2-9話 煌夜街の支配者
「あんたは客じゃない。こっちもあんたみたいなクソ野郎が来ると迷惑なんだ」
地面に這いつくばる男に、冷たく見下すウズメ。まるで、ゴミでも見るかのような、そんな視線を送られた男は、流石に怒りが沸点へと達したのだろう。急に立ち上がり、ウズメに向かって殴りかかろうとした。
「てめえ! 蹴り飛ばしやがって! 俺を誰だと!」
「……ふーん、やっちゃっていいんだ……」
殴りかかってきた男を前に、ウズメはぺろりと舌を出した。まるで獲物を見つけたハイエナのように、飢えた獣かと錯覚するかのような、笑みを受かべたウズメ。そのまま、ウズメは再び男に向かって、先ほどとは比べものにならないような強烈な蹴りを繰り出した。激しい音と共に、一気に吹き飛ばされていく男。そう、この街は…… 本当に怖いのだ。
――怖……
ウズメの蹴りをもろに食らった男は、そのまま地面から立てなくなったようだ。すぐに、煌夜会の応援がやってきて、ボロボロになった男は引き摺られていった。この街は煌夜会こそが絶対。彼女たちに逆らってはいけないのだ。
「……イーナ…… あんた、あのくらいのゴミ、余裕で片付けられるでしょ」
そう口にしたのはウズメ。もうウズメの表情からは、獲物を見つけた獣のような笑みはすっかり消え去っていた。
「……いやーー、やっぱり立場上、あんまり一般人に手を出すというのもさ……」
「つーかさ、ルート! あんたは何のためにいるわけ? そんなじゃ、イーナにも愛想尽かされるよ! ホント!」
そして、ウズメの矛先は、私の後ろにいたルートへと向かった。突然、ウズメの口から、私の名が出たことに、思わず動揺してしまった私は、そのままウズメに向かって声を上げた。
「なんで、私が!」
「なんでイーナが!」
そして、私とルートの声が偶然にも重なったのだ。ふとルートの方を見ると、すっかり顔を真っ赤にしたルートと目が合った。気まずい。何とも気まずい空気が私達を包み込む。私達をあざ笑うかのように笑みを浮かべたのはウズメ。再びウズメは私達をからかうように言葉をかけてきた。
「……全くあんたら本当に子供だねえ……」
「「子供じゃない!」」
またしても声が重なる。長い間ルートと一緒に行動してきたからか、こういう所は似てきてしまっているのだ。それが少し可笑しいというか、不思議というか……
「んで、あんたは?」
私達の動揺なんて関係無しに、ウズメはリンドヴルムの方へと視線を向ける。そう、私達が今日ここに来たのは、こんなコントみたいな事をしに来たのではない。リンドヴルムに、私達の仕事がどういうものなのかを、そしてフリスディカのもう一つの顔を見せるためにここに連れてきたのだ。
「あー、新しく零番隊に加入したリンドヴルムだよ。これから、ちょくちょく来ることになると思うから…… よろしくね」
「ふーん……」
じろじろと、リンドヴルムをなめ回すように見るウズメ。流石のリンドヴルムもあまりのウズメの勢いに、もはやたじたじであった。
「あんたもなかなか…… イイオトコじゃないか? イーナの愛人かい?」
「愛…… おっ! よくわかっているじゃないか! そう、俺こそがイーナの愛人、リンドヴルムだ! がっはっは!」
高らかに笑うリンドヴルム。うん…… きっとリンドヴルムは、その言葉の意味を誤解している。クスクスと笑うウズメに、私は再び声を上げる。
「違うって!」
「もういい、このままじゃ埒があかん。ウズメ、煌夜会の本部にこいつを連れて行く」
「はいはい、本当に…… ルート、あんたは堅物ねえ。そんなんじゃモテないわよ」
「モテなくても結構だ」
ウズメのからかいにも、もうすっかりペースを乱されなくなったルート。このとき、私は心の中で1人、ルートの言葉に突っ込んでいた。
――いや、ルートモテてるでしょ……
ふと、思い出したのは、あのとき、見知らぬ女性と楽しそうに買い物をしていたルートの表情。一体あの女性は誰だったのか…… 突然のリンドヴルムの登場で、私の頭の中から抜け落ちかけていたあの記憶が、再び私の頭を支配する。
――こっそり聞いてみようか…… いや、でも……
『こないだ、ルート、女の子とデートしてたよね? アレ誰?』 ……なんて、前の私だったら平然と聞けたかも知れない。でも、今の私にはそれももう難しい。なんか、こうめんどくさい女になってしまいそうだし…… いやでも、気になる……
「……んで、本当はどっちが本命なの? イーナ?」
「……ルート」
突然、私の耳元で囁いたのはウズメ。ルートの事を考えてしまっていたと言うこともあり、不意に聞かれたことで、思わずルートの名を呟いてしまったのだ。その名を呟いた瞬間、ふと私は我に返る。目の前にはにまにまと嬉しそうに笑みを浮かべるウズメ。一気に私の顔に血が上ってくるような、そんな感覚が私を襲う。
「……あらあ…… やっぱり……」
「だから違うって! もう!!」
「一体なんの話だ?」
都合良く、いや…… 良いのかどうかはわからないけど、どうやらルートには聞かれてなかったようだ。私達が何の話をしているのかと首を突っ込んできたルート。慌てて私はルートに言葉を返す。
「なんでもない! ほら、早く! スクナの所に行かなきゃ!!」
今、私が口にした『スクナ』というのは、煌夜会の頂点に位置する女性である。そもそも煌夜会というのは、煌夜街で働く女性達が、自らの力で街を統治しようと言うことではじまった組織だ。今、煌夜会はトップに立つスクナを中心に、ウズメ達幹部と呼ばれる者達、そして多くの働く女性達で成り立っていると言うわけである。
ここいら一帯の店のオーナー達、彼らは例外なく金持ちである。そして、女性達を目当てに訪れる男達もまた金を余らせた者達。つまり金が支配するこの街で、女性達が身を守っていくためには、金の力に対抗できる力が必要だったというわけだ。まさしくそれが『煌夜会』そのものなのだ。
そして、実際に私達『零番隊』に協力を申し込んできたのも、他ならぬ煌夜会そのものであった。彼女たちにとっても、堕魔というものは脅威である事は間違いが無かったのだ。幾人もの女性が堕魔に襲われ、そして儚き命を散らしていったのだ。最初は煌夜会側も自分たちの力で解決しようとしたが、この複雑な事情が絡んでいる『煌夜街』において、そう簡単に問題を解決することもできるわけもなく、こうして私達と煌夜会は今、協力関係にあるというわけだ。
煌夜街の中心部、煌びやかに光る街灯が行き着く先、まるで老舗の温泉旅館とさえ思えるような豪華絢爛な建物。私達の目の前にある、この建物こそが、その煌夜会の本部となる。
「スクナに会いに来たんだけど」
流石にこんな街に位置すると言うこともあり、煌夜会の本部の警備は厳重だ。建物の前には、煌夜会によって雇われた腕利きのハンターがいつも番をしている。
「……お前達か、ご苦労。入って良いぞ」
とはいえ、私達も仕事で何度もここへは来ているし、もう彼らにも顔は覚えられている。最初は…… 色々あったけど、今となっては顔パス状態。そのまま警備を通過し、本部の中へと足を踏み入れた私達。豪華な装飾に包まれた廊下、そして階段を登ると、そこは、煌夜会のトップ、スクナがいる部屋である。
コンコンコンコンと扉を4階ノックする。これが、スクナから伝えられた、部屋に入るための合言葉。固く閉ざされていた扉が音を立てながら開き、豪華絢爛な部屋が私達の目に飛び込んでくる。その奥に優雅に座っていた女性。まさしくそれが、この街の支配者、まだうら若き少女、スクナであった。




