29話 初めての任務
結局ナーシェの勉強会、もといマナー講座は夜遅くまで続いた。勉強会中も、油断すると、つい足が開いてしまいそうになったが、再びマナー講座を開催させるわけにも行かず、なれない筋肉の使い方に苦闘しつつも俺は姿勢を保持していた。お陰で一晩たった今、脚はものすごく筋肉痛に襲われていると言うわけである。
ナーシェの話によると、細胞という概念が浸透してきたのは、近年になってからであるようだ。ほんの数十年ほど前、生き物は小さな細胞という単位からなっているという発見があったらしく、少なくとも、俺達の世界の医療技術には到底追いついていないという事は流石の俺でもわかった。
基礎生物学は正直あまり覚えていなかったが、確か俺が生きていた世界で、生物が細胞という単位から出来ているという見解が一般に広まったのは、18世紀、19世紀頃の事であったとは思う。
つまりは、この世界での生物に対する知識というのはそのくらいの時代のものであるのだろう。この世界の医療技術は、まだまだ俺達のいた世界には到底及ばないようで、検査技術や薬、医療器具等はほとんど揃っていないと言っても過言ではない。
そうなると、サクヤの身体に起こっている病気の診断や治療をするというのはなかなかに難しそうである。藁をも掴む話のようではあるが、ナーシェが話していたドラゴンの血の効果、そう言った神秘とも言えるような力に希望を繋ぐしかなさそうであるのだ。
何にせよ現状、俺がどうこうできるといった話ではない。今の俺に出来ることは、もっと九尾の力を使いこなせるようになること、ただそれだけなのだ。
そう結局の所やることは簡単だ。ギルドに登録されている任務を受け、パーティとしての実績を積み重ねる。つまるところはそれだけである。
だからこそ、俺達は早速ではあるが、再びギルドの本部へと来ていた。目的はそう、任務を探すと言うことである。
「いろんな任務があるんだね……」
ギルドのカウンターに登録されている任務は山のようにあった。グール討伐や、野犬退治と言った比較的難易度が低そうなものから、辺境の地の探索まで様々であったのだ。
「新しいパーティとして最初の任務だからな。フリスディカから近い場所で、そこまで難易度の高くない任務の方がいいと思うぞ」
「そうだねルート! 私もそう思うよ!」
「野犬退治の任務なら、ここから近そうですよ! ナリスならフリスディカから列車で数時間くらいの場所です!」
ナーシェが指さしたのは野犬退治の任務の書類だった。場所はフリスディカから少し北に行った場所にあるナリスという名前の地方都市であるそうだ。初めての任務としてはちょうど良いくらいの距離であろう。それに、なんと言っても相手は野犬。こっちだって犬相手ともなれば、他の任務よりかは幾分有利に働くかも知れない……
「どうだ、イーナ? ルカ? ナーシェの提案した野犬退治で良いか?」
「これはこれは…… ヴェネーフィクスの皆さん! どうやらお揃いのようで!」
カウンターで受注する任務を考えていた俺達の元に、急に数人の男達が近寄ってきた。嫌らしい笑みや、むかつく顔はよく覚えている。昨日、ギルドに登録する際に、絡んできた奴らであった。
「ルート君も、こんなに可愛いメンバー達ともなれば任務選びも大変でしょう……」
メンバーの1人がニヤニヤとしながら、そう言葉を続けてきた。そして、一気に笑い声を上げた男達。本当に下らない男達である。
「まあ、せいぜい怪我をさせないように、気をつけるこったな! かわいいお顔が台無しになっちまわないようにな!」
そう言い残しながら、酒場の方へと消えていったパーティ達。面倒な絡みこそされたものの、特にこちらに被害があったわけではないので良しとしよう。でも……
「……あいつら。私達に何か恨みでもあるの……」
いくら俺達が、女ばっかりのパーティだからと言って、物珍しいのはわかるが、そこまで言われるとなかなかに不愉快である。つい漏れてしまった声が聞こえたのか、ルートが苦笑いを浮かべながら、俺に語りかけてきた。
「……奴らは、サンダーウィングと言うパーティでな……」
――サンダーウィング!?ださくない……?
もうルートの言葉が全く耳に入ってこないほどに、そのパーティ名は衝撃だった。だって…… サンダーウィングって…… 今時の小学生でも、もうちょっとマシな名前をつけそうだ……
「……まあ、そういうことでな…… 俺やハインとはなかなか馬が合わなかったというわけだな……」
ごめんルート、ほとんど聞いてなかったよ…… だけど流石にもう一度話してくれとも言いづらいし、そもそもそこまで奴らに興味があるというわけでもない。ルートやハイン達とは合わなかったという情報だけで十分だ。
何にせよ俺達の次にやるべき事は決まった。
『ナリスの街近くの森林地帯に住む野犬の討伐』
それが、ヴェネーフィクスとしての初めての任務である。




