18話 私だって戦えるんです
「イーナ! どうして……!」
俺の方を困惑した表情で見つめていたルート。だが今は状況を説明しているような余裕はない。先ほどまでハインへと向けられていたオーガの敵意は、今度は突然に現れた俺へと向けられていた。
「なんだお前は? 妙な力を感じるな」
低い、そして不気味な声が響く。まるで大地が震えているような、そんな地鳴りにも似たダイダラボッチの声。思わず身がすくんでしまいそうになるが、ここで怖じ気づいてはいけない。恐怖を感じてしまっては、勝てるものも勝てなくなってしまう。
「私? 私は九尾だよ」
なるべく平静を装いながら、ダイダラボッチへと俺は言葉を返した。そして、俺の正体を聞いた途端に、高らかに笑い出したダイダラボッチ。
「ふっはっは、まさかお前の方からきてくれるとはな! 前とは姿が少し違うようだが、忘れもしないあのときの雪辱、今日こそお前を倒し、晴らさせてもらうぞ!」
――おい、サクヤ。一体何をしたんだ?
――さあの? もうとっくに忘れてしまったわ。
「おい、イーナ! 逃げろ! こいつは格が違う!」
ルートが必死の形相で叫ぶ。だけど、俺は逃げるつもりなんて毛頭無い。ここで俺が逃げたとして、深手を負ったハインは確実にやられてしまうだろうし、結局、ダイダラボッチが妖狐の里を襲ってくるのは目に見えている。結果が同じなら、逃げたところで仕方のない話だ。
「ごめんねルート…… それに皆。でもやっぱりこれは、私達が解決しないといけない話なんだ…… ロッドの姿が見えないけど…… ロッドは?」
ロッドの名を出した途端にルートの表情が曇る。その表情だけで、俺が状況を理解するのには十分だった。姿がないという事は、つまりそういうことなんだろう。
「そう…… 本当にごめん」
「ここは、俺がなんとかする! お前はナーシェと一緒にハインを連れて逃げるんだ!」
「逃げてどうするの?」
俺の一言に、ルートは何も言葉を返せなかった。そして、俺達の方へ向けて、動き始めたダイダラボッチ。もう今更逃げたところで遅い。皆で無事に帰るため、残された道はただ一つ。
「炎の術式…… 紅炎!」
こちらへ向けて突っ込んでこようとしていたダイダラボッチにむけて炎を飛ばす。だが、完全な不意打ちであった先ほどとは異なり、そう簡単にはいかないと言うのは俺もわかっていた。案の定、丸太のような太い腕で、自らの身体を守るダイダラボッチ。炎がダイダラボッチの太い腕へと命中する。
「ぐぅ……」
激しい爆音と共に白煙が上がる。そして、少しひるむような仕草を見せたダイダラボッチではあったが、すぐにバランスを立て直し、再びこちらに向けて一気に突っ込んできた。
「あんまり効いてなさそう……」
「イーナ! 気をつけろ! そいつ見た目以上に素早いぞ!」
ルートの言葉通り、一気に距離を詰めてくるダイダラボッチ。そして、ダイダラボッチが振りかぶったとき、俺はすでに奴のリーチの中に入ってしまっていた。
――やば……
とっさに脚に集中させたマナを開放させる。上手く行くかどうかなんてわからない。だけど不思議と不安は一切無かった。正確に言うならば、不安を抱くような暇さえ無かったとも言える。
ダイダラボッチの攻撃に合わせて、俺は足先から垂直に一気にマナを放出するイメージで、思いっきり大地を蹴った。炎と共に、宙へと一気に浮く身体。
そして、ふわっと浮いた身体のすぐそばを、一気に風が吹き抜ける。地面に残った残り火を消しながら、ダイダラボッチの太い腕が目の前を通過していく様が、スローモーションの様に俺の目に映る。
一瞬戸惑った様子を見せたダイダラボッチ、完全に隙が出来た。空中で身体を捻らせながら、俺はダイダラボッチの方を向き、再び手にマナを集中させる。
「炎の術式 紅炎!」
空中で体制を立て直しながら、再びダイダラボッチめがけ魔法を放つ。炎が命中し、よろめくダイダラボッチ。確かに効いてはいる、だが、まだマナを完全には使いこなせていないからか、決定的なダメージを与えるまでは行かないようだ。
「イーナ!」
空中に浮いていた俺の身体に急に何かに支えられるような感覚が伝わってくる。気が付けば、俺の身体はルートの腕の中にいた。そのまま地面へと着地し、俺を優しく地面へと下ろしてくれたルート。少し笑みを浮けばながら、ルートが小さく口を開く。
「いつの間にそんな……」
「修行の成果だよ! どうやら、決めることは出来なかったみたいだけど……」
立ち上がり、こちらをにらみつけるダイダラボッチの表情は怒りに支配され、まさに鬼という言葉以外に形容しようがない、そんな姿であった。
「九尾…… 本当に…… 憎い! 憎いぞ! 一度ならず…… 二度も、わしをこけにするとはな!」
俺の全力の魔法を入れたはずだった。並みのオーガならもう終わっていたはずである。だが、流石、オーガ達の親玉であるダイダラボッチだ。相手もさながら、まだまだ余裕といった様子であった。
とはいえだ、いくら相手が強者とはいえ、こちらとて黙ってやられるという訳にもいかない。何とかして突破口を開かねば、話も進まないのだ。
「ルート、どうする?」
「俺が奴の気を惹く、その間に魔法をたたき込むしかないだろう」
冷静に言葉を返すルート。ハインの方にちらっと目をやると、すでにナーシェが回復をしてくれているようだ。何とかハインが戻ってきてくれれば、光明は見えてきそうだが、ハインが戦えないという現状、ルートの言うとおり、前線で戦うルートを俺が援護するというのが一番ベストな選択肢であろう。
ダイダラボッチの太い腕が俺達2人の方に飛んでくる。身ほどもあろう大剣の刀身をダイダラボッチの攻撃に合わせるルート。鈍い音が周囲へと響き渡る。
「ぐっ……!」
ルートの大剣はダイダラボッチの腕を正面から受け止めていた。地面にめり込んでしまいそうなルートの脚は、ダイダラボッチの攻撃の威力の高さを物語っていた。プルプルと震えるルートの腕。正面から受け止めたという事実だけでも、俺にとっては信じがたい出来事であった。
「何をぼうっとしてる! イーナ!」
叫ぶルート。思わず見とれてしまいそうになってしまったが、今は戦いの最中である。ルートの力に見とれている場合ではない。すぐに、再びマナを手へと集めようと試みた。
(あれ……?)
先ほどと同じように魔法の準備を試みた俺であったが、ここで俺は違和感を感じた。マナの流れに集中出来ないのである。先ほどまでは確かに出来ていたはずなのに、マナを集めようと思っても、思うようにコントロールできない。
「おい! イーナ!」
「上手くマナをコントロールできないんだ!」
――魔力の限界じゃな……
冷静に呟くサクヤ。冷静に考えれば、魔法だって使える回数に限りがあったとしても不思議ではない。つい数日前まで魔法なんて見たことも触れたこともなかったのだ。いくら九尾の身体のお陰で、魔法が使えるようになったからと言って、まだ鍛錬の足りていない俺がそんなにポンポンと発動できるような代物ではなかったようだ。
「くそっ……!」
再びダイダラボッチの激しい攻撃を正面から受け止めるルート。何とか魔法を使おうと試みるも、上手くマナを練ることが出来ない。次第に俺の中にも焦りが生まれ始める。
何とか…… 何とかもう一発…… このままじゃ……!
ルートはなんとかダイダラボッチの攻撃を受け止めてはいるものの、防戦一方。このままでは全滅も免れまい。どうする、どうする俺?
――イーナ! 焦るな! だんだん集中力が落ちてきているぞ!
サクヤの声がこだまする。そんな事はわかっている。わかっているけど、どうにかしないと…… 今度こそルートもハインも、ナーシェも死んでしまう。
そして、すっかり心を乱されていた俺は、ダイダラボッチの攻撃に対して反応が遅れてしまった。ルートの防御の隙をかいくぐって、俺の方へと飛んできたダイダラボッチの重い攻撃。気が付けば、もうすでに回避すると言うのが難しいと言う位置までダイダラボッチの腕は近づいていたのだ。
――あ、死ぬ……
ルートの必死な形相が目に入る。何か叫んでいるようであったが、何を言っているのかまでは聞き取れない。周りの風景がスローモーションのように流れていく。あのとき、崖から落ちたときと同じような感覚。流石に2回目ともなれば自らの置かれた状況を理解することも容易であった。
2回も味わうなんて……
身体が固まってしまったように動かない。死を目前にして、俺に出来たことは、ただ目を瞑ると言うことだけであった。視界が闇に閉ざされる。
――サクヤ、ごめん 約束は守れなかったよ……
――イーナ!
サクヤの声が俺の中に響く。きっと怒っているんだろうな。失望しているんだろうな。そう思っていた俺へと再び語りかけてくるサクヤ。
――イーナ! 前を見ろ!
妙なことに、俺の視界こそ闇に包まれていたものの、痛みは全く感じなかった。それに、確かに身体の感触は残っていた。サクヤの声に従って、おそるおそる目を開く。次第に広がっていく明るい世界。俺の目の前には、大きな男の背中が広がっていた。




