16話 初めての戦いでまともに動けるわけなんて……
俺の3倍ほどはあるであろう巨体のオーガ。その敵意は完全に俺達へと向けられていた。こちらの様子を伺うように、距離を保ちながら、じわじわと俺達へと迫るオーガに合わせて、俺も、背後にルカとテオを隠しながら、後ずさりをする。
緊張で汗ばむ身体。そして、無意識のうちに自分の手が震えていることに気が付いた。果たして本当に上手く行くのだろうか。いや、上手くいなければ、俺だけじゃなく、ルカもテオもやられてしまう。必ず成功させなければならない。
ゆっくりと、オーガとの間合いを保ちながら、足と手にマナを集中させる。大丈夫、俺は上手く出来る。上手く出来る……。そう自分に言い聞かせながら、意識を自らの身体に集中させる。
次第に身体が火照るように熱くなってくる。指先からつま先まで、何かが身体の中を巡っているような、そんな感覚に包まれる。そして、目の前のオーガも俺に起こりつつある『異変』に気が付いたのだろう。一瞬足を止めたかと思ったオーガは、そのまま一気に俺へと向かって突っ込んできた。
「炎の術式……」
だが今更突っ込んできたところでもう遅い。持っていた大きな棍棒のような武器を思いっきり振り上げながらこちらに向かってきたオーガであったが、こちらの準備はすでに整っていた。一気に手に意識を集中させると、指先にマナが集まるような感覚と共に、手元に巨大な炎の玉が形成された。バチバチと音を立てながら、渦を巻く炎の玉。そして、俺は力を込めてその言葉の続きを発した。
「紅炎!」
俺の手元で渦を巻いていた炎の玉は、目の前のオーガめがけて一気に飛んでいく。そして、次の瞬間、大きな炎がオーガを一気に包みこむ。うめき声を上げながら崩れ落ちていくオーガを前に、俺も同じく緊張の糸が切れたように、そのまま脚から力が抜けていった。
何とか無事に魔法を発動できた…… そう安堵した俺の元へと、駆け寄ってくるルカとテオ。俺の初めての戦いを見届けてくれた2人は、興奮した様子で口を開く。
「イーナ様すごい!」
「ニャ! 流石九尾様なのニャ!」
2人の表情からしても、確かにオーガは倒せたはずだ。手応えはあったし、もうオーガの姿もない。目の前に残っていたのは、ちりちりと小さな音を立てながらすでに消えかかった炎の燃え残りだけ。だけど、俺はまだ自分が1人でオーガを倒せたという事実を信じられなかった。
「……倒せたんだよね?」
果たして本当に倒せたのかと、ルカに確認を行う。笑顔を浮かべたまま「うん!」と頷くルカ。全く身体に力が入らない。脚はガクガクと震え、立つことすらままならない俺は、ルカの顔を見上げることだけで精一杯だった。
「よかった…… 本当に……」
――よくやったイーナ。さっきの魔法はなかなかじゃったぞ!
サクヤの優しい声が俺の中に響く。そして、ようやく、オーガを倒せたんだという実感が湧いてくる。所詮は一体のオーガを倒しただけという話。だけど、俺自身の力でオーガを倒せたというのは紛れようもない事実だ。
たったそれだけの事だが、ようやく俺もこの世界で生きていけるという道が見えた気がして、そして、この世界にようやく受け入れてもらえたような気がして、嬉しかった。
次第に身体に落ち着きが戻ってくる。だんだんと冷静を取り戻しつつあった俺。いつまでもここに留まっているというわけにもいかない。もしかしたら他にオーガがいるかもしれない。俺達が次にしなければならない事、早く妖狐の里へと戻らなければならない。
ようやく震えも落ち着いてきた脚に力を入れて立ち上がる。そして、こちらを見つめるルカとテオの2人に、俺は言葉をかける。
「とりあえず、妖狐の里に戻ろう。もしかしたら、オーガが他にもいるかもしれないし……」
「そうだね! テオもおいでよ! イーナ様なら怪我の手当もしてくれるし!」
「ニャ! 良いのかニャ?」
「うん! 大歓迎だよ!」
ルカの快諾もあり、俺達は一度ルカの家へと戻ることにした。妖狐の里の皆は、オーガが妖狐の里の近くに現れたことにまだ気が付いていないようだった。平和そうな妖狐の里の皆の様子を見ていると、俺も一気に安心感に包まれていく。
ひとまずはテオの手当だ。手当と言っても、テオの怪我自体は大したことは無い擦り傷である以上、水で濡らした布で汚れを拭き取る程度で十分であろう。出血ももうすでに止まっているようだし、特段何かを急いでしないといけないというものではない。
「これで良しと!」
「イーナ様、拭いただけで、大丈夫なの?」
「まあ、ナーシェの力なら治すことも出来るかも知れないけど…… 結局うちらがやってる事って自分で治す力をサポートすることくらいだからね! このくらいの傷ならすぐに治るし大丈夫だよ!」
「そうなの! 良かったねテオ! 大丈夫だって!」
笑顔を見せるルカに、テオも飛び跳ねて喜びを露わにする。少女と猫が無邪気に戯れている様子は、まさに天国としか言いようがないような光景である。
「ほらほら、テオはあんまりはしゃいじゃ駄目だよ!」
「ニャ…… ごめんなさいなのニャ……」
落ち込んでしまったテオを励まそうと近づくルカ。すっかり二人は仲良くなったようだ。テオの手当てをおえた俺は、次に俺達がするべき事について、考えていた。
もしかしたら、ケット・シー達なら、ダイダラボッチと呼ばれるモンスターの行方を知っているかも知れない。そう考えた俺は、テオにダイダラボッチやオーガ達について知っていることを尋ねてみることにした。
「ところで、さっきの続きなんだけどさ、オーガ達がテオのすみかの近くに頻繁に現れるようになったんだよね? テオはダイダラボッチっていう奴のこと何か知ってる?」
「ダイダラボッチ? 聞いたことないのニャ……」
どうやらテオもダイダラボッチと呼ばれるモンスターについては心当たりがないらしい。ちょっとだけがっかりした俺であったが、次の瞬間、何かを思い出したかのようにテオが再び口を開く。
「でも…… なんだか強そうなオーガならここに来る途中に見かけたのニャ! ここからは大分離れた場所だったとは思うけど……あれは絶対ただのオーガじゃなかったのニャ! それにいっぱいオーガ達が集まっていたのニャ!」
「きっとそいつだよ! イーナ様!」
テオの話に反応するルカ。おそらく考えていることは俺もルカも一緒である。やっと正体を掴めそう、ようやく俺達に道が見えてきたのだ。そして、テオは再び何かを思い出したかのように呟いた。
「そういえば…… オーガだけじゃなくて、人間の姿も見たのニャ! ちょうどオーガ達が集まっている場所の近くだったのニャ! あの人達は大丈夫かニャ……?」
テオの話を聞いた瞬間、俺は一気に血の気が引くような感覚に襲われた。ルカの表情も先ほどの無邪気な笑顔とは異なり、真剣な表情へと変わっていた。人里離れたこの妖狐の里、近くの森にいるような人間と言えば、間違いなくルート達の事だろう。
「テオ! その人達って4人だった?」
「ニャ…… 人数までは数えられなかったのニャ…… 僕も隠れながらきたから、あんまり見れてはないのニャ……」
確かにルート達は強い。それは俺だってわかっている。だけど、もしテオの言う強いオーガというのが、『ダイダラボッチ』だとしたら…… それにテオの話だとオーガが一杯集まっていたというし、いくらルート達だからと言って大勢のオーガとダイダラボッチを相手するとなれば、そう簡単に…… 一筋縄ではいかないだろう。
もう、俺の心は決まっていた。ダイダラボッチの近くにいるという情報を得た以上、彼らをこのまま放置しておくというわけには行かない。ルカの方を見つめた俺、ルカはそんな俺に向けて、力強く頷いてくれた。こうなれば、次に俺達がやるべき事は一つ。
「テオ! 申し訳ないけど、そこに案内してもらえる? その人間達は私の知り合いなんだ!」




