万が一にも虫体を見逃すと言うことなど考えられまい。
「そう、あんたの言っていた考えがもし正しかったとしたら、あたしだってカヤノの病気を治せていたはずさ。だけど違った。だから手詰まりというわけだ。何せ、何もいなかったのだから」
「……」
正直、外部寄生虫によるものであれば、今は無理でもそのうちサクヤを直すこと自体はできたとは思う。だけど、違うとなれば…… 細菌によるもの……? いや、それでも、アレクサンドラがそれを見逃すということも考えづらいだろう。いずれにしても、アレクサンドラがカヤノの中を見たというのならば、私だっておそらくサクヤの中を見ることだって出来るだろうが、アレクサンドラが嘘を言っているようにも思えなかったし、下手にサクヤの身体に負担をかけるような事をすれば、それこそ命を落としかねない。現状出来ることは何もないというわけだ。
――イーナ。そんな気にせんでもよいぞ。イーナと共にいるというのもなかなか快適じゃからのう! このままというのも悪くはない!
流石にショックを受けてしまった私を励まそうと明るく振る舞うサクヤ。そして、すっかり重い空気が包み込む中、ゆっくりとアレクサンドラが言葉を続けた。落胆に沈んだ私とは異なり、アレクサンドラはどこか笑みを浮かべているような、そんな様子で口を開いたのだ。
「だが、イーナ。あんたの言うことは決して見当違いではないはずだ。さて、続きは明日にでもしようかね。年を取ると夜はしんどくて仕方が無いんだ」
「わかった。ありがとうアレクサンドラさん。でも、明日はどこに……」
「何も言わずともきっと会えるさ。一先ずはあんたは早くあんたの用事を済ませな。やらなきゃいけないことは他にもあるんだろ? あとは…… 早く寝るんだよ。夜更かしは美容の敵だからね」
アレクサンドラはただそう言い残し、王の間を立ち去っていった。慌ててアレクサンドラの後を追おうとしたが、私達が王の間を出た時にはすでにアレクサンドラの姿は見えなかったのだ。一体どこに行けば良いのか、アレクサンドラに『きっと会える』とは言われたものの、アレクサンドラの居場所に心当たりなんて全くない。
「きっと会えると言われたって……」
「……まあ、今日は色々ありましたし、そろそろ私達も帰りましょうか。ルート君達も先に王宮の外に出てるみたいですよ! 大丈夫です。アレクサンドラさんがああ言っていたんですから! きっと会えますよ!」
ナーシェの言うとおり、疲労が限界に達していたというのも事実である。慣れない王の間で緊張に包まれていたこと、それにアイルとの戦いも相まって今すぐにでも寝ろといわれれば、寝れそうなほどに身体が重かった。
結局、アレクサンドラの行き先はわからずじまいのまま、私達は自らの宿へと帰ることにしたのだ。色々あった長い一日は、こうして幕を閉じた。




