32話 ケット・シーの力
ひとまず、森に入っていったサンダーウィングの連中のことは放っておく。ダイダラボッチ討伐の報酬もまだあるし、すぐにお金が必要という状況では全くない以上、わざわざ他のパーティと競い合う必要も無い。
なんといっても、森はモンスター達にとってのホーム、俺達にとってはアウェーなのだ。腕に自信がある連中なら突っ込んでいったとしても、大丈夫かも知れないが、俺達はこれが初任務、準備不足でトラブルに見舞われるよりは、慎重すぎるくらいの方がちょうど良いだろう。
それからも聞き取りを続けて、いくつかではあるが、野犬に関する情報も集まってきた。野犬が人里近くに現れるようになったのは最近である事、野犬は畑や作物を荒らしはするが、今のところ人を襲うような事はないという事、いろいろと情報は集まったが、特に気になった情報の一つとして、『大神伝説』というものがあった。
ナリス近くの森はナリス大森林と呼ばれ、広大な森林が広がっているとのことであるが、その最も奥にある『原始の森』と呼ばれる場所には、犬の姿をした『大神』と呼ばれる一種の神のような存在がいると言う伝説があるらしい。もちろんそんな奥まで一般の人間がいけるというわけでもなく、ギルドの調査もそこまでは及んでいないとのことである事からも、その正体までは未だたどり着けてはいないそうである。
まあそもそも今回の『野犬』は特段何か特別な力を持った奴らというわけではなさそうであり、その『大神』とやらである事はまずなさそうであるが、何か関係があったとしてもおかしくはない。今まで得た情報から察するに、今まで森で暮らしていた奴らが、ここ最近になって、わざわざ食べ物をとるために、危険を冒してまで人里近くまで出てくるということから、何らかの異変が森におこっているであろう事は間違いない。
ナリスの街の宿舎で今日集めていた情報を整理していた俺達。ナーシェもルートも俺と同じような結論に至っていたようだ。
――ナリス大森林に何らかの異変が起こったが故に、食べ物が不足した、もしくはすみかを追われた野犬たちが人里近くまで出てきているのだと。
「それで、そう仮説を立てたとして私達はどうする?」
ルートとナーシェに問いかけた俺。あくまで任務というのは、「野犬の討伐」というものであり、わざわざ森の調査まで行う必要は全くない。だが正直、俺はそこでこの話をおしまいにしてしまうと言うのは、どこか心の中に引っかかるものがあったのは事実である。野犬たちだってわざわざ危険を冒してまで人間のすみかの近くまで出てきているという以上、なんらかのSOSを発している可能性だってある。
「イーナちゃんは、森で起こっている異変について知りたいんでしょう? 私も同じです。森の生態系に異変が起こっていると言う可能性があるというのなら、こんなに興味深い話題はないでしょう!」
「そうだね! それに森の皆が困っているというのなら放っておくと言うわけには行かないよ!」
迷う素振りもなく、俺の提案に同意してきたナーシェ。そして、ナーシェに続いて、元気よく言葉を返してきたルカ。そもそもナーシェがギルドに入った理由が、モンスターの調査をしたいという理由である以上、ナーシェがのってきてくれるだろうというのは織り込み済みだ。結局はリーダーでもあるルートの判断次第となる。
「ルートは?」
「俺は正直どちらでも良い。それよりも一番重要なのは、全員が無事でこの任務を終えられるということだ。こんなつまらない任務で味方を再び失うというわけにはいかない。何か森の生態系に異変が起きているというのなら、野犬を討伐したところで、この問題は解決はしないだろう。皆が調査をしたいと言うのなら俺はかまわないが、危険だと思ったときはすぐに退く。いいな?」
「そりゃあもちろんだよ!」
………………………………………
今後の方針が決まった翌日、早速ナリス大森林へと繰り出すことにした。ちらっと聞いた話ではあるが、ナリス大森林はその広大な面積と、よく行方不明者を出すことから、別名「迷いの森」とも呼ばれているようである。
森林の中に足を踏み入れてしばらくの後、その名前の意味を俺は身体で理解した。人里から少し足を踏み入れただけであるのにも関わらず、周囲は一気に薄暗くなり、木々のざわめく音にその他の音はかき消され、まさしく別世界に入ってしまった。そんなような気分になったのだ。
「これ、このまま進んで戻れるのかな……?」
思わず不安を口にした俺に、テオが元気よく答える。
「ニャ! 森の中のことなら任せるのニャ! 僕がいれば迷うことはないのニャ!」
そういえば、ダイダラボッチの元へ案内してもらったときも、森の奥深くであったのにも関わらず、テオは全く迷うことはなかった。あのときは、妖狐の里近くの森ということで元々土地勘があるのだろうと特に気にすることはなかったが、よくよく考えれば、目印も何もない森の中で目的地に一直線に進むことが出来たというのは不思議な話である。
「僕らケット・シーは森と共に生きてきたのニャ! つまり森はボクらそのものなのニャ! 森の声を聞くこともボクらにとっては容易なことなのニャ!」
……?
森の声? なんだかよくわからないが、まあとりあえずテオがいれば迷うことはないという事らしい。自信満々に先頭を切って進んでいくテオの姿を見ていると、それも不思議と信じられた。ひとまずはテオを信じることにして、俺達もテオの後をついて行ってみることにする。
「野犬とやらの匂いはしっかりと覚えてきたのニャ! 一度かいだら忘れられない、不快な匂い…… 近づくのは不本意だけど、仕方のニャい事なのニャ! こっちに間違いないのニャ!」
右も左もわからない森の中を躊躇することなく進んでいくテオ。その足取りを見ていると、確かにテオが先ほど言っていたとおり、森の声とやらが聞こえているというのも頷けた。だからこそ、俺もルートもナーシェもルカも、不安に襲われることはなかった。
「……ニャ! 近づいてきたのニャ…… 嫌な匂いが強くなってきたのニャ……」
森を歩いていた途中、ふとテオが顔をしかめながら、そう小さな声を漏らす。少しだけ慎重になるテオの足取り、俺達も出来るだけ音を立てないように歩き方に気を遣いながら、テオの後をついて、さらに森の奥の方へと歩みを進めた。




