33話 森の惨劇
「こ…… これは……」
野犬たちの気配が近くなってきたというテオの言葉から間もなく、森の中を進んでいた俺達の目に飛び込んできたのは、凄惨な光景であった。血塗れになりながら死んでいた野犬達。身体をずたずたに引き裂かれ、毛には、固まったどす黒い血が汚くこびりついていた。腐敗が進んでいないという様子からも、まだ死んでからそれほど時間もたっていなさそうである。
「……ひどい」
目の前に広がるあまりの惨状に、ナーシェもルカもショックを受けながら、小さく言葉を漏らす。
「これ…… サンダーウィングの……」
だが、無残に引き裂かれた野犬の死体のそばで、傷口を観察した俺は、この残虐な仕業が人の手によるものではないことを確信していた。横たわる犬たちの体中に残された傷は、剣やその類いの物でつけられたものではなかった。
もし犬たちを仕留めたのが剣だとしたら、あまりにも切れ味が鋭すぎる。並大抵の刃物ではここまで切り刻むことは不可能であろう。そして、同じくルートもそう思っていたようで、ショックを受ける仲間達に向かって冷静に言葉を返した。
「そうだったら、まだいいがな……」
「そうだね……」
「……どういうことです?」
ショックで泣き出しそうになっていたナーシェが、俺達の方へと顔を向ける。
「傷口を見ると、明らかに人が剣で切ったものじゃない。正体はわからないけど…… モンスターか…… あるいは…… 犬たちが人里近くまで姿を現すほどに食べ物に困っていた理由ももしかしたらそいつが原因かも知れない。そいつのせいで森の生態系に異変がでていたとしたら……」
ふと、思い返してみると、人里に近い場所だとは言え、森の中に入ってからと言うもの、他の動物たちに会った記憶は無い。野犬たちはおそらく森に住む小動物などの肉を主な栄養源としてきたのだろうが、今回この惨状を起こした原因のモンスターの影響で、森の生態系のバランスが崩れたとしたら、リスクを冒してまで食べ物を求めて、人里に姿を現し始めたというのも頷ける。
「この様子からすると、死んでからそこまで時間はたっていなさそうだな……」
「うん、もう身体に熱はないし、血の固まり方から言っても、ついさっき襲われたというような感じではないけど…… 状態からしてもここ数日といったところだと思う。 あともう一つ気になるのが、全く食べられたような後はないという事だね……」
野犬たちが人里近くまで姿を現し、作物を漁っていたというのが、森の食料不足によるものだとしたら、この野犬たちを襲ったモンスターが、野犬たちを捕食するような痕跡を全く残していないと言うのは少し気に掛かるところである。こいつらを襲った理由が他にあるのだろうが、全く見当もつかないと言うのが何とも不気味であるのだ。
「いずれにしても、これだけの数の野犬を倒してしまうほどの奴がいるとしたら、あまりにも危険だ。一旦引き返すぞ」
「……いや……」
ルートが冷静に口にする。ルートの判断は正しいだろうし、そうすべきなのだろう。明らかな敵意がこちらに向かって、ものすごいスピードで近づいてきているのを探知出来ていなかったのなら……
九尾の力をある程度使いこなせるようになってきた今ならわかる。これほどまで凝縮されたマナならば、探知するのも難しくはない。
「もう…… 遅いかも……」
俺に少し遅れて、他の仲間達も近づいてくる何者かの気配に気が付いたようだ。一気にパーティに緊張が走る。そして次の瞬間、ルートの叫び声と共にがさがさと茂みを揺らす大きな音が鳴り響いた。
「来るぞ!」
茂みからものすごいスピードで飛び出して来た影に、俺は剣を抜いて合わせるので精一杯だった。瞬間、耳元を風切り音が通り過ぎていった。吹き抜けた強風に思わず体勢を崩してしまいそうになるが何とかこらえ、近づいてきたものへと視線を送る。
突風と共に俺達のすぐそばを通り抜けていったものの正体は、無残に引き裂かれ血塗れになって横たわっていた野犬たちと、同じ姿をした生き物であった。
「おい! 大丈夫か!」
仲間達に向かって声を上げるルート。ルカもナーシェもテオも、少し体勢を崩されたものの何とか無事だったようだ。ひとまずは一安心と言ったところである。
「仲間の敵討ちってワケかな……」
こちらを威嚇しながら距離を保つ3頭の野犬達。完全に俺達が仲間達を殺した犯人だと疑われているようだ。この状況では無理もない。
「どうする?イーナ?」
「どうするも何も……」
やるしかない。不本意だが、どうやら話が通じるような状況でもなさそうだし、向こうが襲い掛かってくると言うのなら、こっちだって黙ってやられるわけにはいかない。
ルカとナーシェ、テオを背後に、剣を構えて臨戦態勢をとった俺とルート。グルルと声を上げながらじりじりと近づいてくる野犬達。いつ始まってもおかしくない戦闘を前に、思わず手が汗ばむ。
そして、一匹の野犬がこちらに向けて動き出そうとした、まさにその瞬間、聞き覚えのない声が唐突に鳴り響いた。
「待て!」
声に反応するようにピタリと動きを止める野犬。何が起こったのか、俺は全く理解が出来ていなかったが、少なくともその声の主は俺達の敵ではなさそうである。なんと言っても言葉が通じているのだから。
先ほどまで激しくこちらを威嚇していた野犬達が、固まったかのように動きを止める。どうやらもはや襲ってくると言うことはなさそうだ。そして、剣を下ろした俺は次に唐突に叫んだその声の主の姿を探すために周囲を見渡した。
先ほどの声の主は明らかに人の言葉を操っているようだったし、辺りに誰か人がいるのかもしれない。そう思って周囲を見渡したが、辺りには木々と緑があるだけで、人の姿は全く見えない。いるのは、変わり果てた姿となった野犬たちと、おそらくはその仲間であろう野犬。仲間を弔うように、死んだ仲間達の亡骸をじーっと見つめていた。
「この傷…… この者達の仕業ではない……」
再び鳴り響く声。だがその声の主の姿は全く見当たらない。ルートもナーシェも、不思議そうな表情を浮かべながら辺りを見渡していたが、仲間達も誰1人としてその声の正体を見つけられずにいた。
「突然、襲って済まなかったな…… 仲間達を襲ったのがお前達だと思い込んでしまっていたが…… どうやら違っていたようだ」
襲って……? そうここでその声の正体にようやく気付いた俺。冷静になればルカだってテオだって話すことが出来るのだから、目の前の犬だってしゃべることが出来たとしても名なら不思議ではないのだ。
「もしかして…… さっきから話しているのは君?」
俺は、野犬たちの亡骸のそばで仲間達を偲ぶかのように振る舞っていた一匹の犬に向けて言葉を返した。そして、その犬は俺の声に反応するようにこちらを向き、再び先ほどと同じ声を上げた。
「そう、俺はシナツ。大神の一族、シナツという」




