11話 温泉に浸かると疲れも吹き飛びます
温泉、それは癒やしの場所。
温泉、それはまさに天国。
温泉を前にテンションが上がらない人はいないだろう。言うまでもなく、俺だってその一人だ。
「すごい! 妖狐の里に温泉があるなんて!」
「そうだよ! 是非イーナ様達を、ここに連れてきてあげたかったの! みんなお疲れかなって思って!」
「わーい! ルカちゃん大好き!」
ありがとうと言おうとした俺より先に、ルカに勢いよく抱きついたナーシェ。まさにいちゃいちゃするように密着するルカとナーシェ。実にけしからない光景である。
「行きましょう! イーナちゃんも!」
2人の女子のスキンシップを眺めていた俺は、突然にナーシェに腕をひかれた。ここで俺は自分が女子の身体になっていたことを思い出した。さも当然のように女風呂の方に入っていくナーシェに、俺はそのまま腕を引かれて、女性用の更衣室に入りかけたのだ。
これはまずい、これは大変まずいが、だからといって、温泉を目の前に今更退くというのもなかなかに辛い。
いや、今の俺はもう人間だったころの「俺」ではない、九尾の少女なのだ。九尾の少女として生きていく以上、いずれは通らなければならない道なのだ。仕方無い。これは仕方の無いことだ。多分……
でも、本当に大丈夫なのか? 俺のことを知らないナーシェはまだしも、ルカは俺の姿だって知っているし……
「じゃあ、これルート達の分! 後で合流しようね!」
ルート達に、持ってきた荷物を渡したルカも、俺とナーシェの後をちょこちょことついてくる。更衣室の中で、ルカからタオルを受け取ったナーシェはふんふんと上機嫌なまま着替え始める。
そして、今度は俺の元にタオルを持ってきてくれたルカ。何故か、タオルは2枚あったが、まあルカが間違えたんだろうと、俺はさほど気にしなかった。ルカも自分の分のタオルは持っているようだったし、目下、俺にもっと重要な問題が控えている。
上機嫌のまま着替えを終え、裸のまま更衣室を出て行こうとするナーシェをよそに、俺はルカに耳打ちをする。
「……ルカ、まずくないかな?」
「なにが?」
不思議そうに俺の方を向くルカ。俺がこっちに来ているということが、さも当然と言わんばかりのルカ。俺は少しルカの事が心配になった。この子にはまだ羞恥心という物がないのだろうか?
「だって、いくら九尾の姿をしてるとは言っても…… 元々は……」
「でも、イーナ様はイーナ様だよ? それに、向こうに行くわけにも行かないでしょ?」
「……そうだけどさ」
「大丈夫だよ! どうせお風呂に入ったら一緒だから!」
――そうだよな! どうせ一緒だしな…… ん?
ついつい流れで納得してしまっていたが、俺はルカの言葉に違和感を覚えた。と同時に、一足先に、気分上々でお風呂に向かったナーシェが慌てて私達の元へと戻ってくる。
「ちょっ…… なんでルート君達が! それに男の人も沢山! え?」
「そりゃ皆で来たんだから、皆いるよ! ちゃんとタオルも持ってきたでしょ?」
当然といった様子で言葉を返すルカ。タオルを2枚ずつ渡されたのはそういうことだったのか。と、俺は一人納得する。妖狐の里の温泉は混浴だったのだ。
「……見られた…… 恥ずかしい……」
すぐにタオルを身体に巻き、そのままその場でうずくまるナーシェ。俺は心の中でナーシェに同情すると共に、少しだけ感謝した。ある意味ではナーシェのお陰で、タオルをつけて入ると言う事に気がつけたのだ。このまま気が付かなければ、俺も素っ裸のまま浴場へと突撃していたことは間違いない。だって、温泉と言えば、裸ではいる…… ものだし?
すっかり落ち込んでしまったナーシェを励まそうと俺はナーシェに言葉をかけた。
「大丈夫だってナーシェ! 減るもんじゃないし……」
「なんでそんな平然としているんですか! イーナちゃんもルカちゃんも! 妖狐の里は開放的すぎですよ!」
何とか励まそうとした言葉も、どうやらナーシェにとってはのれんに腕押し。なんなら、先程にも増して、意気消沈してしまったようだった。もう、俺には無理なようだ。すまん、ナーシェ。だが俺達は、お前のことは忘れない。お前の犠牲を乗り越えて、俺達は気にせず先に行くぞ。
更衣室の扉を開けると、もうすでに大勢の先客がいる、浴場が広がっていた。たくさん入っていても、全然狭く感じられないほどに広い露天風呂。お湯は白く濁っており、一旦お湯に浸かってしまえば、中は全く見えなさそうだ。これならば、混浴とはいえどさほど問題は無いはずである。多分。
「おーい! イーナ! ルカ!」
俺達を呼ぶ声が唐突に響き渡る。ハインの声である。すでにルート、ハイン、ロッドの3人は、準備を終え先に湯に浸かっていたようで、彼らの姿を見つけた俺とルカもすぐに3人の方へと向かった。
「あれ? ナーシェはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」
俺達の姿を見て、一緒にいるはずのナーシェがいないと言うことに気が付いたハインは首をかしげる。この様子では幸いにも、ナーシェのあられのない姿は彼らには見られていなかったようだ。まあ、とりあえずはよかったよかった。
「ああ…… 多分そのうち来ると思うよ」
ナーシェの事も気になると言えば気になるが、ナーシェならきっと、そのうち元気になるだろう。それよりも俺はお風呂を楽しみたい。すっかり身体が疲れ切っていたし、ゆっくりと浸かりたいのだ。
広い浴槽の中で脚を思いっきり伸ばすと、身体の奥の方まで熱が染み渡ってきた。特訓で疲労がたまった俺にとって、何よりも気持ちの良いご褒美であった。やっぱりお風呂……温泉という物は最高だ。
「それにしてもよく混浴だって気づいたね!」
「ああ、最初は普通に入ったんだがな…… 驚いたよ。やけにタオルが多いなと思ったら、そういうことだったんだな」
「ね! 最初は戸惑ったけど…… でも入ったら本当に気持ちいいよ! ありがとうルカ!」
どうやらハインもロッドも、そこまで気にしてないようである。だが2人の奥、浴槽の端っこの方でそわそわとしているルート。なんだか様子がおかしい。
「どうしたのルート?」
「ああ、あいつは気にしなくて良いぞ! いつもの事だ!」
落ち着かない様子のルートに変わって、ハインが豪快に答えてきた。だが、せっかくの皆での温泉なのに楽しまないというのももったいない話だ。俺はお湯の中を泳ぐように、ルートのそばへと近づいていった。
「ルート! そんな隅っこにいないでこっちに来ようよ!」
こちらに気が付いたのか、途端に顔を真っ赤に染めるルート。
「俺は大丈夫だ。十分くつろいでる。俺のことは気にするな」
「そう? なんか緊張してない?」
「あんまり近づくな! いや、違う。別にイーナが嫌いとかそういうことじゃなくて…… とにかくだ! お前はもう少し自分の立場という物を考えろ!」
そんな気にすることないのに…… 別にルカやナーシェはともかくとして、俺は男の裸なんて見慣れてたし、今更どうこうという話でもない。それにタオルをつけているし、お湯も真っ白に濁っているんだからどうせ見えないのだ。
それから少し遅れて、すっかり意気消沈したナーシェが、俺達の元へと合流してきた。先ほどの勢いはどこへやら、静かに近づいてくるナーシェに、嬉しそうな表情を浮かべながら近づいたのはルカであった。
「ナーシェ! やっときた! もう元気は出た?」
「元気? 何かあったのか?」
しょげた様子のナーシェを見たハインが、ルカの言葉に反応する。まあ、これについては言わない方がナーシェのためだろう。そんな俺の気遣いを無下にするように、ルカはハイン達に向かって真相を口走る。
「あのね! ナーシェ、最初気付かずに裸のまま入ろうとしちゃって!」
事情を聞いたハインは再び豪快に笑い声を上げる。
「あっはっは、なるほどな。それでそんなに落ち込んでるのか。今更、何だってんだ、なあロッド?」
「そうだよ。一緒に寝泊まりだってしてたじゃないか」
平然とナーシェに言葉を返すハインとロッド。そりゃ冒険者達のパーティーともなれば、一緒に寝泊まりする時間も多いだろうし、今更一緒にお風呂に入ったところで、どうこうと言った感情は一切湧いてこないのだろう。だが、どうやらナーシェはそれがまた気に入らなかったのか、少し拗ねるような感じでハイン達に言葉を返した。
「それとこれとは話が別なんです!」
「別に裸を見られたからって、減るもんじゃないだろう……」
「ハインさんもイーナちゃんと同じことを言うんですね! 全く! 乙女心を全くわかっていないです! そんなんじゃ駄目ですよ!」
「手厳しいなナーシェは」
何か俺の心にも痛烈に刺さってきた言葉だが、事実である以上仕方が無い。もう少し乙女心という物を学ばなければならないようだ。せっかくこの身体になったのに、中身がおっさんというのでは残念すぎる。
まあ、ちょっとしたトラブルこそあったものの、それからの温泉は本当に楽しい時間だった。久しぶりに心からくつろげた、そんな時間だった。また皆で来たい、温泉からの帰り道、俺は心からそう思っていた。
そして、ルカの家の近くまで戻ってきた頃に、ルカの家の前で真剣な表情を浮かべながら、見知らぬ女性と話していたルクス。女性の方は、焦ったような、何かを歌ってかけているような様子だ。もめ事というわけではなさそうだが、女性の動揺した様子から、何かあったことには間違いなさそうだ。
「ねえ、なにかあったの?」
俺達に気が付いたルクスは、困ったような表情を浮かべながら口を開く。
「妖狐の子供が1人、昨日から家に帰ってこないらしいのです」




