2-8話 もう一つのフリスディカ
-煌夜街-
それは、フリスディカ南部に位置する歓楽街の名称である。その歴史は古く、連邦が成立する前、まだシャウン王国が周辺諸国と戦いを続けていた頃から発展を遂げたと言われている。王国側も深く介入してこなかったと言うことで、結果として、この場所は自治組織や商人達の手によって独自の発展を遂げてきたというわけだ。
「おい! イーナ! なんだここは! 滅茶苦茶華やかじゃないか!」
あまりに煌びやかな世界に、リンドヴルムは目をきらきらとさせながら、興奮を口にする。もちろん、その意味なんてリンドヴルムはわかってはいないだろう。だけど、わかっていなくても、目を奪われてしまうほどに、その街は美しいのだ。
美しい女性達が街を闊歩する、男にとっては天国とも言える街。それが、ここ。フリスディカ南部地区『煌夜街』なのだ。
「……一応、仕事でさ、ここらも見回らなきゃ行けないんだ」
華々しい街とは裏腹に、ここいらは堕魔による事件が絶えないエリアでもある。この煌夜街は、『煌夜会』と呼ばれる自治組織によって管理されており、ある程度権力を持った地主達がそれぞれ自分のシマと呼ばれる場所を管理しているという形となっている。王国の兵士達による見回りも行われていなかった結果、堕魔達にとっては王国側から身を隠すためにうってつけの場所となってしまったと言うわけだ。
そして、危険な場所とわかっていながらも、人は欲望の前には抗うことが出来ないものだ。この煌夜街という場所、煌びやかな見た目からもわかるように、遊ぶためにはお金が必要になる。お金を持った人間が集う場所と言うことで、それを狙った堕魔達による事件という者が後を絶えない現状となっている。
煌夜会側も決してなにもしなかったわけではない。お客が減ってしまっては商売あがったりと言う事で、かつてハンターだった実力者を雇ったりといった堕魔に対する対策を取ろうとしたらしい。だが、強力な魔力を持った堕魔を相手に、歴戦のハンターとは言えど、やられてしまうと言う事件も多く起こった。事態を重く見た煌夜会側は最後の手段として、王国側に協力を要請してきたというわけだ。
あまりに華やかな煌夜街の街にすっかり目を奪われ、初めて都会に上京してきた人のようにきょろきょろと周りを見渡していたリンドヴルム。ふらりふらりと何かに取り憑かれたかのように、煌夜街の中心の方へと向かって行くリンドヴルムに、慌てて私達も付いていく。そして、そんなすっかりお上りさんなリンドヴルムの元に、露出の多いコスチュームに身を包んだ綺麗なお姉さんが近づいてくる。
「おにーさん、どう? 寄っていかない? 良いこと出来るわよ!」
ぴったりとリンドヴルムの腕へとくっつきながらそう口にしたお姉さんに、すっかりでれでれになったリンドヴルムは、鼻息荒げに声を上げる。
「おい、何なんだ! 良い事って! 行ってみたいぞ!」
「待てリンドヴルム」
冷静に止めるルート。リンドヴルムは、不満そうな様子でルートへと言葉を返す。
「どうしてだ! どうして止めるルート! さっきまで色んなお店に一緒に行ったじゃないか!」
「ちょっとこい!」
そして、リンドヴルムにくっついてお姉さんを振り払うように、ルートがリンドヴルムの腕を掴み、元来た方向、煌夜街の入り口の方へと連れて行く。私も何も言わずにルート達の後を追った。
「お前、この街がどういう場所なのか、わかっているのか?」
「良いことをする街なんだろう! 何だ良い事って! 教えてくれルート!」
困惑したような様子のリンドヴルムの耳元で、ルートが私に聞こえないように何かを囁いた。きっとこれもルートの気遣いではあるのだろう。まあ、別に私だってこの街がどんな場所かはよくわかっているし、今更気にすることでもないけど……
「何だって!! 美女達と……!」
「声がでかい!」
見事なオーバーリアクションを見せたリンドヴルムに、何故か教えたルートまでもが焦っている。むしろ、リンドヴルムよりも、ルートの方が顔を真っ赤にして恥ずかしがっているようだ。私にとっては、むしろルートの方が心配になる。いい年だというのに、そんな恥ずかしがって…… いや、まあホイホイと女をたぶらかすような人じゃないし、いいんだけど……
リンドヴルムは、私の視線に気が付いたようで、必死な様子で、私に対して頭を下げてきたのだ。
「すまんイーナ! そういうつもりじゃなかったんだ!」
「まあ…… 知らなかったんだから仕方ないよ! さあ行こうか! ちゃんと仕事はしないとね!」
ずっと焦せっているリンドヴルム。リンドヴルムは本当にこの街が、どういう街なのか知らなかったのだろう。すっかり顔も青ざめ、慌てるリンドヴルムの様子が、私にはどこか可笑しく見えた。
「俺としたことが…… イーナを妻にだなんて言いながら…… 情けない……」
リンドヴルムはぶつぶつと、そんな言葉を繰り返しながら、すっかり息も消沈し、再び煌夜街へと足を踏み入れた私の後を付いてきていた。
そして一方のルートと言えば…… そわそわと落ち着かない様子で、歩き方もぎこちなく、見るからに不審人物というような雰囲気だ。もちろん私達の業務はパトロールだから、街の様子を見て回ると言うことは必要な事なのだが、ルートがチラチラと女の子の様子を見ては、顔を真っ赤にして目を逸らすと言うことを繰り返していることは、私も気付いている。
全く…… 2人とも…… これじゃ先が思いやられるよ……
この煌夜街という場所は、堕魔による凶悪な事件が絶えないと言うことで、こうして私達が定期的にパトロールに駆り出されている。でも、敵は決して堕魔だけじゃない。例えば……
「ねえ…… お嬢ちゃん…… かわいいね……」
もじもじとしながら、私に近づいてくる1人の男。小太りで、申し訳ないが、いかにも…… といった雰囲気の男だった。
「ごめんね、私、違うんだ! 今仕事中で!」
私がこの街をあまり好きじゃない理由。一番の理由はこうして変な男達に声をかけられるという事である。流石にもう慣れたけど…… それでも鳥肌が立ちそうになるというか…… 商売とは言え、私もつくづくここで働く女性達の事はすごいと思う。
大抵のまともな…… まあ、普通の人は、それで立ち去ってくれる。たまに、違うのかと舌打ちされたりすることもあるが、それくらいならまだましだ。今回の男は…… 話が通じないのか、厄介なことに私の腕を掴み、粘ってきたのだ。
「そんなに照れなくてもいいんだよ! ほら好きなもの何でも買ってあげるからさ……」
「いや、ちょっと…… 離して」
男の大きな腕が私の腕を凄まじい力で押さえつける。まあ、こんな男くらい倒してしまうのは簡単だけど…… 相手は一般人。下手に私達が手を出そうものなら、後でめんどくさいことになりかねない。穏便に済ませられることなら、それに越したことはない。
「おい、お前……」
そして、ルートが私達の間に這い込もうとしてくれた瞬間、ふと背筋にぞわっとした感覚が走る。男の手が、私の背後へと伸びていたのだ。
「ちょっと! そろそろいい加減に……」
「……貴様」
先ほどまでしょげていたリンドヴルムの表情は、今まで見たことないほどに恐ろしい…… そんな修羅と形容できるような表情へと変わっていた。やばい…… このままじゃ…… そう思ったときのことである。
突然、腕を掴まれていた感覚が私の元を離れる。ぐあっと声を上げ、男は勢いよく地面へと叩きつけられていった。男を蹴り飛ばした細い足が私の視界の隅の方へと入る。蹴り飛ばされた男は、そのまま今自らを蹴り飛ばした者の方を見上げ、怒りを口にした。
「おい! てめえ! 客を蹴り飛ばすとは……」
「この街のルールも守れないようじゃ客じゃないよ。ほら、さっさと去りな!」
そう啖呵を切ったのは、私とさほど変わらないくらいの若い女性。私も何度も話をしたことがあった、その女性の名前はウズメ。煌夜街を取り仕切っている煌夜会のメンバーの1人である。




